エメ、トセルク、大好き!2 ~花の香り ヘルメスが先に向かった牙の園まで、4人で向かいます。
ノトスの感嘆からナビを利用してゼピュロスの喝采へ移動すると、道沿いに鮮やかな花畑が見えます。
「綺麗だね」
彼女がそちらを眺めて顔を綻ばせました。
「お花、皆好き。いろんなお花、創る」
そこには様々な花が所狭しと咲き誇っています。足元に隠れるように咲く細やかな小花から、手を伸ばせと木の上から誘うように咲く花、宙を踊るように舞う花、人を飲み込みそうな大きな花も見えます。花の創造者達が好き好きに種を撒いていくのです。
花は気持ちを伝える素敵なプレゼントのひとつだと聞いています。
「ねえねえ、皆で、花束、作りたい!」
3人を見上げると、ヒュトロダエウスが穏やかな顔を明るくします。
「いいね。楽しそうだ」
彼女は花畑を眺めて笑んでいます。
「お前たちだけでやれ」
エメトセルクは歩を緩めもしません。拒否されるだろうとは考えていたので、仕方なくそのまま花畑を後にします。
ナビを辿ってエウロスの冷笑に降り立ちます。池の上に巨大なテーブルを立てたかのような、その天板が牙の園です。石橋を渡れば、天に向けて口を開いたような奇妙な形の植物が見えます。渡りきると3人はそれぞれ顔を顰めました。
乾いた砂地から爪が突き上げたかのような植物や、茸の笠を積み重ねたような植物が見えますが、何より奇妙なのはジュルジュルと巨体を引き摺る創造植物です。崩れた団子状の頭が積み重なって山のような体を作り、根だったものなのか、いくつもの触手が震えています。体の前面には可愛い花が咲いているのですが、それを知るのはエルピスの者くらいでしょう。その醜悪な体からフシューと音を立てて淀んだ空気が噴き出されるのを見て、エメトセルクが「ウッ……」と呻きました。
「わたし、ヘルメス呼んでくる」
たじろぐ3人を待たせて牙の園へ足を踏み入れます。ここには何度か来たことがあります。創造植物に近づき過ぎず、気配を殺していれば大丈夫です。
「ヘルメスー!」
彼の姿が見当たらず呼びかけますが、返事はありません。仕事に集中してしまって聞こえていないのかもしれません。
呼びかけ続けながらあちこちを探します。すると、大きな影が伸びてきました。
「メーティオン!」
ヒュトロダエウスの声と共に振り返ると、醜い創造植物がグジュグジュと不快な音を響かせて向かってきています。
これに耳があったかな。そんなことが頭を過っていると、創造植物に飛びかかるような閃光が走りました。植物は体を蠢かせて向きを変えます。彼女が敵視をとって誘導しているのです。
私は辺りを探して、岩に隠れるように作業をしていたヘルメスを見つけました。
「ヘルメス、大変!」
彼を引っ張りながら状況を見せると、彼女は創造植物を何体も引き連れて逃げ回っていました。植物の忌まわしい嘆息に顔を覆っています。あちらこちらへ逃げていた彼女の足が縺れてぐらりと揺れました。
「ああ、いけない!」
ヘルメスは走り出して、ローブから液体の入った瓶を取り出しました。それを植物に投げつけます。瓶は創造植物の口に入り、ぴたりと停止しました。しばらく対象の時を止める薬が入っているのです。
瓶に気を取られているうちに、彼女が見当たらなくなりました。入口で騒動を見ていたエメトセルクの手から鎖のようなものが伸び、彼女の体を引っ張り寄せていました。
◆◇
「環境管理設備に不備が出たと報告を受けて点検していたんだが、どうもその間に循環不良になった個体がいたようだ」
ボイエテーン・オイコスの医務舎から一緒に出てきたヘルメスが、外で待っていた2人に説明しました。自らの体内で作った瘴気を吐き出せなくなった個体の気性が荒くなり、呼ぶ声で震えた大気エーテルに敏感に反応してしまったのではないかと。
「全く、どうしてあんなものが……」
「まだ試作中なんだ。創造した本人によると、本来は体内で様々なエーテルを混ぜて、他生物の餌となるように放出させたいんだそうだ」
「発想は面白いね」
彼女はその理想に満たない悍ましい瘴気を吸って気絶してしまったのです。彼女を創造植物から助け出したエメトセルクと、傍にいたヒュトロダエウスも酷い臭いを受けてしまいました。皆橋を引き返したところでヘルメスが用意していた消臭剤を使いましたが数が足りず、エメトセルクが指を鳴らして臭いを取り去りました。
悪臭を消したはずでも気分が優れず、彼女もエメトセルクの腕の中から起きる気配がないので、一旦ボイエテーン・オイコスまで引き上げてきたのです。
「メーティオン。怪我もなかったし、彼女は大丈夫」
ヘルメスが私を落ち着かせようと頭を撫でてくれました。彼に微笑み返します。
「さて、ワタシはシャワーを浴びさせてもらおうかな。メーティオン、まだ彼女が目覚めていなかったら、花束を作りに行こうか」
「いいの?!」
「自分も彼女を置いて進めたくはない。待ってもらっていいだろうか?」
私たちはエメトセルクを窺います。彼は腕を組んで眉を寄せ、溜め息をつきました。
「わかった」
◆◇
ヒュトロダエウスと再び花畑にやってきました。
私を庇ってくれた彼女に早く元気になってほしいと、願いながら花を探します。
花畑には色々な花が咲き乱れていますが、ある程度一塊になっており、花の名と込められた思いが書かれた札が立っているものもあります。
2人で同じ花を繁々とと眺めました。膝くらいの高さに真っ直ぐ伸びた茎に、小さな太陽のように咲く一輪の花。
『ガーベラ。希望、前進』
「主役はこれがよさそうだね」
私は大きく頷きました。
あとはそれぞれで選んで合わせようとなりました。
花畑を注意深く歩き回っていると、低木に小さな花火のように咲く花を見つけました。白や紅色のその花は可愛らしい小さな傘を広げて逆さにしたようで、蕾の膨らみは星が散りばめられたよう。
『カルミア。優美な女性、大きな希望』
これがいいと決めました。ヒュトロダエウスに相談しようと振り返ると、歩いてくるエメトセルクが目に入りました。駆け寄ると厭そうに目を逸らします。私が言葉をかける前に
「暇だから、適当に回っているだけだ」
と断られました。私はエメトセルクをまじまじと見つめます。
倒れた彼女を運ぶ間、緊急事態だったので集中してはいなかったのですが、その時心に飛び込んできたエメトセルクの想いを反芻します。
彼女の想いのようにはっきりと言葉になるようなものではありません。でも、心の芯から発する熱のような、確かにある気持ち。エーテルに満ちた人間から感じ取れるほどのデュナミスは、強い想いに違いありません。
エメトセルクは、彼女のことが……
「メーティオン、エメトセルク、これはどうだろう?」
ヒュトロダエウスが手を振っています。エメトセルクはなぜ私まで呼ぶんだと顔を顰め、ヒュトロダエウスとは逆の方へ歩き出しました。私はヒュトロダエウスの元へ向かいます。
彼の前にはガーベラに似た少し小ぶりな花が咲き誇っていました。
『ローダンセ。終わりのない友情』
2人で示し合わせたように笑顔を交わしました。
選んだ3つを合わせ、あれこれと相談しながら小花で整えていきます。エメトセルクは私たちには構わず花畑の中をのんびりと歩いていましたが、花束が出来上がった時にはいなくなっていました。
◆◇
出来上がった太陽と星が輝くような花束を抱えてボイエテーン・オイコスに帰ると、小川にかかった橋に彼女とエメトセルクがいました。私たちはぴたりと立ち止まります。ヒュトロダエウスと目を合わせて、2人に気づかれないようこっそり回り道をしようと向きを変えました。
「おい、ヘルメスを呼んで来い。再開だ」
ぎくりと振り向いた私たちを、エメトセルクの金の瞳が睨んでいました。
こちらに微笑む彼女の頬は赤らんでいるように見え、髪には白い五弁花が一房飾られていました。
◆◇
抱えていた彼女をベッドに下ろし、踵を返して医務舎を出る。外ではヒュトロダエウスが待っていた。紫の目を輝かせ、口元に手を当てて笑い出す。
「それにしても、厄介を引き受けて走り回る姿はホント……フフフ……そっくりだったね」
答えの代わりに深く憤りの溜め息をつく。
「おかげで仕事が進まない」
「たまにはいいじゃない。アーモロートに帰ればまた忙しい生活に戻るんだし、少しくらいゆっくりしてもさ。ヘルメスも気が変わるかもしれないし」
エメトセルクはやれやれと腕を広げて首を振った。
「休暇なら、もっと安らぐ場所でとりたいものだ」
医務員に指示をしていたヘルメスと、心配そうに彼女の傍にいたメーティオンが出てきた。
騒動の原因は解った。緊急の対処法は些か心許なく見えたが、後先を考えもせずに手を出した彼女が悪い。
ヒュトロダエウスのシャワーを浴びるという意見には大賛成だった。消したはずでも、あの体を突き刺し浸み込むような、思い返したくもない臭いがふと漂ってきそうで、非常に不快な状態だった。
湯を浴びローブを替え、持て余した時間にふらっと外へ出た。どこへともなく職員や創造生物、管理設備などを観察しながら歩くうちに花畑に足が向いていた。悪臭の記憶を消すように、花の香りを吸いたかったのかもしれない。
戯れるヒュトロダエウスとメーティオンは放っておき、ただ美しい花園を楽しんでいた。奥には不気味なほど大きな花が待ち構えるように咲いていて、背筋が震えて引き返した。
優美と感じる甘い香りがふわりと、次第にはっきりと鼻腔に満ち、どの花かと辺りを探す。細い木に茂った艶のある葉を埋め尽くすほどに、小さな白い五弁花が群れを作って咲いている。幹にかかった札に『ヤスミニウム』と書かれていた。
程よい距離で香りと花づきを楽しみ、束の間の安らぎを得てボイエテーン・オイコスへ戻った。
◆◇
小川の橋でぼんやりと立つ彼女がいた。一言苦言をと向かうと、こちらに気づいた彼女は一歩後退った。何かと訝しみながら傍らに立つと、彼女は落ち着かなさそうに自分の手を握り込んでいる。
「お前のせいで視察は中断だ。言うことはないのか?」
「すみませんでした」
彼女が深く頭を下げる。
「お前のせいで、こっちまで要らん体験をした」
「本当に、すみません……」
哀れなほど体を折りたたんでいるので、その後頭を軽く押した。彼女は短く呻いて体を起こすとまた一歩離れた。
「やけに殊勝じゃないか。……どうした?」
彼女は沈んだ表情でもごもごと答える。
「……残ってる気がして……臭いが……」
「ほう?」
恥じらう彼女につい悪戯心が湧いて顔を寄せてみせると、彼女は両手で顔を覆った。
「安心しろ。綺麗に消してやったから」
そうは言っても、消した自分でさえ不安だったことを思う。
指を鳴らして、先程楽しんだ花の一房を掌に乗せた。忽ち華やいだ香りが舞う。元が一本の枝になるよう余分な葉と花を摘んで川に流す。指の間から何をしているのかと覗いていた彼女の髪に挿した。
「それで、匂いの心配はしなくて済むだろう」
「……いい香り」
手を下げた彼女は何か言いたげに見上げてきたが、瞳が揺れて視線は伏せられ、静かに頬を染めた。花束を贈るより気軽だと考えてそうしたつもりが、その顔を見ていて何かとても照れ臭いことを仕出かした気になってきた。思わず視線を泳がせると、こそこそと道を迂回するヒュトロダエウスとメーティオンを見つけた。
「おい、ヘルメスを呼んで来い。再開だ」
◆◇
ラザハンに終末が襲う前。
都を知ろうとあちこちを回っているうちに、小さな民家の庭から賑やかな声と音楽が聞こえて覗いてみた。
見れば純白の民族衣装の男女が親しげな人々に囲まれており、結婚式だとわかった。この都市も重苦しい空気に蝕まれていたが、だからこそささやかに喜びを分かち合いたいと、新郎が宣誓していた。
幸せを体現した新婦の髪に白い花がいくつもあしらわれている。
「旅人さまも祝福してくださいますか?」
参列していた老女に声をかけられた。
「ええ。おめでとうございます。……この場に相応しい、いい香りがしますね」
「ああ、あれですよ」と老女は新婦を示した。
「ジャスミンの花です。この辺では、花嫁の髪にジャスミンを飾るのです。恋人にジャスミンの花を贈り、それを髪に飾って想いの通じている証とする。そんな風習があるもので」
「素敵ですね」
自分には縁遠い話だが、白い花に飾られた幸福をお裾分けしてもらったような香りに心が和んだ。
――つづく――