アカポスの女 禁帯出のノートパソコンを鞄に滑り込ませる。肝心のデータにはどうせ学内ネットワークからしかアクセスできないのに、私はそれを盗まれることが怖い。誰かがワンタイムパスワードと生体認証とをクリアして、私の業績を自分のものにされるのが怖い。もう4,5年使っている、たしか博論の口頭試問が終わったときに買った、ヌメ革の陸地でしか使わないトートバッグはまだ1㎏を切らないノートパソコンの重みをしっかり受け止めてくれる。ラボの明かりを消そうとして10年近く前に自分が通ったのと同じ道を歩こうとしてる院生がpythonが生成したグラフからノイズを取り除こうと四苦八苦していることに気づいてやめる。ほどほどにするんだよと声をかけて、鍵をかけずに部屋を後にする。陸上では自分に義務付けている5センチのヒールの音に嫌な金属音が交じってかかとのゴムを取り換える時期がとうに過ぎていることを知らせる。だけどミスターミニットが開いてる時間に、30分だかの交換時間を捻出することは、今の私には難しい。
7659