天国は月にあるらしい首のうしろから背骨がいたい。ぼんやりとした意識で始めに感じたのはそれだった。それから自覚した頬に固い感触に、自分が作業机で寝落ちたことを理解する。最近は前に作ったある演出装置を元にして別の用途で使える装置を組み立てていたから寝不足で、そのツケが回ってきたようだ。
寝起き特有のボンヤリとする視界を正すために何度かゆっくりと瞬きをする。けれど作業用ライトが眩しくて目を背面へとそらせば、まだ部屋の中は暗くて夜だということを理解する。
そのままソファーに目線を向ける。姿を確認しようとして目をこらしてみると、そこで寝ているはずの人がいなかった。
今日は練習のあと、ガレージへ一旦よってほしいと司くんへ頼んだ。ランドの都合で少し早めに帰ることになったので、先程話した改良装置の最終調整をその場で試しながら作業するためだった。寧々はえむくんともう少し一緒にいることになったらしく、僕たちは二人で帰路につくことになった。
もうすぐ到着するというところになって酷い雨に降られた。天気予報では雨が降るなんて一言も言ってなくて傘なんて持っておらず、折り畳み傘を出そうにもあまりにも酷すぎて開けば鞄の中は一気に餌食になるだろう。そう判断してふたりとも全力で走って僕の家へと転がり込んだ。
互いに全身濡れ鼠に近い状態で、着ているものは水分を吸ってしまっていた。制服をしぼれば水がでたくらいに。慌てて全身の水分をタオルで取りながら風呂を沸かして、風邪をひくといけないからとふたりで一緒に入浴を済ました。何度も一緒にはいっている仲なのでそこについては問題ない。
こんな天候では調整実験も出来なくて、通り雨かもしれないと風呂からあがってからは司くんの宿題の手伝いをして時間を潰して過ごす。けれど雨は弱まるどころかまた強くなったのではないかというほどになっていて、結局予定のことはなにもできずに困ってしまって。
ガレージの外をドアから見る司くんに僕は泊まっていきなよと引き留めた。折り畳み傘でもきっと頑張って帰れるし、傘を貸してあげれば安全に帰れる。けれど一緒にお風呂にはいって宿題を手伝って、そばにいてほしい気持ちによってしまっていた。
このまま一緒にいたいな。そんな言葉を裏に隠して提案した言葉を、司くんは僕の顔をほんのちょっと見つめたあとに「分かった。」と了承して家族に連絡をし始めた。
それから一緒にご飯を食べて、僕の持っている戯曲や小説を一緒に読んだ。彼と見て話がしてみたくて、のどから外れてしまってバラバラになった月世界旅行を見せたときには大袈裟な動きをして割れ物を扱うような手付きでページを摘まんでいて笑ってしまった。でも僕の大切なものだと分かっていて、きっと一等優しく扱ってくれたんだと思われる手付きにとても嬉しくなった。
そして読んでしまえば次々と演出の案が浮かんでくるのはいつものこと。司くんが目の前にいて話し合いができるのも相まって、紙を取り出して思い付いた案を書き出して思考することに没頭してしまう。そんな頭のまま作業台へ設計図を書きに座り込んで、あとはそのままだ。
こうなってしまえば僕は止まらない。経験上それを理解してくれている司くんはそれから一度だけ、どのくらいたっていたのかはわからないが肩を叩いてから「ソファー、貸してもらうからな。おやすみ。」と就寝の挨拶を言いに話しかけにきてくれて。丁寧にかけてもらった言葉を噛み締めながら返事をかえした。
そこからは設計図を一心不乱にひいていたはずだが、いつのまにか寝てしまったらしい。
そう、だから司くんが帰ってしまったとかそんなわけではないはずだ。トイレだろうか。部屋の中を観察するとガレージの出入り口になっているドアがすこし開いている。
もしかして外にいるのだろうか。雨の様子を見に出たのかもしれない。ドアをそのまま開いてみれば、そこには神秘的な景色があった。
外には司くんがいた。
雨はもう上がっていた。雲が月のある場所にだけない。まわりに避けて囲むように、またはその存在感を示すように。月だけを引き立たせるかのように夜空に敷き詰まっている。そんな星も見えない夜空の下。やわらかな月光のみに照らされながら彼は月を静かに見上げていた。
他の景色は暗くてあまり良く分からないのに、その綺麗な金髪に光があたって縁取りのように優しく輝いていている。
「ああ、類。起きたのか?」
司くんが振り返る。月明かりを背にしている姿はスポットライトを浴びているようで目を離せない。まるで天に焦がれて目指す人のようにも、楽園から来た天の使いのようにも見えてしまって、胸が暴れて苦しくなる。
ふとそんな光景に、昔母さんが僕にもいつか仲間ができるよ。と話してくれたことを何故か思い出した。こんなにも綺麗なのに、彼と頭上の輝く月しかないからだろうか。
けれど目の前の司くんは孤独のようには僕には全く感じられない。ならばその理由は、僕が彼のような人をずっと待っていたからなのだろう。
そうだ。ずっとずっと、うるさくて歩くのも辛い雨が上がって雲が晴れるのを待っていた。そうして晴れた光の下にいる人が、運命のような相手なのだろうと信じていたんだ。
「類?」
返事もせずに見つめていた僕に不思議そうに首を傾げる。
「いや、月が綺麗だなって。」
この場に出来たあらゆる感動を、有名な翻訳された愛の言葉に詰め込んで目の前の相手へと贈る。言葉を受け取った相手は、後ろの月にも負けない輝かんばかりの笑顔で言った。
「オレもそう思って見ていた!」