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    「前世の親友が転生したら女になってたので、今世では一緒に幸せになります。」(2)
    6/25ジュンブラの新刊、転生大学生パロ五夏♀の続きです。Twitter上で第4話〜第6話として公開した部分をまとめました。

    第1話〜第3話はこちら→https://poipiku.com/532896/8623189.html

     時刻は深夜零時。二人は夏油のバイト先からの帰り道を、肩を並べて歩いていた。
     夏油は俗にいう苦学生というやつだった。施設育ちのため奨学金をもらって大学に通い、生活費は高校時代に溜めた貯金とバイト代から捻出する。より時給の高いバイトを探して、彼女は夜まで働いていた。
     四月の終わりごろから、夏油は大学から一駅のところにある居酒屋でバイトを始めていた。
     賄いが出ること、しかも持ち帰ってもいいと言われていること、他の居酒屋よりも単価が高く客層が上で、その分時給も高いこと。それが彼女がその店でバイトをすることにした決め手である。
     居酒屋というだけあってバイトのシフトは深夜にまで及び、彼女の帰宅時間は当然に遅くなる。
     すっかり夜も更けたこの時間、五条はそのバイト先の前で彼女を待っていた。普段はもう少し早く上がらせてもらっている彼女が、今日は締めの作業まで任されたということで、帰りが遅くなると聞いていたので、こうしてわざわざ迎えに来たのである。
     店の前で立っていた彼を見つけて、夏油はきょとんとした顔をした。
    「悟?」
    「おせーよ」
     眺めていた携帯端末をポケットにしまって、五条は彼女のところに近寄っていく。
    「なんでいるの?」
    「こんな時間にお前を一人で歩かせるわけにはいかないでしょ」
     居酒屋があるだけあって、周囲はそこそこの繁華街だ。終電間際の駅前には、すでに終電を逃した大人たちや大学生たちが朝まで飲み明かそうかと騒いでいる。そんな中を、夏油一人で歩かせる気はなかった。
    「……ありがと」
     迎えに来てくれたんだね。そう言って彼女は五条の肩にぴたりと自分の肩を並べた。
     記憶の中の彼は自分とそう身長も変わらないはずだったけれど、今隣を歩く親友の肩は五条のそれよりもずいぶん低いところにあった。視線もかつてより遠い。
     女性にしては長身の彼女がヒールを履いているので、決して彼女の背が低いわけではない。ただ、かつての記憶と比べては、どうしても小さく見えてしまう。
    「俺んちでいい?」
    「あー、明日一限だから、今日は帰るよ」
    「そっか」
     それだけの言葉を交わしたら、二人の間には静寂が落ちた。かつ、かつ、と隣の足音は少しせわしない。
     気づいた五条が歩調を緩めれば、彼女はようやく少し落ち着いた様子でその隣に並んだ。
    「歩幅、全然違うんだなあ」
     昔は一緒に歩いてたのに。そう言って彼女は少しだけ寂しそうに微笑んだ。
     かつて何も遠慮することなく二人で歩いていた時のことを思い出しているのだろうか。前世の記憶というのは面倒なもので、彼女は時折こうしてかつての自分との違いに一人で傷ついている。受け入れていることと、傷つかないことは別物だ。彼女を見ているとそのことがよくわかる。
     五条は一つ息をついて、彼女の手を捕まえた。
    「早いと思ったら引っ張って」
    「え、」
    「お前に無理させたいわけじゃねえの。親友なんだから、なんでも言えよ」
     きょとんとその黒い瞳を丸くした夏油は、それからぽやっと表情を緩めた。えへへ、と笑う彼女に、五条は「何だよ」と少し照れくさくなって顔をそむけてしまう。
    「悟、大人になったねえ」
    「んだよそれ」
     しみじみとした物言いに、思わず二人は笑い出してしまった。
     大切にすることは、かつての夏油が教えてくれた。それを今でも五条はきちんと覚えている、それだけだ。
     夏油の方からべたべたと触れてくることはよくあったけれど、五条の方から彼女に手を伸ばしたのはこれが初めてだった。そのことに気づいているのかいないのか、彼女は表情を緩めたまま、捕まえられた手にするりと自分の指を絡める。
     どきり、五条の心臓が一つ跳ねた。細い指が、五条の指先を捕まえる。その造形はかつての親友の手とは全く異なるものだ。触れる体温だけはあの頃と同じなのだけれど。
     離さないようにと絡められた手は小さくほっそりとしていて、そしてなにより柔らかかった。
     記憶の中でかつて触れた、男だった頃の彼の手は、五条と変わらない大きさをしていて、深爪気味に切りそろえられた指先はいつも少し荒れていた。実際にはちゃんと握ったことなどほとんどない。幾度か、任務中にケガをした彼が治療を受けて眠っている間に、不安に駆られて手を伸ばしたことがあるくらいだ。
     けれど、そのわずかな記憶と比べても明らかに違うとわかるほど、今五条の手の中にあるのは、間違いなく異性の手だった。力いっぱい握りしめたら壊れてしまいそうな、五条よりもずっとずっと無力な手だった。
     絡められた指先に、おそるおそると力を入れる。きゅ、とその指先が滑り落ちない加減を探って、その様子をうかがって。
     そのあまりに慎重な様子に、夏油はくすくすと笑った。
    「おっかなびっくりって感じだね、悟」
    「うるさいな」
    「大丈夫、そんな簡単には壊れないよ」
     ほら、と言って、彼女はぎゅっとその手に力を籠める。思ったよりも強い力に、五条は目を丸くした。
    「ね。あの頃ほどじゃないけど、ガラス細工じゃないんだから、大丈夫だよ」
    「……うん」
     ふふ、と楽しそうに笑う夏油に、五条は一つ頷いた。
     そうしてずっと手をつないだまま、二人は夏油の暮らすマンションまでたどり着いた。五条はすでに終電もなくなっているけれど、歩いたとてたいした距離ではない。
     見慣れた学生マンションのエントランスの明かりの下で、夏油は握っていた手をパッと離す。そうしてするりと五条の隣から抜け出して、オートロックのドアの前まで軽やかな足取りで進んでいった。
    「じゃあね、悟。また明日」
     振り向いてひらりと手を振る夏油に、五条は先ほどまでつないでいた手を振り返した。
    「また明日」
     にこりと笑った夏油がオートロックの向こう側に消えるのを確認してから、五条は自宅までの道をゆっくりと歩いて帰った。
     彼女の指先の感触が、どうにも消えてくれなかった。
     本当に付き合ってないの。先日の学部飲みで同級生たちに散々向けられた言葉が、不意に脳裏をよぎった。
     付き合っていない。彼女を、夏油を、親友以外の目で見たりはしていない。そういう対象だとは、思っていない。――そのはずだ。少なくとも、彼の理性の面ではそうだ。
     親友のはずだ。彼女は確かに前世からの親友で、それは今でも変わらない。
     かつての彼には友情しか感じていなかった、と思う。性別が変わったからといって、その気持ちが変わることはないし、あってはいけないと思う。
     彼女に対して抱いているのは、前世のあの頃と同じ気持ちのはずなのに。世界で一番大切で、何よりも信頼している、かけがえのない、唯一無二の、魂の片割れともいうべき存在。そこにあるのは一人の人間に対する尊敬と信頼だ。
     だというのに、別れ際、こちらに屈託なく向けられた夏油の笑顔が、脳裏に焼き付いて離れなかった。
     信頼されている。一人の人間として。絶対に安全で、自分の味方をしてくれる存在として。
     その信頼自体は嬉しいものだ。間違いなくこの大学内で、ーーいや、すでに親族を亡くした彼女にとっては、紛れもなくこの世界の中で、一番彼女が信頼しているのは、自分だと思う。そうでなければ嫌だとも。
     その信頼に応えたかった。彼女の信頼を裏切るなんて選択肢は、五条には存在するはずもなかった。
     けれど。
    「……あー、最悪」
     そうやって彼女の隣で生きるには、体に刻まれた生殖本能というやつが、どうにも面倒だった。理性とは違うところで反応するそれを、今はきっちりと、体の奥底で沈めて飼い慣らしている。
     魅力的な女性なのだ。間違いなく。親友である夏油傑は。
     それを否定する気は毛頭ない。他人が否定するようなことをもし言おうものなら、目見えてんのか、と尋ねてしまうだろう。
     けれど、それとこれとは話が別だ。彼女が女性として魅力的であることと、五条が彼女を親友だと思うこと、この世の誰よりも大切にしたいと思うことは、別のベクトルの話であるべきだ。
     わかっている。理性では。思考の上では。
     幾度めかのため息をついて、がしがしと頭を掻いて。それから彼は帰路に着く。
     とにかく頭を冷やそうと、五条はそこから数キロ先の自宅まで、走って帰ることに決めた。



     大学一年生、最初の学期は、あっという間に過ぎ去っていった。
     桜が散って、新緑の季節になって、梅雨を過ぎて。夏の日差しがからりと空を照らすころ、彼らの大学は夏休みを迎えた。
     高校生のころまでとは違う、長い長い休みである。期末のテスト期間は七月の最終週から八月の初週にかけて。これが終われば、十月に後期の授業が始まるまでのほぼ丸二か月間が、大学生の夏休みだ。
     詰め込まれたテストとレポートの嵐を何とか乗り越えた学生たちには、晴れやかな夏が待っている。
    「しばらく泊めてくれない?」
     大きなボストンバッグとともに夏油が部屋を訪れたのは、真夏の盛り、八月の中旬のことだった。
     今から行っていいか、と事前にメッセージを送ってきた彼女は、五条がそのメッセージに返事をしてから三十分ほどで、玄関前へと現れた。合鍵を渡してはいるものの、彼女は五条が家にいるときには、その鍵を使わず律儀にインターホンを鳴らす。
     夏らしい涼やかなワンピース姿で現れた彼女、その手にしたボストンバッグに、五条は目を丸くした。
     そうして彼女が告げたのが、この言葉である。
    「別にいいけど、どうかしたの」
     抱えられたバッグを自然な手つきで受け取って、まあ上がれよ、と五条は彼女を招き入れる。お邪魔しまーす、と口にした彼女は、勝手知ったる他人の家とばかり、来客用のスリッパを勝手に履いて、すたすたとリビングへと向かっていった。
     彼女の家からこの部屋までの三十分足らずの時間。今日も日本は猛暑日で、昼間の一番気温が高くなる時間にむけて、外の気温もぐんぐんと上昇しているところだ。そんな中をやってきた彼女は、冷房の効いたリビングに一歩足を踏み入れると、はあ、と大きく息をついた。
    「暑かったぁ」
    「帽子とかないの」
    「持ってたんだけど、引っ越しの時に捨てちゃったんだよね。新しいの買わなきゃなあ」
     ぽすん、とソファーに腰を下ろした彼女は、じわりと滲んだ汗をハンカチで拭って、ぱたぱたと手で顔を扇いで見せた。
     キッチンに向かった五条は、冷蔵庫の中から炭酸水を取り出してグラスに注ぎ、彼女の前のローテーブルに乗せる。グラスの内側についた細かな泡がぱちぱちと弾ける音に、彼女は一瞬目を細めて、「ありがと」とそのグラスを手に取った。
    「実は、硝子が今日からしばらく帰ってこないんだよね」
    「へえ、帰省とか?」
    「そ。一週間くらい学部の合宿に行って、そのまま実家に帰るんだって」
    「合宿ねえ」
     普段は二人でルームシェアをしている彼女たち。その片割れが、二、三週間ほど帰ってこないのだと、彼女は教えてくれた。
    「家には私しかいないのに冷房つけてたら、電気代もったいないなと思って」
    「なるほどね。それで俺のところに避難してきたってことか」
    「そういうこと」
     そういう事情であれば、五条の側は彼女を拒む理由はない。
     どうせ五条もこの夏休みは実家に帰るつもりもなく、かといってどこかに出かける予定も入れていない。この部屋でのんびり悠々自適に好き勝手に過ごすだけの予定だったので、夏油が来ても何の問題もなかった。むしろ彼女といれば退屈はしないだろうし、ちょうどいいだろう。
     もともと夏休みの後半あたりにでも、彼女と家入を誘って旅行にでも行こうかと思っていたところだった。想像以上に夏休み前の期末テスト期間が忙しく、そのあたりの相談をほとんどできないままに夏休みに突入してしまったので、まだ何も決まっていないのだけれど。
     彼女が同じ家に暮らしているのであれば、そのあたりの相談はむしろ容易になる。対面で旅行誌でも眺めながら、あれやこれやと話をするのも楽しいだろう。
     彼女のバイト先もこの家からなら近いだろうし、同じ家に暮らしていれば送り迎えもできる。そういう意味では、この申し出は五条にとってもメリットのあることだ。
    「しばらくお世話になります」
     彼女はにこりと笑う。ん、と返事をして、五条はそれに頷いて見せた。
     そういうわけで、八月の残りの期間、五条は彼女と一緒に暮らすことになった。
     もともと週の半分近くをこの家で過ごしていたために、そこまで生活自体は大きく変わらない。
     それでも、朝五条が目を覚ましてリビングに出てくると、すでに目を覚ました夏油が部屋着のままソファーでカフェオレを飲んでいたり。昼間にそのソファーでクッションを抱えてうたたねをするところが見られたり。そういった日常の一コマ一コマ、これまであまり見ることのなかったワンシーンが、自宅のリビングで繰り広げられているということに、五条は何とも言えぬ感慨を覚えた。
     晩ご飯何にする、とか、今日は何時にバイト終わるよ、とか。これまでも交わしたことのある言葉たちが、同じ家に暮らしているというだけで、日常の一部となって溶けていく。それがなんとも心地よく、そしてなんだか温かい。
     前世の記憶にある、高専の寮での生活にも似た日々だった。記憶の中の五条と夏油は、毎日のように互いの部屋を行き来して、何をするにも一緒で。その日々を、少しだけ懐かしく思い出す。
     朝は二人でのんびりと遅めの朝食をとり、一番暑い時間は外に出るのをやめて屋内でだらりと過ごし、夕方になったら夏油をバイト先まで送り、帰りに買い出しをして、また夜に彼女を迎えに行く。帰り道のコンビニでアイスを買って、部屋でテレビを見ながら食べたり。翌日にバイトがなければ、そのまま二人で朝までゲームをしたり、映画を見たり。そうして昼近くまで眠って、眠い目をこすって二人でまた食事をとったり。
     リビングに敷いた布団は、すっかり夏油のものになった。日中はさすがに邪魔だからと隅にたたんでおくけれど、昼寝をするときにはその綿にぽすんと埋もれるようにして横になる姿も見られた。
     せっかく一緒にいるんだから、外に出かけてもいいのだけれど。あいにくと部屋の外は真夏の暑さで、そこにわざわざ飛び込む気力は二人そろって持ち合わせておらず。結局家でのんびり過ごすのが基本となってしまった。
     八月も終わりに差し掛かったころ。彼女が五条の家にやってきてから、およそ十日が過ぎたあたりで、ようやく五条は彼女を旅行に誘った。
     夏油のバイトの予定が空いた三日間。都心からそう遠くない海水浴場に、彼の親類のつてでいい宿が取れたので。
    「つーことで、明日から海行こ」
    「また急だねえ」
     夏油のバイト終わりの深夜一時。いつものように彼女を迎えに行って連れて帰ってきた五条は、取り寄せた宿のパンフレットと周辺地域の観光案内をテーブルに広げた。
    「いいけど、私お金ないよ」
    「いーよ、そんなこと気にしなくて。俺が行きたいだけだし」
     もとより宿はランクからしたら破格の値段だ。自分が言い出したことだし、夏油に金銭的に余裕がないことは百も承知だし、この旅行にかかる費用は五条が自分で出すつもりでいた。
    「傑がいなくても行くつもりだったし、俺が勝手に連れてくだけだから、傑に金出せなんて言わねーよ」
     五条の言葉を聞きながら、夏油はテーブルに広げられたパンフレットを手に取って、ぱらぱらとめくった。
     青い空に溶け込むような大海原。ぽつぽつと浮かぶ白い雲、それよりいくらか淡く色づいた砂浜。そこに並ぶカラフルなビーチパラソル。夏の象徴のような写真の数々に、彼女の瞳がぱちぱちと瞬く。
    「悟がいいなら、お言葉に甘えるけど……本当にいいの?」
     その確認に、もちろんだ、と五条は頷いて見せる。
     本当であれば家入も誘いたかったのだけれど、こればかりは仕方ない。大学生活はまだまだ長いのだから、これから先いくらでもチャンスはあるだろう。
    「大学生の夏休みなんだから、それっぽいことの一つくらいしとくべきでしょ」
     そう言って五条が片目をつむって見せれば、彼女は「そうだね」と頷く。
    「嬉しいな。楽しみにしてる」
     手にしたパンフレットをきゅ、と抱きしめて、夏油はふわりと微笑んだ。



     翌朝、実家に言って用意させた車に荷物を積み込んで、二人はマンションを後にした。
     マンションの前に停められた乗用車、その運転席から降りてきた五条に、まだ眠そうな顔をした夏油は目を丸くする。
    「きみ、免許なんて持ってたの」
    「高校卒業して即取ったんだよね。こっち来てから乗る機会なかっただけ」
     驚いた表情の彼女に五条はくすくすと笑って、その手の中の荷物を受け取った。三日分の着替えだけを詰めたカバンをぽんとトランクに放り込んでから、恭しく助手席のドアを開いてやる。
     卒業当初の予定では、この夏休みを利用して夏油を探しに日本中をこの車で走り回る予定だったのだ。嬉しい誤算によりその予定は立ち消えて、こうして今日まで日の目を見ることなく、駐車場に眠っていてもらった。まさか入学式当日に夏油を見つけられるなんて、高校卒業直後の五条は思ってもみなかったのである。
     実際のところこの車はずっとマンションの駐車場に置いてあったのだけれど、通学には車はつかえないし、普段の生活では車よりも電車のほうが便利だ。どうせ自分のマンションなのだから駐車場代も気にする必要はないしと、ずっと放置していたのを、朝一番に洗車に行って、ガソリンも満タンに詰めてきたところだった。
     車が欲しい、と両親に伝えたところ、買い与えられそうになったのは一般的な相場から桁が一つ飛んだ高級車ばかりだった。予定では本当に文字通り、物理的に日本中を駆け巡るはずだったので、そんな高級車は要らないから乗りやすくてよく走る奴にして、と頼んだ結果、与えられたのがこの車である。
     背の高い五条にも運転しやすいよう、運転席を広くとれる大きめの乗用車。大学入学までの間に幾度か乗って遠出をしているが、こうして誰かを乗せて走るのは初めてだ。
     夏油はビッグシルエットの白いシャツにホットパンツ、それにウェッジソールのサンダルという、なんとも夏らしい出で立ちだった。
     夏の盛りは過ぎたとはいえ、まだまだ朝から暑い日が続いている。どこからか聞こえてくる蝉の声も、まだ夏が終わらないことを主張していた。
    「まあ乗りなよ」
    「……お邪魔します」
     いそいそと助手席に乗り込む夏油に、五条はくすりと笑って、静かに車を発進させた。
     行先はすでにナビに入力済みだった。隣に座ってシートベルトを締めた夏油に、五条はぽんと自分の端末を渡す。
    「何?」
    「なんかかけたい曲とかないの」
    「ええ、急に言われてもなあ」
     ロックを外した端末を適当に操作して、夏油はむむ、と考え込む仕草を見せる。しばらくそうして悩んだのちに、彼女は少し古いドライブナンバーを選択した。無線で接続されたカーオーディオから軽快なテンポの曲が流れだすと、五条はそれに小さく吹き出してしまった
    「ふは。懐メロじゃん」
    「うるさいな、いいだろ別に。ていうかこんな無防備にスマホ渡していいの?」
    「? なんで?」
    「連絡先とか見ちゃうよ?」
    「別にいいけど? 傑と硝子と学部の連中くらいしか、連絡してくるやついないし」
    「ええ……」
     その返事に夏油は若干呆れたように眉を下げた。なんだよ、と五条が唇を尖らせれば、「べつにぃ」との返事。
     五条からすれば、学部の連中と連絡先を交換しているだけでも褒めてもらいたいくらいなのだ。実際のところ彼らから連絡してくることはまれで、五条の方から連絡することはそれよりももっともっと稀で。高校のころからの付き合いの連中の連絡先もあるにはあるけれど、大学に入ってからは全く連絡を取っていなかった。あとは実家くらいだろうか。
     夏油と家入の連絡先だけあれば、五条には十分なのだ。それ以外の人間と積極的に関わるのは面倒だし、必要最低限のラインには到達しているのだから、それでいいだろうと。
     そう思っていたのだけれど、夏油にはどうやらそれが衝撃的だったようだ。
    「まあ悟だもんねえ」
     呆れたようにそう呟いた彼女に、五条はけらけらと笑った。
     夏の朝の日差しはきらきらとまぶしい。真昼にはアスファルトを焼いて空気をゆらゆらとゆがめるその熱波も、この時間帯にはそこまでの殺意を滲ませてはいない。
     街中を滑るように駆けていく車。その車窓の向こうには、日傘や帽子とともに道を歩く人々が次々と流れては見えなくなっていく。
     エアコンの聞いた車内は外の灼熱とは無縁だ。流れるドライブナンバーを鼻歌交じりに歌いながら、夏油は外の景色を眺めていた。
     東へ向かう車の中には、運転席側に直射日光が差し込んでくる。もう少し日が高くなればあまり関係なくなるのだろうけれど、まだ朝の時間、角度をつけて差し込む光に、五条は若干目を細めた。
     バックミラーの裏にしまってあったサングラスを、信号停止中に取り出せば、まじまじと隣の夏油の視線が彼の目元に向けられた。
    「なに?」
    「いや、サングラス。久しぶりに見たなと思って」
    「あー、普段してないもんな」
     今回の生でも、五条の瞳はかつてと同じく青空の色をたたえている。しかし同じなのは見た目だけで、その機能自体はほかの人間と何も変わらない。かつてのように、他人には決して見えないものが見えたりするわけではない。
     前世の五条がサングラスや目隠しをしていたのは、普段は目から入ってくる情報を極力絞るためだ。その必要のなくなった今世では、五条はサングラスをほとんど手にすることなく生活していた。
    「あの頃は真っ黒なやつしてたよね」
    「真っ黒でも見えたからなあ。今はもう無理」
    「そうなんだ」
     じっと視線を向ける夏油に、五条はくすりと笑って、せっかくかけたサングラスをカシャンと外してみせた。
    「はい」
    「?」
    「普通のサングラスかどうか、試してみなよ」
    「いいの?」
     受け取ったサングラスを、夏油はいそいそと顔に乗せる。彼女の目元を丸く彩るカラーガラス、そのガラスが落とす影が彼女の瞳にかかって、少しエキゾチックな雰囲気を醸し出す。
    「お、似合うじゃん」
    「ほんと?」
    「ほんとほんと。あとでお揃いで買う? 日差しキツそうだし」
    「いいね」
     くすくすと笑った彼女は、車が止まったタイミングでそのサングラスを再び五条の顔の上に戻してくれた。
     五条のかけていたのは男物だったが、女物の彼女に似合うものを探すのは楽しそうだ。
     どこかのサービスエリアで買えるかな。そんなことを考えながら、五条はグッとアクセルを踏み込む。高速道路の入り口がもう目の前に迫っていた。



     高速に乗ってから一時間ほど走ったところで、車はのんびりとサービスエリアに停まった。それぞれの扉から外に出た二人は、そろって大きく伸びをする。
     ううん、と声を上げた五条に、夏油は「お疲れ様」と声をかけた。
    「疲れたでしょ」
    「ん、久しぶりに運転したからちょっとね」
    「だよねえ」
     家を出た時から比べても、太陽はさらに高くまで登っていた。ぎらぎらと照りつける日差しが真っ直ぐに二人の体に突き刺さる。
     あつ、と呟いた夏油に、思い出したように五条は後部座席の扉を開く。
     夏油はそんな彼の動きに気づくことなく、サービスエリアの端の方へとひょこひょこと足を進めていった。
     高速道路の途中にできた広いスペース。周囲の土地よりも一段高いそこは比較的見晴らしがよく、熱い風が吹き抜けていく。
    「傑」
     その風の中を周囲を見回しながら歩いていた彼女に、後部座席の扉を閉めた五条が、その背後から声をかけた。遠くを眺める彼女の頭に、取り出したばかりの帽子をぽすんと被せてやる。
    「うわっ、なに?」
     彼が被せたのは大ぶりの麦わら帽子。紺色の細いリボンが巻き付いた、少しばかり目の荒いそれを両手で捕まえて、夏油は目を丸くした。
    「え、なんで?」
    「帽子、ないって言ってたでしょ」
    「言ったけど」
    「似合うかなと思って」
     実際彼女に被せてみたら、その黒髪や肌の色にその帽子の色はよく似合っていた。帽子のつばがつくる影が彼女の顔にかかる直射日光を遮っている。
     見上げる彼女はじわりと頬を上気させて、じっと五条に視線を向けている。何かを言いたげにもぐもぐと唇を動かして、しかし何をいうこともなく、くすりと一つ笑みをこぼして。
    「どう、似合う?」
     そう言って彼女は柔らかな笑みを顔に浮かべた。
     ーーどきん、と大きく心臓が一つ跳ねた。
     さらりと流れる髪が。ゆるく弧を描いて細まる瞳が。するんとシンプルに引かれたアイラインと、影にあってもなおきらりと光るアイシャドウの輝きが。じゅわっと色づいた唇が。小さくまるい輪郭が。ほのかに赤く色づいた白い陶器のような肌が。細い首が、そこにじわりと滲む汗が。ゆるいシルエットの下にある丸みを帯びた小さな体が。ホットパンツからしなやかに伸びる長い足が。ほっそりと小さな足が。
     視界に映るすべてが、夏油が「女」であることを、まざまざと訴えて。
     喉の奥がじり、とひりつくような感覚がした。それを見なかったことに、気づかなかったことにして、五条は体の奥へと押し込む。
    「俺が選んだんだから、似合うに決まってるだろ」
     そう言って、一瞬黙ってしまったことを誤魔化すように、麦わら帽子の上にポンと手を置いた。
    「なにそれ」
     五条のその一瞬の変調には気づかなかったのか、夏油はくすくすと笑う。
    「ありがとね。大事にするよ」
    「ん」
     頷いて返した五条に夏油はまたひとつにこりと笑みを浮かべて、それから手を差し出す。
    「行こ。お腹すいちゃった」
    「そうだな」
     差し出された手。ほんの一瞬だけ迷ってから、五条はその手のひらに自分の手を重ねて、捕まえた。
     彼女には何の意図もないのだ。彼女にとってはこれは歩調を合わせるためだけのもので、それ以外の考えなんてない。五条にもそれはわかっている。
     はあ、と内心で彼はため息をついて、緩く首を振った。
     さっき一度大きく跳ねた心臓、その感覚がずっと体の奥に残っているような気がした。足元が急に半分砂地になってしまったような、そんな不安定な心地。
     旅行に出てきた途端にこれだ。こんな調子じゃあ先が思いやられる。
    「悟?」
     顔を覗き込む麦わら帽子姿の彼女に、五条は「なんでもない」と首を振った。
     真夏の日差し。上機嫌に鼻歌混じりの彼女の後に続いて、五条はサービスエリアの建物へと向かった。
     二人きりの二泊三日、旅はまだはじまったばかりである。
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    ☺👏
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    xxshinopipipi00

    SPUR ME7/30新刊サンプル第4話です。
    当主×呪専の五夏、唯一の1年生すぐるくんが五条家の当主様に気に入られる話。
    すぐるくんが五条のおうちに行く回です。モブが若干でしゃばる。

    前→https://poipiku.com/532896/9061911.html
    イカロスの翼 第4話 目の前に聳え立つ大きな門に、夏油はあんぐりと口を開けた。
     重厚な木の門である。その左右には白い漆喰の壁がはるか先まで繋がって、どこまで続くのか見当もつかない。
     唖然としている少年の後ろから、五条はすたすたと歩いてその門へと向かっていく。
     ぎぎ、と軋んだ音を立てて開く、身の丈の倍はあるだろう木製の扉。黒い蝶番は一体いつからこの扉を支えているのか、しかし手入れはしっかりされているらしく、汚れた様子もなく誇らしげにその動きを支えていた。
    「ようこそ、五条の本家へ」
     先に一歩敷地に入り、振り向きながら微笑んで見せる男。この男こそが、この途方もない空間の主であった。
     東京から、新幹線で三時間足らず。京都で下車した夏油を迎えにきたのは、磨き上げられた黒のリムジンだった。その後部座席でにこにこと手を振る見知った顔に、僅かばかり緊張していた夏油は少しだけその緊張が解けるように感じていたのだけれど。
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