Rainy birthdayなんでこうなったんだろう。
綱吉は小さくため息をついた。
頭上からは、止むことのない衝突音がパラパラと降りそそぐ。
そして隣からは無言の圧力。
チラ、と目だけで横を見上げればそこにはまっすぐ前だけを見つめる男の横顔。
微動だにしないその整った横顔からは、何の表情も読み取れない。
「(やっぱ…怒ってる、よな…)」
しゅん、と綱吉は再び足元を見つめた。
スニーカーは雨を吸って冷たく、ドロドロになっていた。
今日は6月9日。
骸の誕生日だ。
しかし肝心の主役と言えば誕生日には無頓着なようで、綱吉がおめでとうと祝っても「そうですか」のあっさりした一言で、済ませてしまったのだ。
当初の予定ではここで家に帰宅してお祝いの続きをする予定だった。
でも、そんないかにも"どうでもいい"と言わんばかりの彼の態度を見ている内に、綱吉の心に沸々と湧き上がるものがあった。
骸に、喜んでほしい。
骸を、喜ばせたい。
いや、喜ばせてみせる。
気持ちが固い決意に切り替わるのに、そう時間もかからなかった。
そうして綱吉は骸を無理矢理引っ張って、寄り道に誘ったのだった。
言葉で伝わらなかったなら、行動で示すまでだ。
骸にチョコをいっぱいあげて、喜ばせてからケーキでお祝いしても遅くはないだろう。
その気持ちひとつで綱吉は色々と頑張った。
死ぬ気になって頑張った。
しかし、蓋を開けてみてみるとどれも失敗の連続だった。
骸が以前から気になっていたチョコレート専門店に足を向ければ、あいにくの定休日。
仕方なく近くのアイスの店でチョコアイスでも奢ろうとしたら、ちょうど割引の日だったらしく長蛇の列。
挙句、丁度綱吉達の前で一番人気のチョコアイスが売り切れた。
そしてトドメは、帰り道に天気予報になかった土砂降りの大雨まで降るというおまけまで付いてきた。
泣きっ面に蜂とはまさにこの事だ。
慌てて近くにあった、小さな屋根付きのバス停に駆け込んだものの、屋根は冷気や跳ねる雨粒までは防いでくれない。
椅子もないバス停に2人で立ち尽くせば地面で跳ねる雨の雫がびしゃびしゃと靴やズボンの裾にかかり、靴も体重をかければグジュグジュと嫌な音を立てた。
急に降り出した大雨に一緒にずぶ濡れになってしまった上に、チョコアイスの代わりに買ったアイスを食べていると体の底から冷え切っていく。
足元から全身の熱という熱がジワジワと逃げていくようだった。
それに、無言の骸だ。
バス停に入ってから、いや思い返してみれば寄り道を始めてから骸はずっと言葉を発さない。
綱吉が話しかければ返事くらいはするけれど、どれも一言で終わってしまうような素っ気ないものばかりだった。
雨宿りをしてからは申し訳なくて、綱吉も口を固く結んでしまった。
綱吉が黙れば、会話が生まれる事も無く、冷たい雨の音だけが2人の間に流れた。
雨が止まない。
黙って口をつぐんでいると次第に綱吉の中で自責の念がドロドロと渦巻いた。
チョコやアイスの店についてちゃんと事前に調べておけば、時間の無駄にもならなかったしチョコアイスも間に合って買えたかもしれない。
そして雨に濡れること無く、今頃ちゃんとした屋根のある場所で誕生日のお祝いの続きを出来たかもしれないのに。
ぎゅ、と拳を作る。
「(せっかくの骸の誕生日なのに…)」
なんでこんなにダメツナなんだ、と綱吉は心の中でため息をついた。
そうしてバシャバシャと雨音の溢れかえる中心で後悔を繰り返す綱吉は、ふと耳の小さな違和感に気づいた。
ヴーッ、ヴーッ、と規則正しい小さな音がどこからか聞こえるのだ。
キョロ、と音の元を辿ると、隣の骸が制服のポケットからケータイを取り出した。
どうやら音の源はこれだったようだ。
電話かな、と綱吉が見ていると不意に小さなバイブ音は止み、骸はしばらくケータイの画面を見つめるとそのまま何もせず電源を切った。
出なかったところを見ると電話ではなくメールか何かだったようだ。
そしてケータイをポケットにしまった骸と、骸を見つめていた綱吉はバッチリ目が合ってしまった。
「…っ」
慌てて目を逸らそうとしたが、骸の問いかけの方が少しだけ早かった。
「何ですか」
素っ気ないとも怒っているとも取れる質問。
綱吉は一度うっと下を向くと、しばらくしてからそろりと隣を見上げた。
赤と青の目が無表情に綱吉を見つめている。
その色達の奥で彼が一体何を考えているのかと考えると怖くて、情けなくて、誤魔化すように綱吉は急いで口を開く。
「…あ、いや…。電話なのかなーって…」
チラ、と俯きながら様子を伺えば骸は表情を変えず淡々と答えた。
「クロームからのメッセージですよ。もしよければ用事が済んだら、そのまま君も僕と一緒に来て欲しいと言っていました。」
綱吉が骸を祝っている最中だと見越しての発言なのだろう。
にべもなく答える声に、胸がズキンと疼く。
「…ごめんな」
綱吉は下を向いて自分の靴のつま先を見つめた。
振り回すだけ振り回して、ずぶ濡れになって。
喜ばせるつもりが、迷惑だけかけて。
もしも綱吉が急に寄り道しようと言いださなければ、今頃骸は黒曜でケーキを存分に楽しんでいたかもしれないのに。
バス停の屋根の長さは足元まで守るのには足りずバシャバシャと跳ねる泥水に、二人の靴はもうすっかり茶色になっている。
靴の中で綱吉の足の指先がぎゅうと丸まった。
「…今日はあんまり楽しくなかっただろ、お前」
「なぜ」
短く、でも鋭く食い込む骸の言葉。
綱吉のつま先が靴の中でまた丸まった。
「だって…せっかくのお前の誕生日なのに…オレやっぱりダメツナで…お前にチョコ買ってやれなかったし、今も雨でびしょびしょになったし…。お前、今怒ってるんだろ?せっかくの誕生日なのに気分最悪だろ?…ごめんな」
一気に言葉を吐いて、また俯く。
と、俯いた先、バシャバシャと揺れる茶色の水面に、ふと鮮やかな青色と赤色が映っているのに気がついた。
紫陽花だ。
青とも紫とも取れる色をした群れと、ピンクに近い赤色をした群れがまるで花束のようにたわわに花を咲かせて、バス停の横でひっそりと背伸びをしていた。
透明な雨を真珠のようにその身に纏い、場違いな程色鮮やかに存在を主張する様は、綱吉の視線を釘付けにした。
まるでその美しさは骸の両目のようで。
そして強烈な紫陽花の色にすら責められているように感じて、綱吉は瞳を曇らせると罵倒を受ける覚悟を心に決め、制服の裾を握った。
「まさか」
けれども耳に降ってきたのは、柔らかく、そして優しい笑い声だった。
え、と綱吉が頭の中で骸の言葉を反復していると、不意に骸は鞄から折りたたみ傘を取り出した。
傘持っていたんだ、と思う綱吉の横で骸はパンッと傘を開くと、突き出すように二人の目の前に傘を傾ける。
目の前の景色が、傘の裏地と手を広げたような銀色の傘の骨で隠された。
雨宿りしているのに、と疑問に思っていれば、不意に屈んで近づいてくる骸の顔があった。
反射的に目を瞑ると、唇に柔らかな衝突が広がる。
片目をそろりとこじ開け見れば、目の前には目をつぶった骸の顔。
そして慌てて再び目を閉じた綱吉の耳に、人の足音が届いた。
にわか雨に急かされるようにして、こちらに向かって走っているであろう人の足音と声。
数にしておそらく二、三人ほど。
でも目の前で広がる傘が、触れる骸の唇が、綱吉が目をそらすのを許さない。
足元や体は冷たくて、でもくっ付いた唇はやけに熱くて。
だからほんの一瞬。
ほんの一瞬だけ。
綱吉は傘の外に広がる世界の事を忘れ、唇から伝わる骸の体温を味わった。
どれほど時間が経ったのか。
やがて人の声は遠ざかり、傘の向こうから聞こえるバシャバシャという雨音だけが早さを増す自分の鼓動と競い合っていた。
「楽しかったですよ」
しばらくすると唇は離れ、骸は傘を畳むと優しく綱吉の髪を梳いた。
バス停の傍で、彼の両目色の紫陽花達が雨に打たれてゆらゆら、上下に頷く。
「慌てて百面相になる君も見てて飽きませんでしたし、チョコ味じゃないあのアイスもあれはあれで中々よかったですし」
ね?と骸は綱吉の瞳を覗き込む。
「でも…行き当たりばったりな祝い方ばっかりで…それにチョコ味もなかった…。せっかくの日なのにさ…」
目を伏せて綱吉がそう言うと骸は、困ったように頭を傾げた。
「思ったのですが、クローム達や君と言い、今日はなんだってそんなにチョコにこだわるんですか」
「…え?」
綱吉は、そっと顔をあげた。
「まぁ貰える分には嬉しいですが。君がそんなに躍起になって僕に好物をあげようとする理由が、よく分からなくて」
目を見開く綱吉を見つめながら、骸は静かに笑う。
「…だから寄り道している途中でずっと考えていたんです。なぜ君がこうも必死に僕の好物をあげようとしているのか、何故誕生日をここまで祝おうとしているのか、とね。人の生まれた日を特別視する意味が僕には理解できなかったので」
曇った表情を見せた綱吉を見て、骸は困ったように笑った。
「そんな顔をさせるつもりはなかったんですが…。僕の今までの生き方と君のそれが違っていただけですよ」
「…ごめん」
綱吉はそっと視線を地面に投げた。
骸が黙っていたのは考え事をしていたからであって、綱吉に対して不満を持っていた訳じゃなかった。
それが分かった代わりに、綱吉の心を占めたのは昔、犬の口から語られた3人の壮絶な過去だった。
この世に生まれ落ちた事を呪いたくなるような経験。
人が誰かの気まぐれで生かされては簡単に殺される世界。
それは綱吉には想像出来ないような、深い深い絶望に満ちた話だった。
綱吉がそんな暗い記憶を思い出していると、骸はクフフ 、と笑った。
「謝らないで下さい。過去は変えられずとも、今こうして君を通じて"普通"を知っている途中なんですから」
大きな手が綱吉の頭に乗せられた。
ぎこちなく、骸の手は綱吉の髪を撫でる。
「まぁ理解出来ないのは今に始まった事ではないのですが…。ランチアのファミリーに潜入していた時も賑やかに祝われましたが、作り笑いで過ごした覚えがあります」
ねぇ。
息を飲んだ綱吉に、骸は覗き込むようにして問いかける。
「どれだけ考えてみても僕にはさっぱりでした。君は何故、 僕の誕生日をそんなに祝いたがるんです?教えてくださいよ」
何故?とまるで小さな子供のように骸は綱吉に問いかける。
綱吉はそっと目を閉じた。
なぜ人の誕生日を祝うのか。
改めて意味を考えてみると確かに少し不思議な事なのかもしれない。
小さい頃は、誕生日の度に貰えるプレゼントや今日だけよ、と母から甘いケーキを貰いお腹いっぱい食べられる幸せな日だと思っていた。
山本や獄寺のように友人の誕生日を祝うようになってからは、綱吉の中で誕生日の意味も少しだけ変わって、喜ぶ相手の顔が見たくて祝うようになった所もある。
お祝いした時の、あの、驚いた後にパァッと花が咲き誇ったような人の笑顔。
綱吉はそんな表情を見るのが大好きだった。
あの笑顔は、祝われた人が自分自身へお祝いしている表情でもあるんじゃないだろうか。
獄寺が「勿体無いお言葉!」と感涙にむせぶのも、山本が「覚えててくれてサンキューな!」とお礼を言うのも同じ事じゃないだろうか。
誰かの中に自分は確かに居るのだと、再確認するから嬉しくなるんじゃないだろうか。
プレゼントという目に見える物で、言葉という目に見えない物で人に祝われ、祝福されて、そして自分自身も祝う事になる特別な日。
きっと綱吉にとって、誕生日とはそういう日だ。
ましてや骸は今まで存在を疎まれ、彼自身もこの世界に生まれた事を呪ってきたような男だ。
以前"六道を巡る屍、なんて矛盾にあふれて素敵でしょう?だからこんな皮肉っぽい名にしたんです"と自嘲気味に語っていたから間違いない。
誰よりも彼自身が、自分がこの世に生を受けた事を忌み嫌い、呪っている。
そんなの。
…そんなの、寂しいばっかりじゃないか。
だから誕生日祝いを通して、ここに居て欲しい、お前はここに居ていいんだよ、と伝えたくて。
だから。
「…ありがとうって意味があるからじゃないかな?」
静かに考えて、ゆっくりと瞬きをして、綱吉は骸への返答を紡いだ。
目の前で骸の瞼がパチ、と瞬きをした。
「大袈裟かもしれないけど、でも誰かの誕生日を祝うって事は、生まれてきてくれてありがとうって意味があるんだとオレは思うな。あなたが生まれてきてくれたお陰で今こんなに幸せです、ありがとうってお礼を言う日なんじゃないかな」
「……」
綱吉の言葉に骸はスッと前を向くと、そのまま一言も言葉を発さなかった。
外では雨が相変わらずバシャバシャと音を響かせている。
空からひっきりなしに降り、風で揺らめく雨はまるで鈍色のカーテンのよう。
世界と自分達が、雨で分けられてしまったよう。
止まない雨に辺りに冷気が立ち込み、首元に滑り込む寒気に綱吉は一瞬身震いをした。
しかし骸は前を見つめたまま、動きもしなかった。
その目は真っ直ぐ前だけを見つめていて雨も、綱吉でさえも、何も映していないように見えた。
聞こえないフリでもしているのだろうか。
焦る心に綱吉は何度も骸をチラチラと横から見上げた。
しかし綱吉の心配をよそに、雨音の中長い沈黙を貫いた骸は、やがて困惑したように口を開いた。
「…生まれた事を祝福する?」
「うん」
「どんな辞書にでも載ってそうなありふれた説明ですね」
「うん。でもありふれた言葉って、それだけ当たり前で、どんな人にも分かるって事だろ?」
綱吉の言葉に骸は少し考え込むと、やがてゆっくりと首を振った。
「………やはり理解しかねます」
骸は前を向いたまま自嘲気味にそう呟き、バッグを持ち直した。
綱吉はその様子を曇った表情で見守る。
「何故他人が生まれた事をそう幸せだと思えるのか。僕には難し過ぎたようですね。僕は君と違い自分が生まれた理由すら分からないので」
「……」
不意に雨音は遠くへ遠くへと押しやられ、綱吉の耳は何も拾わなくなった。
ただ目眩のような感覚と、締め付けられるような胸の痛みだけが綱吉の体に残った。
ツン、と痛くなった鼻の痛みに綱吉は拳をキュッと握る。
骸には難しい?
骸には理解出来ない?
そんな訳ないだろ。
ダメツナのオレでも分かる事なんだぞ。
なぁ、お前は今までどれだけの当たり前を無視して、奪われて、生きてきたんだよ。
なぁ、骸。
悲しみが一瞬で全身を駆け巡ったのが分かった。
そしてまた一瞬で決意をすると、綱吉はそぉっと骸に背伸びをした。
外の鈍色はまだ激しく揺らいでいて、先の景色が霞んで見える程だ。
世界から隠されてしまったような錯覚が、綱吉を大胆にさせた。
泥色のスニーカーがグチュンと音を立て、それと一緒にジメッと不快な感覚が広がったけど、それでも構わなかった。
綱吉は骸の首にしがみつき、ギュッと抱きしめる。
少し伸びた骸の後ろ髪が綱吉の腕をくすぐり、驚いたような骸の息遣いがダイレクトに耳元に流れ込む。
本当は頭を抱きかかえたかったけど、身長が足りず骸の首にぶら下がるような形になってしまう。
それでも綱吉は骸にしがみつく腕を解かない。
だって背伸びでバランスを崩しかけ、よろめいた綱吉を骸が反射的に両腕で包み込んでくれたから。
骸の手を離れた傘が代わりに豪雨の中へと倒れ、地べたでパラパラと雨を弾くから。
骸の肩から滑り落ちたバッグが足元で泥を弾いたから。
綱吉は制服越しに感じる骸の体温に思わず涙の滲んだ目を瞬かせた。
「生まれた日をお祝いしたいくらい特別で、忘れたくない人だって、オレはみんなに、みんなに言いたいんだよ。それで、オレの心はこれだけお前で占められているんだぞ、って誰よりもお前自身にお礼を言いたいんだよ」
支離滅裂な言葉だが、綱吉は心に浮かんだ気持ちをそのまま骸にぶつけた。
骸。
オレの中はこんなにも無視出来ないくらいお前でいっぱいなのに。
なのにお前は祝われ、お礼を言われる意味が分からないのか。
自分は他人を幸せに出来ると、そんなにも信じられないのか。
「だからオレは祝うんだ。お前が認めないお前自身を、誰よりも大切にして欲しいんだよ、オレは。骸にむくろを大切にして欲しいんだ」
情けない事に声が震えていた。
ギュッと骸を抱きしめ、唇を、喉を震わせて綱吉は必死に言葉を紡ぐ。
骸、お前は変わった。
もしかしたらお前は気付いていないのかもしれないけど、今のお前は目の温度が、ふとした行動が、ぜんぶぜんぶオレには温かく感じるんだよ。
綱吉と付き合い出したばかりの頃の骸なら、傘も荷物さえも放り出して綱吉を支える姿なんて、想像すら出来なかっただろう。
そう簡単に綱吉が首に抱きつくのを許す事も、そもそも綱吉の茶番に付き合う事もしなかっただろう。
こんなにも優しいのに、骸は誰よりも自分自身に優しくないなんて。
綱吉を求め自然とキスはするのに、自分自身は嫌い突き放すなんて。
そんなの、寂し過ぎるじゃないか。
雨音に負けないよう、骸から離れないよう、大きく息を吸い、しがみつく腕に力を込めて綱吉は叫ぶ。
「分からないなら、分かるまでオレが毎年言ってやる。オレはお前が生まれてきてくれたのがこんなにも嬉しいんだぞって、オレは何度だって言ってやる。祝ってやる。教えてやる」
「…つなよし」
「だからお前は、認めろ。お前はこんなにもオレの中にいて、オレを喜ばせる存在なんだって、認めろよ…!生まれた理由が分からないなら、オレがその理由になってやるから。何でもいい。何でもいいから、お前が生まれて生きている事をお前自身が否定するな」
「つなよし。もう、分かったから」
グスグズと鼻水混じりの言葉に、骸はとうとう観念したように笑った。
いつの間にか雨音は綱吉の耳に戻ってきて、ザァザァと骸の背後で鳴り響いていた。
バス停を覗き込むように紫陽花も風に揺れていた。
「分かってないんだろ、おまえ…!」
「いえ、僕が誕生日を嬉しく思わないと君が怒るという事は分かりました」
苦笑し骸は綱吉の髪を撫でる。
「理解は出来ませんが…理解したいとは思います」
ポソ、と骸は声を出し前を向いた。
降り止まない雨の更にその向こう、もしかしたらここではないどこか別の場所を見ているような目つきだった。
グズ、と綱吉は鼻をすすった。
「…お前頭いいんだからさ、誕生日の意味が分かって嬉しくなるのも、きっとすぐだよ」
「…そう、ですね」
伸びかけで、筆のように短く結ばれた骸の後ろ髪が微かに風でなびいた。
高校の校則にそろそろ引っかかりそうな程度には伸びた骸の髪。
密かに綱吉は気に入っているので、後ろはこのままの長さにします、と骸に言われた時は嬉しかった覚えがある。
中学生の時とも、10年後のとも違う骸の姿。
きっと今の骸ならば過去や、未来の彼とも違う何かを学んでいけるはずだ。
「…それにオレだけじゃない。犬や、千種さんや、クロームだって、みんなみんなお前が生まれてくれて嬉しいんだよ」
「部下でない君にそう言われると説得力がありますね」
理解する努力をします、と骸は小さく言うとそのまま少し屈み、綱吉を地面に立たせた。
足に広がる小さな衝撃と優しいような悲しいような骸の顔が、綱吉の心を揺さぶる。
また涙が溢れそうになって、綱吉は慌てて目を擦った。
「とりあえず、一緒に黒曜まで帰りませんか?」
「…へ?」
「雨、止みそうにないですし。パーティーの時間も近いですし」
いつの間にか雨の中へ傘を取って来た骸はそう言う。
少し濡れた藍色の前髪が雫を垂らしていた。
「なんでオレも黒曜に…?」
「もちろん僕と一緒にパーティーに参加する為ですよ」
「…へっ!?」
「君もいる方がクロームも喜ぶ。それにそんな腫れた目で帰れば奈々さんがイジメでも受けたのかと心配しますよ。目の腫れがひくまでパーティーに参加して、それから帰る方が得策なのでは?」
「いやいや!オレがクローム達の所にいちゃダメだろ…!」
「来ないんですか。そうですか。ついさっき誕生日を祝ってやると大声で宣言した、君が?僕、今日一日君が居ないと、生まれた意味が分からないんですよねー?」
「今ここでそれをいうか!」
「決まりですね」
骸はそう言ってジトッと骸を睨む綱吉を、にこやかな笑顔で見下ろした。
「君も一緒にパーティに付き合って貰いますよ。そう言えば会場は黒曜中の体育館なのでよろしくお願いしますね」
「たっ…体育館?何かスポーツでもやるの?」
「さぁ?」
パン、と傘が清々しく目の前で開いた。
「今年も犬はどれだけ大掛かりなパーティーにしようとしているのやら…。行ってみてからのお楽しみ、というやつですね」
「…待って。オレ傘持ってない」
せめてもの抵抗に仏頂面でガサガサ、とバッグを漁っても指に触れるのは教科書や丸まったプリントばかりだった。
でもそんな綱吉を見て骸は再び緩やかに微笑む。
「何言ってるんです。ここ、空いてるじゃないですか」
ここ、と骸は自分の隣の空間を指差す。
「…えっと…」
「君を濡らして帰ったらクロームも心配するでしょう。ほら、早く」
ほら?と揺れる傘。
大きくはないその傘からはみ出した骸の肩が早くも色が変わっていて、綱吉は目を見開いた。
「…早く行かないと、主役が風邪引いて登場したら意味ないからな」
大きく息を吸うと綱吉は一歩を踏み出した。
綱吉の靴が水溜まりを踏み、パチャンと音を立てた。
隣に立ち、綱吉は赤と青の目を見上げた。
「…行くぞ」
「綱吉」
「ん?」
「…ありがとうございました」
僕の為に怒ってくれて。
雨音に忍ばせるように、骸はお礼の続きを静かな声で言う。
隠しきれなかった骸の声に綱吉はふい、とそっぽを向いた。
「…どういたしまして。ほら、いいからさっさと行くぞ」
赤い頬を誤魔化すように、綱吉は骸より先に雨の中を歩き始めた。
骸は口角を持ち上げると、傘から出て行った綱吉の後を追う。
追って、並んで、抜かれて。
雨の中、歩幅の違う2人はその追いかけっこを繰り返したが、いつしか寄り添うように並ぶと、やがて足並みを揃えて黒曜へ向かって歩いて行った。
赤と青の紫陽花達だけが、2人の背後で雨を弾きながらその姿をいつまでも見送っていた。