「こんにちは殿下! あなたを拉致しに参りました! 文句は聞きますが、異論は認めません!」
控室の姿見の前でネクタイを整えていたところに突然茨が乗り込んできた。あまりの勢いの良さに観音開きの扉は壁にぶつかって音をたてて跳ね返っている。こんなに大きな音をたてたら二つ隣の控室にもきっと聞こえていることだろう。まずいことになったなと、どこか他人事のように思った。
ぼくに付けられた使用人はというと突然の強襲にぽかんと口を開けて呆けていて使えそうにない。うちに来て日が浅いけれど年齢が近いからと今日の付き添いに選ばれた彼には、予定外のこととはいえちょっとこの仕事は荷が重かったようだ。家に帰ったら教育し直してもらわないとね。まあ家に帰れるかはわからないのだけど。
「どうして」
「自分の情報収集力を甘く見られては困ります」
「そうじゃなくて」
「それこそ愚問でしょう。そうする必要があると自分が判断したからであります!」
「ぼくは頼んでないね!」
「あなたの意見は聞いていません!」
「茨!」
ずかずか遠慮なく乗り込んできた茨がぼくの手首をがっちりと掴んで出口へ向かう。そこでようやく固まっていた使用人がぼくたちの方へやってくるけれど、この子じゃ茨には勝てないだろう。口でも力でも。
「ひ、日和様の手を離しなさい! 警備員を呼びますよ!」
「あっはっは! どうぞご自由に!」
「茨ってば!」
「煩いな、あんたは黙って着いてくればいいんですよ!」
「ぼくが大人しくはいそうですか、というとでも思ったの? 着いて行けるわけないね、今日は」
「今日はお見合いだから、ですか?」
「……そうだね」
くるりと振り返った茨が器用に片眉だけ持ち上げる。先回りされて少し気まずいが、本当のことなので首肯した。ここに茨がいる時点で既にバレていることを今更隠し立てする必要はなかった。
「では尚更ぶち壊させていただきます!」
「そんなの許されると思ってるの!?」
「許す? 誰がですか? 神様にでも判断してもらうっていうんですか? 殿下も面白いことをおっしゃる!」
「ぼくが、だね! こんな狼藉、ぼくが許すと思っているのかね!?」
「それこそ自分はあなたの意見など聞いておりません! 最初に伝えたでしょう、異論は認めないと」
茨と可愛い口喧嘩になることは割とよくあることだったけれど、今日はそんなもの比じゃないくらいに彼は真剣で怖い顔をしていた。いつも以上に覇気があって、ぼくの方が背が高いはずなのに同じくらいかそれ以上に茨の存在が大きく感じられた。
「今日のオーディション、なぜ諦めたのですか」
「それは」
「あなたがアイドルの巴日和より巴家の次男坊を選んだということでしょう。なんと嘆かわしい。聡明な殿下の判断とはとても思えませんし、そんなもの、自分は認めません」
「ぼくの家の問題によそ者が口を挟まないでくれる?」
「よそ者? 寂しいこと言わないでくださいよ。ユニットメンバーじゃないですか」
ハン、とわざとらしく肩をすくめて、茨がぼくを鼻で笑う。
「あなたには技量があって、相手からもそれを望まれていて、誰がどう見ても当たり役で、どこにも断る要素はなかったでしょう。なのにこんなしょうもないことでできないと結論付けるなんてあまりに早計! 才能の飼い殺しにもほどがあります! ああ勿体ない勿体ない!俺はそういうやつが大っ嫌いなんですよ!」
「じゃあなんで迎えに来たりなんかしたんだね!」
「あんたの才能に賭けてるからだよ!」
茨が吠えた。吠えた、と形容するしかないくらい大きな声で叫んだので、至近距離で浴びてしまったぼくは一瞬言葉に詰まった。その間に、びりびりと肌が震えるほど力強い茨の声がぼくの目を覚まさせるように頭の奥まで入りこんで反響する。まるで音叉にでもなったみたいに内側から茨の熱量に当てられて体が震えた。
「まだ契約は解除してない! あんたはまだうちのアイドルだ! だから来ました!」
文句あるか、とでも言いたげな顔をした茨は、目を閉じて感情を整えるように軽く息を吸って細く長く吐き出した。再び開いた青い瞳には、もう先ほどまでの激情のかけらは見つけられなかった。
「……それに、殿下も心のどこかでこうなることを期待していたのではないですか? 本当に嫌なら、あなたは何をしてもこの手を振り払ったでしょう。なのにこうして大人しく繋がれたまま。あなたも諦められなかったのでは? アイドルの巴日和を」
それは間違いなくぼくの本音の一つだった。けれどぼくは一人のアイドルである前に巴家の日和だったから、どうやったって家族が望むぼくであろうとしてしまう。それがあの家で愛されるためのぼくの処世術だった。世界が広がってからもその武器を手放すことができず、時にそれがぼくを助け、時に苛む。被った仮面は皮膚となりいつの間にかぼく自身になってしまったから、もう自分ではどれが本当のぼくなのかわからないのだ。
「心優しい殿下には選べなかったのでしょう。愛すべきご家族か、我々か。お労しいことで。ですがその程度の悩みならば、一発で解決できる良い策があります。全部自分のせいにしてしまえばいいのです、殿下。いつものように、お前のせいで台無しだねと、怒ってくださればそれで良いのです」
「茨、」
「そのためのプロデューサーです。そのための副所長という肩書きです。さあ、笑ってください殿下。世界中に愛されるアイドルは常に笑顔でなくては。あなたが自分に教えてくれたことですよ」
騒動を聞きつけたのか相手の控室から使用人と主人と思われる男性が出てきた。扉から今回の見合い相手と思われる着飾った女性も顔を出す。僕が選ぼうとしていた未来。そして、今まさに捨てられようとしている未来。
茨が彼等の方に向き直り、お決まりの敬礼のポーズをとった。道化のような笑顔を貼り付けて深く腰を折り、まるでカーテンコールに現れた役者のように一層演技がかった挨拶をする。
「皆さまお騒がせしてしまい申し訳ありません。ですがうちの巴日和は世界一を取れるアイドルですので本日のお見合いとやはら申し訳ありませんが辞退させていただきます! なにかご意見がございますればどうぞコズミック・プロダクションの七種茨まで。なに、一生縛り付けるとは申しておりません、時期が来ればきちんとお返しいたします。そしてその時はアイドルとして今の百倍の価値をつけてお返しすることをお約束いたしますので、大船に乗った気持ちで送り出してくださって結構ですよ! では!」