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    エヌ原

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    エヌ原

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    アイドルマスターSideM古論クリスへ感情があるモブシリーズ3/5

    #vs古論クリスモブ
    vs.OldTheoryChrisMob
    #古論クリス
    oldTheoryChris
    #SideM

    大学職員の男 秋は忙しい。学祭があるからでもあるが、うちの大学では建前上は学生が運営しているので、せいぜいセキュリティに口を出す程度でいい。まず九月入学、卒業、編入の手続きがある。それから院試まわりの諸々、教科書販売のテントの手配、それに夏休みボケで学生証をなくしただとか履修登録を忘れただとかいう学生どもの対応、研究にかかりっきりで第一回の講義の準備ができてないから休講にしたいという教授の言い訳、ひたすらどうでもいいことの処理、エトセトラエトセトラ。おれはもちうるかぎりの愛校精神を発揮して手続きにあたるが、古いWindowsはかりかりと音を立てるばかりでちっとも前に進まない。すみませんねえ、今印刷出ますから。言いながらおれは笑顔を浮かべるのにいいかげん飽きている。おまえら、もうガッコ来なくていいよ。そんなにつらいなら。いやなら。おれはそう思いながら学割証明書を発行するためのパスワードを忘れたという学生に、いまだペーパーベースのパスワード再発行申請書を差し出す。本人確認は学生証でするが、受験の時に撮ったらしい詰襟黒髪の証明写真と、目の前でぐちぐち言いながらきたねえ字で名前を書いているピンク頭が同一人物かどうかはおれにはわからん。
     弊学は七限まであるのがウリのひとつであり、二十一時半まで講義がある。事務所は九時から開いているのだから五時なり六時なりで閉めるべきだとおれは思うが、上は「いざというときに困るから」ときっちり二十一時半までつきあわせる。時間外がやまほどつくのでありがたいといえばありがたいが、少子化の昨今、こんなどんぶり勘定でどこまで持ちこたえられるかは心配だ。
     閑話休題。ということでおれは本日二度目の休憩をとりに学食に行く。日替わりの定食はさばのみりん干し、骨をとるのが面倒なのでカレーにする。おれの夕食は五割ほどがカレーだ。グルテンフリーには縁がない。学食は一般にも開放されていて、この時間になると近所のじいさんばあさんやサラリーマンがメシを食いにくるので、ポロシャツにチノパンのおれは学生に見えなくもない。相対的にという話だが。
     カウンター席に腰かけてぬるいカレーをほおばる。甘くもなければ辛くもない、カレー粉の味しかしない。取り放題の福神漬けを添えてもう一口。食いながら周囲の声に聞き耳を立てる。就活が終わってないらしい学生の泣き言、代返の清算でああだこうだいう声、食器がガチャガチャ鳴り、教授どうしのあたりさわりない世間話、じいさんばあさんはいつも病気の話をしている。世はなべてこともなし。そう思いながら掲示物を見回す。演劇サークルのサブカルっぽいポスターがべたべた貼られている。落研はダジャレくさい名前のたぶん真打ではない落語家を呼ぶ。ビートルズ研究会はコピバンをやり、クイ研は早押しクイズ大会を開催、アニメサークルは声優らしい女がゲストだ。あ、これぜんぶ学祭の話。
     ぐるっと見回して、見終わったと思って席を立って、返却口にトレイを戻してから入口のガラス扉に貼ってあるポスターに気がついた。ウェイなみなさんがやってる一番デカいステージの出し物だ。そこにある男の姿をみとめておれは思わずげっと口に出してしまった。
     その男は去年まで弊学にて教鞭をおふるいになっており、おれたち大学職員から非常~ぅにウケが悪く、陰で名前を言ってはいけないあの人状態になっていた。そのあいつが、あいつが! いや、風の噂には聞いていた。というか弊学をやめるときにトラックと学生バイトの手配をしたのはおれだ。その時立ち話をして、次どうされるんっすかと、まあガッコの先生のことだから著作活動に入るとか、コメンテーターになるとか、あるいはもう学務はこりごりで在野でやっていくとか、おれはそういう答えを期待して聞いたのだった。
     そのあいつが。
     アイドルとしてご来校される。
     おれはポスターのそばに無造作に積まれていたチラシを一枚手に取って事務所に戻った。休憩時間は五分オーバーしていたが誰にも咎められなかった。おれはチラシを隣の席の小関に見せて言った。
    「これ見た?」
     おれより頻繁に学食に通っている小関は、顔をしかめながらうなずいた。
    「マジかよってかさあ、呼ぶなよ」
    「まだ履修してた学生いるだろうな」
     小関はおれが差し出したチラシを手に取ると、老眼のじいさんのようにやたら顔から離して見始める。
    「六年七年あたりだとゼミ出てたやつもいんじゃねえか」
    「……まあ大学の宣伝にはなるんじゃないのか」
    「じゃあよそでやれよ、よそで! 高校とか!」
     弊学の受験生の減少は喫緊の課題である。あいつが背中に学校名を背負って全国の進学校を行脚してくれるんならいい。弊学に来てどうするんだ。もうとっくに全員関係者じゃねえか。小関は裏面までじっくり読むと、チラシをおれに突き返しながら言った。
    「学祭には高校生もくる」
     そういう問題じゃあねえけど、おれももうあいつの話はしたくない気分になったのでデスクに戻って、後出しで更新申請がきたシラバスの作業を始めた。いや、もうとっくに履修申請終わってっから。自己満かよ。
     二十一時半に入口を閉め、二十二時に事務所自体を閉めて帰途につく。おれは学生時代から変わらない一駅乗ったところのアパートに学生時代から変わらないお値段で住んでいる。スーパーで半額のかつ丼と朝飯のヨーグルトを買って部屋に戻り、ゴミ箱に捨てていいものかめちゃくちゃ悩んだあげくかばんに入れて持って帰ってきてしまったチラシ(四つ折り)を開く。
     はー。アイドルねー。おれは女のアイドルはちょっとわかるが男のアイドルはほとんど知らない。ましてやあいつがアイドルになっただなんて本当に信じがたい。
     いや、あいつは本当に大変だったのだ。おれが弊学に就職したときにはまだ助手だったのだが、すでに噂は知れ渡っていた。四月一日に異常な量の稟議書を持って現れ、経理担当者、もちろん本当にただの経理担当で、やってることは事務所の小口現金の管理とかで、決裁権はいっさいないただの事務員にその稟議書に書かれた機械がどれだけすごいかを十五分にわたって熱弁したというのだ。それからシラバス。あいつのついてた教授のシラバスをあいつが代筆した〝論文〟というのも有名だった。まず海とはなにか。母なる地球の六割だか七割だかを占める海がどうたら。そこにときに孤独にときに仲間と挑む人間とは。みたいなことが流麗な文章で書かれていたらしい。それはシステムが受け付ける文字数をかんたんにキャパオーバーして、再提出、再々提出ぐらいになったときに教授が異変に気づいて自分で書くことでどうにか収まった。
     一事が万事とはよくいったもんで、あいつが助教になって講義を受け持つ――つまりまあ、好き勝手できるようになってからは、相変わらずくそ長えシラバス、離島に研究に行ったら台風で帰れなくなった休講のお知らせ、膨大な量の購入推奨文献リスト、そういうものが事務室に押し寄せ、また四月一週目のお試し履修登録であいつの講義をとった物好きが二週目でキャンセルしまくりシステムがエラーを吐く、おれはそういうのに同僚と一緒にひたすら対応した。いちおう先生様だから無下にもできねえし、ふつう出世するような人間が身につけてる腹芸とかご配慮とか忖度とかがミリもねえあいつはひたすらおれたちの時間を食い荒らした。
     それでもあいつが決定的に嫌われてなかったのは、そういうくそめんどくせえことごとのすべてが、自分のためではなく学生とか研究のために発生してた、ってのが理由だと思う。去年のコピペのシラバスをよこすやつ、私用の茶葉を研究費にしようとねじ込んでくるやつ、マジでこの世には救いがたい先生様がいらっしゃる。その点あいつは、まあ、率直に言うと頭はおかしいと思うが、理屈は通っていた。
     チラシを見る。メインゲストは最近Spotifyでよく名前を見る女のシンガーソングライターだ。あとはよく知らん。あいつのグループは上から四番目に名前があり、「本学出身!」という吹き出しがついている。出身、出身ねえ、プロ野球選手じゃねえんだからよ。裏っ返すとこまごましたタイムテーブルとか責任の所在を明らかにする但し書きみたいなのが並んでいて、一番下にQRコードがついている。読み取ると金がかかってそうなサイトが飛び出してきた。弊学のサイトよりよっぽど見やすいメニューから「GUEST」を叩く。女の宣材が目に飛び込んでくる、無視して下までスクロールする、途中にあいつの顔があった。
     おれが最後にあいつの顔を見たのはさっきも言ったが引っ越しのときだ。あいつの研究室に山と積まれてた本や書類や標本やよくわからん段ボールの箱を手配したトラックに手配した忍足が積んでいた。おれはあいつと二言三言話した、お疲れさまでした~とか、いや~短かったですねえ残念です~とか、そんなもんだ。そのときあいつはこの写真の5倍くらいキラキラした目で、「次があります」と言ったのだ。次、どうされるんすか、おれが世間話風にたのむから十五文字以内で答えてくれと思いながら振った話題にあいつは入れ食いのヤマメ(おれも川釣りはする)みたいに食いついてきた。
    「アイドルになります! そして」
     そして以下はよく覚えてねえ。なんかいつもどおり御託を述べていた気がする。おれはアイドルとかいうパンチラインにビビってしまい、そりゃあ確かにガッコのなかでは群を抜いて顔が整っているのは確かだが、研究以外に特技のねえ先生様であるあいつがアイドル、はあ、それは最近はやりの地下アイドルってやつですか?と思いながら一言「そうですか、がんばってってください」と平板に言ってそのそばを離れたのだった。そうだった。それがおれとあいつの接点のすべてで終わりだった。
     アイドルっつうのが歌って踊ってバラエティに出てあとなんかいろいろするらしいことはおれもこの仕事で学祭の見回りなんかをすることでわかってきた。だがおれの頭の中にあるあいつはあくまで研究バカで予算をとってくるのがうまくて気がつくとハンコが押された稟議書が回ってきてそこに名前があるめんどくせえ先生様だ。そいつが歌って踊る? あいつ便所サンダルでうろうろしてたのに? もしかして世間ではその便所サンダルがアイドルグッズになったりしてるんだろうか。おれはもう二人のイケメンと並んでいるあいつの顔を無駄にタップした。あんたの書いたくそ長ーいシラバスのせいでえー、おれは四月に働きすぎてー、住民税が上がったんですよおー。もっともそれもずいぶん前の話である。学生は一部を除いて入れ替わり、おれらは変わらず一年を繰り返している。
     おれはベッドから降りてかつ丼をチンして食った。チラシは机の端にのせて上からペットボトルでおさえた。湯気が立つかつ丼は普通にうまかったが、そういやおれはこのチラシを手に取ったときにカレーも食ってるわけで、三十路前の人間にしては食いすぎである。
     シャワーを浴びて戻るとチラシはまだそこにあった。ペットボトルの結露がたれて少しシワシワしてたが、あいつの顔のところは幸い濡れていなかった。幸い? いやわからんな。濡れてシワシワになってたほうが捨てられてよかったんじゃないか? おれは仕方なくそれを冷蔵庫に貼った。筆頭の女アイドルのファンみたいになったが、その女の頬はペットボトルの形にまるく濡れていた。
     翌朝おれは勤勉に八時に大学に着き、鍵を開け、職場中のパソコンのスイッチを入れて、学生と相対するカウンターを濡れ布巾で拭いた。こういうせせこましいことは嫌いではないので増え続けるポトスの鉢をひとつひとつ持ち上げてけつを拭いてやった。誰が差し芽をしてるんだかわからんが、枯れもしないフェイクグリーンよりはきっと酸素が出て具合がいいはずだ。
     おれが布巾を洗って絞って給湯室の物干しにかけ、今日一杯目のコーヒーを飲むべくコーヒーメーカーのスイッチを入れたところで小関がやってきた。小関はチャリ通でいっつもなんとかクリテリウムみたいなピチピチ服を着て現れる。そこから安いスーツとワイシャツに着替えるのは正直面倒ではないか?と俺なんかは思うのだがピチピチじゃないと縫い目が股に擦れて痛いらしい。
     普段ならすぐロッカーに向かう小関はおれに目を止めるとリュックから一枚のディスクを取り出して手裏剣みたいに投げてきた。
    「なんだよ」
    「昨日言ってたやつら、深夜番組に出てたから焼いてきたぞ」
    「はあ? あいつか?」
    「あいつだ」
     小関はもっともらしくうなずくとリュックを椅子に置いてロッカーに消えてしまう。おれはいやー円盤とかもらっても困るんですよねーという顔をして、とりあえずそいつを机にしまった。もうすぐ事務所を開けねばならん。あいつにかまっている暇はなかった。
     結局その日もいろんな紛失や過剰や連絡不足やプリンタの紙詰まりなどがあり、おれは昼も夜も学食でカレーを食った。小関は朝の出来事など知らん顔で淡々とエクセルを埋め、おれはカウンターでどうしても今日書類がないと奨学金がと泣きつく学生にいやならもっとはやくやれよと思いながらできうるかぎりの準備をしてやったりした。人波がやんだのは二十時過ぎだった。おれはもう完全にグロッキーで椅子の背もたれに体重をかけてだらーんとしていた。学生諸君も先生様諸氏もどうして大学って場所にいるやつらはみんな手続きが下手で時間を守れなくてハンコを忘れるのか。許しがたい。というか生協でハンコを売るように今度白石さんに頼もう。おれが貧弱な腹筋を使って起き上がると、小関が災害時くらいしかスイッチが入らないテレビをつけていた。
    「何見てんの」
    「Mステ」
    「あ、時間変わったんだっけ」
    「そう。出るっていうからさ」
     おれはいったん何が?幽霊が?と思ってからようやく今朝のことにたどりついて、椅子から跳ね起きると小関の座ってる古井さんの席の背もたれにしがみついた。
    「え、見んの? まじで? 怒られるよ?」
    「怒られないよ、音消してるし、予習だし」
    「学祭の? おれら関係なくね?」
     画面にはタモさんとテレ朝の女子アナが映って、そのとなりの空席になんとあいつらが現れた。うえ、うらやまし。タモさんだぜ。おれも会いたいわ。いやそうじゃねえ。なんか画面では音がないのでなんもわからんがあいつとタモさんが話している。あいつじゃないやつらも時折相槌を挟んでいるようだがあいつがメインでしゃべっている。うわ怖。生放送とあいつめちゃくちゃ相性悪いぞ。とおれが思った矢先にタモさんはすーっと手を伸ばして音がないおれにもわかるようにはっきり「じゃ、スタンバイどうぞ」と言った。あいつはすなおに席を立って左側に消える。
    「やべえ、タモさんすげえ」
    「講義時間守らせたな」
    「あいつ八限発生常連だったじゃねえか、やっぱプロすげー、タモさんすげーわ」
     タモさんが女子アナとちょこちょこ話をして、カメラが切り替わる。と、バンドを背負ってあいつら三人が青いステージに立っている。青。青って海か? おれがちょっと怖気だっていると曲のタイトルがぽんと表示される。とくにseaとかpacificとかそういうヤバそうな単語がないのを見ておれと小関は同時にため息をつく。そこからは音がないのでなんもわからなかったがとにかく画面はカッコよくカット割りされて、カメラワークはわりと激しく、たぶんサビらしいところであいつの横顔が抜かれ、それはおれがプロジェクターがぶっ壊れたとかいう話を聞いて教室を訪ねた時の間抜けな困り顔とはぜんぜんちがう顔で、はあこれがアイドルかと、おれは思いながらしばし見入った。
     やがて出番は終わってあいつらは汗ばんだ額をそのままにひな壇に座った。つぎのバンドの曲紹介をあいつはにこにこした顔で聞いていた。そこらへんで俺と小関も我に返り、テレビを消して自分の席に戻った。
    「いややべえな、アイドルみてえだったな」
    「学祭もちょっとした騒ぎになるんじゃないか、テレビ出た後だから」
    「げー、警備足りっかなあ」
     おれは引き出しから一度承認した学祭実行委員の警備プランを取り出してメインステージ周辺の人数を確かめる。ぶっちゃけもっとマイナーなアイドルだとばっかり思い込んでいたのでステージ回り十二人というプランに誰もなにも言わなかったのだが、タモさんと話すようなレベルとなると話は別だ。もう帰った課長に明日確認しよう、と思っておれは付箋に「タモさん級」と書いて貼って書類立てに戻した。
    「いやまじタモさんうらやましいな」
     おれがそう口走ったのを小関は横目で見て、地質学会にでも入ればいいんじゃないかと言った。いや、おれがタモさんを尊敬してるのは四ヶ国語麻雀のあたりで、けっしてブラタモリではない。河岸段丘には興味はない。だけどやっぱうらやましー。
     結局そのあとろくに学生も先生様も来なかったのでおれは小関と窓の戸締りを確認し事務所を閉めて帰路に着いた。小関はピチピチウエアに着替えるとくそ高いらしいチャリでさーっと消えてしまった。おれはちまちま電車に乗って家に戻った。冷蔵庫には変わらずあいつのチラシが貼ってあったが、タモさん効果ですこし輝いて見えた。
    「はー。あんた、ほんとにまじでアイドルやってるんすか」
     20XX年デビュー、と書かれたところを指でなぞる。退職してから半年後。こいつは毎年毎年桜が咲いて新入生が入ってきて新学期が始まって夏になって前期が終わって長い夏休みのあとに秋に後期が始まって冬を越えて卒業生を送り出してまた春に新入生が入ってくるエンドレスゲームから一抜けしたのだ。もっともおれは望んでそのループのなかにいるし、大学のたいていの関係者はそういうのが好きか、嫌いじゃないかどっちかのはずだ。こいつだって決して嫌いだったわけではないと思う。じゃないと先生様なんかにはならないはずだ。
     しかしアイドルねえ。おれはカバンを開くと朝小関が渡してきたディスクをプレイヤーに投げ込んだ。ファンと起動音がするので入力1に切り替える。再生ボタンを押すと昨日のとおんなじ曲らしい歌が途中から流れ出した。未来、希望、なんかそういう、あれだ、J-popあるある。それらを臆面もなく晴れ晴れと歌い上げる。生歌らしくちょっとピッチがずれるのもご愛敬ってか。おれはあの埃っぽい研究室からいろいろ、骨格標本とかよくわからん海外の本を運び出すのを見つめながらアイドルになります、と宣言したあいつの顔を思い浮かべる。未来、希望、それらはたしかにあいつにふさわしいのかもしれない。そしておれらは見捨てられたのかもしれない、とふと思った。毎年千人ちょっとの未来とか希望を受け入れ、多くの場合四年間を過ごさせて送り出す、おれらの仕事には希望はあるだろうか? 思いながら発泡酒のプルタブを開けて喉を焼く炭酸を流し込んだ。苦いだけのアルコールが鼻に抜ける。
     歌い終わったあいつらはMCの漫才師に迎えられて小粋なトークを始める。歌に込めた思いは? そうだな、とあいつではない男がしゃべりはじめ、おれはそれはどうでもいいのでカルパスを剥いてちびちび食いながらあいつにマイクが回ってくるのを待つ。やがてあいつがマイクを手に取って、しゃべりはじめる。大学でなんか教えてなかったみたいな顔で、海のように広い広い未来を届けたいといいはじめる。おれはそれをカルパスを噛みながら聞く。狭いキャンパスの端っこの事務室に未来はない。いやあるかもしれんがおれは探す気にはならない。アイドルになったあいつは日本国民全員に向かってもしかしたら訴えているのかもしれない。だとしたらおれらも見捨てられてないのか? 思いながらあいつの例えがだんだん深海のほうに傾いていくのをメンバーの若い奴が止めて、話を切り替えるのを見守る。そういやこういう役割のチューターはいなかったなあ。そういうのがいればあいつはもうちょっとおれらと一緒に仕事をしてくれただろうか。してもしかたない後悔のようなものをかじりながら、おれは発泡酒を飲み干して缶を置いた。学祭、ほんとうは手配さえ済めば休んでしまってもいいのだが、一回くらい生でご尊顔を、あらためて拝んでもいいか。そのときに元いた池に戻ったあいつはぜったい余計なことをしゃべりまくり、尺をオーバーするだろう、だけど今は、誰も叱らなかったシラバスと違って、隣でツッコミをいれてくれるやつらがいるようだから。
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    エヌ原

    DONEアイドルマスターSideM古論クリスに感情があるモブシリーズ4/5
    図書館の女 玄関に山と積まれた新聞の束を回収して、一番最初に開くのはスポーツ新聞だ。うちの館ではニッカンとスポニチをとっている。プロ野球も釣りも競馬も関係ない、後ろから開いて、芸能欄のほんの小さな四角形。そこにあの人はいる。
     最初に出会ったのはこの図書館でだった。私は時給980円で働いている。図書館司書になるためには実務経験が三年必要で、高卒で働いていた書店を思い切ってやめて司書補になり、前より安い給料で派遣として働き始めたのは本をめぐる資本主義に飽き飽きしてしまったからだ。
     べつに司書になったからって明るい未来が約束されているわけではない。いま公共の図書館スタッフはほとんどが今のわたしと同じ派遣で、司書資格があるからといって、いいことといえば時給が20円上がる程度だ。わたしはたまたま大学図書館に派遣されて、そこから2年、働いている。大学図書館というのは普通の図書館とはちょっと違うらしい。ここが一館目のわたしにはよくわからないけれど、まあ当然エプロンシアターとか絵本の選書なんかはないし、代わりに専門書とか外国の学術誌の整理がある。でもそれらの多くは正職員がきめることで、わたしはブックカバーをどれだけ速くかけられるかとか、学生の延滞にたいしてなるべく穏当なメールを書けるかとか、たまにあるレファレンス業務を国会図書館データベースと首ったけでこなすとか、そういうところだけを見られている。わたしもとにかく3年を過ごせればよかった。最初はほんとうにそう思っていた。
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    エヌ原

    DONEアイドルマスターSideM古論クリスへ感情があるモブシリーズ3/5
    大学職員の男 秋は忙しい。学祭があるからでもあるが、うちの大学では建前上は学生が運営しているので、せいぜいセキュリティに口を出す程度でいい。まず九月入学、卒業、編入の手続きがある。それから院試まわりの諸々、教科書販売のテントの手配、それに夏休みボケで学生証をなくしただとか履修登録を忘れただとかいう学生どもの対応、研究にかかりっきりで第一回の講義の準備ができてないから休講にしたいという教授の言い訳、ひたすらどうでもいいことの処理、エトセトラエトセトラ。おれはもちうるかぎりの愛校精神を発揮して手続きにあたるが、古いWindowsはかりかりと音を立てるばかりでちっとも前に進まない。すみませんねえ、今印刷出ますから。言いながらおれは笑顔を浮かべるのにいいかげん飽きている。おまえら、もうガッコ来なくていいよ。そんなにつらいなら。いやなら。おれはそう思いながら学割証明書を発行するためのパスワードを忘れたという学生に、いまだペーパーベースのパスワード再発行申請書を差し出す。本人確認は学生証でするが、受験の時に撮ったらしい詰襟黒髪の証明写真と、目の前でぐちぐち言いながらきたねえ字で名前を書いているピンク頭が同一人物かどうかはおれにはわからん。
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