6/26新刊書き下ろし 冒険者の訪れを衛兵から知らされ、水晶公は逃げ出したいような気持ちになった。彼の顔を見たくないと思ったのなんて初めてのことだ。しかし追い返す訳にもいかず、フードの裾を強く引き下げてから、彼を通すように告げた。
「よお」
「あ、ああ……」
星見の間に足を踏み入れ、軽く手を挙げて挨拶する冒険者に、水晶公は曖昧に頷いた。緊張で体が強張り、呼吸が詰まる。昨夜、彼に触れられた頬や背が熱い。あの触れ合いについて、彼はどう思っているのだろう。問い質したい反面、何と言われるのかが分からずに恐れる気持ちもある。
「昨日の件だが」
そんな水晶公の葛藤をよそに、彼が口火を切った。心の準備ができておらず「っ、え、あ……」とおどおどとしてしまう。そんな水晶公に少し怪訝そうにしながらも、彼は話を続ける。
「確かに聞いた通り、街の何ヵ所かに浮かれた恋人たちがいて、その中には今にもおっ始めそうな奴らや、もう始めてる奴らもいた」
「あ、そ、そうか」
昨夜、別れた後の事についての報告が始まり、こっそりと胸を撫で下ろす。
「それで、俺が『丁寧に』声を掛けたところ、全員分かってくれた」
やけに含みのある言い方だ。実力行使ではないだろうが、一体どんな声掛けを行ったのだろう。民たちを案じていると、彼は肩を竦めて「本当に何もしてないって」と訴える。それを信じるしかないだろう。
「……ありがとう、これで治まるといいのだが」
水晶公は胸に手を当て、彼に礼を述べた。フードの影から冒険者の振る舞いを観察するが、昨夜の出来事はまるで無かったかのようだ。もしかすると、あれは彼にとって取るに足らない冗談だったのかもしれない。昔から、この人にはそういう面も見られた。そう考えると、普段と変わらない態度にも合点が行く。
それなら、こちらもあの触れ合いについてはなるべく意識しないようにしよう。彼の手や唇を盗み見ては、大きく脈打つ心臓にも気づかない振りをしよう。自分は計画のことだけ考えていればいい。
水晶公が内心で決意をした時、冒険者が数歩こちらに踏み出してきた。
「という訳でだ」
そう言いながら、彼が右手を差し出す。何かあるのかとそれを見たが、何も持っていない。
「街の面倒事をひとつ解決したんだ。報酬をくれないか」