特別なことは何もなかった。
誕生日でも記念日でも、Edenの新譜がリリースされた日でも、P≠NP予想が解明された日でも、どこかの遺跡から世界的大発見があった日でもない。本当にただ静かに過ぎ去っていくはずだったその日。
「……いばら」
「お腹空いたんですか? もうできますから、テーブル片付けておいてくださいね」
「茨、違う、こっちを向いて」
「はいはいもう少しですから」
「……茨」
あえて言えば、私がこんなに話しかけているのに茨の視線がぐつぐつと煮えるシチューから離れなかったことに苛立ちを覚えたから、だろうか。いいや、その時無理矢理顎を掴んでこちらを向かせた茨の混乱した顔が今まで見た中で一番間抜けで、可愛らしくて、だから、だろう。
「茨、私ね、茨のことが好き」
「……」
「茨のことが、好きなのだけど」
「……はあ、どうも?」
「……ちょっと、反応が薄すぎるんじゃないかな」
「いつもこんな感じだと思いますが……」
「いつも?」
「あれですよね、閣下がいつも仰ってる、愛すべき隣人になりたいとかいう」
「……私は本気なのだけど」
「本気と申されましても……いつもとなにが違うんですか?」
「……こういうこと」
ちゅう、とわざと音を立てるように茨に口付けた。た。初めてのキスはミルクの味がした。