その後のヒューゴくん『映像制作会社、明け方に襲撃か』
都内××区の●●ビルに入っていた▲▲会社が本日未明、何者かによって不法侵入されていたことが分かった。
内部はガソリンらしきものを撒かれたうえで放火された疑いがあり、同会社は全焼。また電子機器類は破壊されたうえで、内部のデータ類はオンライン上に保存されていたものも含めすべて消去されていたという。
なお同会社は都内暴力団の傘下であり、所謂アダルトビデオの制作・編集を行っていた会社であるが、ビデオ出演の強要等、違法な営業を繰り返していたとして、本事件発生前より 捜査が進められていた。警察は今回の襲撃についても、会社内部をよく知る者の犯行として捜査を進める予定。
その日、都内のいくつかの新聞の隅に、小さな記事が掲載された。
だがそれは数多の人間がひしめく東京でもさして多くの人間の目に留まることなく、また記事を目にした数少ない人間の頭からも、翌日には忘れ去られた。
それから数か月後。
時刻は20時過ぎ。首都・東京から遠く離れた地方都市の歓楽街。
「ねぇ今日呑みに行かん? 行きつけのバーに、最近めっちゃイイ子がいるのよね~」
スーツ姿の女性が、隣を歩く背の高い男性にドンとぶつかりながら笑った。
「はぁ? 何度も言ってますよね? 俺、理想高いって」
ぶつかられてふんと鼻を鳴らした男はブランドものらしいダブルスーツを着こなしていて、すれ違う女性たちはみな、ちらりと彼を見遣っていく。
「あんたの審美眼は信用できない。時間を無駄にしたくないんで、帰ります」
「そう言うなって~! 今回はガチなのよ、ヤンチャそうなのにめっちゃ色っぽいの。絶対気に入るから!」
「……ていうかそいつ、ほんとに“こっち側”なんだろうな」
「それは間違いないよ。いつも左耳の片耳ピアスだし、次から次に男が口説きに行ってたし?」
「ゲイの界隈に無駄に詳しいの止めろ腐女子」
「ばっか、腐女子だから詳しいんでしょーが」
「婚期逃すぞ」
「うるさいぞ! いいの、自分がどうこうより推しのリアル恋愛見てる方が楽しいから~」
「勝手に俺を推すんじゃない」
「ごめ~ん」
あっはは、と笑ってから、女性は眼鏡を押し上げる。
「彼ってばガードが鉄壁でさ。遊び慣れてそうなのに、誰にも靡かないんだよな~。誰が行っても撃沈してんの。そこで私は、君ならって思ったわけよ、イケメンくん」
「はぁ……」
「私はね、あの子が落とされるのを見たいの。ね、お酒は奢るし私は遠くで見守ってるからさぁ~。お願いお願い~」
「言ったな、絶対奢ってくださいね」
「やった~♡」
あたし、プライドが高い後輩のイケメンが恋に落ちる瞬間も見たいのよね。
心の中で彼女は呟いて、楽しそうに笑った。
「いらっしゃい、琴葉サン」
カウンターの内側でやんわりと微笑んだ男に、思わず息を呑んだ。
「こんばんは!」
「そちらのお連れさんは?」
「会社の後輩なの」
「あ……椎名、って言います」
声が震えていなかっただろうか。椎名の心配を他所に、男はにこりと微笑んで告げた。
「いらっしゃいませ、椎名サン」
琴葉は本当に離れたテーブル席に座り、知り合いと話し込んでいる。一人カウンターに腰かけた椎名に、男は尋ねた。
「ご注文は?」
「あぁ……じゃあ、何かオススメを」
「ん」
白い指先が空のグラスに伸びた。椎名は男を視線で追いかける。ワックスでまとめられた淡い紫色の髪は、髪色としては大分トリッキーな色のはずなのにしっくりと嵌まり、それほど派手な印象を与えない。透けるように白い肌、ロゼワインの色をそのまま映したような、色素の薄い瞳。顔の造りは日本人だと思うのに、なんだか人外めいた危うさがある。
「綺麗な瞳の色だね。もとからその色だったみたいに似合ってる」
「どうも。……でも、ただのカラコンだよ」
男は微笑んだまま、肩を軽く竦めてみせた。そうしてカラカラと氷の混じるグラスを混ぜながら言う。
「残念だけど、俺はお手付きだぜ」
「……え?」
「眼が語ってるよ、椎名サン」
男は、おどけた口調でくすりと笑う。ちろりと投げられた悪戯な視線、薄紅色の瞳と目が合うだけで心臓が跳ねた。
「……マジか。口説く前に振られるとか……君のお相手は余程いい男らしい」
「……ふふ」
グラスの中身を移し替えながら、男は目を伏せる。
「あぁ。いい男だよ、俺のご主人サマは……俺はあの人の唯一なんだ」
幸せを噛みしめて、しかし哀愁をなぞるように呟く様子は、ぞくりとするくらい色っぽい。ぼうっと見入っていたところに、トマトの色を映したカクテルがカウンターに押し出される。
「さ、できた。俺のオススメ。『ブラッディ・メアリー』」
細められたロゼの瞳の横、間接照明に照らされて、左耳に嵌められた血の雫のように真っ赤な宝石がきらりと輝く。椎名はたまらず言った。
「なぁ。今日は諦めるけど、また口説きに来てもいい?」
「それは結構だけど」
男は首を傾げて微かに笑う。
「『ブルームーン』、奢ってやろっか」
「そう言わずに。……君の名前だけでも教えてくれ」
「名前?」
片眉を上げてみせた男は何が面白かったのか上機嫌に笑って、愉しげに告げた。
「『暁』さ」