【伊弉冉一二三という男は女性が好きである】【伊弉冉一二三という男は女性が好きである】
「常々思っていたのですよ。伊弉冉一二三というホストは女性が好きなのかということを」
「そんなにも僕のことを考えてくれていたのかい? 嬉しいよ」
幻太郎は一二三のたわごとを聞き流してブランデーを流し込む。強烈な甘い香りと熱が喉を焼き、思考が少しクリアになった。
彼のテリトリーで、無防備な身を晒して好き勝手な管を巻く。高揚感と羞恥心で頭の中身が煮えてしまいそうだった。
「女性のことを――とりわけ自分の客を大切にしているのは認めましょう。だがそれは果たして好き……心惹かれていると言ってよいものでしょうか。愛って、もっと身勝手なものだと思うのです」
「へぇ」
一二三は足を組み替えて興味深そうに幻太郎の話に耳を傾けている。余裕ぶった態度にささやかな苛立ちを覚えた幻太郎は口元に薄笑いを浮かべて整ったかんばせを睨む。
「あなたは、愛されるために愛しているのではないですか?」
「……小説家の先生は面白いことを考えるね」
弓なりの眉が僅かに歪んだことに満足した幻太郎はさらに言葉を紡ぐ。
「あなたは女を抱けない。色を好まず、しかし女は好きだと言う。それって生物としてある意味で不健全だといえませんか?」
「僕は僕さ。女性から与えられずとも、与えてあげたい。こういうのは人間特有の考え方じゃないかな?」
「それはアガペーの考え方に似ている。アガペーとは、神が人に与える愛ですよ。神様気取りの伊弉冉さん」
アイスペールから氷の欠片を摘まみだして、ブランデーのグラスに入れる。ひとつ、ふたつ。カラン、と涼しげな音がして葡萄の香りがより一層強く引き立った。
「無償で愛を与えるの存在が神だというのなら、確かにそうかもしれないね」
「ふむ。あなたと喋っていると、本当に埒が明かないですねぇ」
強いアルコールを摂取したせいか、いつも以上にするすると舌が回る。通常であれば踏みとどまるべき場所を大幅に飛び越えているのを自分でも理解していた。
「どんなに破綻していようと、其れはあなたの中で揺るぎない正義なのですね」
じくじく、と。胸の奥が膿んでゆく。なぜ人間は自分で自分を傷つけてしまうのでしょう。自問自答してみても正しい答えは出てこない。
幻太郎は憂いを帯びた溜息を吐き出した。
「そのいびつな柱をへし折ってホストになぞなれないようにしてしまおうかと思ったのに。残念です」
「僕をきみだけのものにしたいってことかな? 情熱的な愛情表現をありがとう。でもごめんね、僕はすべての子猫ちゃんのものだから」
一二三が心底残念そうな顔をしてワイングラスを少しだけ傾けた。深い深い、血のような赤色をしたワイン。伊弉冉一二三の中身もこんな感じなのだろうか。
「……あなたがワインだとしたら、欲しがる女性に一口ずつ分け与えてしまって最後には澱しか残らないでしょうね」
「その一口でたくさんの女性の喉を潤せるのなら、それはとても喜ばしいことさ」
「……ハ」
幻太郎は嘲笑を吐き捨てて立ち上がった。もう、ここにいることに意味はない。送り出そうとする一二三を手で制止して、枚数も数えずボーイに万札を手渡した。
「御機嫌よう。もう二度と来ません」
「ご来店ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
西洋の王子様のような優雅さでお辞儀をする一二三を、幻太郎は一度も振り返らない。
伊弉冉一二三は夢野幻太郎が階段の向こうに消えてしまうまで、ずっとずっと頭を下げ続けていた。
【夢野幻太郎という男はホストの伊弉冉一二三が嫌いである】