不衛生もほどほどにしてくれ「類!また睡眠を疎かにしたのか。このオレより既に大きいからといってもまだまだ成長期なんだ、せめて定期的な仮眠はとってくれ」
「菓子パンばかり食べるんじゃない。ほら、オレのイチゴをやろうではないか。……なに?これは野菜だから嫌だ?ええい、ほぼ果物同然だろう!いいから食べんか!!」
「それはなんだ?また何か作ったのか?……お前、いつ寝たんだ。二日前、だと?……ちゃんと寝ろと言ったよな……?」
最近、司くんが妙に口うるさい。
恐らく僕の不養生な行動に眉を吊り上げて腕を組んでは怒ってくる。それはもう、昔からの愛された設定である、世話焼きの幼馴染みのように。
前まではこんなことはなかったのだ。僕が演出案や発明品をもっていけば今度は何を持ってきたんだ?と目を輝かせて、楽しみで仕方ないとそれはもう全力で笑顔を浮かべてくれていた。
その期待を一身に詰め込んだような表情と様子に、僕の口角もつられて大きく上がってしまうくらいには。
確かにちょっと昔には何をされるのかという疑念から怯えていたこともあったけれど。こんな風に作ってきたものよりも真っ先に目くじらを立てるように、生活習慣を指摘されることなんてなかった。
ましてや食べるものにだって、栄養がどうとかはともかく強引に食べろだなんて口を出されることはなかったのだ。
何かしらを持っていけば前のような熱い目の輝きはなくて、無茶したんだろうと疑惑の冷えたような目線が一番はじめに飛んでくる。
お昼ご飯を食べているときや、台本と演出の擦り合わせで顔を付き合わせているときには、それはもう穴があくくらいには観察されてクマや顔色隠しのための化粧の濃さを視られる。
心配してくれること自体はありがたかったが、酷くそれが窮屈だった。
今の彼の態度は正直いって、僕にとってはつまらない。
彼が僕の演出の面白さを買ってくれていて、素直過ぎるほど暖かな称賛をくれていた故に尚更だ。
しかしそれで司くんとの関係に対する感情が悪化するわけでもなく、寧ろ寧々曰く僕と同じ「ショーバカ」と言われるような司くんが、急に心配を押し出したような態度をとり始めたことについて気になっていた。
司くんは真っ直ぐな人だ。だけど時々どこかに変な方向に飛んでいってしまう傾向があるから、今回もそうかもしれない。
彼の行動は何かに影響されたり、思考した故に行われるきちんとした、彼なりの原理がもちろんある。それが客観から見て理解のきくようなものではないのだとしてもだ。
こういう時は変に気にしてしまうよりも、真っ先に彼に訊いた方が早い。
嫌なことや気持ちがすれ違っているときは話せば彼はちゃんと受け止めてくれる。だから直接訪ねてしまえば素直な彼は最近の僕への言動について理由を白状してくれるだろう。これは過去の経験からくる、僕から彼への信頼だった。
もしこれで僕の作るものに前より心が踊らなくなった。だから心配の方が勝る。とか言われてしまったらどうしようか。自身の演出家としてのプライドにかけてもそんなことはないと思うけれど。
そも彼にとって僕の作るもの自体がマンネリならばハッキリと口にするだろう。彼のショーへかける熱意は、僕と同じだ。
大体、僕へのこの妙な態度は僕が無茶をしていると判断された時だけだ。やはりそれはありえないだろう。
そう、だからこそ、今回の僕と彼との居心地のいい関係に、何かが原因で水を刺されているかのような事態になっていることへ妙な許せなさが、心の底に静かにわいていた。
「類、今日はまた一段と化粧が濃いな……今回は何日寝ていないんだ?」
「司くん、それより最近よく僕の体調のことを気にしているよね。一体どうしたんだい」
昼休みの屋上で台本と演出の擦り合わせを行っていた最中。僕は司くんに直球に訊ねた。
「何でもないぞ。お前が倒れてしまわないか心配なだけだ」
彼は平然とした態度をしている。心配なだけ、は本心だろう。
だけど僕が知りたいのはそうじゃない。それを急に前面に押し出すことになった理由だ。必ず切っ掛けがあるはずだろう。
「司くん、僕は悲しいよ。最近は僕がもってきたものはまずそっちのけにして、やたら寝ろだの、食べろだの。前はそんなこと頻繁にいわなかったじゃあないか」
「いや、前から気はなっていたんだぞ?」
「それでも急にじゃないか。正直、居心地が悪くて仕方がないんだ」
態度を切り替えて、顔を手のひらの中に伏せて「よよ……」とわざとらしい泣き真似をしてみせる。
それを見た司くんは口を結んで少し考え込んでから、申し訳なさそうな顔を浮かべた。
僕は思わず目線を彼に合わせてじっと出方を観察してしまう。
珍しい、こういった猫かぶりのような類いの煽りにのってくるなんて。彼から言質を取るために煽りのせるならば基本的にはおだてるのが正解だ。
「……ちょっと前に、著名な作家が亡くなったニュースがよく流れていてな」
「あの人だね。僕も見たよ」
「そうか。……随分と根を詰めた生活を送っていたらしい。書くことに夢中で、睡眠も食事もろくに取らなかったのが原因だと、流れていたんだ」
「それが気になって仕方なくて、僕に口が出るようになった?」
「ああ。……お前が早死してしまう。そんな想像をしてしまったんだ。類の演出もショーも、オレは大好きなんだ。それが……お前の笑う顔も、老いる前に見れなくなるだなんて、そんなの嫌だ」
「だから少し過敏になっていたかもしれないな。らしくないことをした。すまない」
司くんは膝へと視線をおとして静かに話す。そこは拳が膝の上で固く握られていた。
鼻頭から目元が赤く染まっている彼の黒目をよく見ればうっすらと潤んで揺れていて。ひくりと動いた鼻からはズッと水をすすった音がした。
今度はこちらが口を閉じる番だった。
どうやら司くんとの関係に酷く甘えていたらしい。それをようやく今になって自覚する。
彼が楽しそうにしてくれていた態度が変化してしまって、それが気に入らなかった。
要するに拗ねていたのだ。僕は。
彼には病弱でついこないだまで入院していた妹さんがいる。どのくらいの重さだったのかはきいたことがないけれど、たまに彼から語られる話から、きっと親しい身内の死とずっと隣り合わせで生きてきたのだろう。
だから亡くなった作家の死因を見て、僕の不養生に人一倍不安になっても当然だ。
安心させたくて、ゆっくりと彼の拳を上から握る。骨の浮き出た甲の温かな体温が掌に広がっていく。
それに司くんは腕で目を擦って、僕にまるで心配させまいと向けて笑顔を作った。
その動作にこなれたものを感じ取ってしまって、僕は彼の触れてはいけない柔らかなところに知らずに食い込んでしまったのを強く感じとる。胸が痛い。
「……えいっ」
痛みをそのままに、僕は握った手をそのまま上に退けて、彼の膝の上にコロリと寝転んだ。
「う、わ!なんだ急に!」
「司くん。僕はね、今徹夜二日目なんだ」
「む……そうなのか」
「そうだよ。だから、急に眠たくなっちゃって。これからちょっと仮眠を取ろうと思うんだ」
寝転んだことにより僕の膝から落ちた、広げられていた台本を手元に寄せて閉じる。僕が本格的に眠ることにしたらしいことを動作から察した彼が驚いてぬれた目を見開く。
そして肩から力をぬいて、息をもらす音と共に苦笑を僕に向けていた。その呆れは甘んじて受け入れよう。今回しょうもなかったのは僕の方なのだから。
そうしてゆっくりと目を瞑る。
「なら、チャイムがなるまで膝を貸してやろう。このオレの膝でゆっくりと眠るがいい」
髪の毛を何度かすいて頭を撫でられる。僕なりの気まずくならないズルい謝罪を、司くんはちゃんと受け取って許してくれた合図だ。
言葉も言い回しこそいつもの司くんだったけれど、その声色はひどく優しいもので、彼の心の広さに沈んでいってしまう。
思い返してみれば、確かに最近は予定を詰めすぎていた。ゆっくり眠ったのはいつだったか。
みんなの喜ぶ顔を想像する度に浮かぶ発想に夢中になりすぎて、どうやら少し周りが見えなくなっていたようだ。今までこんな体験はなかったから、自身では気づけなかった。今回は気付けなかったことばかりだ。
僕も君たちが病気で終わってしまうだなんて想像なんてしたくないよ。まだまだ今もこの先も長く楽しんでいたい。
そんな司くんと同じ想いを、温かい固い膝の感触を感じながら考える。そうして意識はゆっくりとした睡魔とともに闇へと落ちていった。