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    xxshinopipipi00

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    7/30新刊サンプル第4話です。
    当主×呪専の五夏、唯一の1年生すぐるくんが五条家の当主様に気に入られる話。
    すぐるくんが五条のおうちに行く回です。モブが若干でしゃばる。

    前→https://poipiku.com/532896/9061911.html

    イカロスの翼 第4話 目の前に聳え立つ大きな門に、夏油はあんぐりと口を開けた。
     重厚な木の門である。その左右には白い漆喰の壁がはるか先まで繋がって、どこまで続くのか見当もつかない。
     唖然としている少年の後ろから、五条はすたすたと歩いてその門へと向かっていく。
     ぎぎ、と軋んだ音を立てて開く、身の丈の倍はあるだろう木製の扉。黒い蝶番は一体いつからこの扉を支えているのか、しかし手入れはしっかりされているらしく、汚れた様子もなく誇らしげにその動きを支えていた。
    「ようこそ、五条の本家へ」
     先に一歩敷地に入り、振り向きながら微笑んで見せる男。この男こそが、この途方もない空間の主であった。
     東京から、新幹線で三時間足らず。京都で下車した夏油を迎えにきたのは、磨き上げられた黒のリムジンだった。その後部座席でにこにこと手を振る見知った顔に、僅かばかり緊張していた夏油は少しだけその緊張が解けるように感じていたのだけれど。
     実際到着してみると、改めてその威容に落ち着かない気分になる。こんなに緊張したのは初の単独任務の時以来だろうか。
     夏油が二級を飛ばして準一級に昇格してから一ヶ月。五条悟から高専宛に、「夏油傑を五条の本家に招待するから寄越せ」という旨の連絡があったのは、数日前のことだった。
     高専に連絡がきたタイミングでちょうど任務に出ていた夏油は、帰投直後教師陣に捕まえられ、その連絡を知らされる。それから二日ほど、通常授業を全部放り出して、最低限のマナーやら作法やら、ありとあらゆることをこれでもかとばかりに詰め込まれ。
     無礼なことをするな、粗相のないように、と何十回と繰り返し言い聞かされて、京都に一人送られたのである。本当なら夜蛾あたりが監督者としてついていこうとしていたらしいのだけれど、五条家の方から「夏油傑だけ」とわざわざ指定があったので、無理を通すこともできなかったのだろう。
     そんな話を、夏油は迎えの車の中で五条に話して聞かせた。短期間で詰め込まれた礼儀作法も、すっかり打ち解けた五条の前では意味をなさなかった。
     和装にサングラスという何とも不思議な取り合わせを身に着けた男は、夏油の話を穏やかな表情で聞いていた。
    「そんなことになってたんだ。大変だったね」
    「悟が高専に招待なんて出すからだろ。個人的に連絡してくれればよかったのに」
     ここ数日の苦労を思い出して、夏油は唇を尖らせる。くつくつと楽しそうに笑う五条は、ごめんごめん、と悪いとも思っていない様子で謝った。
    「個人的に呼んでもよかったんだけど、それだとまあちょっと……いろいろと面倒なことになるからさ。ちゃんと高専通して呼んだほうがいいと思って」
    「これより面倒なことになるって、どういうことだい」
     今回だって十分面倒だったろうに、とでも言いたげな彼の言葉に、夏油はその表情のまま拗ねた声で尋ねる。
    「大人はいろいろ面倒なんだよ。特に僕みたいな立場だと、余計にね」
    「ふーん。そういうものなんだ」
    「そういうものなの」
     五条の気にする事情というやつは、夏油には想像もつかなかった。そりゃあ、呪術御三家の筆頭ともいわれる五条家、その当主ともなれば、一挙手一投足が着目されてしかるべき、なのかもしれないけれど。
    「なんだか窮屈そうだね、悟」
    「まあね。これもお勤めだからさ」
     夏油の言葉に、五条はそう答えて笑った。
     それがおよそ十分前。
     京都駅から車で三十分ほど走った先、遠くに見えていた山の稜線がずいぶん近くに見えだしたころ、車はこの門の前で止まり。
     そうして、五条はその威容に圧倒される夏油を、にこにこと本邸へと迎え入れたのだ。
     門をくぐった先には、いくつもの建物が軒を連ねていた。その間をつなぐように渡り廊下が巡らされ、丸くかかった橋の下には小川が流れているところもある。
     小学校の修学旅行で見に行った、古い大きな寺社を、夏油は思い出していた。比較的地元に近い場所にある大きな寺だった。本殿を中心にいくつもの建物が渡り廊下で結ばれて、小学生だった彼はその板張りの床がぎしぎしと音を立てるのを不安に思ったものだった。
     その時に見た寺社もずいぶん大きいと思ったが、五条の本家の規模はそんなものではなかった。
    「これ、全部五条の……?」
    「そ。向こうの山までぜーんぶね」
     そう言って五条が指さすのは、一番近くの山、ではなくそのさらに奥、三つか四つほど向こうにある、長く連なる山々である。向こうってどこのことだ、と夏油が目を回せば、彼は楽しそうにくすくすと笑った。
    「さ、おいで。資料はもう用意してあるから」
    「……うん」
     ぽん、と五条の手が少年の背を叩く。それに促されるままに、夏油は一歩を踏み出した。
     今回の呼び出しの趣旨を、夏油はすでに知らされていた。前回五条が高専を訪れたときに、予告されていたのだ。
     ――呪霊操術に関して、五条家でいくつか資料を保有している。
     それがその予告の内容である。
     非術師の家系に突如生まれた呪霊操術。呪術界の家系にもない珍しい術式ということで、術式に関する資料や情報がほとんどないことが、ここ最近の夏油のちょっとした悩みだった。
     何世代にもわたって受け継がれている術式は、先代、先々代の術師たちが自身の術式を研究した結果が資料として積み重ねられている。例えば五条のもつ無下限呪術も、その術式がどういうもので、どんなことができるのか、どういうところが弱点になるのかなどは研究されつくされている。一生をかけた研究を何世代も重ねた結果を、五条は文字が読めるようになってすぐ、物心ついたころには知識として会得していた。
     無論実際に使いこなせるようにするにはさらなる努力が必要なのだが、その前段階として、どうしても時間のかかる「研究」の部分が不要であるというだけで、習得までの時間はずいぶんと短縮される。
     一方、夏油のように前例の少ない術式は、術師本人がその研究から行わなくてはならない。自分一人でどこまで積み重ねられるかが鍵になるけれど、当然人間一人の人生なんてたかが知れている。他の術師が残した記録があればしなくて良い研究も、自分一人でしなくてはならないのだ。資料があるというのであれば、どんな些細なものでも目を通しておきたかった。
     初めて会った日から、五条は秘密裏に呪霊操術の資料を探させていた。調べていくと、過去に幾度か呪霊操術を利用する術師と五条の術師が争ったことがあるようで、その時の資料が分家の倉庫に残されていたらしい。
     どんな資料でも、今の夏油には貴重なものだ。五条が見せてくれるというのであれば、ぜひそれに甘えたい。
     それが今回の呼び出しの目的であった。
     五条が夏油を伴って屋敷に上がると、すぐさま一人の従者が彼のすぐそばへ駆け寄ってきた。
    「資料は?」
    「西の離れに」
    「僕の部屋に運び込んどいて。あと隣の部屋に支度を」
    「かしこまりました」
     端的な言葉だけを交わし、従者の男はその場を後にする。冷めた目をしていた彼は、しかし夏油に顔を向けるときには見慣れた笑顔になっていた。
    「うち無駄に広いから、はぐれないようにね」
     行こう、と彼は先を示した。こくりと頷いた夏油は、彼の背中を追いかけて、長い長い廊下へと一歩踏み出した。
     屋敷の中を幾度も曲がり、渡り廊下を越え、見知らぬ庭をいくつも眺め。そうしてたどり着いたのが彼の部屋──つまりは、当主の私室だった。
     隣の執務室と扉一枚隔てた先に、彼の部屋はあった。執務室が公の顔のための場所であれば、こちらは個人的なもののための部屋だ。寝所はこことは別にあるらしく、ここは完全に私物だけの部屋なのだと、五条は言った。
     部屋の中はひどく殺風景だった。私物だけ、と言うのであればもう少し何か物を置いても良いだろうに、その部屋にあるのはほとんど空の本棚と、ずいぶん古びた箪笥が一つだけ。それ以外は綺麗な畳が広がるだけの部屋である。
    「……何にもないんだね」
    「そう?」
     驚いて呟いた言葉に、五条は特に違和感を抱くでもなく首を傾げた。
    「こんなもんじゃない? 仕事にいるものは執務室にあるし、服も正装は別のところにしまってあるし」
    「趣味のものとかさぁ」
    「うーん、僕ってなんでもできるからさ、あんまり趣味らしい趣味ってないんだよね」
     現実のものへのこだわり、欲望といったものがほとんどないのだろう。飾るでも格好つけるでもなく言う彼に、夏油はなんと言えば良いかわからなくなってしまった。
     まだ半年ほどしか暮らしていない夏油の寮の部屋でも、もう少し家具はある。無論、夏油に与えられた場所はそこしかないのでその部屋に全てを集めているから、よけいにごちゃついて感じられるのかもしれないが。それにしたって、彼の部屋には生活感というものがまるでなかった。
     ──呪術師でない五条悟としての部分は、たったこれだけしかないのだと、言われているような気分で。夏油はなんだか胸の内がモヤモヤするような心地がする。
    「傑の部屋も見てみたいな」
    「寮の部屋でよければ。狭いけどね」
    「あはは、知ってる知ってる。僕も住んでたしね」
     それはそうだ。彼はあの学校を卒業しているのだから。五条悟があの寮の狭い部屋に暮らしているところなんて、想像もできないけれど。
     さて、と五条はその話題を切り上げるように、ぱん、と一つ手をたたいた。
    「本題はこちら」
     部屋の隅には、古びた書籍が何冊か積み上げられていた。ずいぶんボロボロのそれは手記を中心にした資料たちのようで、何やら手書きで表紙に文字があるものもある。
    「うちの書庫と倉庫にあった資料。一応中も改めたけど、そこそこ近い時代のだから、多分傑でも頑張れば読めるよ」
     一番上に積まれていたものを、夏油は試しに手に取ってみる。
     日に焼けた紙は少しざらっとしている。初めのページをめくってみれば、手記らしく手書きの文字が乱雑に罫線の上に踊っていた。
     青いインクの文字はどうやら日記のようである。報告書のメモのようなものなのだろう、その日の出来事に混じって筆者の経験した任務の話などが記されている。
    「読めそう?」
    「これはいけそう」
    「よかった。付箋貼ってあるあたりがそうだから」
     みればページの端からいくつか付箋が顔を出している。手記全体で関連するところを事前にチェックしてもらったようだ。
    「他のは式神使いの分家が持ってたやつとか、まあなんかいろいろ。参考になるかわかんないけど」
    「ううん、助かるよ。高専にはほとんど何にもなくてさ」
     入学してすぐの頃に補助監督を伴って一通り書庫の資料を当たったのだが、めぼしいものはなく。だからこうして複数の資料が出てくること自体が、夏油にはありがたいことだ。
     にこりと笑った夏油に、五条も柔らかく瞳を細めた。
    「こっちの部屋で読んでてもいいし、執務室来てもいいよ。他の部屋が良ければ用意させるし」
    「じゃあ、この部屋借りようかな。荷物適当に置いていい?」
    「もちろん。この建物の中なら好きに出歩いていいし、欲しいものあったら言って」
    「ありがとう」
     素直に礼を言えば、五条は満足そうに微笑んで頷いた。
    「じゃ、僕は執務室で仕事してるから。何かあったら顔出して」
    「うん」
     くしゃ、と五条の手が夏油の頭の上に乗った。その髪をかき混ぜるように撫でられて、夏油はくすぐったさに声をあげる。
    「そんな小さな子どもじゃないんだけど」
    「僕からしたら十分子どもだよ」
     照れ隠しに夏油はその手を振り払って、むす、と頬を膨らませた。けらけらと笑った大人の男は、ぽんと少年の肩を叩き、隣の部屋へと消えていった。



     日の落ちかかる屋敷の廊下を、夏油は周囲を見回しながら歩いていた。
     五条の私室で、用意してもらった資料を読むこと数時間。事前に該当箇所に付箋をつけてもらっていたこともあり、内容の確認自体は早々に済んでしまったのだけれど、それ以外の部分にも何かと参考になりそうなことが書いてあったのでそれに目を通していたら、あっという間に時間は過ぎていってしまっていた。
     トイレに行こうと立ち上がり、固まってしまった体を大きくのばす。ぐぐ、と背中を逸らすようにすれば、滞っていた血流が全身に再び巡っていくようだった。
     隣の執務室にいると言っていた五条は、しかし夏油が部屋から顔を出した時には、その部屋にはいなかった。
     歴史を感じる和のつくりになっている屋敷の中で、彼の部屋はずいぶんと現代的だった。床は板張りになっていて、重厚な木製のデスクとそれに見合ったつくりの椅子。キャビネットなどもしつらえられた、どこかの部屋の社長室のような部屋である。
     五条に一声かけてから部屋を出ようと思ったのだけれど、当の本人がいないのでは仕方ない。待っていてもいつ帰ってくるかはわからないし、屋敷の中は好きに出歩いていいとも言われていたので、夏油は彼の言葉に甘えることにした。
     持っている携帯を開くと、時刻は十八時半になろうとするところだった。一年で一番日の長い日を過ぎてから、およそ一か月。徐々に日は短くなっているのだろうが、まだ体感できるほどではない。
     五条はどこに行ったのだろうかと、夏油はふと考える。
     彼が忙しい人だというのは、よくよく知っているつもりだった。私室に入れてもらって資料を読んでいる間も、隣の執務室にはひっきりなしに来客があったし、おそらくは秘書の役割を務めているのだろう従者の声や足音もよくしていた。壁の向こうで仕事をする五条の気配を感じながら、隣の部屋にこもっているのは、なんだか不思議な気分だった。
     今日一日だけでも、その多忙さの一部を垣間見て、改めて夏油は彼の能力の高さ、そして彼のもとに集められている種々の権力というものを感じてしまった。その割には時間を作って夏油に会いに来てくれるし、夏油には気楽に接するようにと言うのだけれど。本当は、何の力も役目も果たさない学生がこんな風に甘えた態度で接していい存在ではないはずなのだ。
     まあ、そんなことを夏油がどれだけ考えたところで、あちらが勝手に距離を詰め、あちらが勝手に甘えさせようとしてくるのだけれど。
     そんなことをのんびりと考えながら、屋敷の中をうろうろと歩く。さっきの部屋にたどり着くまでに、トイレはここ、と案内があったのだけれど、その場所の記憶はすでにあいまいだ。暗くなった廊下は昼間とは雰囲気も異なり、道に迷ってしまいそうだった。
     それでもなんとか記憶を頼りに歩き、無事に用を足すと、夏油はそのまま元の部屋へと戻ろうと踵を返した。
     ──曲がり角の向こうから声が聞こえたのは、その時のことだった。
    「客? こんな屋敷の奥に?」
    「悟様のお気に入りのガキだってよ。呪術高専の」
    「ああ、最近悟様が夢中だっていう噂の? なんでまた本家に」
    「さあな」
     話しているのは、若い男たちのようだった。姿は見ていないのでどのくらいの年齢かはわからないが、声からすると五条とそう変わらない年のように思う。
     この屋敷の人間だろう。彼らの話題の中心にいるのは、他でもない夏油自身のことらしい。
     五条のお気に入りの子ども。なるほど、他者から見てもそう見えるのか、と夏油は少し驚いてしまった。
     彼らの話ぶりはなんだか不穏だ。夏油はとっさに壁に身を潜め、気配を消した。幸いなことに、彼らは夏油――当の本人がすぐそこにいる、ということには気づいていないらしい。
    「悟様もどうして急にあんな子どもに興味を持たれたのか」
    「非術師の家系出身らしいぞ」
    「へえ、それで呪霊操術なんて珍しい術式を?」
    「呪霊取り込むなんて、普通の術師にはできないだろ。生理的に無理」
    「それな。呪霊に頼らないと戦えないなんて、術師として恥ずかしくないのかね」
    「非術師の家系のガキだぞ、そんなこと思うかよ」
     げらげらと、彼らの下卑た笑い声が廊下にこだまする。その音を聞きながら、夏油は腹の内からじわりと滲む憤りに、ぐっと手のひらを握りしめた。
     舐めたことを、と内心で夏油は舌打ちでもしてやりたい気分だった。
     ここが五条家で、彼らが五条の本家にゆかりのある人間――つまりは五条悟に縁のある人間だから、何も言わずじっと黙って身を潜めているけれど。もしこれが街の往来や呪術高専の敷地内で、彼らが五条の家に関係のない術師だったら、迷わず彼らの前に出て行って「言いたいことがあるなら直接言えば?」と一発殴っているところだ。
     そんな夏油の内心も知らず、彼らはずいぶんと楽しそうに、夏油を貶める発言を重ねていった。
    「まったく、悟様もどうして非術師家系出身のガキなんかに目をかけるんだろうな」
    「さあな。術式を珍しがってるんじゃないのか」
    「へえ、術式様様ってか?」
    「実際、この前も呪霊操術に関する資料を探せって命じられただろ。今日はそれを見に来てるって噂だぞ」
    「御三家でもない平民の分際で、悟様に気に入られてるからって調子乗ってんのかね」
    「今回ばかりは悟様も見る目がないよなあ」
    「あんな平民よりも、五条家の術師にもっと目をかけてくれたっていいものを」
     彼らの陰口はどんどんエスカレートしていく。あの場にいる人間はみな、夏油傑という呪霊操術を持つ非術師出身の子供のことを気に入らないのだ。その不満を口にするのは、きっと彼らにとっては楽しいことなのだろう。
     いい加減好き勝手言われるのも耐え難く、どうにかしてこの場を立ち去りたくなってきたのだけれど、あいにくと夏油の向かう先は彼らのいる曲がり角を超えた先だ。横を通る必要まではなくとも、彼らのいる渡り廊下から見える場所を通過しないことには、夏油は五条の私室に戻ることはできない。
     なおも夏油を貶める話に花を咲かせる彼らに、夏油は細く息をついた。
     ――今までも、幾度となくこういう陰口は言われてきていた。
     ただの陰口であれば、それこそ呪術高専に来る前からずっとそうだ。自分が周りと違うことを自覚してからは、それに気づかれないように気を遣って立ち回るようにしていたのだけれど、それが気に食わないという人間ももちろんいる。
     呪術界に入ってからは、術式の希少性とたった一人の東京校の一年生ということで初めのうちはさして敵視されることもなく、大人たちには比較的大切にされてきたけれど、彼が異例の速度で準一級まで昇級することになったときには、随分妬みを買ってしまった。妬むくらいならその時間を鍛錬に当てろ、とどれだけ思ったかわからない。
     直接言ってくれれば対処のしようもあるだろうに、そういう連中に限って陰で好き勝手言うだけで、夏油本人を前にしたとたん何も言わなくなるのだ。まったく、その性根が理解できない分余計に腹が立つ。
     何よりも、彼らに自身が貶められることは、その自分に目をかけて時間を割いてくれている五条のことまで貶められているようで。それが一番、夏油にとっては許しがたいことだった。
     分かっている。五条が自分に興味を持っているのは、この術式の珍しさゆえだと。けれどそうだとしても、彼が夏油のことを見つけて選んでくれたという事実に変わりはない。
     夏油のことを貶めるのは、すなわち彼を見込んだ五条の目も貶めているのと同じだ。
     そのことが、夏油には一番堪えがたかった。自身の陰口を聞かされるよりも、よほどそちらの方が腹立たしい。
     けれどここは五条の屋敷で、彼らは五条の家の人間だ。招待してくれた五条にこんなことで迷惑をかけるわけにはいかない。
     諦めて彼らがどこかに行くまで、ここで耳をふさいでいることにしようと、夏油がその場にしゃがみ込もうとした、その時だった。
    「何? 僕の話? それとも傑の話? 楽しそうだね」
     聞こえた声に、夏油ははっと顔を上げた。
    「──さ、悟様」
    「どうしてここに」
     声の主は五条悟。この家の頂点に君臨する、現代最強の術師。
     陰口を叩いていた若者たちは、突如現れたその存在に慌てて口をつぐむ。しかし彼はその話をしっかり聞いていたのだろう。
    「どうしても何も。この先は僕の部屋だよ」
     くつくつとのどを鳴らすように笑って、彼らの隣をゆっくりと歩いて通り過ぎた。
     若者たちの向こうから、五条がこちらへまっすぐ歩いてくる足音がする。その足音は曲がり角のすぐ裏側で止まって、──そちらを見上げた夏油の瞳に、にこりと笑った五条の顔が映った。
    「傑、何してるの、こんなところで」
    「さ、とる」
    「──!!」
     角からひょこりと顔を覗かせた五条は、微笑んだまま夏油に手を差し伸べてみせた。その手をそろりと取れば、ぐいと強く引き上げられる。
     立ち上がってみれば、数人の若者たちが五条の後ろで真っ青な顔をしているのが見えた。
    「うちの馬鹿が悪いね。雑魚ほどよく吠えるのが御三家の悪いところだな」
     十把一絡げに雑魚と呼ばれた若者たちは、ひゅっと息を呑む。五条はすいとその若者たちへと視線を向けて、それから大きくため息をついた。
    「河原町の三男と白川の次男、それに七条堀川の三男。ふうん、なるほどね」
    「さ、悟様、これは」
    「違うんです悟様」
     どうやらあの若者たちは五条の分家筋の人間らしい。夏油には何が何やらわからないが、彼らの焦りようからして今呼ばれたのはきっと彼らの家の名前なのだろう。
     慌てて言い訳を口にしようとする彼らを、五条の青い瞳が冷めた色で見下ろす。
    「僕、お前たちに発言を許可した覚えはないんだけど」
     ――瞬間、空気がずん、と重くなるのを感じた。夏油の肩にものしかかるようなそのプレッシャーは、彼を助け起こした男から、彼の視線の先の若者たちへと向けられているらしかった。夏油が浴びているのはその余波なのだろう。
     直接向けられたわけでもないのに肩が重く感じられるほどのそれ。まともに正面から向けられた若者たちは、その場に膝から崩れ落ちて平伏する。
     自分よりも年上の男たちが三人。がくがくと肩を震わせて額づく様子は、夏油には初めて見るものだった。思わずそっと五条の和服の袖をつかんで、軽く引く。
    「悟」
    「ん? ああ、ごめん、怖がらせちゃったね」
     夏油がその名を呼べば、彼は苦笑いをこぼす。同時にふっと肩に感じていた圧力が消えて、夏油は小さく息をついた。
     少年の様子に気づいたのだろう。五条は眉を下げたまま、ごめんごめんと彼の肩を叩く。
    「悟、私は気にしてないから」
    「うーん、傑が気にするとか気にしないとか、そういう話じゃないんだよね。これは」
     はあ、とあからさまにため息をついて見せた五条に、平伏したままの三つの肩がそろってびくりと震えるのが見えた。
    「家の名前に胡坐かいてイキってさあ、みっともないったら」
    「悟」
     呆れた口調は、しかし確かに彼の内側の怒りの滲んだもので。まともに向けられている若者たちは、到底生きた心地がしないことだろう。
     呼び止めはしたものの、こういうときの家の中の作法とかルールとか、そういうものもあるのだろうと思うと、夏油はそれ以上何も言えなかった。
     彼ら――床に平身低頭して震える若者たちに対して、夏油はもう何も感じてはいなかった。もとより「顔を見て言え」という憤りはあったものの、彼らの言うことは嘘ではない。五条悟が自身に興味を持っているのは
    呪霊操術という珍しい術式のおかげだし、普通の感覚をもつ術師であれば呪霊を取り込むことに忌避感を覚えるの当然だと思う。
     彼らの感覚は至極正しい。だから、こんな風に五条が怒ることではない。そう言いたいのだけれど、どう伝えればいいのかが、今の夏油には分からなかった。
     呼び止める夏油の見上げる視線に、五条はまた一つため息をつく。
    「傑が優しくてよかったね。そうじゃなければ今頃、お前たちの頭と体はサヨナラしてたよ」
    「――!」
     ひときわ深く額づく男たちに、彼はひどく冷たい一瞥を向けた。
    「傑、部屋に戻ろう」
    「あ、うん……」
     背中に五条が手を添える、その手のひらに押し出されるように、夏油は若者たちに背を向ける。
     一歩先に進んだ夏油の後ろで、五条は床に伏せる男たちを見下して、ゆっくりと口を開いた。
    「――僕が傑を気に入ってるのはね。真面目で努力家で強かで素直で、強さに貪欲だからだよ。お前たちみたいな家の名前を笠に着てのうのうと生きてる、見栄ばっかりで任務にも参加しないような連中とは違ってね」
     わかった? との五条の言葉に、三つの頭は幾度も頷いた。
     彼の口にしたことに、振り向きざまの夏油は目をまん丸にして、彼の背中を見つめる。気が済んだのかくるりと振り返った五条は、夏油は自身を見つめていることに気づいて、にこりと笑った。
    「傑? どうかした?」
    「あ、いや……」
     五条の言葉が、胸に焼き付いて消えなかった。さあ行こう、ともう一度背中に手を添えた五条に連れられて、夏油はその場を後にする。
     服越しに背に触れる彼の手は、太陽のように熱い。
     夏油の視界から消えるまで、若者たちはずっとその場に平伏するばかりだった。



     執務室を通り過ぎた先、普段は客間として使われているというそこが、今日の夏油に与えられた部屋だった。先ほどの五条の私室とさして変わらない広さの、八畳ほどの和室である。床の間に盆栽や骨董品がかざられて、生活感こそないものの清潔で落ち着いた雰囲気のあるこの部屋に、今夜夏油は泊っていくことになっていた。
     五条に連れられてこの部屋へとやってきた夏油は、部屋に置かれた座布団の上にちょんと腰を下ろす。机を挟んだ正面に五条ものんびりと座って、それから「ごめんね」と口にした。
    「うちの若いのが嫌な思いさせて」
    「いや、気にしてないよ。本当に」
     笑って手を振って見せるも、五条は探るように夏油に視線を向けるばかりである。
     黙っていても内面を見透かされそうではあるけれど、まあ黙っておくほどのことでもない。夏油は自身の思ったことを素直に口にすることにした。
     自分に影口を言われたことよりも、その陰口を通じて自分に目をかけてくれている五条まで貶められるのが腹立たしい、と。
     五条はその青い瞳をぱちぱちと瞬かせる。それから一拍おいて、けらけらと笑い出した。
    「いや、やっぱり傑は面白いね」
    「……なんだよ」
     思ってもみなかった反応に、夏油はむす、と唇を尖らせる。
     彼が気に病んではいけないと思って、フォローの意味も込めて素直に話したのに。何が面白いというのか、じとりと彼を睨み返せば、五条は笑い交じりの声で「いや、ごめんごめん」と謝った。
    「傑のそういうところ、僕はすごくいいと思うよ」
    「含みのある言い方だけど。はっきり言ったらどうだい」
    「あはは、いやほんとにそう思ってる。うちの若いのにも見習わせたいね」
     僕の機嫌取ることばっか考えてるような連中にさ。
     そう言って彼は、笑いすぎて滲んだのだろう涙を、その指先ですいと払った。
    「御三家、なんて言われてるけど、別に貴族階級でもなんでもないんだよ。ただ古くから呪術界に根付いてきた一族だから、呪術の研究が進んでたり、呪力の多い人間が生まれやすかったりする。それだけなんだ」
     由緒ある一族ということは間違いないけれど、じゃあその血を引いているから偉いとか、その血を引いているから強いとか、そういうことはないのだ。家から一歩外に出れば、五条悟だって日本の法の元に縛られるただの人間だし、五条の血を引いていても術式や呪力に恵まれない人間は無数にいるし。結局のところ、生まれは確かにその人間を構成する要素として非常に重要なファクターではあるけれど、それがすべてというわけではない。優れた能力を持っていても、それを磨く努力ができなくては大成などするはずもなし。
    「その辺を勘違いする馬鹿が多くてさ」
    「なるほどね」
     五条の言いたいことは、夏油にも十分理解できた。五条が何を大切にしているのかということも。
    「僕が傑を気に入った理由もわかるでしょ」
     机に頬杖をついてにこりと笑う男に、夏油は困ったように眉を下げた。
    「……さっきのあれ、本当にそう思ってるの」
    「もちろん」
     五条はきっぱりと頷いた。
     ――そんな風に思われているなんて、夏油は想像もしなかった。
     自身の持つ術式が珍しいから、自分に生意気な口を利く子どもが面白いから、ちょっとした娯楽のような気分で構っているのだと。それだけのことだと思っていたのだけれど。
     夏油自身が想像するよりもずっと、五条悟は自身のもっと本質的な部分を評価してくれていたのだ。
     じわ、と体の奥から、むず痒くなるような感覚が滲む。喜びと照れくささと、ほんの少しの優越感に安堵。その感覚は顔まで這い上がり、彼の目元をじわりと赤く染める。
    「っ……」
     ふい、と夏油は顔を背ける。赤くなってしまった顔を隠すように。
     その様子に五条は楽し気に目を細め、くすりと笑ったのだった。
    「そろそろ夕食にしようか。この部屋に運ばせるから、一緒に食べよう」
    「本当に? 悟、忙しいんじゃないのかい」
    「いいのいいの。今日は傑が来るからって、会合とかの予定開けさせたんだから。ここで食べないと文句言われちゃう」
     傑が嫌なら別にいいけど、と冗談混じりに言う彼に、夏油は慌てて首を横に振る。その仕草に五条は瞳を細めて、そのままするりと立ち上がった。
    「僕はもうちょっとだけ仕事片付けてくるから、傑は好きに過ごしてて。他に何か見ておきたい資料とかあれば、取り寄せさせるよ」
    「いや、今のところは大丈夫。……仕事、がんばって」
     見上げた夏油が付け足した言葉に、五条はその青い瞳を一瞬丸くする。それからふわりとその口元を緩めて、美しい笑みを浮かべた。
    「ありがと」
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    xxshinopipipi00

    SPUR ME7/30新刊サンプル第4話です。
    当主×呪専の五夏、唯一の1年生すぐるくんが五条家の当主様に気に入られる話。
    すぐるくんが五条のおうちに行く回です。モブが若干でしゃばる。

    前→https://poipiku.com/532896/9061911.html
    イカロスの翼 第4話 目の前に聳え立つ大きな門に、夏油はあんぐりと口を開けた。
     重厚な木の門である。その左右には白い漆喰の壁がはるか先まで繋がって、どこまで続くのか見当もつかない。
     唖然としている少年の後ろから、五条はすたすたと歩いてその門へと向かっていく。
     ぎぎ、と軋んだ音を立てて開く、身の丈の倍はあるだろう木製の扉。黒い蝶番は一体いつからこの扉を支えているのか、しかし手入れはしっかりされているらしく、汚れた様子もなく誇らしげにその動きを支えていた。
    「ようこそ、五条の本家へ」
     先に一歩敷地に入り、振り向きながら微笑んで見せる男。この男こそが、この途方もない空間の主であった。
     東京から、新幹線で三時間足らず。京都で下車した夏油を迎えにきたのは、磨き上げられた黒のリムジンだった。その後部座席でにこにこと手を振る見知った顔に、僅かばかり緊張していた夏油は少しだけその緊張が解けるように感じていたのだけれど。
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