それだけじゃ足りない 「野球拳?」
とある晩酌の夜、ネロは耳慣れぬ単語を反芻した。グラスの酒をあおって身じろぐと黒塗りのソファが小さく鳴く。隣に居るブラッドリーは酒を呑みながらネロ特製のつまみに舌鼓をうっていた。
「前の賢者に聞いたんだよ。じゃんけんして、負けた方が服を1枚脱ぐらしい」
「―っ! はぁ!?」
ネロは酒を吹き出しそうになって何とか堪えた。
「だから、負けたら服脱ぐんだよ。」
ネロは賢者の世界のじゃんけんについて軽く反芻する。握りこぶしの形のグーは石、手を開いたパーは紙、人差し指と中指だけを立てたチョキはハサミを表す。グーにはパーが強く、パーにはチョキが強く、チョキにはグーが強い三つ巴。3種の手の形と関係さえ覚えれば簡単だ。こちらの世界の似た遊びに賢者が反応したのをきっかけに話が盛り上がって以来、魔法舎では賢者にあわせてじゃんけんが使われることが増えた。子ども達が夕飯の献立で揉めたときなどはじゃんけんの勝敗ですんなり決まるのでネロにとっては便利だった。
……という話は置いておいて、今は野球拳だ。ネロは酒を呷りながら素直な感想を口にした。
「へぇ…、変な遊びもあるもんだな」
「面白えだろ。やろうぜ」
「…………は?」
「やろうぜ、野球拳。今、ここで」
本当は野球拳について詳しく説明された時点でやる流れなんだろうと思わなくもなかったが、まさか本当に言い出すとは。――とは翌日のネロの言。少なくともこの時は、ネロもブラッドリーも強かに酔っていたのである。
「…………………いいけど」
「ハンデをやるよ」
ブラッドリーはニヤリと笑みを浮かべると、ジャケットのボタンを外して肩口をはだけた。雑な動作でありながら、なぜだか様になって見えるのがこの男の憎らしいところだ。野球拳のルールからして、初めに身につけている服が多ければ多いほど有利なのは目に見えている。勝つ気満々の顔といいわざわざこちらにハンデを寄越す余裕といい舐められている気がして癪だが、ネロはありがたく受け取っておくことにした。ブラッドリーは脱いだジャケットをソファの上に投げると、ネロに向き直った。
「それじゃあいくぜ」
「おう」
「「アウト!セーフ!よよいのよい!」」
◇
「………なんで…」
ネロは頭を抱えていた。傍らには先程までに脱がされた衣服の山。その中には審議の末に認められたシルバーのネックレスや靴なども含まれている。残る衣服はあらゆる意味でまさに最後の砦である下着のみ。
「そりゃさっき3連敗したからだろ。そろそろパターン変えたほうがいいぜ? ネロ」
対するブラッドリーは大きな傷口が残る上半身を惜しげもなく晒しているものの、スラックスやベルトはまだ身につけていた。
「そう気を落とすなよ。楽しもうぜ?―ベルトと指輪はまけといてやるからよ」
ブラッドリーはそう言いながら、指輪だらけの左手をそろりと腰のベルトに這わせる。ネロとあわせたままの目がスッと細められた。
次に来るのはチョキかパーか、はたまたグーか。
ネロは背に嫌な汗をかきながら、次の対戦へ足を踏み入れた。
終わってみれば酷くあっけないものだった。あの後ネロはブラッドリーのベルトにすら手をかけることすら叶わず最後の砦を破られてしまった。羞恥に悶えるネロをよそに、ブラッドリーはこの上なく口元をゆるゆるにしてネロの方に寄ってくる。恥ずかしくて死にそう…。いっそ今すぐに殺してほしい。
「まさか脱いで終わりとは言わねえよなぁ、ネロ?」
「は…? っふ、ぅ…!? ……ぁっ、クソ、」
ブラッドリーは耳元で囁きながらネロの股間を撫であげた。直接的な刺激に抗うことなくむくむくと育っていく自身にネロは悪態をつく。図らずも吐息が漏れ、脳を侵食する快感に呑まれていく。唇、頬を伝って首筋とキスを落とされれば、次第に体の力が抜けていった。ちゅ、ちゅ、と唇を啄まれながら肩を押され、行きつく先はソファだ。座面にネロの背を押し付けるとブラッドリーは唇を離し、獲物に狙いをつけた鷹のような眼で鋭くネロを見据える。
これはきっと最終確認だ。息吐く間もないキスに呼吸を乱しながらも、ネロは答えを出した。
「っ、来いよ、ブラッド」
「――《アドノポテンスム》」
ブラッドリーの身体に僅かながらに残った服も魔法で取り払われた。
一糸まとわず絡み合う肢体は、続く吐息ごとソファに沈み込んだ。