酔いどれ万理の失敗 万理が百にラビチャをしたのは、ほんの2時間前のことだった。明日は万理も百もオフだったので、一緒に飲まないかと誘った。しばらく経ってから百から問題ない旨の返信があったので、コンビニへ買い出しに向かった。缶チューハイを中心にお酒を吟味していると、万理のスマホが振動した。画面を確認すると、百からの賑やかなラビチャだった。
『いま上がりました! どこで飲むんですか?』
あれ、伝えてなかったっけ。ラビチャを遡ってみても、場所の言及をしていなかった。ぼうっとしていると百お店を予約しかねないので、急いで返信をする。
『ごめんね、伝え忘れてて。俺の家で飲もうと思ってたんだけど、大丈夫?』
すぐに既読がついた。おそらく、万理とのラビチャ画面を開いていたのだろう。少し間があって、メッセージが返ってきた。
『大丈夫です! 30分後にはバンさんの家に着けそうなので、もうちょっとだけ待っててください』
百の声が聞こえてきそうなラビチャに、思わず万理は頬が緩んだ。そっか、あと30分で来るのか。だったら何品か作ろうかな、と冷蔵庫の中を思い出しながら冷蔵品コーナーへ移動する。百は甘いお酒をよく飲むので、マリネとかがいいかも。それなら家に作り置きがあるし。お肉系はチーズを生ハムで巻いたものでいいだろう。ご飯ものとして、麻婆豆腐を作っておこうかな。絹ごし豆腐をかごに入れて、足早にコンビニを後にした。
家に戻って、時間のかかる麻婆豆腐から作ることにした。冷凍のひき肉をレンジで解凍しながら、フライパンで調味料を混ぜていく。豆板醤が使い切れそうだったので、いつもより多くなってしまったが全量入れる。辛い方がお酒も進むだろうと思うことにして、
容器を水ですすいだ分も加えた。甜麺醤と砂糖を気持ち多めに入れて、ピリ辛なタレに仕上がった。……後味がピリ辛では収まりきらないが、チューハイの力を信じよう。解凍の終わったひき肉を加えて、色が変わるまで炒める。色が変わったら、豆腐を加えて水溶き片栗粉でとろみをつけて完成だ。残り10分でチーズに生ハムを巻き付けて、皿に盛り付けるところまで終わるといいな。大皿に半分ほどつまみを盛り付けたところで、玄関から解錠音が聞こえた。次いで、控えめな「お邪魔します」の声。いらっしゃいと返して、百が上がってくるのを待つ。ガサガサとコンビニ袋が揺れる音がして、こりゃお酒が切れることはないなと万理は思う。再度お邪魔しますと言った百に、もうちょっと待っててねと万理が返す。
「あ、百くん。ご飯食べてきた?」
「実はまだなんですよね」
それならちょうど良かったと、万理がさっき作った麻婆豆腐を盛り付けて、ローテーブルに置く。ちょっと辛いから、気をつけてねと声をかければ、激辛じゃなければ大丈夫です! とにこにこで百が返してくれた。いただきますと両手を合わせてから食べ始めたのを確認して、万理はキッチンに戻る。手早く生ハムを巻き付けて、保存容器からマリネを不格好にならない程度に盛り付けた。自分の分の麻婆豆腐とつまみの大皿を持って、万理も百の隣に座る。意地でもソファに座らない百に倣って、万理もラグの上に腰を落ち着けた。最初は万理の家なのだから万理がソファに座るべきと主張していた百だが、最近は一緒の目線で食べることがめっきり多くなった。百は家でもこんなふうに食べているのだろうか。いや、百の家にはダイニングテーブルがあったなと万理は思い返して、思考を止めた。万理も両手を合わせて、食べ始める。
「やっぱ辛くない? 大丈夫?」
「実は結構ヒリヒリしてます……」
「言ってよ! ももりんいる?」
「お願いします……」
冷蔵庫にすっかり馴染んだももりんのストックから一本取りだして、百に手渡す。ごきゅごきゅと勢いよく飲み始めた百に、万理は脳内で反省会を始めた。いくら調味料を使い切りたかろうと、辛いのは自分だって嫌だろう? ごめんねと百に謝れば、ちょうど来週激辛ロケあったのでいい準備運動です! と気遣い100%の回答が飛んできた。次からは甘口の麻婆豆腐を作ろう。万理は冷蔵庫から冷やした缶チューハイを2本取り出して、1本を百に手渡して所定の位置に戻る。
「乾杯しよ?」
「はい! かんぱーい!」
「乾杯!」
カシュ、とプルタブを起こして、缶を合わせた。ごく、と喉を鳴らしながら嚥下する。ビールのようなのどごしはないが、しゅわしゅわと弾ける炭酸が体を走り抜けた。思わず「〜」という声が二人から出てしまって、顔を見合わせて笑った。ソファに背中を預けて地べたに並んで座りながら、缶チューハイを呷る。テレビを何となくつけて、ぼんやりと眺めながら他愛もない話をする。万理はまた飲み干してしまって、アルミ缶をぐしゃと潰してテーブルに並べた。つまみを口へ放りながら、また新しい缶を開ける。特にこれといった記念日でもないが、何となく飲みたかった。だんだん会話が噛み合わなくなってきて、ふへへだとかへにゃへにゃした笑い声を漏らしながら、百は万理の腕に絡みついた。友人以上の関係である二人は、それをきっかけに、部屋の雰囲気ががらりと変わった。先程までのふわふわした明るい雰囲気は消え、深くてあまい、所謂大人の空気が満ちる。万理は空いている方の手で百の輪郭を撫で、百はうっとりと目を細めた。そこからは言葉を交わさず、二人で生み出す快楽に溺れていった。煌々とした室内灯を背中にうけた万理の表情が、百の脳を支配していく。
気づけば室内には静寂が訪れていた。ずっと同じチャンネルを映し続けていたテレビも、自動タイマーで電源が切れていた。いつの間にか寝室に移動していた二人は、うまれたままの姿で抱き合って眠っていた。ふと、肌寒さから万理が目を覚ました。目の前で眠る百に少し驚きながら、昨夜の出来事を思い返す。百くんを家に呼んで一緒に飲んで、それから……、それから? 視線を下にやれば、裸体の自身と百が見えた。ああそうか、久しぶりに時間が合ったから舞い上がっちゃって……。万理はそこで思考を止めた。否、止まったのだ。目の前で健やかな寝息を立てる百の体に、無数の痣のようなものが散っている。どこかにぶつけたのか? 万理がそう思ったところで、ひとつの結論が導き出された。……これは恐らく、万理が自分の意思でつけたキスマークだろう。キスマークの付け方なんて、知識としかしか知らない。これまで付き合ってきたひとには、つけたことがない。今日はオフとはいえ、すぐに消えるものでは無いだろう。衣装を上手いこと着れば、痕はひとつも見えないようになっているというのがなんとも皮肉だ。