歴代の眠り ボンゴレ本部があり、昨今は己が庭のように感じるイタリアの大地に彼らは眠る。彼らとは、歴代のボンゴレの長である。荘厳な教会の奥、関係者しか立ち入ることが許されていない一角に、ドン・ボンゴレたちの墓が存在する。小高い丘に一際大きな十字が建てられており、ぶら下がる白百合のリースが、イタリアの穏やかな風に揺られている。ボンゴレプリーモ–ジョットに捧げられたリースはあたかも聖人を讃えるかの如く、小ぶりながらも清廉で高潔な匂いを撒いていた。
この風景を現在のボス、ボンゴレデーチモである沢田綱吉はいたく気に入っていた。緑広がる丘に髪に吹き抜ける潮風、白を基調とした海の街の爽やかな風景、教会から響く、死者を弔い生者を慰める鐘の音…紺碧の水面がキラキラと乱反射するたび、あの光は先代たちの炎の煌めきで、今でもここからボンゴレファミリーや、ひいてはこの街全体を見守っているんじゃないかと錯覚する。特に彼の出身である日本ではこんな風景は滅多にみられず、目の前の光景は何処か御伽めいているように感じられた。死者を神聖視したいわけではないが、現在進行形でマフィアを束ね、数え切れない程の罪を犯した己がいてはいけない場所のような気がしてきた。重ねてきた罪は目の前で安らかに眠る彼らの方が大きく重たいのだろう。しかし罪の背比べは、罪悪感に苛まれながらも、どんどんと初々しい感情を無くし、他人を傷つけることを厭わなくなってきた綱吉には意味の無いものになっている。誰かを傷つける大義名分に「大切な人を守る」を使うあたり、綱吉は自分がとても姑息な人間なんじゃないかと信じて疑わなかった。こんなにブルーな思考に陥っていると、かの家庭教師に一発蹴られそうだが、生憎この場には、あの時より背の伸びた最強の殺し屋は来ていなかった。
「何をしているのです。」
凛としたテノールが綱吉に批難を浴びせる。文字通り何をしているのか尋ねただけかもしれないが、この素っ気ない声には棘を感じずにはいられない。
「別に。お墓参りだよ。」
努めて朗らかに笑い、ふっと背後に現れた我が霧を体現する守護者–六道骸に振り返る。骸は怪訝そうにピジョンブラッドとブルートパーズの瞳を細める。綱吉は勿体無いと思う。この深く澄んだ色合いの瞳は、この場にぴったりだと常々思っていたから。この地に眠る彼らの罪を移したような血の紅と、奥からさざめく千尋の海に似た青。この場所を人間にしたらこんな感じなのかなと世迷言を考える。そんな素敵な瞳が長い睫毛の裏に隠されてしまうのは非常に勿体ない。これは確信していた。
「何一人でうんうん頷いているのですか気持ち悪い。」
今度は明確に棘を刺しに来た。何をしているのかわからないとありありと伝えてくる瞳に、やっぱりキレイだなと暢気なことを考えていた。上手く隠せていると骸本人は自負しているそうだが、不満や嘲笑や更には照れや欲情もその瞳の前では無力で、本人の意思など関係なく此方に訴えかけてくるのがたまらなく愛しい。
「いやぁ、お前がここに来てくれて良かったなって思ってただけだよ。」
「は?まさか腐れマフィアの安眠を願えって言うんですか?それなら貴方の安眠を願ってやりますよ。」
「そういう訳じゃ無いって。武器をしまってよ。」
じゃあ何なんですか。と零れ落ちた疑問は無視された。時間が経ち、いたいけな頃はとうに過ぎ去ったようで、目の前の琥珀の炎を持つ小さなボスの考えていることがわからなくなっていた。よくわからないものに振り回されるのは癪に触る。骸はどうしようも無い苛立ちを抱えたまま、それでも真相が気になり、辛抱強く次の言葉を投げ掛けられるのを待った。
「ここは骸にそっくりで、凄くキレイなんだよ。だがら特別でとても癒される。」
いつかの「お前は言ってることが遠回しでまどろっこしいんだよ!」と激情していた沢田綱吉は何処に言ってしまったのだろう。僕から言わせれば今の貴方の方がよっぽどまどろっこしい。どんどん真相から遠ざけられる、或いは端から真相なんて存在していない、お前の思い違いだと嘲笑われているようで、偏屈な骸にとって遠からず侮辱になっていた。
「あれ、いつもはキレイって言うと照れるのに。」
「ばっ、照れてません!僕が綺麗なのは周知の事実ですから!」
「いやそこ?」
罪だとか小難しい話はすっかり頭から抜け落ちて、穏やかな会話に自然と笑みが溢れる。骸が、「ずっと吹きさらしてたら身体に悪いですよ。」と大きめのマントを羽織らせてくれた。そういえばこのマント、自室に置きっぱなしだったと思い出した。わざわざ自室から届けるために持ってきてくれたのだろうか。その為に俺を探し出してくれたのだろうか。骸は頑なに否定するが、案外気の利く男だ。そうやって細かいところに気付ける優しさに、どれだけ救われているのか骸は知らない。彼の優しさを享受できる人間は数少ないので、非道な一面しか知らない奴も多いし、骸も自分のことを非道な人間だと思い込んでいる。
「俺はお前のそう言うところ好きだよ。」
「貴方が身体を壊したら乗っ取れなくなってしまうでしょう。」
「そっか、ありがと。」
「何故礼を言うのですか。」
「そんなものは要りません。貴方の為にやったみたいになってしまう。」
「骸がやりたくてやったのか?嬉しいなぁ。」
「頼まれただけです!心配なんてしてません!」
それっきり顔を背けてしまった骸に、尚更笑みを深くする。耳が真っ赤になっていて、あぁ、骸の紅は案外柔らかいのかもしれないと思った。そういえば骸の「中」の紅は柔らかく暖かかった。彼処は俺を捉えて離さない。いつだって数億の俺の生命を屠ってきた場所だ。そうだ。俺はこの場所に似合わないんじゃなくて、ただ単にもっと素敵で、もっと居心地のいい場所があっただけなんだ。改変される前の未来で眠っていた重々しい棺ではなく、天を仰ぎ見る白百合のベッドでもなく、骸の胎内こそ己が墓場にふさわしい。おおよそ墓場で考えるような事ではないが、綱吉は現金な男だった。根拠のない確信が心のうちに増え、それだけで罪の意識が少し薄らぐぐらいには。骸がこの、ボンゴレが眠る場所に似ていると思い始めた時から答えは一つだったのかもしれない。
「骸さ、ひとつ頼まれてくれない?」
「なんでしょう。」
「もし俺が死んだら、お前の腹の中に俺の骨を入れてくれないかな。」
「はぁ、また突拍子もない。」
「きっと此処の土や棺より暖かいだろうしさ。」
少年の頃ように破顔した男に呆れる他無かった。そうだそれがいいと囃し立てる様に、木々の草がそよそよと揺れていた。僕も貴方も疲れているのでしょう。こんな下らない約束に興じる程、愚かでは無かったはずなのに。ただ今だけは、この戯言に真顔で「僕の腹の中は生きているうちに堪能なさい。」と冗談を言うぐらいなので、だいぶこの男と、それが放つ空気に毒されていると実感した。
「それじゃ今夜も楽しみますか。」
「本当に不謹慎ですね貴方。」
「やだなぁ、お前ほどじゃないよ。」
「死んだ後腹に入れてやりませんよ?」
「悪かったって拗ねるなよ。」
「拗ねてません。」
厳かな教会の麓の昼下がり、その場に似つかわない二人の生者の笑い声だけがどっと響いていた。