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    mith3308

    @mith3308

    ダメです、ポイピク使い方わかりません!
    2022/12〜からの作品置き場です。
    感想、スタンプはwaveboxに送っていただけると確認します!
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    mith3308

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    2024年5月5日SUPER COMIC CITY 31に発行予定の
    ファウ晶♂の新刊サンプルです。一章を公開しています!
    親愛と恋慕で葛藤する晶くんと、それを知っていて遠ざけるファウストの話です。
    たくさんすれ違いさせたいです。ハッピーエンドです。
    魔法使いたちを書くの楽しいんですが読める代物が書けているのか心配ですが…
    覗いてくださっただけで嬉しいです!楽しんでいただけるように頑張ります。

    Night and Day. 真っ青な大空が地の果てまで続いている。遥か遠くにある荒々しい岩肌を持つ山々が、大空に喰らいつくように、剣を天に衝き立てたような稜線を重ねていた。昼を過ぎて傾いた太陽の光が、雄麗な山脈を白く光らせている。尾根を境目に、影絵のように片方の面が、黒く塗りつぶされていて、稜線を重ねたいくつもの山が、一枚の黒い大きな岩のようにも見えた。
     晶は、雄大な景色を見渡しながら、この山の一部になるような気持ちで、大きく息を吸った。草の香りを多く含んだ空気は瑞々しく、身体が満たされていく。あまり、元の世界では身近になかった空気だった。
    「賢者!」
     澄んだ空気を、楽しげな声が伝ってくる。
     晶は、山脈から視線を外して振り返った。短い草が生えた急な斜面を、運搬用のそりに乗って、ものすごいスピードで滑り降りているシノが、手を振っている。
    「えっちょっと、手を離したら危ないですよ!」
     晶が叫んだタイミングで、離れたところで見ていたヒースクリフも彼の名前を呼んだ。彼は、見ている二人の心配もよそに、器用に牽引用の紐を片手で掴み、体勢を崩すことなく滑り終えた。
     晶は、そりから立ち上がったシノに駆け寄る。
    「おい、見たか。俺の手綱捌き」
     風を切り裂くように滑ったシノが、つやつやとした額を見せつけながら胸を張る。風で乱れた髪に頓着がないのか、興奮で気づいていないのか。どちらにしろ、無邪気な弟のようなこの少年に、微笑ましくなってしまって、晶は頬を緩めた。
    「かっこよかったです!」
     晶の賛辞に、素直に嬉しそうに笑ったシノが、晶の後ろに視線を向けた。
    「シノ! 滑ってる時に手を離すなって、レノックスも言ってただろ。見てて転げ落ちるんじゃないかと──わッ!」
    「ヒースも来いよ! 空が目の前いっぱいに広がって、山一つ滑り降りてる心地がする。気分が良い。レイタ山脈、なかなかやるな」
    「なんでそんな上から目線……ちょ、そんな引っ張るなって!」
     シノは魔法でそりを浮かせて、箒を出すと、後ろにヒースを乗せて高く昇った。草原と岩肌の境目を目指して飛ぶ。
     そのスタート地点には、ルチルとミチル、それから同じようにそりを携えた村の子ども達がいた。斜面を見上げる晶に気がついたルチルが、大きく手を振った。それに続いて、ミチルも振ってくれる。
     晶も笑顔で手を振り返していると、後ろから「賢者様」と低い声が、晶を呼ぶ。顔を向けると、陽の光を背負って、草原に大きな影を落としているレノックスが、もこもこのケープを持って立っていた。逆光に目を細めた晶に気づくと、自分の影に納めるように近づいた。
     大きなレノックスの影の中で、晶は彼を見上げた。後光のように輪郭が陽に輝いている。
    「ありがとうございます。暑くないですか?」
     そう聞くと、あまり表情の変わらない深紅の瞳が、少しだけ和らいだ。ふと、こんなに空気の冷えた標高の高い場所で、変なことを聞いたような気持ちになって、晶は恥ずかしくなる。
    「お気遣いありがとうございます。大丈夫ですよ。でも、太陽に近い場所ですから、暑くなくても、ひどく日焼けすることがあります。賢者様、日除けの魔法は……」
    「はい。レイタ山脈の麓に着いた時に、フィガロがかけてくれました」
     そう言うと、レノックスはじゃあ大丈夫、と言うように頷いた。
    「もう間も無く夕刻です。日が沈むと、この辺りは一瞬で冷えます。身体が冷えないように、ケープを着ておいてください」
    「ありがとうございます。あっ軽い……」
     もこもこの、まるで毛布のようなケープは、ふわりとしていて、重さを感じさせない。驚いた晶に、レノックスは後ろで草を食む羊たちを見た。
    「彼らの羊毛を使った織物です。放牧の依頼の報酬と一緒にいただいたんですが、とても軽いのに暖かいので、重宝しています」
    「そうなんですね……。あれ、じゃあレノックスの防寒着が……」
     俺がもらっても良いのかな、と首を傾げると、レノックスが少しだけ苦笑したように眉を下げる。
    「魔法を使います」
    「あっそうですよね」
     そりゃそうだ、と口の中で呟きながら、晶は恥じ入る。顔を上げると、太陽はまだ沈みそうになかったが、ケープの着心地が気になって、両手で広げると肩に羽織った。赤と緑のタータンチェックが目に鮮やかで、美しかった。獣の角のような形のトグルボタンをかけて、胸の前を完全にしめると、先ほどまで、衣類の隙間から肌を冷やしていた風が、ほとんど入らなくなる。太ももまですっぽりと包まれて、とても暖かい。
    「すごい! 暖かいです。ケープって初めて着ましたが、腕を中に仕舞えるの良いですね」
     暖かいケープの中で両手を擦り合わせながら、晶は微笑んだ。
    「そうなんです。ボタンも大きいので、悴んだ指でも留めやすくて」
    「レノ、賢者様。何してるの?」
     ふんふんと説明を聞きながら、二人でケープを眺めていると、フィガロがひょっこりと覗き込んだ。
    「あれ、レノのケープってこんなに大きかったんだ」
     フィガロは、晶が着ているのを見て、感心したように呟く。晶の腰あたりを指さして「レノが着ると腰くらいだよね」と自分よりも高い位置にあるレノックスの顔を振り返った。
    「それは俺用に作ってもらったものですから、サイズがかなり大きいかと。採寸をしてもらった時に、準備していた羊毛では足りないと笑われた記憶があります」
    「あはは、規格外の大男だな」
     からりと笑ったフィガロに「すみません」と言うレノックスが可笑しくて、晶も少し笑った。
    「フィガロは、診察が終わったんですか?」
    「うん。なんだか任務より、こっちがメインみたいになっちゃった」
     そう苦笑して、凝った肩をほぐすように手で揉んだ。
    「お疲れ様です。でも、依頼の内容も、誰かが怪我をするようなものじゃなくて良かったです」
    「悪魔のような魔物が闊歩しているって依頼で来てみれば、まさか角が伸びすぎた野牛だなんて思わないよね。万が一のために、東の魔法使いたちにも協力を要請したけど……取り越し苦労だったよ」
     そう言ってフィガロは、斜面をそりに乗って滑っている四人を見つめる。夢中になってはしゃぐ声が風に乗って届く。
    「山の精霊の影響か、レイタ山脈の野生動物は、平地の動物たちより、一回りも二回りも大きくなりますから。実害が出る前に対応できてよかったです」
    「ま、それもそうだね」
    「でも、レノックスの顔見知りの村とはいえ、晩ご飯までご馳走になって……ちょっと申し訳ないですね」
     晶は、自分たちのいる場所を、ぐるりと取り囲む山脈を見る。雲よりも高い位置にある山頂。ここにやってくるのも、魔法使いたちの箒に乗ればあっという間だったが、人間の足で行こうとすれば、かなり時間がかかるし、危険な道のりになるだろう。空の上からでも、急な斜面や、岩壁が剥き出しになっている崖があるのがよく分かった。
     きっと生活の物資を運ぶだけでも、相当苦労しているかもしれない。それを思うと、村の人たちから、食べていってくれ、とは言われたものの、本当にご馳走になっても良いのだろうか、という迷いが晶の中にあった。
     もしかしたら、無理をさせているのではないかと思うと、心にさざ波が立つ。
     遠くを見つめる晶に、フィガロとレノックスは一瞬だけ目を見合わせて、向き直った。
    「この辺りは険しく、山を降りるのも登るのも一苦労です。放牧している時も地元の人間以外は、同業者に出会うくらいです」
     透明なレンズの奥の瞳が、言葉を探すように揺れた。その背中をフィガロが気安く叩く。
    「つまり、物資とかよりも、尋ねてくる人の方が少ないんだ。だから、人が来るとちょっとしたお祭りなんだよ。みんなで焚き火を囲んでご飯を食べて、歌って踊って、酒を飲む。旅人の冒険譚や他国の生活を聞いて、いつもの夜がちょっと特別になる。それを彼らは期待しているのさ。だから、うんと楽しんで、賢者様。それが彼らへの、お返しになるんだ」
     フィガロの言葉に、レノックスが頷いた。
    「この村の物資は、確か麓の魔法使いが運んでいました。急ぎのものがないか聞いて、彼に伝言することも可能ですし、大丈夫ですよ」
    「そうそう。それに、魔法舎へ依頼してから、実際俺たちの手元に届くのは時間がかかるじゃない? だから案外、あらかじめ用意してるかもしれないよ、こんなふうに」
     そう言ってフィガロは、一枚の用紙を取り出した。そこには、流れるような文字とその横に数字が書いてあった。レノックスが覗き込む。
    「薬のリストですか?」
    「そう。俺が来るだろうから、ついでに薬の在庫を確認したって。俺も気になってたから丁度良かったよ。早速帰ったらミチルに手伝ってもらわないとね」
     そう言って笑うフィガロに、晶も頬を緩める。
    「ありがとうございます。俺、なんだか、失礼な心配をしていたようで……」
     そう言って、肩身を狭くしているとレノックスが首を横に振った。
    「いつも俺たちやこの世界を思ってくださって、ありがとうございます。賢者様」
     誠実で実直なレノックスの飾らない言葉が、じわりと心に温かく沁み込んだ。噛み締めるような喜びが、心から溢れて、小川のように、身体中をゆったりと流れる。思わず口角に微笑みが浮かんだ。
    「さて、憂いもなくなったことだし、宴の準備をしようか。レノックス、村の人たちがテーブルを出すようだから手伝って。俺はルチルたちに食事だと伝えてくるよ」
     返事をしたレノックスが、一礼して小屋へ向かう。
    「賢者様はこっち。俺と一緒に子ども達を呼びに行こうか」
     そう言って、そりが滑る斜面へ歩き出したフィガロの背中を追う。隣に追いついた時、ふわりと薬の匂いが草原の香りと混ざった。
    「ねえ、賢者様」
     柔らかい声と仕草で、晶の耳に唇を寄せて、そっとフィガロが囁く。温もりを注ぐような声に、晶は静かに、神秘的で、不思議な光を湛える瞳を見つめ返した。
    「お返しなんて言ったけど、気負わず、心のままに、きみが楽しい時間を過ごせるといいなと思ってるよ」
     優しい響きを残して、フィガロの瞳が遠ざかる。そのまま一人歩いて行ってしまいそうなフィガロの腕を掴んで、思わず引き留めた。
    「フィガロも、ですよ」
     晶が見上げた先、振り返ったフィガロの瞳が、驚いたように丸くなって「え?」と小首を傾げる。二千年もの間、世界を見てきた魔法使いだと感じさせない、素の反応に、思わず晶の頬が緩んだ。
    「フィガロも、一緒に楽しみましょう」
     そう笑顔で伝えると、驚いていた瞳が弧を描いた。嬉しそうに微笑んで、晶に向き直る。
    「じゃあ、ダンスが始まったらさ、一曲目は俺と踊って、賢者様」
     恭しくフィガロが、自分の胸に手を当てた。
    「…………」
    「えっ、ダメなの? この流れで?」
    「いや、ダメって訳では……、ただ、グランヴェル城でフィガロに初めてダンスに誘われた時を思い出して」
    「そ……、もうそんなこと考えてないよ?」
     晶は、一瞬言葉を探したフィガロをどこか遠い目で見上げた。
    (あの時は本当に考えていたんだ)
    「あの時は考えていたのかって顔してるなあ。そうだな、俺もきみを見定めたかったというか……いや試した訳ではないんだけど……。ああもう……何を言っても墓穴になってない? 賢者様、違うからね?」
     伝わってる?と心配そうに問いかけるような瞳に、晶は苦笑する。
    「すみません。俺も悪ふざけしすぎました。ちゃんと分かってます」
    「賢者、何してる」
     振り返ると、シノがそりを引きながら、こちらに向かっていた。後ろにいたミチルも、そりを引いていて、四人一緒に帰ってきていた。
    「いい服着てるな。暖かそうだ」
    「わあ。素敵なケープですね。よく似合っています、賢者様」
    「あっレノさんのケープ! 暖かいですよね。ふふ、レノさん大きいから、レノさん以外が着ると、毛布をかぶってるみたいになるんですよね。ミチルが着るとモコモコが歩いてて、可愛いんです」
    「もうっあの頃より背が伸びたから、今はコートくらいには見えるはず……」
    「あのミチル可愛かったよね」
     フィガロもルチルの話に乗ると、ミチルが不満そうに頬を膨らませた。
    「ごめんごめん。揶揄うつもりはなかったんだよ。ただ、本当に可愛かったからさ」
     そう言って宥めるフィガロに、拗ねながらミチルはそっぽを向く。強く大きく成長したいミチルには恥ずかしい話題だったのかな、と思いながら、晶は微笑んだ。
    「いつか、ミチルにもぴったりのサイズになるのが楽しみですね」
     ミチルがパッと顔を上げて、照れたように晶に笑いかける。
    「はいっ」
     眩しい表情から、未来の自分に、夢見る気持ちが伝わる。
    「俺もデカくなるからな。ミチル、勝負だぜ」
    「ボクも、シノさんの年齢になった時には、もっと大きくなります!」
     胸に熱いものを灯す若い魔法使いたちが、キラキラとした瞳を交わし合う。
    「いいね、若いって」
    「フィガロ先生もお若いですよ!まだまだこれからかも!」
     そう言って笑うルチルを、眩しそうな目でフィガロが見つめる。それから、照れたように首の後ろを掻いた。
    「はは、まだまだ頑張っちゃおうかな」
     フィガロがルチルに笑いかけると、ルチルが嬉しそうにガッツポーズをした。
    「あっそうだ! フィガロ先生、診察は順調でしたか? お手伝いができなくてすみませんでした」
     ルチルの言葉に、フィガロは微笑んだ。
    「問題ないさ。みんな、ルチルと遊ぶのを楽しみにしていたんだね。たくさん遊べた?」
    「はいっみんな前に会ったときより、大きくなっていて驚きました」
    「そうなんだ。子どもってあっという間に大きくなるよね。ミチルも楽しかった?」
     フィガロに視線を向けられたミチルは、牽引用の綱を両手で持ってそりを引きながら、満面の笑みを向ける。
    「とっても楽しかったです!兄様とヒースクリフさんが、坂の上の方まで草を生やしてくれたので、滑れる距離が長くなって……みんな喜んでいました!」
    「そうなの? ヒースクリフ」
     話を振られたヒースクリフは、逡巡する。
    「えっと……、新しく生やすのは、自然に干渉しすぎると思ったので、生えている草の成長を少し促したくらいですが……」
     不安そうに言葉を濁したヒースクリフに、フィガロは人の好さそうな笑みを浮かべた。
    「それくらいなら問題ないよ。それに、ファウストの教えだろう? だったら間違いないからね」
    「……もしかして、あまり良いことではなかったんでしょうか?」
     ミチルが恐る恐る尋ねる。フィガロは、少し考えてからミチルに向き直った。少し屈んで、目線を合わせる。
    「魔法の仕組みや土地のもつ性質、植物の特質、その大きな枠を知らず、環境に直接作用するような魔法を使うことは、環境破壊や種の絶滅に繋がる恐れがあるのは確かだよ。でも、それは悪いことだけじゃない」
     そう言って、フィガロはミチルの頭を撫でた。
    「元々そこになかった植物を定着させることで、人間が住めるようになる事もある。表裏一体なんだ。大切なのは、仕組みを知り、観察して、適切な対応をすること。ヒースクリフ」
     ヒースクリフは授業で当てられた時のように、「はい」と硬い返事を返す。
    「ファウストから教わったなら、魔法をかける前に、まず土地を見ただろう? どうだった?」
    「はい。この草原の土は柔らかかったので、他の地面と比べても栄養があるように思いました。根もしっかり張っていて、葉も青々としていましたし。それに、なんだか土地や精霊が友好的な気がして……。だから、ほんの少しだけ魔法を使いました」
     少しだけ迷いながらも、明朗に話すヒースクリフの言葉にフィガロが頷く。
    「そうだね。ここは山の精霊たちに愛されているから、精霊の加護によって、土地の力が底上げされている。そこに、過度な成長を促す魔法をかけると、他の植物が根腐れをしたり、広範囲で異常な発芽になる恐れもあったけど、ヒースクリフは適切な魔法を使ったから、みんな楽しく遊べたんだよ」
     そう言って、ミチルに笑いかけると、ミチルは、キラキラした瞳をヒースクリフに向けた。
    「すごいです! かっこいい……!」
    「そうだろ。ヒースはすごいし、かっこいい」
    「おい……。いや、俺はそんな……ルチルにも手伝ってもらったし」
    「私は、レイタ山は初めてじゃないもの。ヒースは初めてで、そこまで観察できるのってすごいよ!ヒースは感覚が鋭いんだね」
     ルチルが溢れんばかりの笑顔で、ヒースクリフに拍手を贈る。彼は頬を少し赤く染めて、恥ずかしそうに視線を伏せた。晶は、他の魔法使いから賞賛されているヒースクリフの姿を見て、今の魔法舎での生活が、これから生きていく上で、大切な時間になっているような気持ちになる。ただでさえ長い魔法使いの人生の中で、この時期は一瞬かもしれないが、きっと教わったことは、これからも彼の中で生きていくことが、誇らしくて、嬉しかった。
    「ヒースは、よくファウストに質問をしているところも見かけますし、努力を惜しまないところがすごいです。ファウストの教えや魔法の知識が、ヒースを助けてくれているんですね」
     ヒースクリフの、青空を水晶に透かしたような、透明な青色の瞳が至極嬉しそうに微笑む。その姿を見て、彼がファウストを先生として尊敬しているのが、つぶさにわかった。
    「ファウストはきっと、いい先生なんですね」
    「はい」
     ヒースクリフは、深く頷いた。
    「ファウスト先生は、俺の一番の先生ですから」
     大切な宝物をそっと見せるように、いつくしむ表情でヒースクリフは頷いた。
     自分には向かないと、先生役を突っぱねていたファウストも、彼らの将来を思って、大切なことを取りこぼさないように、丁寧に向き合って教えている様子が伝わるようで、晶も笑みが溢れた。
    「そういえば、ファウストさんとネロさん、どちらへ行かれたんでしょうね」
     ルチルがあたりをきょろきょろと見渡しながら呟く。
    「あいつら、こんな広大で、自然以外何もないようなところでも見つからないのって、ある意味すごくないか?」
     淡々と言ってのけたシノに「失礼だぞ」とヒースが小声で嗜める。
    「あはは、まあその通り、雄大で広大な自然しかないからなあ。多分彼らは遠くには行ってないと思うよ。ネロはもしかしたら晩餐の支度をしているかも」
    「そうなのか? あいつ、料理する時周りに人がいたら嫌がるだろ」
    「えっそうなんですか? ボク、時々リケとお手伝いをしますが、迷惑だったのかな……」
    「そんなことないと思うよ、ミチル。多分、シノが料理をよくつまみ食いするから、ネロが警戒しているだけだと思う」
    「なんだよ。最近はしてない」
    「それ、めちゃくちゃ怒られたからだろ」
     ヒースクリフが呆れ顔でシノに話すと、シノはムッとしながらも、何も言わなかった。
     思い当たる節がある反応に、晶は微笑ましい気持ちでシノを見つめる。シノは拗ねたように唇を突き出しながら「作ってる時の匂いを嗅いだら腹が減るんだから仕方ないだろ」と不満そうに呟いた。年相応に元気でやんちゃなシノの言い分に、ふっと場の空気が和らぐ。
    「シノのその気持ち、私もわかるよ」
    「ボクも……」
     そう言ってフローレス兄弟が顔を見合わせる。
    「そういえば、ルチルもミチルも昔、野営の真似事をした時、夕食に外で肉を焼いたら、待ちきれなかったよね。生焼けの肉に手を伸ばすから、レノが必死に止めてたな」
    「ふふっ懐かしい!」
    「肉か、いいな。食べたくなってきた」
    「外で焼いて食べるのって、美味しそうでいいね」
     ヒースの言葉に、シノがグウ、と腹を鳴らした。みんなで微笑み合った時、向こうから弦を弾く音が聞こえる。続いて笛や太鼓の音が広い空に響いていく。集まっている村の人たちが、音に合わせて踊ったり揺れたりしているのが見えた。数カ所から黙々と細い煙が上がっていて、風が肉を焼いている匂いを運んでくる。若い魔法使いたちがパッと顔を見合わせた。
     言葉もなく、全員が同じ喜びと驚きに満たされる。
     思いがけず叶った願いに、シノが飛び跳ねる。遠くで、こちらを呼ぶようにレノックスが手を振っていた。待ちきれないように、シノがそわそわと周りの魔法使いたちを見渡した。
    「早く行こうぜ。ミチル、貸せ」
     そう言って、シノがミチルに手を差し出す。ミチルは、持っていたそりの手綱を渡そうとしたが、逡巡したように視線を揺らして、それから渡そうとした手を引っ込めた。
    「ありがとうございます。でも、自分で持って行きます!」
    「そうか。じゃあ行くぞ」
     そう言って、駆け出すシノの背がみるみる小さくなる。ミチルも慌てて地面を蹴った。不意に、シノが振り返って大きく手を上下させる。
    「ヒース‼︎」
     ミチルも後ろを見て、ルチルを呼ぶ。ヒースとルチルは顔を見合わせてから、屈託なく笑って、二人の方へ駆け出していく。
    「はは、みんな足が速いな。賢者様は、俺と一緒に歩いて行ってくれるよね?」
    「フィガロも走りたいなら、一緒に走りますよ」
     そう言うとフィガロは、苦笑して頬を掻いた。
    「う〜ん、遠慮したいかなあ。足腰が立たなくなっちゃうかもしれないし」
    「それは……」
     少し運動不足かも、と思った言葉を飲み込んだが、フィガロは目敏く気づくと、神妙な表情を作る。
    「じゃあ、食事前の運動に付き合ってもらおうかな」
    「走るんですか?」
    「いや、踊るんだよ」
     そう言ったフィガロが、晶に手を差し出す。白くてすらりと長い指が丁寧に揃えられて、手のひらが空を向いている。
    「賢者様、お手をどうぞ」
     晶は、いつかのフィガロのお誘いを思い出して、ふっと表情を緩めた。茶目っけたっぷりに笑うフィガロの瞳に笑い返して、その指に自分の手を置いた。その瞬間に呪文を唱える。すると、物凄い勢いで、目の前のフィガロの方へ引っ張られた。
    「わああ⁉︎」
     晶は、勢い余ってフィガロの白衣に突っ伏する。顔を上げた時には、さっきまでいた場所は遥か遠く、楽器の音色が鼓膜だけでなく、身体も震わせるほど近くで聞こえた。
    「ふふ。驚いた?」
     どこかイタズラが成功したように笑うフィガロに、晶は頷いた。いつの間にか取られていた両手が優しく引かれ、音楽に合わせて二人は大きく円を描くように回る。満足そうなフィガロの後ろで燃えるような夕焼けと、波のような山々が見えた。音楽に合わせて、くるりと百八十度向きが変わって、肉を焼くネロとレノックスと村の大人たち、皿を配ったり手伝いをするヒースクリフとルチル、肉を頬張りながら、焼けたものを村の子ども達に配膳するシノとミチルの姿を見つける。だが、一人だけ、どうしても見つけられなかった。
    (ファウストは、どこだろう)
     黒い帽子、身体をすっぽりと包む外套。彼の特徴を頭の中に思い浮かべながら、辺りを見回したが、それらしい姿がなくて、晶は踊りながら、キョロキョロと視線を向けてしまう。ファウストは、大人で、無茶をするような人でもないのに、姿が見当たらないだけで、心が焦っている。
    (こんなふうに思うのは、逆にファウストに失礼かもしれないな)
     それでも、フィガロに手を取られて、流れるように踊りながら、全てを朱に染めるような光の中、目に映る世界の隅から隅まで、彼の姿を探した。
     ふと、外れた場所にある物置のような小屋の影の中に、濃い部分があるのが見えた。風に吹かれて、靡くように動いている。
    (ファウストだ)
     彼は、斜陽が照らす地面を這うように伸びた影の中、太陽に背を向けている。脱力するように、右肩を小屋の壁にもたれさせて、夜が訪れ出した藍色の空と、吸い込まれるような黒に塗りつぶされていく山脈を見ていた。
     見つかってほっとしたのは一瞬で、息苦しさはそのままだった。晶は音楽に合わせて揺れる視界の中、彼から目を離した瞬間もうそこからいなくなるのでは、と思ってしまう。
     彼は、絶対自分の足がついている地面から地続きの場所にいるはずなのに、晶が感じている賑やかな声と、明るい音楽が、届いていないような気持ちになる。
    (いや、でもファウストは一人の時間が好きだし……綺麗な景色に見惚れているだけかも)
     多分、きっと、そうなんだろう。そう思っていても、心配が尽きない。彼の瞳が、リラックスしている時みたいに、穏やかだろうか。もしかして、体調が悪いのだろうか。
    (でも、話しかけるのが迷惑かもしれないし)
    (かも)と(でも)が、晶の頭の中で泡のように浮かんでいく。
    「ファウストが気になる?」
     そよ風みたいに優しい声に、フィガロを見上げる。そして、また小屋の方へ視線を向けた。変わらず、影の中に佇むファウストに、ほっとする。
    「姿が見えなかったので」
    「そう? 見つけた後も心配そうだよ。きみ、百面相してた」
     そう言われて、晶は苦笑いして、全てフィガロに筒抜けだったことを、少し恥ずかしく思った。
    「それに、手が冷たいし、視線が合わない」
    「あっ……すみません。今はフィガロと踊っていたのに」
    「良いよ。きみはいつだって、この世界の心配事で頭がいっぱいだ。でも、今は俺だけ見てくれると嬉しいな」
     キザっぽく言って、ウインクまでするフィガロに、晶はふっと頬を緩めた。
    「そういえば、フィガロはダンスが上手ですよね」
    「そうだね。まあ、長く生きてるし……踊りやすい?」
    「はい。フィガロの足を一度も踏まないので、これってフィガロがリードしてくれているからですよね?」
    「ああ、それもあるけど。きみが俺に心を許して、身体を委ねてくれてるからってのもあるよ」
    「俺が?」
     フィガロが頷いた。
    「余計な力が抜けていて、俺のリードに従順で、扱いやすい」
    「…………………」
    「ちょっと、モノの例えだよ。そんな怯えないでほしいんだけど……」
    「俺の身体が扱いやすいって、こと、ですか……?」
    「いや、違うよ⁉︎ なんだかものすごく語弊を生んでいるよね。それ、ファウストとかシャイロックの前で言ったらダメだよ」
     幻滅される、と明後日の方を見るフィガロに、俺は小さく笑った。
    「でも、確かにフィガロに心を許しています。一緒に踊るだけで色々わかるんですね」
    「そうだね、色々読み取れるよ。手を握って、身体を揺らして、瞳を覗き込む。相手が手慣れているのか、緊張しているのか、リラックスしているのか。そして──」
     ぐっと両手を引かれて、フィガロの胸と晶の胸がぶつかる。晶が顔を上げると、息を飲むほど美しい、太陽が地平線に沈む一瞬のような緑の底光りが、晶を見つめていた。
    「俺に恋をしているのか」
    「っ……フィ、フィガロ」
    「何、賢者様」
    「あっ、脚が攣りそうです……!」
    「えっ?」
     驚いてフィガロが、晶の足元を見ると、繋いでいた両手を高く引っ張り上げられて、つま先立ちになっていた。ふら、と何度か足踏みをしながら、フィガロの胸に寄りかかって、バランスをなんとか取っている晶に、フィガロの肩が小刻みに震える。フィガロは両手を下ろして、晶を見るが堪えきれないように口角がじわりと上がって、顔を逸らした。
    「ふふっ、ごめんね」
    「い、いえ。大丈夫です」
    「あーあ、賢者様をドキッとさせたかったのに」
    「まあ、ドキッとはしてましたよ」
    「うーん、ズキッともしてただろうから、なんとも……」
     言って二人は視線を合わせて、笑い合った。ふと、晶の後ろからフィガロを呼ぶ声が聴こえる。
    「おや、この時間はひとまず終わりみたいだ。賢者様、食事にしよう。ファウストを呼んでおいで」
     言って、フィガロは晶をファウストのいる方へ、エスコートする。繋がっていた指先が離れて、錨を失くした船のように、晶はふらりと二、三歩歩いて、振り返った。こちらに背を向けて歩き出したフィガロの白衣が、手を振るように揺れている。
     晶は、草を踏む自分の足音を聞きながら、群青色になった空に顔を出し始めた星を見上げているファウストに近づく。
     数秒迷って、声をかけた。
    「ファウスト」
     呼ばれて、ファウストが振り返った。夜のサングラスは暗くて、ファウストの表情を伺うことは難しかった。
    「賢者」
     静かな声は、いつも通りに聞こえる。
    「……何を見ていたんですか?」
    「落日が美しくて、思わず見惚れていた」
     そう言って彼は小さく笑う。その表情にホッとして、晶はファウストに近づいた。
    「わかります。嵐の谷とは違いますか?」
    「そうだな。まず、嵐の谷は、広葉樹が多いからな、こんなに空が広くない。夕空から夜に空の色が変わるくらいは見えるけれど……。ここは、全部見えるだろう。雲も、太陽も、月も星も、全てが黄昏時に揃うのが、圧巻だな。南の国の赤土色の大地も、同じ色に染まって、綺麗だったよ」
     言いながら、空を見上げる。晶も、同じように空を見上げて、銀河を思わせるような星たちの流れを目で追った。ファウストは、小屋に背をもたれかけて、空を見上げていたので、晶も、彼と同じものが見えるかもしれないと思って、隣にもたれて、同じようにする。
     冷たい風が吹く。
     鼠色の薄い雲が流されて、船のように星空の海をたゆたう。月に雲がかかって、あたりが翳ると、星たちの輝きが増す。白っぽいものだけではなく、赤や青、黄色に緑、たくさんの色があった。
    「綺麗ですね」
    「そうだな」
     そう頷くファウストの声を聞きながら、今が貴重な時間のような気がした。四百年生きて、今ここにいて、同じ気持ちで空を見上げている。嬉しいような、寂しいような、不思議な感傷が、心を埋めていく。
    「そういえば、何か用があったんじゃないか?」
     声をかけられて、パッと晶は顔を上げた。
    「あ、はい。フィガロが食事にしようって」
    「なんだ。きみを待たせていたのか」
     ファウストは身体を起こして、晶に向き直った。
    「いえ、俺もファウストと喋りたかったというか、何を見ていたのか、気になっていたので。だから、待ったつもりはないといいますか」
     言いながらなんだかうまく伝えられなかったな、と晶が思っていると、目の前のファウストも、眉を顰めて頭を傾げた。
    「陰気な呪い屋と喋りたがるなんて、物好きだな」
    「そんなことないですよ」
     ある、ないの応酬をやり合いながら、賑やかな声の方を目指した。
     近づく人影に気がついたヒースクリフとシノが、こちらを向く。シノの皿には、焼けた肉がてんこ盛りだった。
    「ははふ、ほいよ」
     口の中に、まだ残っているらしい。シノはモゴモゴと聞き取り難い発音で、晶たちに声をかける。ほとんど聞き取れなかったが、焦れたように手招きをする様子も相まって、何を言っているかはだいたい予想がついた。
    「喉に詰めないだろうな……」
     ファウストは、シノの行儀に妙な心配をしながら、歩いていく。
    「先生と賢者さんの肉はそこの皿な」
    「ありがとう。すまないな、よけてくれていたのか」
    「シノがな」
    「お前ら、来るのが遅すぎる。肉が冷めてるぞ。もったいない」
    「でも、冷めても柔らかいままなんですよ」
    「上等な肉だし、まず鮮度が違うからな」
     そう嬉しそうに話すネロが、お酒の入ったグラスを傾けた。機嫌の良いネロの話に耳を傾けながら、二人は焼けた肉を口に運ぶ。柔らかくも噛むほどに味が出て、二人はほぼ同時に目を見開いた。
    「美味しいです!」
    「うまいな」
     だろ、というように、シノが笑った。彼は、まるで自分のことのように嬉しそうにしている。
    「焼きたても食えよ。おい、ネロ」
    「俺が焼くのかよ」
     ネロは彼のおねだりに、やれやれと息をついて、網を外し、炭の調子を見る。そんなシノをヒースクリフが嗜めて、ファウストが、自分で焼くと申し出たが、ネロは肩をすくめて笑うと、手を振ってそれを断った。
     自分が美味しいと思ったものを食べてほしいシノも、ファウストを尊敬しているヒースクリフも、子ども達を見守りながら場を整えてくれるネロも、少しずつ最初の頃と変わってきている様子を晶は、嬉しく思った。
    (ファウストも、柔らかい表情が増えたような)
    「賢者さん、ぼーっとしていると、シノが食っちまうぞ」
    「今行きます!」
     晶は、笑みを溢しながら、ネロの元へ駆けていく。肉を焼き始めた気配に、村の人も、南の国の魔法使いも集まりだす。ファウストは、いつの間にか片手にお酒の入ったグラスを持っていたし、晶は食べる側から焼く側に回って、忙しなく配膳していた。いつの間にか、村の人に楽器を持たされていたレノックスが細い弦を大きな手で器用に弾いて、若い魔法使いたちがそれに合わせて、踊離始める。
     終始誰かの笑い声が、雄麗に佇むレイタ山を賑わせていた。
     
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     ✴︎
     しん、と静かなログハウスの中、晶は目を覚ました。部屋の中は、同室になったルチルとミチルの寝息が、柔らかく響いている。急に浮上してしまった意識に、晶は寝返りを打った。眠気を呼ぶために、瞼を下ろしたが、寒いといけないから、とルチルに毛布をしっかりとかけてもらった布団の中は、汗をかいてしまうほど暑くて、足先だけ出して、冷やそうとしたり、毛布のない場所を作ろうと、芋虫のようにモゾモゾ動いていると、まだ残っていたはずの眠気も、かき消えていた。
     あんまり動くと、ルチルとミチルを起こすかもしれない。そう思って、晶は二度寝を諦めて、身体を起こした。水筒に手を伸ばして、寝る前に入れた水を一口含む。キリッと冷たい水を飲み干して、窓から星空を見上げた。
    「……ん?」
     ふと、焚き火のゆらめきが、目に留まる。晩ご飯を食べて、みんなが踊っていたあたり、暗闇の中で、篝火のように揺れていた。
    「誰かいるのかな……」
     火の不始末ではないだろうが、見つけてしまうと、気になって、晶は靴下を履いて、しっかりと着込むと、レノックスから借りたケープを羽織った。
     ベッドで眠る二人を起こさないように、音もなく扉を閉めると、階段を降りて、玄関へ向かう。一歩外に出ると、ピリピリと冷たい空気が頬や耳の体温を一瞬で奪った。
    「寒……」
     一人呟きながら、焚き火の方を見ると、見慣れたシルエットが丸太に腰をかけて、炎を見つめている。強くて眩い火の明るさに、真っ黒な服が、いつもより暗く見える。
     ファウストだ、と思って一歩を踏み締めると、その人影が、パッと素早くこちらを振り向いた。
    「賢者? 一体何をしている」
     少し冷たい声に、晶は戸惑った。慌てている間に、立ち上がったファウストが目の前まで歩いてくる。その瞳には、晶の行動を見咎めるような鋭さがあった。
    「いくら賢者の魔法使いが八名いるからと言っても、一人で出歩く時間じゃない。戻りなさい」
    「すみません。その、」
     晶は、咄嗟に「眠れなくて」という言葉を飲み込んだ。ファウストが、この場にいる理由を知っている。〈大いなる厄災〉に与えられた傷が、彼を安らかな眠りから遠ざけていることを。
    「……起きてしまって」
    「そう。……だが、レイタ山は獣も多い。精霊たちも、人寂しいのか、人間にちょっかいを出すものが多い。夜、一人で外に出るな」
    「はい、すみませんでした」
     晶は、反省しながら頭を下げる。このまま、部屋に戻る方がいいとはわかっているが、きっと部屋に帰っても、起きているだろう。
    (それなら、ファウストの長い夜が少しでも、気がまぎれるように、ちょっとだけ一緒にいられないかな)
     晶は、足元を見つめながら考え込む。
    (いや、今さっき、外に出るなって言われたのに、外に居続けるのってどうなんだろう。それに、俺が思うだけで、別に一人の時間は苦じゃないかも……でも)
     ぐるぐると、思考が渦巻いて、引き返す一歩が、なかなか踏み出せない。
    「……ところで、きみ、眠気はどうだ?」
    「あっ、えっと……今の所、全然です……」
    「そう」
     ふと考え込むように、ファウストが顎に手を当てる。
    「よく眠れるお茶を出そうか」
    「えっいいんですか?」
    「むしろ、僕みたいな陰気な魔法使いと一緒だが、きみはいいのか?」
    「嬉しいです! ちょうど、ファウストと一緒にいたいと思っていたので……」
     そこまで言って、晶は、妙に恥ずかしいことを伝えてしまった気がして、かあっと頬に血が昇った。
    「い、いやっこれはなんと言いうか……」
    「つくづく、きみは物好きだな」
     呆れたようにため息をついて、ファウストが踵を返した。いつもと変わらない普通の反応に、恥ずかしがった晶の気持ちが、行き場を無くす。
    (俺が、変に意識しすぎたのかも)
     それも恥ずかしい勘違いな気がして、晶は誤魔化すように咳払いをした。発言を言及されず、恥をかくのを回避したのに、どこか胸にしこりが残っている。
    「どうした? やっぱり部屋に戻る?」
     一向に動き出さない晶に、ファウストが振り返った。
    「い、行きます!」
     慌ててファウストが座っていた丸太まで行く。隣に腰掛けると、白いマグカップを渡された。両手で受け取ると、花束のような香りが、湯気と一緒に鼻腔を通る。
    「わあ、いい香り」
    「それを飲んだら、もう寝なさい」
    「はい。ファウスト、ありがとうございます」
    「礼はいらない。あのまま帰して、きみが一睡もできなかった方が、僕の寝覚めが悪いからな」
     言ってファウストは、自分が飲んでいたマグカップを持ち上げる。ふう、と息をかけると、たちまち湯気が立ち上った。コーヒーの香りがする。
    (なんだかんだ、責任感が強いよな)
     ふと、今日のヒースクリフの様子を思い出した。
    「そういえば、今日ヒースがフィガロに褒められていましたよ」
    「フィガロに? 何かあったのか?」
     かいつまんで、お昼のことを説明する。聞きながらファウストはふ、と頬を緩めた。
    「あの子は勉強熱心で、根気強いからな」
    「嬉しそうにしていましたよ。ヒースにとって、ファウストが一番の先生だって」
    「そんなんじゃない、彼は優秀だ…誰が先生でも、きっとよく学ぶよ」
    「俺……」
     ファウストの言葉を聞いて、晶は、手元に視線を落とした。ヒースクリフがファウストについて嬉しそうに話をしてくれる時、同じように晶も嬉しくなる。その理由をどうやってファウストに伝えればいいのか、岩屑の中から宝石の原石を探すように、それらしき言葉を手当たり次第取り出して眺めては、これじゃない、と手放していく。
    「あの、うまく伝えられるかわからないんですが、……聞いてくれますか?」
     焚き火の揺れる光をちらちららと映しながら、ファウストは頷いて、先を促してくれた。
    「新しく学ぶ魔法のことや、教えてくれているファウストのことを嬉しそうに話すヒースを見ると、俺も一緒に嬉しくなるんです」
     パチ、パチン……と、燃える薪が爆ぜる小さな音が聞こえる。その微かな音と、炎の揺らぎをじっと見つめる。晶は、嬉しそうだったヒースクリフを思い浮かべた。
    「魔法使いであることを悩んでいるヒースが、魔法を教わることに前向きで、魔法を教えてくれるファウストを本当に尊敬していることが、言葉にし尽くせないほど幸せというか……」
     晶は、自分の気持ちを現す言葉を見失って、炎から目を逸らすと、自分の持っているマグカップを見下ろした。透き通る琥珀色から立つ、湯気を見つめる。
    「これから先の未来に、希望が持てるというか……」
     長い沈黙の間も、ファウストはずっと耳を傾けてくれている。晶は、隣のファウストを見た。焚き火を見る彼の、透けるように白い肌は、炎と同じ色をしている。じっと見ていると、視線を感じたのか、紫色の瞳が、スッと向けられた。晶と目が合って、ファウストが、顔ごと晶の方を向く。誠実そうな瞳が、真っ直ぐに向けられた。自分の話を真摯に聞いてくれている。そうわかる表情に、晶は、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
    「どんな立場でも、身分でも、ファウストはいつも目の前にいるその人の言葉に耳を傾けて、見てくれるから。そういうファウストだから、ヒースは尊敬して、敬愛している気がして……。だから、彼の言う『一番』は、ファウストだからそうなったんじゃないかと思って、その」
     また、言い淀んで、口を閉じる。しんと声が止むと、パチ、パチ……と焚き火から音がする。
    「その、東の国の先生役がファウストでよかったなって思います」
     先生役が重荷だと言う彼にとって、しがらみになるような気がしたが、ファウストが誰かを思いやるように、ファウストも誰かにとって、そうなのだと伝えられればと思った。
    「……買い被りすぎだ」
     夜の闇に溶けるような、深く重いため息に混じる言葉。ファウストは、視線を晶から外した。
    「そんなことないです。いつも、ありがとうございます。今日も、俺のこと追い返せたのに、一緒にいることを選んでくれてありがとうございます」
    「……それはさっき言っただろう。きみのためじゃない」
    「それでも、嬉しかったです。いつも、ちゃんと俺の話を聞いてくれることも。……俺の言葉で、ファウストを傷つけていなかったら、いいんですけど」
    「それはないよ」
     ファウストの言葉が、晶の恐れをあっさりと断ち切る。「きみは」と言って、また晶に向き直った。
    「いつも誠実で、優しいよ」
     晶を慈しむように、硝子の向こうの瞳が細められる。優しげな眼差しに、晶は妙に緊張してしまった。その瞳をじっと見つめたいのに、恥ずかしくなって、思わず視線を逸らしてしまう。頬が熱く火照り、脇が汗でじわりと湿った。鼓動が速くなっているのが、手に取るようにわかった。
     顔が赤くなっているのが、バレていないかな、と思いながら、頬を両手で押さえる。夜中の山の空気はキンと冷えているのに、燃えるように熱かった。
    「大丈夫か?」
    「あっは、はい! 大丈夫です!」
    「そんなに大きな声を出していると、眠くなくなってしまうぞ……」
     苦言を呈するファウストに曖昧に笑って、まだ熱いままの頬を押さえた。急に褒められて驚いたのか、なかなか静かにならない鼓動に首を傾げる。ファウストに言われた通り、眠るためにこの場に呼んでもらったのに、これでは興奮して寝付けないだろう。
     ゆっくりと口で息を吐いて、鼻からまた吸う。マグカップに入っているお茶の香りが、ゆっくりと心を落ち着かせていく。
     鼓動が緩やかになって、晶はそっとマグカップに口をつけた。お茶の渋みの中にある、甘いマスカットのような味わいが、クセになる。
    「美味しいです」
    「それは、よかった」
     うっすらと笑って、ファウストはまた焚き火を見つめる。晶は、両手でマグカップを持って、ゆっくりと少しずつ身体に入れていく。何種類かのハーブが入っているのか、嗅ぐたびに、心が安らいだ。
    「……賢者」
    「はい」
    「ヒースのことだが、今の彼がある理由に、きみも関わっていることはわかっている?」
    「……俺、ですか?」
    「ああ、きみが初めに、彼の言葉を聞いて、僕の命を助けたんだ。今の僕がいて、ヒースがいるのは、きみのおかげだよ」
     パチン、と大きく薪が爆ぜる。
    「ありがとう」
     ファウストは、真っ直ぐに晶を見て、微笑んだ。幸福なぬくもりが、胸からじわりと、身体に染み込んでいく。
     オレンジの炎に照らされる紫の瞳が、キラキラと揺れる。ドクン、と心臓が脈打って、眼窩が、じわりと熱くなった。そっと、暗闇に蝋燭を灯すように、心の中が照らされていく。晶は、とびっきりの笑みを零した。
    「俺でも役に立てたなら、本当によかったです」
    「……さあ、もう眠れそうか?」
    「はい」
    「それじゃあ、部屋まで……」
     そう言ってファウストは、ログハウスを振り返った。しかし、苦笑すると、首を振った。「送る必要はなさそうだ。おやすみ」
    「おやすみなさい、ファウスト」
     空っぽのマグカップを渡して、晶はログハウスへ歩いていく。
    「彼にも、気にせず眠るように伝えてくれ」
     ファウストの言葉に、晶は玄関のドアノブを捻りながら振り返った。
    (彼?)
     もうこちらを向いていないファウストの背中を見ながら、晶はログハウスへ入る。
    「賢者様」
    「ぎゃっ……ッ、ッ」
     正面を向いた瞬間、突然現れた大きな人影に、叫びそうになった。目の前の影が動いて、咄嗟に口元を、手のひらで塞がれる。
    「賢者様、俺です。驚かせてすみません」
    「ぷは、れ、れのっくす……」
     恐怖に縮こまった心臓が、ドコドコと太鼓のような音を立てて、鳴り響いている。
    「な、なんでこんなところに……あっ」
     ふと、ファウストが言っていた「彼」が、レノックスのことであると気づいた。
    「ファウストが、気にせず眠るようにと」
    「そうですか……」
     レノックスは、床に置いていたキャンドルスタンドを持ち上げた。
    「とりあえず、賢者様をお部屋にお送りします」
    「……レノックスは?」
    「まだ蝋燭は残っているので」
     そう言って、諦めない不屈の人は笑った。
    「賢者様はどうして外に?」
    「あ、眠れなくて……。ハーブのお茶をいただいていました」
    「ファウスト様のお茶は、よく眠れると思いますよ」
    「はい、身体がぽかぽかしています。……今日の部屋割りは、レノックスがファウストと一緒でしたね。フィガロがひとり部屋で」
    「表向きはそうです。俺は、フィガロ様の部屋へお邪魔させていただく予定でしたので……。でも、眠らないからと外へ出られてしまって……」
     そう言葉を切った。表情の変わらない真紅の瞳が、暗闇の中で元気がないように見えた。
    「ファウストってすごく親切ですよね」
     レノックスが、要領をつかめないまま、晶を見下ろした。
    「最初は、恐いのかと思っていましたけど、いつも助けてくれて、支えてくれます。厳しいけど、ものすごく優しい」
     晶が笑うと、レノックスも少しだけ表情を緩めた。
    「俺に何ができるかわかりません、厄災の傷だって、必ず抑えられるわけでもないし……。でも、ファウストや他のみんなが心穏やかに過ごせるように、尽くします。俺がここにいられる限り。俺も優しいファウストやレノックスの助けになりたいです」
    「賢者様」
    「今は、力が及ばなくてすみません。レノックス」
     レノックスは、小さく頭を振った。
    「昼もお伝えしましたが、賢者の魔法使いたちのことを考えてくださっていることを知っています。信じてくれていることも」
     言って、晶を先導するように前に立ち、レノックスは階段を上がる。
    「それに、俺の願いは、きっとそんな綺麗なものではありません。……幸せであることを強要しているようなものですから」
     ほとんど独り言のように、真っ暗な部屋に呟かれる。
    「……レノックス」
     階段を登りきった晶を、レノックスは見下ろす。祈りを捧げるような瞳が、蝋燭に照らされる。何百年とファウストを探し続けたレノックス。無事や再会を信じた相手が、もうこの世界にはいない人の夢を見て、その度に裏切りの業火が彼を襲う事実を知って、どれだけの衝撃と後悔があっただろうか。
    (きっと、俺の想像は遠く及ばない。でも、)
     晶も、心の中で祈らずにはいられなかった。
     その幸せが、彼らに訪れる日が。そういう日が来てもいいはずだと、つよく思った。
     晶は、レノックスの真紅の瞳を見つめる。優しくも意志の強いところが、ファウストの瞳と似ているような気がした。
     長く止まっていた時間が流れ始めて、ファウストの心の行き着く先が、あたたかくて、幸せなものだと嬉しい。春の訪れとともに、凍った流氷が海に流れて、境目がわからなくなるように、幸せのようなものがファウストの日常に溶けて満たされるような、そんな日々。
    (幸せ……か)
     晶は、自分の手を見つめた。失った魔法を呼び覚まし、眠りに誘うことができる、制御できない不確定な賢者の力。
    (俺は、ファウストに何ができるんだろう)
     晶はじっと、ちっぽけな両手を見つめた。

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    mith3308

    DONE2024年5月5日SUPER COMIC CITY 31に発行予定の
    ファウ晶♂の新刊サンプルです。一章を公開しています!
    親愛と恋慕で葛藤する晶くんと、それを知っていて遠ざけるファウストの話です。
    たくさんすれ違いさせたいです。ハッピーエンドです。
    魔法使いたちを書くの楽しいんですが読める代物が書けているのか心配ですが…
    覗いてくださっただけで嬉しいです!楽しんでいただけるように頑張ります。
    Night and Day. 真っ青な大空が地の果てまで続いている。遥か遠くにある荒々しい岩肌を持つ山々が、大空に喰らいつくように、剣を天に衝き立てたような稜線を重ねていた。昼を過ぎて傾いた太陽の光が、雄麗な山脈を白く光らせている。尾根を境目に、影絵のように片方の面が、黒く塗りつぶされていて、稜線を重ねたいくつもの山が、一枚の黒い大きな岩のようにも見えた。
     晶は、雄大な景色を見渡しながら、この山の一部になるような気持ちで、大きく息を吸った。草の香りを多く含んだ空気は瑞々しく、身体が満たされていく。あまり、元の世界では身近になかった空気だった。
    「賢者!」
     澄んだ空気を、楽しげな声が伝ってくる。
     晶は、山脈から視線を外して振り返った。短い草が生えた急な斜面を、運搬用のそりに乗って、ものすごいスピードで滑り降りているシノが、手を振っている。
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