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    交流会にて展示の昇仙×転生の忘羨です。
    後日加筆したものをpixivにて公開予定です。

    昇仙×転生よく晴れた日だった。雲深不知処の冬は寒くて寒くて。金丹も持たぬ身では凍えてしまいそうで毎年のように風邪をひいたものだ。その度に藍湛はつきっきりで看病をしてくれて、藍の二の若君だというのに仕事を放ってずっと一緒に居てくれた。戻れと言えども是として答えず俺が目を覚ます度にずっとその顔がいるのだ。
    毎度のことなのに、俺も懲りずに毎度毎度、仕事に戻れ、俺は大丈夫だから。ちょっと寝たらすぐに治るから。そう言い続けた。その度に藍湛は「嫌だ」の一点張り。最早そのやり取りが恒例となっていた。
    けれど、それも今年で終わりだろうと悟る。俺自身が俺の体のことを一番わかっているのだ。ごほ、ごほ、と咳をする度に息がつまり聞き苦しい音を立てる。その度に藍湛は俺の背中を擦り白湯をの入った杯を口元に持ってきてゆっくりと飲ませていく。
    先程医生が帰ってった。俺に聞こえぬところで藍湛と二人、話していたが大方察しはつく。もうこの体は持って数日といったところか。よくここまで耐えたものだと思う。ついぞ結丹することもなく、只人として生を終える。夷陵老祖と呼ばれた俺も体の衰弱には勝てなかった。
    ただ、ただ一つだけ心残りがある。目の前の男のことだ。
    「なあ藍湛」
    杯を握りしめて息を切らしながら名前を呼ぶ。「なんだ」と問い返された言葉に微笑みつつ、顔を見ず、少しだけうつむきながら口を開いた。
    「絶対に俺の後を追おうとするなよ」
    そう告げれば張り詰めた空気があたりを覆う。藍湛のことだ。俺の寿命が尽きることを悟っていいることを知られてしまったこと、そして俺が死んだら後をおうつもりだったことを言い当てられ何も言えずにだんまりを決め込んでいる。
    息を深く吐く。
    「お前は生きろ。俺の分まで」
    「嫌だ。」
    うん、とは返してくれないだろうとは思っていた。また、こいつに俺の居ない孤独を味わわせたくはなかった。だからといって、藍湛を死なせたくは、断じてなかった。
    「わかってる。わかってるけど、頼む。お前は生きてくれ。」
    「またお前は私にあの絶望を味わえというのか。お前のいない世界は何もない。ただの無だ。私に、お前はまた」
    縋るように言葉をつまらせながら俺の肩を抱く。酷いことを言ってるのはわかってる。でも俺はこいつを死なせたらそれこそ死にきれないのだ。
    「藍湛。俺はまた、お前の元に帰ってくる。そのときこの世界にお前が居なかったら俺はまた一人になってしまう」
    それが何十年、何百年先の話になったとて絶対にお前の元に帰る。お前の腕の中が俺の居場所だから。そう告げたらまた、俺は酷く咳き込み、そのまま意識を落とす。それが最後だった。俺と、藍湛の今生の会話は。終ぞ、藍湛の返事を聞くことは叶わなかった。


    ***

    仙門百家、そう呼ばれるほど仙師が多くいた時代は随分と昔の話だ。彷屍を見ることもほとんどなくなった。時代の流れと、科学の発展と。多くの因果かこうして夜道を歩けど屍をみることなどほとんど無い。とはいえ、金丹を有し、仙師として戦う存在は残っている。事実四大世家は今もまだ繁栄し、そのお膝元でもある姑蘇、雲夢、清河、蘭陵はこの国で四大都市として栄えている街だ。
    そんな俺も雲夢に生を受けて早十数年。当たり前のように生活をしていた。今日も当たり前のように起き、当たり前のように家族と会話をし、当たり前のように学校へ行こうと玄関の戸に手をかけた瞬間何かに殴られたような衝撃を受け、その場に崩れ落ちた。
    次に目を覚ましたときには自分のベッドの上に居て、隣には両親が心配そうな顔で見ていた。
    「ああ、よかった」そう言って抱きしめてくれた。
    俺も、そっと二人の背に手を回した。

    さて、俺こと魏玄羽はこの世に生まれて早14年目を迎えている。そして、最近思い出したうんと昔の記憶がある。つまるところ、前世の記憶というものだ。
    俺は昔魏嬰という人物だった。魏嬰、魏無羨。そう、夷陵老祖だ。歴史の授業で何度も聞いた仙門百家の転換期である温氏殲滅の射日の征戦や、血の不夜天で大いに取りだたされている存在。それが、俺だ。
    今まで生きてきた記憶と、突然降って湧いた魏無羨としての記憶。あの日倒れた日にすべてを思い出した。自分自身のこと、自分が生きてきた過去のこと、そして、藍忘機のこと。
    藍忘機、含光君。今も生きる伝説の存在の彼の人。学校の教科書や、テレビでしか知らない、いや、知らなかったすごいひとだ。何千年という時を生きている仙人で、姑蘇にある雲深不知処に住んでいる。なんでもお堅い人たちが住んでいる、と。
    何も思い出せないときだったらそう言っていただろう。人の噂やテレビの情報のみを信じてそれを口にしたであろう。けれど、今ならわかる。あの場所がいかに暖かくて優しい場所か。
    そして、今も生きる藍忘機についても。きっとこの世界の誰よりも俺が一番知っているだろう。
    俺が言った言葉を愚直にも信じ、生き続けている俺の愛する道侶。会わなければ、会って、早く彼にただいまを言いたい。だが、問題がある。自分がまだまだ、子供だということだ。あの時代だったならば14歳は夜狩りに行けるほどの歳であっただろう。御剣をし、雲深不知処まで飛び出して行っていたはずだ。だが、今は違う。時代が違うのだ。
    まずそもそも、俺自身が違う。仙師としての器ではない。この歳で結丹をしていないし、なんなら家族も仙師ではない只人だ。仙師にしようとさえ思ってもいないだろう。だからこそ御剣するための剣がないのだ。
    だったら現代の利器、交通機関を使うかと思ったのだが、いかんせん問題が山積みだ。
    まずひとつ、俺自身の体の問題。俺の体、いや、魂というべきだろうか。夷陵老祖として陰に染まりきっている魂は、屍人にとっては馳走であろう。故に片時も雲夢江氏より貰い受けた札が入ったお守りがなければ夜、出歩くことが難しい。
    以前…記憶が戻るずっと昔の話ではあるが、この体質故に両親が雲夢江氏へ相談に行った際当代の宗主からとても悲しい顔をされたのを覚えている。「前世であなたはどんな悪行をしたのですか」、と尋ねられた。あの頃は全くわからなかったが今思えば理由が明白故なんとも言えないものだ。
    ふたつ。これに関しては根本的な問題で、そもそも姑蘇まで行く費用が無い。貯めれば良い、とは最初こそ思っていた。だが、何せ姑蘇は遠い離れた地。片道だけでも馬鹿にならない額になる。それに交通費を貯めたところでその後どうするというのだ。雲深不知処は電車やバスが通らない山の奥の奥にある。姑蘇までたどり着けたところで行く手段がないし、こんな得体の知らないガキに対して仙人である藍忘機は会ってくれるとすら思えない。いくら俺が魏無羨だと言ったところで…忘羨を贈ったところで藍湛に会わなければそもそも意味すら無いのだ。
    さて、どうするべきか。一度両親に姑蘇へ行きたいとは駄々をこねて言ったことはある。けれど笑いながら「また今度ね」、それで終いだ。どうしようもなくて他に頼れるコネもなくて、諦めるしかなかった。いつか、…いつかもっと大きくなってから藍忘機に会いに行こう。藍湛には申し訳ないけれどもう少し待っていてくれ。絶対会いに行くから。


    「それにしても、雲夢も大分変わったもんだなぁ」
    休日、ここ最近倒れて以来両親が心配をしてあまり外へ行かせてもらえなかったため、久々の外出を謳歌していた。今も心配をしてくれてはいたものの元来より俺はやんちゃな性格をしていた。故に、外へ出て遊び回れないことのストレスは計り知れないものでだんだんと鬱憤が溜まってきていた。それを察してか、ようやく外出許可を貰え俺は両手を上げて意気揚々と外へと繰り出した。
    もちろん知っているいつもの街の景色だけれど、どうにも魏無羨の頃の意識に引っ張られがちで『あの頃』を基準につい、見てしまう。
    木や藁で作った家々が大部分を占めていたあの頃と比べて今ではもっと立派な家が立ち並ぶようになり、ビルも多くて人通りも驚くほど増え、車なんて言う便利な移動手段もできた。御剣をする人なんてほとんどいない。…仙師自体の数が減ったから御剣をする人がいることも珍しくなった。
    それこそ、夜狩りに行くときにちらほらといるぐらいと聞く。それだけ仙師が修めていた世ではなくなったということだ。
    屍人に悩まされる人が少なることは良いことだろう。
    「こんなに世界が変わったのに、俺も、変わりきったっていうのに藍湛はなにも変わってないのかな…」
    行き交う人の中、立ち止まる。後ろを歩いていたスーツを来た男性に邪魔そうに顔をしかめられながら肩をぶつけられた。いて、と小さく声を出し邪魔にならないように道の端に寄った。テレビやスマートフォンでときおり見かける藍忘機の名前。仙師の世ではなくなったもののその知名度や名声は変わらないもので、含光君の号は幼子でも知っているものだ。そしてその彼の出てくる射日の征戦や、斂芳尊の最期となった観音殿の一件も多くの者に語り継がれている。
    「最近またドラマでやってたしな…」
    幾度となくいろいろな媒体であの頃の話を見かけることは多々ある。そして、含光君を主人公とした作品もたくさんある。それこそヒーローとして活躍したり、恋愛作品として描かれたり。
    あの頃に多くの思い出がある。そして、そのあとの夫夫として生きた頃も。藍湛はそのたった数年の思い出を頼りに何百年も、たったひとりで生きてきた。多くの人を見送って、ただ、俺が生きろといったばかりに実直に、生きている。
    「会いたいな」
    ぽつりと声を出した。すると途端彼への思いが溢れ会いたい気持ちが心の内を占めていく。会いたくて、会いたくて。会えないことがこれほど苦しいなんて思わなかった。藍湛はこんな気持でずっと生きてるなんて。…否、いつ会えるかもわからない中生き続けている藍湛のほうがもっともっと苦しいだろうに。
    こうして世界を見に行こうと街に出たのに隣に藍湛が居ないことが酷く寂しく感じる。早く、藍湛に会いたい。会っていろんな話がしたい。だから、早く藍湛に会いに行こう。どんな手を使ってでも、藍湛に会おう。
    立ち止まっていた足を一歩、前に出す。実行力があるのが自分の長所だ。今世は我儘に生きてやる。拳を握りしめ、そして歩きだした。藍湛に会ったときにいろんな話をしてやろう。そのためにも今の世を見なければ。そう、思いながら。


    と、思ったのは数日前だったか。俺の目の前には机をくっつけて仲の良い数人の友人たちがわいわいと盛り上がっている。俺はそれをみて机に肘をつき、ぼんやりと眺めている。
    「おい、どうしたんだ?」
    そんな俺の様子がおかしいのか隣の男は珍しく心配そうに肩を叩いてきた。そちらを見ればツリ目の親友が目尻を下げている。こんな表情するお前こそ珍しい。
    「あー、いや。なんでもないなんでも。」
    「こういう場でお前が騒がないなんてそっちのほうが心配になるだろう。それも姑蘇だぞ?お前が昔っから行きたがってた。なのにどうした?」
    「…いや、本当になんでもないんだって。…強いて言うなら失念していた俺の記憶力に嘆いているってぐらいだよ」
    「なんだそれは?」
    眉を寄せてしかめっ面。見慣れた表情に安堵しながら手元の資料に目を向ける。
    『修学旅行のしおり』そんな謳い文句で作られた一冊の本を手に取り、中身をみる。雲夢から遠く離れた姑蘇へと交通機関で向かい、様々な体験、文化交流、そして仙門と馴染み深い雲夢に居を置く自分たちが江家と、姑蘇の仙門でもある藍家の違いやその成り立ちを学ぶ、そんな内容がつらつらと書いてある。
    そういえば、そうだったと記憶の片隅にあったものを引っ張り出す。
    元々、姑蘇および藍忘機を俺はずっと好きだった。『魏無羨』になる前の俺も好きだったのだ。だから今更魏無羨としての記憶が戻ったところで違和感のないほど姑蘇への思いをつのらせていても問題はない。そればかりかこの修学旅行が姑蘇に決まった段階で回りの生徒たちからも口々によかったね、と言われてしまっている。
    俺はどれほどまでに姑蘇が好きだったんだと頭を抱える始末だ。
    と、まあそういうこともあり楽しみにしていたものの魏無羨の記憶がもどってからはすっかり忘れてしまっていた。なんたってそればかりが脳の記憶領域を占めてしまい他のことがすっかり忘れてしまっていた。
    「ったく…」
    呆れ顔のような、困り顔のような、なんとも言えない顔をしながら親友は友人たちの方に向き合う。
    この親友というのも今でこそ思い当たる人物ではあるのだが。江家の子息であるこいつはどうみても江澄の生まれ変わりだろう。記憶は戻っていない、というよりも戻るのかは危ういところだが。姿がそっくりなものだ。そして一方彼の姉は師姉にそっくりな女性で、彼らに会ったときにはたいそう驚いたものだ。
    二人は仙師でありながらもこうして学を学ぶために学校には通っている。仙師としては生きていけるものの閉じこもって仙師の訓練ばかりしていたはならないというのが雲夢江氏の考え方らしい。
    二人と会ったのは俺が雲夢江氏に御札を貰いに行ったときだったろうか。現江宗主へと面会をした際に紹介されたのだ。俺と同い年ということで紹介され、意気投合しこうして幼なじみ兼親友として一緒にいる。
    とはいえ俺は仙師ではないから深く関わることはしていない。というよりも、そこの一線はきちんと引いているのか仙師のことや、江家の内情等の詳しいことは何も話してくれない。逆に俺も俺自身のことは言うことはない。江宗主から聞かされているかもしれないが俺が屍人に好かれる体質ということや、記憶が戻ってから俺が魏無羨だということも言うつもりはないし、聞いてこないだろう。
    さて、こうして思わぬところで姑蘇へ行けることが分かった俺はそれはそれはもう大層笑顔で江に絡んでいる。にこにこ、にこにこ、と。江兄は少しばかりしかめっ面で「そんなに藍氏がいいのか」と言っているがそのたびに「俺は雲夢も好きだぞ」肩を組んでやる。

    そんなこんなではや数ヶ月。とうとう修学旅行当日だ。
    母さんと父さんは心配して前日に俺を江氏に連れて行ってくれた。雲夢から出ても大丈夫だろうか、と。そこには江宗主と江兄もいて、江兄は呆れたような顔で俺を見て、江宗主もほのかに微笑んでいる。どことなく江澄と似た顔をしているものの、性格は江おじさんそっくりで温厚な人だ。江宗主は江兄から話を聞いていたのか何も言わずとも一枚の札を俺に差し出し、雲深不知処に入るまでは片時も離すなと言いつけた。
    「雲深不知処はいいんですか?」
    「あそこは、蓮花塢同様に結界が張ってあるからね。学校の許可はもらっているから仙剣を携えたこの子がいるとはいえ、大量の屍人が来ると一人では荷が重い。だから、姑蘇藍氏のいる雲深不知処までは必ず手放さないこと。」
    わかったね?と再三念を押されうなずく。この体になってから俺も鬼道を使ったことはない。莫玄羽のときは使えていたとはいえ、この体が大丈夫な保証はない。ならば邪道を用いて自ら危険な行動をするよりは大人しく札を持ち、江に守られたほうが身のためだといえよう。
    俺は江兄に向き直り「よろしくたのむな」と声に出せば彼はうなずき「まかせろ」とだけ言った。江澄と違い、素直なやつだなと一人笑った。


    ***
    「はあ、本当ここは変わらない」
    宿の道をふらりふらりと歩く。消灯時間となり、辺りは寝静まっている。雲夢と違って古風なまちづくりをされている彩衣鎮は華やかながらもどこか昔懐かしい雰囲気を今でも感じる。
    こうやって出歩いてもバレたりはしないだろうと、すぐ帰ってしまえばいいだろうと楽観的な性格故札はもっているが江兄は置いてきた。知られてしまえば大変にお怒りを受けるだろうがまあ、大丈夫だろうと思っている。
    「今の時代じゃ天子笑は買えやしない…。いや、父さんも母さんも酒は弱いからこの体じゃ昔みたいに大量に飲める気もしない…」
    はあ、とため息をつき夜風を感じながらどこに行くわけもなく歩き続ける。
    修学旅行と言っても遊ぶような場所に行くわけではなくただ只管に勉学勉学勉学…。当たり前といえば当たり前だがもう少し自由時間が欲しかったものだ。と、いっても本日はほとんど移動に時間を取られてしまったため主題は明日の雲深不知処だ。藍氏の歴史を学び、座学を受けて、と思うだけど辟易としてしまうけれどだが、そこには含光君がいる。藍湛がいる。それだけで俺は楽しみで仕方がない。早く藍湛に会いたい。会えるのだ。これほどまでに楽しみなことはない。故に目が冴えてしまって眠れる気もしない。

    「っと、遠くまで来ちまったな。戻るか」
    ふと気づけば辺りに家屋は消え、木々の生い茂る森近くまで歩いていたようだ。こんな現代に居てもこうして自然を尊重し昔とあまり変わらない様相なのはひとえに藍氏の考え方か、はたまた仙人として生きる含光君のためなのか…それかどちらもなのか。
    一歩街へ向けて歩を踏み出した途端、後方からガサと音を立てる。振り返れば何もなく木々が広がるばかりだ。
    「気のせいか?」
    声を出してみてもやはり何もない。動物たちの動く音だったのかもしれない。首を傾げ、歩いて数歩で背から気配を感じ振り返る。
    途端息を止めた。ふら、ふら、と歩く生き物。果たしてそれは生き物と呼んでも良いのだろうか?現代社会の発展により殆どの邪宗は消え、それでも邪がある限り生まれ続ける邪宗。そのために今もなお在り続ける四大世家。
    「っ…」
    息を止め、一歩後退る。それと目が合うとそれはこちらに体を向け到底言葉と言えない音を発しながら近づいてくる。記憶にある俺は口笛や、笛…陳情笛を吹き操ることができたが、果たしてできるのだろうか?事実この体に宿っている魂は俺の、魏無羨のもので間違いはない。きっと俺が明確に操る意思があればこいつを操ることができるだろう。
    「くるな」
    震える声で、か細い声で、森のさやさやと揺れる音にかき消されるほどの声で、そう呟いた。
    するとそいつはぴたり、と動きを止めて俺をじっと見やる。
    途端悟った。知ってはいた。理解もしていた。けれどまざまざとそれが事実として突きつけられる。
    ―――俺は、夷陵老祖魏無羨だ。
    声だけで、陰虎符も持たずに操れるものなど夷陵老祖しかいない。
    それはこの世の常識である。なのにこの屍人は俺の声に従い、とまって見せた。それは紛れもない証拠として突きつけられる。
    俺がそいつと見つめ合っていると突然ふわり、と上空から人の気配がし、同時に目前に白が溢れた。
    「公子、大丈夫ですか?」
    柔和の声色でそう問う青年。その後を何人かの年若い者たちが習うように降りてきてあっという間に邪宗を囲み剣を向けだした。そうして一瞬のうちにそれを退治してみせる。
    俺はそれに驚き、声を上げることもできなく、それと同時に緊張していたのだろう足が崩れ落ちその場で尻もちをついてしまった。情けないな、と思いながらも青年は俺に向けて手を差し出してくる。
    「大丈夫ですか?どこかお怪我を…」
    向けられた手を遠慮なくとり、尻についた土を払いながらははは、と乾いた声をだす。
    「いや、怪我はしていない。」
    「そうですか。よかった。
    ところで、貴方は?見たところ姑蘇の人間ではないようですが」
    姑蘇の人間と違い焼けた肌、少し荒い物言いなど地元の人間ではない故になんとなく分かる、そんな具合だろう。その推理に頷き「学校の旅行で姑蘇へ」と告げれば合点がついたとばかりに顔を明るくした。
    「ああ、明日いらっしゃるという雲夢の学生さんですね」
    そう言って拱手をする。
    「私は藍家の者です。名を思追と申します。」
    「思、追?」
    「はい」
    そう言って笑う青年をみた。思追?本当に?含光君と共に生きて居たのか?思うものの、確かに雰囲気は似ているものの覚えている思追の顔とは似ても似つかないものだ。困惑しつつも「思追?」と問えばうなずかれる。
    「はい、藍思追と申します。」
    思追は門弟たちを返した後、俺と共に彩衣鎮へと向かう。学生の身になにかあると大変だから、とのことらしいが少し申し訳ないな、と項垂れる。彩衣鎮だ、藍家のお膝元だから大丈夫だろうとたかを括った。結果として思追がいたからよかったものの居なかったら俺は鬼道を使うことになっていただろう。俺の魂にまで刻み込まれた術だ。使ったことはないものの使おうと思えば使えるだろう。だがそれをしたらどうなる?邪術の使い手として今世の両親や、周りに迷惑をかけるのは容易い考えだ。
    だが、俺は第一に藍湛に会いたいのだ。それが叶わなくなるかもしれない行動は極力控えるべきだろう。故に、この場に偶々とはいえ思追たちが来てくれて本当に助かった。
    「夜狩りの帰りに彩衣鎮へ寄って良かったです。こうして貴方を助けることができた。…ところで、どうしてあの場に?」
    当然の疑問だろう。俺は正直に答える。
    「寝付けなくて、夜風に当たりたかったんだ。ついでに見たことのない場所を散策したくなるのは当然だろう?」
    「ふふ、そうだったんですね。でも、お気をつけください。あなたは…あなたは些か陰に寄りすぎているきらいがある」
    「江氏でも言われた。だから御札を持ってたんだけど…あ」
    ぽろぽろと手にした札が燃え、灰となっていく。先程の邪宗とあった影響だろうか。思追の顔を見上げると少し難しい顔をしてその札を見つめ続ける。そうして全てが燃えてしまい燃えカスが地にはらはらと散らばっていく。
    「…明日、雲深不知処へいらっしゃるのですよね?」
    「え?ああ、うん。その予定だけど…。」
    「でしたら、その場で新しい符をお渡ししましょう。よろしいですか?絶対に今夜は外へ出てはなりませんよ。絶対にです」
    「…うん。わかった。」
    俺を嗜める姿に微笑ましく思いつつも言われたことには逆らわないでおくことが吉だと頷いた。江兄のやつもいるから明日まではあいつに守って貰えばいいだろう。…帰ったら確実に怒られるだろうが。
    そうして思追に送ってもらい、宿に戻れば案の定江兄が腕を組み、仏頂面をして待っていた。謝らなきゃな、と思いながらも俺はにこやかに笑い、そいつの肩を組んだ。

    ***

    「おお」
    変わらないな、その感想を飲み込み、雲深不知処の門を見る。昔と変わらないそこはまさに仙郷と言った具合でとても、懐かしい場所だ。
    莫玄羽に献舎されて生き返った後ずっとこの雲深不知処を居とし、静室に藍湛と共に生きた。二度目の生を閉じるまで。故にここが第二の故郷といえる場所だろう。久々に戻ってきたそこを感慨深げに見つめる。
    そしてなによりもここには藍湛がいるはずだ。必ず、会わなければ。俺自身会いたいのはもちろんだけど、会ってやらなきゃ藍湛が苦しむばかりだ。
    そう思いつつ拳を握り込むと隣に座る江兄から視線を感じる。ちらり、と見ればそれはそれは大変なしかめっ面で俺は江兄の肩に腕をのせる。
    「江~!どうしたんだよそんな顔して!もうすぐ雲深不知処だぞ!楽しみだな!」
    「…はあ、どこが楽しみなものか。そもそもお前が昨日の夜勝手に抜け出したのが原因なんだぞ、分かっているのか?」
    「悪かったって!
    腕をどかし、目線を遠くにやる。江兄は昨日俺が勝手に何処かへいき(実際には街はずれで思追に会っていたわけだが)、なおかつ札を燃やしてしまったことに怒っているようだ。それについては何も言い訳できずに肩をすくめて見せる。そしたらより一層怒り出したので頬をかき悪かったって、と平謝りするしかない。
    周りに倣うように門の前にやってきた俺たちはそこをくぐる。すると結界がはってあるせいか一気にに清廉された空気を感じて目を見張る。そうだ、ここはこんなにも空気が違う場所だった。何年も…いや、何千年も昔からある場所だ。なんのにここは何も変わっていない、変わることがない。
    案内役の藍氏の門弟の額には案の定抹額が結ばれており、喪服みたいな真っ白の校服に身を包んでいる。周りの子どもたち同様にきょろきょろと周りを見回して懐かしんでいれば連れて来られたのは案の定というべきか、蘭室だった。机にそれぞれつき、姿勢を正す。そううしてしばらくし、やってきたのは凛、とした姿の男だった。華美ではないものの纏う衣は上質なもので、ひと目でその地位を察することができるほど。…よく、藍湛や沢蕪君、藍先生が身につけていたようなものだ。
    「はじめまして、雲夢の皆さん。私は姑蘇藍氏宗主の藍浩宇(ランハオユー)と申します。」
    そう言ってきれいな供礼を行う。がたがた、と俺たちは席を立ち倣うように供礼を行った。あまり馴染みのない礼だけれど、雲夢江氏のお膝元の学校故にこういう礼儀作法は昔から徹底されていた故に、誰一人としてしないものはいない。とりわけ江兄なんかは江氏の直系だ。真剣な顔で行っている。
    そうして始まった姑蘇藍氏の座学。藍宗主は退出し、入ってきた藍氏の門弟は早速授業を始めた。とはいっても俺たち仙師ではないものにもわかりやすいような簡単なものばかりだ。江兄は知っていることばかりで少し退屈そうで、俺も覚えているものばかりだったから少々暇であくびをかみ殺す。
    周りも同様に座学が苦手な生徒たちは肘を机につきうつらうつらしているものも少なくない。そっと見回してまた、再度顔を目の前の藍氏の者に戻す。ふと、その者と目が合うと俺は小さく「あ、」と声を漏らした。
    その藍氏のものはよく見れば昨日話した思追ではないか!目を見張り驚く俺を見て思追はくすり、と笑うとそのまま授業を続行させる。そういえば昨日思追から明日自分のところまでくるように、と言い渡されていたことを思い出し、肩をすくめた。自分がいかないかもしれない、いや、授業の一環として来ている以上行けないかもしれないことを考えこうして思追から出向いてくれているのだろう。俺の知っている思追、阿苑との関係はわからないけれど俺に害があるものではないことは察することができ、そうして退屈な授業が終わるのを待った。

    「それでは、お借りしていきます」
    「こちらこそよろしくお願いします」
    そう言って担任教師は深々と思追に頭を下げる。俺は思追に連れられ、蘭室を出ていく。その隣には江がいて、俺が心配だからと着いてきた。思追も江が江氏の若君だと知るともちろんだ、と言わんばかりに共に連れられた。
    しばらくあるいた先は寒室で、げ、と言わんばかりに俺は顔を歪める。
    以前は沢蕪君の、藍宗主の自室だったが今は違うかもしれない。そう思うものの扉の前で思追が宗主の名を呼んでその可能性は潰えたことを察した。宗主から許可をもらうと中に踏み入る。姑蘇藍氏然とした必要以上の物はない簡素な作りの部屋だ。だが装飾品と同様にそのひとつひとつが品の良いものばかりで思わず感嘆の声がもれるほど。
    「君が思追の言ってた」
    「魏玄羽と申します」
    「はじめまして。それで君は。江公子。久しいね」
    「お久しぶりです、藍宗主。ご無沙汰しております」
    拱手を共に行い挨拶をする。そして傍に控えていた思追が彼がお伝えさせていた者です、と藍宗主に伝えた。
    「君が、そうか。…思追から聞いているよ。護符が必要だそうだね?」
    「はい。…昨日思追兄に助けていただきました。その際に護符が燃えてしまって…。それで思追兄がこちらに参ったときに新しいものを用意してくれる、と」
    「そういったのかい?思追」
    「はい、宗主。…あの符は大変強力なものでした。只人が持つにはあまりにも…強すぎるもの」
    「ほう」
    す、と目が細められる。俺は両手を握りこみ、江兄はじっと藍宗主をみつめる。
    「君は、それほどまでに邪宗にとっては眉唾もの、というわけだ。江の若君もそれ知っていただろう?」
    「…はい、父より申し付けられておりました。だから俺は、こいつの監視役として共におります。」
    俺はその言葉に江兄を見る。単に世間を知るためとして学校へ通っているわけではなかったのか、驚きそして再度藍宗主を見た。その目は先程までの柔和なものはひそめられまるで獲物を狙った鷹のような姿。俺は居住まいをだだしじっと宗主を見つめる。
    「君は、一体何者だい?」
    「俺は、魏玄羽です。」
    握りしめた手からじんわりと痛む。爪が食い込んで痛むがそんなこと気にしていられない。藍湛と会いたいけれど、俺は夷陵老祖の生まれ変わりだと分かるのはまずい。ひっそりと抜け出し静室へ行くつもりだったがそれもできそうにない。
    「本当かい?君は邪宗を操っていたそうだが?」
    「…そんなまさか」
    「思追が君が屍人を操っていたと、報告を受けてね」
    にこり、と笑う。しかし目は笑っていない。
    「君が屍を操り動きを止めて何もしていない姿を見た。そのまま何もしていないから君のことを思追は助けたそうだ」
    そうだろう、と思追に視線をよこせばひとつ、頷く。
    「貴方を姿を見つけたのはたまたまだったんですよ。けれど、まさか」
    そう言って立ち上がり俺の元へと思追はやってくる。そうしてふわり、と笑ってみせた。
    「貴方は、魏無羨ではないですか?」
    そう言った。
    江からは驚くような息を飲んだ気配がしたがそちらを見ることもせず、じっと思追を見つめる。
    シン、と静まり返った室内。江兄が「冗談はよせ」と俺の肩に手を置いた。俺はそちらを見て振り返り、口元を緩め笑った。
    そして思追、それに藍宗主を見やり、そして立ち上がり拱手を行った。
    「はじめまして、藍宗主、思追兄。
    夷陵老祖魏無羨と申す。以後、お見知りおきを」
    そう告げれば江兄からは詰まった様な声が、藍氏の二人からは表情からでは伺いしれないが、なにかを感じる。だがそれを言うことはなく二人を見下ろした。
    「それで?お前ら二人は俺の正体を知って何がしたい?夷陵老祖と知り、邪術を使うものとして糾弾したいか?それともこの体を奪舎したものとして批難したいか?ははっ、残念だがこの体は俺自身のものだ。奪ったわけでも、献舎されたわけでもない。俺はただただ、転生し今世に生まれただけだ。」
    「いえ、いえっ!そんなまさか。貴方を糾弾したいわけではございません。ただ、貴方にお会いしたかった。…お会いしていただきたい方がいらっしゃるのです」
    思追が立ち上がり言い募る。俺は口を閉ざし、そして微笑んだ。
    「藍湛か?」
    「…はい。あの方はずっと、ずっと。それこそ私が幼い頃、いえ、私が生まれるずっとずっと昔から貴方を待っていらっしゃいました。だから私が貴方を、邪道を使い屍を操るものを見つけたとき私はとても嬉しくって。ようやく、含光君は」
    そこまで言った後思追の目からはぽたぽたと涙がこぼれ落ちていく。誰にも拭われることのないそれを己の袖で拭き取ると「失礼しました」と言い宗主の後ろへと下がった。
    藍宗主は立ち上がり、そうして先程とは打って変わって安心しきった表情を浮かべている。
    「藍家が夷陵老祖を。魏無羨殿に酷い態度を取ることなどございません。魏無羨殿は含光君の道侶で在らせられ、私達の先祖でもあるのですよ?世間ではなんと言われようと藍家では身内のお方です。さあ、こちらへ」
    そう言って寒室から出ていく藍宗主。その後ろを着いて行く俺と、思追。それに江兄。
    江兄は戸惑った様子だったが思追に促されるまま着いてきているようだった。

    無言で、誰一人として声を出さない。足音のみが響く。
    俺たちのような他所の者が入らないような藍氏門弟たちが多くいる試練場付近を通り抜けると白い校服を纏う者が多く居た。誰も皆時代錯誤と言ったような藍氏の校服を身に着けているけれどそれが以前の記憶を揺さぶるようで、足を止めた。
    「…魏の若君?」
    「ああ、いや。すまない。」
    首を横に振り、なんでもないというように告げる。
    思追や景儀や、もう居ない俺を慕ってくれていた門弟たちの姿を思い出す。俺でさえこの光景に少しの悲しみを覚えるのに、藍湛はその中をずっと、ずっと生き続けてきたのだ。きっと多くの者を看取った。…もしかしたら思追や景儀も。俺が言った我儘を律儀に守り続けた故に。
    藍湛は、俺にまた会うためだけにずっとずっと生き続けてきた。分かっていたことだけどそれがすごく、悲しかった。
    「藍宗主。急ごう。早く藍湛に会わなきゃ」
    急ぐことでもない。だけど一刻でもはやく藍湛に会わなければ。そのことで頭が一杯になる。
    礼儀に反すとわかりつつも何も変わらない藍家だ。雲深不知処の造りなど十分に知っている。藍宗主を置いて今もまだ有効なのかは不明だが家規に反しないギリギリの速さで足早に歩いて行く。後ろから江兄の止めるような声が聞こえたが無視だ。しばらく歩いたところでようやくたどり着いたそこは雲深不知処でも奥まった場所に在る。辺りは変わらず木々に囲まれてひっそりとした作りだ。
    扉を叩くでもなく、声をかけるでもなく、ただ、当たり前のように扉を開けた。藍宗主等からは後でなにか言われるかもしれないけれどこの場所は俺にとっても、藍湛と同様にここが家なのだ。
    その静室は静まり返り、雲深不知処に居ながらどこか神聖な気さえしてくる。記憶の中にある作りとは何も変わらない。やはり、雲深不知処は全体的に何も変わっていない。時が止まったと思えるほどに。
    そしてその場所にひとり、座っている者がいた。この人物こそ仙師より仙人となり、永い時を生き続け、時代の生き証人とも言われる御方。
    藍忘機、藍湛。含光君とも呼ばれる存在。
    そんな男の傍に立ち、しゃがみ込んだ。含光君は瞳を固く閉じ、息をしているのかわからぬほど静かである。頑固な男は愛した者の最後ののぞみを叶えるためになんでもやってのける馬鹿な男だ。
    「お前は律儀になんでも守りすぎるんだよ」
    一言そう言ってやればその閉ざされた金色の透き通る様な瞳がゆっくりと俺を映した。瞳を揺らしそれが真かを理解できぬようで、固く手を握り込む。
    「でもさ」
    隣に腰を下ろし、片膝をたて、空いた手で頬に手を添える。ほんのすこしだけあのころよりも増えた皺を愛おし気に撫でてみる。俺の若者特有のみずみずしい肌と、藍湛の永く生き続けたゆえの増えた皺がひどく対照的で笑ってしまう。
    「約束、守ってくれて嬉しいよ。二人の約束だから俺は絶対に「ありがとう」も「ごめん」も言わないぞ。だから、これだけは言わせてくれ。」
    頬を撫でていた手と、そうして空いたもう片方の手で藍湛の頬を挟み込み、自身へと向かせてそうしてとびきりの笑顔で笑ってやった。
    「ただいま、藍湛。おまたせ!」
    途端、衝撃が走りごろん、と床に転がった。上には大きな白いひと、藍湛が俺を包み込むように抱きしめ押し倒している。うわ!と情けない声を上げるが抵抗なんてものはせずに背中に手をやりまるで赤子に接するかのごとくよしよし、と撫でる。
    じわじわと肩口が濡れ、冷たくなってくるがそれを口にすることもなくずっと、撫で続ける。どれほど時間がたったろうか、そうして落ち着いた頃にようやく顔を離した藍湛は目元を真っ赤にさせ、そうして綻ぶような笑顔で口を開いた。
    「おかえり、魏嬰。ずっと、まってた」

    ****

    「もう帰らなきゃ」
    日も傾いた頃、俺は藍湛に告げた。本日の予定は一日雲深不知処での座学だった。その間江兄伝いに教員たちへ俺は含光君と共にいることを告げる。俺の意思でいることはできなくても含光君が俺を所望しているとあれば無視できる大人などこの世に存在はしないだろう。仙人であることは尊敬の眼差しを受けるが同時に未知のものへの畏怖の目も向けられることになる。含光君が只人になにかすることはないがそんなこと、周囲の人間は知る由もないのだから。
    ずっと藍湛と話をして、藍湛からも話を聞いてずっとぴったりとくっついて隣にいた。暖かな体温が心地よい。昔はずっと普通だったものが今では得難いものとなっている事実が少し寂しさを伴わせる。
    「…魏嬰、ここにいてほしい。ずっと隣に」
    両手で俺の手を握りしめて離れたくないと懇願される。頷きたくなる気持ちを無理やり抑え込み首を横に振った。
    「できない。今の俺は魏無羨じゃなくて、魏玄羽として生きている。それに俺がまだ学生だ。」
    そう言ってしまえば涙を堪えるような表情。分かっているけど悲しいといった具合のそれに俺も悲しくなってしまう。
    「含光君、魏の若君」
    「魏玄羽」
    扉の外から名を呼ばれた。声は藍宗主と江兄だ。俺たちの逢瀬もおしまいのようだ。後ろ髪を引かれる思いで立ち上がり扉を開ければ案の定二人が居た。
    「おまたせ」
    「時間だ…」
    江兄はなんと声をかけたら良いのか悩む素振りを見せる。それもそうだろう、俺が夷陵老祖だなんてこいつは初めて知ったのだから。
    「魏嬰」
    名を呼ばれて振り返る。唇を噛みしめ縋るような表情。そんな姿、否、こんなに表情が揺れ動いている含光君を見るのが初めてなのだろう藍宗主は驚いた顔をして見せている。それを横目に俺は藍湛の顔をじっと見つめた。
    そして、口元をほころばせて「藍湛!」と名を呼ぶ。
    「もう少しだけ待っててくれ!必ずお前の隣に戻ってくる!」
    「魏嬰…!」
    「卒業したら、お前の近くに居られるように必ず、必ず行くから。いつもお前が俺を迎えに来てくれていたけど今度は俺がお前を迎えにいく!だからもう少しだけ、もうちょっとだけ待ってて」
    雲深不知処だということも忘れて大きな声で言いのける。そう言ってやれば虚をつかれた姿を見せたが次第に柔らかなものに変わりそしていつもみたいに一度だけ「うん」と頷いた。


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