四月のお馬鹿さん!スネージナヤでは、四月一日は〝馬鹿の日〟と呼ばれて嘘や冗談が飛び交う。
タルタリヤが実家にいた頃は朝から晩まで弟たちがイタズラを仕掛けてきたので大忙しだった。
砂糖と塩を入れ替えたり、生クリームにマヨネーズのラベルを貼る程度はよかったが、シャワーにコンソメを仕込まれたのは流石に叱った。おかげで朝から髪がお腹が空く匂いになってしまった。
イタズラを仕掛けるには時間がない。ここはシンプルに嘘で行こう、とタルタリヤは決めた。
「でもなぁ……突拍子もないと見破られるし、リアリティがありすぎても……」
四月一日の嘘は人を傷つけてはいけないと決まっている。これが案外難しい。
今日も遅遅として進まない書類を前に唸るタルタリヤに、見かねたエカテリーナが声をかける。
「公子様、何かお悩みですか?」
「うん。ちょっと先生のことでね」
それはそうだろうな、とエカテリーナは思う。
戦闘をこよなく愛するこの若き上司が悩むことと言えば家族への土産か妻のことくらいだ。
「エイプリルフールなのに何も考えてなかったんだ!先生にも楽しんでもらいたいのに」
「そうでしたか。公子様はいつも奥方様思いですね」
「まあ趣味みたいなもんだし」
ファデュイ執行官の趣味が嫁。すごい字面である。
趣味レベルでなければあそこまで尽くすことは難しいのかもしれない。
むしろ趣味で納まっているだけ……
「いや生き甲斐かな」
悪化した。
エカテリーナは小さく呆れた溜め息をついたあと、タルタリヤよりも僅かに多いだろう人生経験からアドバイスをした。
◇ ◇ ◇
タルタリヤの退勤はいつも浮ついている。
嫁のために拵えた家で嫁が選び抜いた家具たちに囲まれて嫁が待っていてくれているのだ。
「先生っ!今日も可愛いね、ただいま!」
「おかえり、公子殿。いつも通りで何よりだ」
鍾離の気配察知能力は異常だ。
タルタリヤがどれだけ息を潜ませ足音を消しても必ず見つけられてしまう。
こうして帰宅をいち早く察して出迎えてくれるので、今となってはその能力に文句どころか感謝しかないのだけれど。
「上着はこちらに。着替えは用意してある。風呂も湧いているが先に食事にするか?」
「マジ理想のお嫁さん過ぎてぐうの音も出ない」
「それは良いことではないのか?」
「いいことだね、うん。俺も良い旦那にならないとなぁ」
「安心しろ、十分だ」
「ひぇ……すき……♡」
理想の嫁なのに男前。そんなギャップに今日もノックアウト。
ぎゅむぎゅむと抱きしめてキスをひとつ送った。ほんのり色づいた頬が堪らなく愛おしくて、タルタリヤはそこにも唇を落とした。
「鍾離先生、実は大事な話があるんだ」
タルタリヤは意識して声色を変えた。
真剣さを帯びた様子を感じとった鍾離の眉が寄せられる。
そんな凛々しい顔も可愛いね、と言いそうになるのを堪えてエカテリーナと共に考えた〝嘘〟を言った。
「稲妻に拠点を移すことになった。なるべく早く任務を終わらせて帰ってきたいけど、いつになるか……」
出来るだけ深刻な表情を作った。
迎仙儀式では一方的に騙されるだけだったが、タルタリヤだって演技には自信がある。
「そうなのか。仕事であれば仕方ないな」
「まだ結婚したばかりなのにごめんね。新居だってやっと完成したのに。俺、絶対帰ってくるから──」
「して、出発はいつだ?」
「へ?い、1ヶ月後くらい……?」
「うむ。明日にでも堂主に退職届を出してこよう。荷造りはそのあとだな」
「あ……え……?」
タルタリヤとは対照的に、鍾離はケロリとしていた。
あれ?と疑問に思うよりも前に告げられた内容に間抜けな顔を晒してしまった。
「せんせ……ついてきてくれるの?」
「妻とは夫の転勤に帯同するものなのでは?」
「璃月離れちゃうんだよ?」
「それはそうだろう」
「ここは先生が作った国だよ?違う神の国に行くんだよ?知り合いもいないよ?」
「この国はもう民のものだ。他国に抵抗はない。稲妻にも知り合いは数人いる」
畳み掛けるように問いただすタルタリヤを鍾離は軽く受け流す。
鍾離の理想の嫁像は少々古臭い。
妻と夫が離れるなど有り得ない、と思っている鍾離は分かりやすく不機嫌になった。
「公子殿は俺についてきて欲しくないのか?まさか現地妻でも作ろうという魂胆ではなかろうな。それは婚姻契約違反だぞ」
「そんなの作んない……最高のお嫁さんがいるのに……」
呆然としながら鍾離を抱き締め直した。肩に顔を埋めてグリグリと押し付ける。
───だって。だって信じられない!この人が璃月より俺の隣を選んでくれるなんて!
「せんせ、ごめん。嘘だよ」
「何がだ?」
「四月一日はエイプリルフールだろ?だからちょっと驚かせようと思って」
「エイプリルフール……嘘をついても良い日、だったか?璃月ではあまり馴染みがなくてな。そうか、嘘だったか」
納得した鍾離はタルタリヤの背中を優しく撫でた。
そういう行事であるならば、伝統を重んじる鍾離は怒らない。
「それに、エイプリルフールでついた嘘は一年は実現しないってジンクスもあるんだ」
「ほう?つまり一年は転勤なしというわけだな?」
「そうなるね。なるといいな……俺、先生がついていくって言ってくれて凄く嬉しいけど、やっぱり先生には璃月が似合うから」
目に鮮やかな赤。それを引き立てる銀杏の黄。
華やかな音楽と賑わう商人たちの声を楽しみながら往来を歩く鍾離は美しい。
タルタリヤが惚れた、鍾離の姿だ。
鍾離が作りあげた鍾離のものであった国。この上なく鍾離に似合うのは当然だ。
「故郷の雪の中にいる公子殿も見てみたい。いつか見せてくれるか?」
「もちろん。雪だるまを作ってソリで滑って、疲れたら家の暖炉の傍でベイクドミルクを飲むんだよ」
「楽しみだな」
厚手のコートで着膨れた鍾離の姿を想像した。
頬や耳を赤くして白い息を吐く。そしてきっと、彼は小さい弟たちと雪で遊んでくれるのだ。
温かい家の中で家族と共に談笑する鍾離は、どれほど愛らしいだろうか。
楽しみだとも。
───常秋の神様だった人。どうか雪国も愛しておくれ。