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    yukuri

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    yukuri

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    🐑🔮
    忘れられない人がいる🐑に一目惚れをする🔮のお話です。

    #Psyborg
    psychborg
    #Cyphic

    ドラマティックフォーリンユー 真昼の空から星が落ちてきた。片手で受け止めきれないときめきは両手でも溢れてしまいそうなほど衝撃的な感情だった。
     この日、浮奇ヴィオレタは人生で初めて一目惚れというものを経験した。雪溶けの季節、場所は健康診断に来た病院でロマンチックの欠片もないけれど、そんなことはどうだって良かった。彼、ファルガー・オーヴィドに出会えたのだ。

     検査の合間、外の空気を吸いに中庭へ出た。澄んだ空気を肺に取り込み、ゆっくり深呼吸をする。なんとなく上げた視線の先に、人影が見えた。白衣を纏いすらっとした身長。ぼんやり見えた顔が寂しげで、気になって屋上へ足を運んだ。音に気がついて振り向いたファルガーの頬には、一筋の涙が伝う。儚くて、目を離したら消えてしまいそうな彼の手を掴まなくてはと本能が叫んだ。
    「あなたの名前は?」

     ファルガー・オーヴィドさん。病院に勤めている医師、年齢は今年で30歳。現在恋人はいないらしい。
     彼との距離が近くなるたびに、彼の言葉や仕草の細部からもその魅力的な人となりが浮き彫りになっていく。
     何回か連絡を取り合い、今では友人として食事に出かける仲だ。多忙な彼のスケジュールを伺いつつ浮奇が飲みに誘うのが定番となった。今までの恋愛遍歴と比べ、自分でも驚くほど健気で一途なアプローチなのだが、ファルガーに響いているのかはいまいち微妙なところだ。
    「お仕事お疲れ様です。今日は飲めるの?」
    「明日は遅番だし飲んでもいいかもな」
     行きつけの居酒屋、半個室に腰を掛ける。ファルガーはお酒に詳しく、楽しく飲む方法を知っている。対して浮奇はパーティーや仲間同士の集まりで、盛り上げるための道具として浴びるように酒を飲んでいたために自分の許容を未だ測れずにいる。似ても似つかない二人だが、お互いの話に耳を傾けて、時に冗談も交えながら、穏やかな空気感に包まれるこの時間は心地よい。

    「ここ、四針も縫ったんだな」
     談笑の一間、ファルガーの意識が浮奇の額の傷跡に注がれた。ひんやりした細く長いファルガーの指が浮奇の額に触れる。跡を見ただけで何針縫ったと分かるのはさすがお医者さんだ。
    「二年くらい前に、車とぶつかっちゃって。近くにいた人がすぐに救急車を呼んでくれたから大事には至らなかったんですけど」
    「そうか」
     慈しむような瞳。傷跡を撫でる指が優しくて、胸が締め付けられる。こんな風に人に優しく触れてもらったのはいつぶりだろう。
     どこか懐かしい心地に頭を委ねた。



    ピピピッピピピッ
     ズキズキと軋む頭にアラーム音が鳴り響く。二日酔いなんて何度経験しても慣れたものじゃないが、今日はいつもより楽だった。昨日、ファルガーに言われるまま沢山水を飲んだからかもしれない。断片的に、一つ一つ帰り道を思い出す。
     ファルガーと楽しく飲んで二軒目でもまた談笑しながらグラスを煽った。三軒目に行こうと言ったところで浮奇の足がもつれ始めたことに気がついたファルガーが解散しようと言い出し、文句を言う浮奇をタクシーの中に押し込んだ。
     タクシーに入ったところで記憶はぷつりと無くなっているが、無事に帰って来られたのだし、辛うじて住所くらいは言えたのだろう。自分のリミットを見極めてくれたファルガーに感謝をして、無意識下でもメイクを落としてから眠りに落ちた自分を褒めた。
    『昨日ちゃんと帰れたか?』
     携帯に通知音。ファルガーから心配のメッセージ。優しい彼は誰に対してもそうなのだろうが、今ファルガーの心配の目が自分に向いていることが、踊り出してしまいそうなほど嬉しい。
     優しいファルガーに釣り合うように一日一善、などとクラス目標のようなものを真剣に掲げてしまうくらいには、彼に夢中になっていた。


    『悪い、少し遅れそうだ』
     鏡に反射した携帯がぴかり。ファルガーの仕事が長引いているらしい。浮奇は帰宅後急いで化粧をしていたところだったので少し余裕が出来た。自然と流れる鼻歌に乗せてラメを散りばめる。今日行く予定のバーを思い浮かべ、店内が暗めだったことを思い出す。いつもより多めに乗せたアイシャドウをぼかして、香水をつければ完成。

     今日もまた楽しくグラスを傾け、気がつけば3杯目。彼の話に耳を傾けて、自分の話を気の向くままに口に出していると時間はあっという間に過ぎていく。バーテンダーにミックスナッツとドリンクのおかわりをお願いし、ファルガーに向き直る。
    「ファルガーさん」
    「ん?」
    「ファルガーさんって、好きな人とかいるんですか?」
     ゆらゆらと船の上に乗っているようなほろ酔い気分で尋ねる。出会ってからあまり時間は経っていないが、忙しい彼が自分に時間を割いてくれる、その意味を深読みしてしまえば、一抹の希望が生まれた。その希望は話す度、笑顔を見る度、彼の新たな一面を知る度、むくりむくりと膨らんでいく。
    「……」
     不自然な沈黙が生まれ、ファルガーの顔を覗き込んだ。気まづそうな表情を浮かべたファルガーの目は震えていた。
    「ファルガーさん…?」
    「…忘れられない人が居るんだ」
     膨らんだ期待が風船のように弾け飛び、破片があちこちに散らばった。
    「……前に付き合ってた人とか?」
    「ああ」
     頷く声は掠れていた。別れてから日が浅いのか、それほど好きだった相手なのか。どういう経緯だったにしろ、こんなに素敵な人と別れるなんてどうかしてる。事情を知らないことを棚に上げ、ファルガーの前の恋人に文句を垂れる。
     ファルガーの様子から伺うに、今も会っているというわけではなさそうだ。それに、数少ない休日を、最近は家で休むか浮奇と飲みに行って過ごしていると本人が話していた。
     それなら、まだチャンスはあるのではないか。別に振られたわけではないのだし、これから自分が彼の気持ちを塗り替える余地があるかもしれない。
    「どんな人だったのか、聞いても?」
     思い出すのも辛そうだったら話題を変えよう。と決めて尋ねた。
    「そうだな。彼は----」
     
     冷静な頭で帰宅して、そのままシャワーを浴びてベッドに倒れ込んだ。ファルガーの忘れられない人。その話が頭から離れない。
     どんな人なのか、説明しながら語るファルガーの顔は今まで見たことがないくらい甘かった。

    ー彼
     と言っていた。恋愛対象が男性も含まれるのだ。
    ー我儘でやきもち焼き。
     意外な恋人像が浮かび上がる。大人なファルガーのことだから、ファルガーに似たような特徴が出てくると思っていた。
    ーマイペースで寂しがり屋。
     自分もかなりマイペースで甘えたな自覚はあるが、どうだろう。自分では駄目だろうか。
    ーいじらしくて愛らしい。
     そう言葉に出したファルガーの瞳で煮詰まった愛は、名前も顔も分からない誰かに向けられている。羨ましくて心が揺れて仕方がない。

     好きな人の好きな人。幾つもの像を思い描いた脳内で、自分をどうにか当てはめようと試みる。自分を見繕って、誰かの代わりになろうとしている時点でもう結果は分かったようなもの。本当に好きになってもらえる可能性はゼロに近いと、前の恋人の話を語るファルガーの表情を見て悟ってしまった。

     ファルガーに想い人がいると知ってから数週間。なんとなく気持ちが乗らずにご飯に誘えず、ファルガーとは会えていない。自分から誘わないというだけで、こんなにも簡単に会う頻度が途切れてしまうのだ。ずきりと痛む心は癒えない。自分は目的地からまだまだ遠いところにいる。

     難儀な想いを抱えたまま、自分はどこに行くのだろう。彼と自分の気持ちは似ているようで平行線。報われる未来を必死に描いては、その線の曖昧さに涙が溢れた。



     その日、青く澄んだ空に浮かぶ宝石を見つけた。人生で初めて電流が流れるような刺激を経験した。脳内に浮かんだ一目惚れの文字から全身に流れて痺れる刺激は甘くて辛い。
     
     前の恋人との出会いは病院の屋上だった。朝の診察を終えて外の空気を吸いに中庭へ出た。ふと見上げた屋上に佇む彼を見つけて、その表情に心惹かれた。残り少ない休憩時間を確認して屋上まで駆け上がる。扉の音で振り向いた彼の瞳はまさに宝石のようで、その輝きに恋に落ちた。
    「名前を伺っても?」
    「……浮奇ヴィオレタです」

     これがファルガー・オーヴィドと元恋人、浮奇ヴィオレタの出会い。
     勤め先の病院に浮奇が健康診断に来て、出会った。休憩時間の終わりを示すアラーム音が鳴り、ちぎったメモに自分の番号を走り書いて渡した。とにかく必死だった。

     浮奇に一目惚れをしたファルガーからの猛アタックで始まった交際。年甲斐もなく浮かれて、忙しいスケジュールの中でもできる限り二人の時間を作った。デートにも沢山行ったし、溜まっていた有給を利用して旅行にも出掛けた。毎日のように愛を囁き合って、想い合った。
     いつの間にか、浮奇のことを想いながら過ごす日々が当たり前になり、その幸せがどれだけありがたいものなのか忘れてしまっていた。
     人と人の別れは突然にやってくる。医師である自分はそのことを誰よりもよく分かっていたはずなのに。幸せに胡座を描いてしまっていた。

     二年前、ファルガーと出掛けた先で、浮奇は交通事故に遭いファルガーに関する記憶を全て失った。
     車で出掛けた先は、星が綺麗に見える丘の上。当時、ファルガーの仕事が忙しく暫く二人で出掛けることが出来ていなかった。いつだったか、テレビで見かけて「いいな」と呟いていた浮奇を喜ばせたいと、連勤で寝不足であることも構わずに車を走らせた。丘の上に駐車して澄んだ空に浮かぶ星を眺める。幸運にも他の客はほとんどおらず、二人だけで満天の星を満喫できた。
     星に照らされる浮奇の横顔を眺めながら、車の中で少しの間眠りに落ちた。数分後に目を覚ますと、浮奇が拗ねた表情でこちらを見ていた。寂しい思いをさせてしまったからだと思ったファルガーは浮奇に謝り、頬にキスを落とした。浮奇は寂しくなった時、いつも以上に触れ合いを求めるから。しかし浮奇の本意は違っていた。
    「なんでふーふーちゃんが謝るの」
    「せっかく来たのに一人にさせて悪かった」
    「違うよ。疲れてるのに連れて来させた俺の方が悪い」
    「俺が来たくて来たんだ。それよりどうする?少し外に出て歩くか」
    「ううん、もう帰る」
    「俺のことなら心配しないでくれ。少し寝て目も覚めたし、浮奇が好きなだけいてくれていいんだ」
    「心配くらいさせてよ!俺だけがいつももらってばっかりで、こんなの嫌だ」
     浮奇が普段は荒げない声を上げて、溜まっていたものが爆発したように話し始めた。自分のために無理をしないでほしい。疲れた時は嘘をつかないでほしい。ファルガー自身のことをもっと大切にしてほしい。浮奇と居て疲れを感じたことなどないのだが、言葉足らずが裏目に出た。寝起きの頭に響いてくる浮奇の言葉は心をちくりと刺す。浮奇に嫌な思いをさせていた自分を心の中で責めていると、一通り思いを告げた浮奇が頭を冷やすと車の外に出た。
     ここで、すぐに追いかけていれば良かった。変に大人ぶって、お互い頭を冷やした方がいいなんて考えなければ良かった。
     暫くして、車を後にしたファルガーは丘を少し降ったところのバス停に暗闇の中で蹲る浮奇を見つけた。
    「浮奇--」
     ファルガーの声が、麓から走ってくるトラックのクラクションにかき消される。ここからは、スローモーションのように鮮明に覚えている。寝ぼけていた運転手が、瞬間、コントロールを失いガードレールに突っ込んだ。こちらに気が付いて立ち上がった浮奇がその事故に巻き込まれたのだ。
     心臓が止まったかと思った。トラックに跳ねられた浮奇の元に走り、出来る限りの止血と応急処置を試みる。すぐに救急車を呼んで、到着するまで、過呼吸になりながら浮奇を抱き締めて待った。

     浮奇が目を覚ますまでの数日間、生きた心地がしなかった。同僚からは仕事にならないなら休んだ方がいいと言われて休みをもらった。家にいてもやることがなく、浮奇の携帯を買いに出かけた。事故で粉々になった浮奇の携帯はバックアップが取れなかった為新品を購入する必要があったのだ。
     用事を全て終えたところで、浮奇との共通の友人、アルバーンからの着信を拾った。
    「どうした?」
    「今、お見舞いに来てて、浮奇が目を覚ましたんだけど、」
    「本当か!今からすぐに向かう」
    「待って。先にファルガーに話しておきたいことがあるんだ」

     目を覚ました浮奇に「ふーちゃんに今連絡するね」とアルバーンが言うと、浮奇ははてなを浮かべて「ふーちゃん?って誰?アルバーンの知り合い?」と尋ねた。
     精密検査で脳には何の異常もない。事故の衝撃で意識が混濁しているだけだと担当医師は結論付けたが、その後も浮奇がファルガーのことを思い出すことはなかった。
     事故の記憶も曖昧な浮奇に、痛くて怖かった記憶を思い出させるようなことはしたくない。部屋の窓から覗いた浮奇の顔を盗み見て、静かにこの恋に終止符を打った。
     合鍵を使って浮奇の部屋から自分の荷物や自分からの贈り物を纏めて引き取る。携帯のバックアップが取れていないお陰で、ファルガーの存在を思い出させるようなものは浮奇の周りから全て簡単に取り除かれた。幸い、浮奇自身も自分の記憶に関して疑問に思っていないようだ。ファルガーとの思い出は、友人の誰かとに置き換えられているのだろう。人間の脳は簡単に記憶を補填してくれる。それが正しい記憶かどうかは別として。

     浮奇がいない日々は単調に過ぎていく。仕事をして、家に帰って、寝て起きて、また仕事に行く。休みの日には楽しみに取っておいたアニメやオンラインで友人とのゲームを楽しむ。ただ、浮奇と出会う前の自分に戻っただけだ。
     唯一違うのは、何をしていても記憶の端に浮奇を想起してしてしまうこと。
     朝のアラーム、浮奇が泊まりに来る曜日だけは携帯のアラーム音を変えていた。いつもはサイレンのような音にしているが、大きな音が苦手だという浮奇に合わせて小鳥の鳴き声とチャイムが混じる穏やかな音に変えた。浮奇に教えてもらうまで、こんなアラーム音が自分の携帯に機能として内在されていることも知らなかった。穏やかな音で目覚めた朝に、隣で寝ている浮奇の顔を見ると満たされた気持ちになる。
     昼休憩、浮奇からのメッセージを確認するのが癖になっていた。道端で見つけた愛らしい植物、お昼に食べたパスタ、今度デートで行きたい場所。写真やスタンプで彩られたチャット履歴から浮奇の声が思い出される。ファルガーにはないアンテナを持っている浮奇が見せてくれる世界は、綺麗で美しくて愛おしい。
     アニメとゲーム。オタクと自称できるほどのめり込んでいる作品について語るファルガーの話を、浮奇は楽しそうに聞いてくれていた。二人で楽しめるゲームを見つけては、画面の前にスナックやお酒を用意して、二人で肩を寄せ合いながら夜を更した。好きなものをこんなにも近距離で誰かと分かち合ったことはなかった。好きな人と好きなことをする時間、この至福は自分が享受する枠を超えていて怖いくらいに幸せだった。

     浮奇が意識を戻してから、何度着信や通知に飛びついてしまったことか。浮奇の新しい携帯には、もう自分の名前は無いのだと頭では分かっているのに。機械越しに聞こえてくる柔らかい声色で紡がれる自分の名前に焦がれては、自分が連れ出した出先で事故に遭った浮奇への罪悪感で心が擦り切れる。

     浮奇との別れを決めてから約二年。診察の休憩時間、気が付いたら浮奇と出会った屋上に赴いていた。あの日も今日の空のように空気が澄んで天気が良かった。
    「ふーふーちゃん」
     脳内で何度も再生した浮奇の声。枯らしたと思っていた涙が自然に頬を伝った、その時。
     ガチャ
     扉が開く音が聞こえた。世界で一番会いたくて世界で一番遠ざけたい彼の姿があった。
    「…あなたの名前は?」

     真っ直ぐに向けられた紫の瞳に釣られて名を名乗り、浮奇のペースに乗せられるがまま週に一度ほど飲みに出かける仲になった。
     友人として改めて出会った浮奇は、ファルガーの知っている浮奇であり、ファルガーの知らない浮奇だった。食べ物の好み、行きつけの居酒屋やバーは付き合っていた時から変わらない。ファルガーに対する態度だけが違った。
     呼び方はさん付けで時折敬語が混じる。ふーふーちゃんというあだ名は昔浮奇がつけてくれたものだからこそ、「ファルガーさん」と呼ばれる度に現実に引き戻される。浮奇の優しさに甘えすぎてはいけない。今の関係はただの友人だ。
     いつ何のきっかけで浮奇が事故のことを思い出してしまうか分からない。あまり関わらない方がいいと分かっていても、浮奇からメッセージがあると無視をしたり断ることがどうしてもできなかった。

     好きな人がいるかと聞かれて、思い浮かんだのはもちろん浮奇。綺麗で男前で繊細な浮奇のことを語ってまた、思い出が蘇る。一人で抱えるには大切すぎる思い出たち。目の前の彼とまた共有することができたならどれほど幸せだろうか。また空想に耽り、暫くして現実に引き戻される。その繰り返し。
     好きな人の話をしたその日から、浮奇からの連絡がぱたりと途切れ、また彼のいない日常が戻った。

     灰色の雲に覆われた空からぽつり雨粒が落ちてくる。ポケットの携帯が示した着信の発信元は公衆電話。
    「もしもし」
    「……….」
    「えーと、どちらさま」
    「…ふーふーちゃん」
    「浮奇?」
     浮奇の声だ。それも事故に遭う前の。
    「全部思い出したの」
     浮奇の震えた語尾に背中を押されて浮奇の居場所を問う。同僚に半休を頼み込み、言われた目的地をナビに設定して車に乗り込んだ。



     ファルガーに連絡ができないまま、何日も惰性で日々を過ごした。どんよりした雲の下を散歩する気にもならなくて、暫く放置していた部屋の掃除をすることにした。棚から本を取り出して埃を叩く。半分ほど取り出したところで、本と本の間の小さな缶に気付く。クッキーの空き缶のようなもの。中にはパンフレットやチケットが大切に仕舞われていた。
     パンフレットは水族館や旅館。チケットの半券はプラネタリウムや映画館、ライブのものだった。確かにどれも行った記憶はある。でも一人で行ったのか誰かと行ったのかは曖昧だ。チケットはどれも、ここ二年以内の日付が記されている。
     最近の出来事をここまで不明瞭にしか思い出せない違和感。何かを間違えている気がする。大切な何か。
     一番底には小さな紙切れがあった。走った文字で記されたファルガーの名前と電話番号。自分は受け取った覚えの無いメモ書き。でも、どこか馴染みのあるような文字。文字を指でなぞった瞬間、全身に電気が走った。脳が軋む音がして、溢れんばかりの情報が一気に流れ込んできた。
    「信じてもらえないかもしれないが、」
    「、好きなんだ」
    「ありがとう、」
    「、浮奇」
    「……っ…浮奇」
    「好きだ」
    「浮奇」
     全て思い出した。ファルガーの恋人だった日々、その思い出。
    「ふーふーちゃん」
     頬を伝う一筋の涙が乾く前に家を飛び出して必死に走り出す。握りしめたのはファルガーのメモ書きと財布と鍵。携帯も持たずに電車に乗り込んだ。行き先はファルガーと最後のデートをした場所、星の丘。



     夕日が照らす丘の上、オレンジ色の影を纏った浮奇の背がベンチの上に浮かんでいた。
    「浮奇!」
     振り返った浮奇の姿が初めて出会った屋上の浮奇と重なった。三回目の君との出会い。
    「ふーふーちゃん!」
     二つの影が重なって一つになる。
     二人の糸は、絡まって解かれて交わって遠回りした末にまた結ばれる。
    「浮奇、辛い出来事を思い出させたな」
     事故の記憶を案じたファルガーの頬が、浮奇の細い指に摘まれる。ままならない発音でどうしたんだと疑問をぶつけるファルガー、浮奇の声は怒っているのか泣いているのか、弱く震えている。
    「ふーふーちゃんとの出来事は全部、俺にとって大切な思い出なの。喧嘩したことも事故に遭ったことも全部含めて。俺とふーふーちゃんだけのものなの」
    「浮奇、」
    「勝手に諦めないでよ。愛してるなら愛してるって言ってよ。俺は何度だってふーふーちゃんに恋するから」
    「ごめん、ありがとう」
     その二言が精一杯で、瞳に溜まった水が零れ落ちないように目線を上げる。
    「強く抱きしめて」
     腕の中に閉じ込めた愛おしい人、いつだって彼に焦がれた。付き合っている時も別れた後も再会してからも。どうやったって君に惚れる以外にない。
    「ふーふーちゃん、キスして」
     強請る声の懐かしさに、堰き止めていた雫が流れる。鼻と鼻がくっついて、どちらの涙かも分からないくらいにぐちゃぐちゃの顔を近づけてただひたすらに目の前の存在を確かめ合った。

     すっかり沈んだ日の跡に三日月が浮かぶ。周りには無数の星々。二人の再会を祝福するようにあの日と変わらない輝きで瞬く光の粒。
    「浮奇」
    「ん?」
    「なんでもない」
     こちらに向けられた微笑みはどの星よりも輝いて、たまらない気持ちになった。
    「ふーふーちゃん」
    「うん?」
    「ふふ、呼んだだけ」
     ゆるり解ける表情、同じ気持ちを共有している。流れ星を掴むよりも奇跡的な君との出会い。この世界に、運命というものがあるのなら、君と出会うことこそがそうだろう。どこにでもあるような平凡な人生に、君が突然降ってきた。もう離さない、離されないようと誓いを立てて絡む手を強く握った。



    「私とあの人、どっちが好きなの?!」

     迫真の表情で迫る女優、この春から始まったドラマはいよいよ最終回目前のようだ。主題歌が流れ、ドラマは佳境を迎えている。しかし、ファルガーの意識は箱の中の恋愛劇よりも隣に座ってぶすくれている恋人、浮奇に注がれていた。

     困ったことになった。ファルガーは文字通り頭を抱えて息を吐く。
     目の前には先日思いを確かめ合ったばかりの恋人、浮奇が可愛らしい頬をぷくりと膨らませてこちらを睨んでいる。
     浮奇と離れていた時の話が聞きたいと言われ、何ら変哲のない日々を語った。流れで浮奇と再会した時のこと、二人で食事に行った時の気持ちを話したのだが、どういう訳か浮奇はファルガーを思い出す前の自分に餅を焼き始めた。
    「記憶がない時の俺の方が良かったんだ」
    「そんなこと一言も言ってないだろう」
    「だって、その時の俺のことばっかり褒めるから」
    「二年の間を埋めようっていう流れからだな、」
    「俺のせいってこと?」
    「そうでもなくて」
     こうなった時の浮奇はかなり面倒だ。機嫌を直す言葉を選ぶのは針の穴に糸を通すより難しい。
    「面倒臭いって思ってるでしょ」
    「……ああ」
    「っ!?」
     ソファから立ち上がろうとする浮奇の腕を掴んで抱きしめる。
    「……なに」
    「すぐ拗ねて面倒臭いところも自分に妬くようなところも、全部愛してる」
     出会ってくれてありがとう。キザすぎる台詞は胸に留めて、精一杯の気持ちを込めて抱きしめた。
     ファルガーにとって、この世でたった一人のヒロインが、ゆるく結んだ腕の中で瞳をきらきら輝かせ、にこりと微笑んだ。
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    Replies from the creator

    yukuri

    DONE🦁🖋
    ボスになりたての🦁くんが🖋くんと一緒に「大切なもの」を探すお話です。
    ※捏造注意(🦁くんのお父さんが登場します)
    題名は、愛について。「うーーん」
    「どうしたの。さっきから深く考えてるみたいだけど」
     木陰に入り混じる春の光がアイクの髪に反射した。二人して腰掛ける木の根元には、涼しい風がそよいでいる。
    「ボスとしての自覚が足りないって父さんに言われて」
    「仕事で何か失敗でも?」
    「特に何かあったとかではないんだけど。それがいけない?みたいな」
     ピンと来ていない様子のアイクに説明を付け加えた。
     ルカがマフィアのボスに就任してから数ヶ月が経った。父から受け継いだファミリーのメンバー達とは小さい頃から仲良くしていたし、ボスになったからといって彼らとの関係に特別何かが変化することもない。もちろん、ファミリーを背負うものとして自分の行動に伴う責任が何倍にも重くなったことは理解しているつもりである。しかし実の父親、先代ボスの指摘によると「お前はまだボスとしての自覚が足りていない」らしい。「平和な毎日に胡座を描いていてはいつか足元を掬われる」と。説明を求めると、さらに混乱を招く言葉が返って来た。
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    「ボスとしての自覚が足りないって父さんに言われて」
    「仕事で何か失敗でも?」
    「特に何かあったとかではないんだけど。それがいけない?みたいな」
     ピンと来ていない様子のアイクに説明を付け加えた。
     ルカがマフィアのボスに就任してから数ヶ月が経った。父から受け継いだファミリーのメンバー達とは小さい頃から仲良くしていたし、ボスになったからといって彼らとの関係に特別何かが変化することもない。もちろん、ファミリーを背負うものとして自分の行動に伴う責任が何倍にも重くなったことは理解しているつもりである。しかし実の父親、先代ボスの指摘によると「お前はまだボスとしての自覚が足りていない」らしい。「平和な毎日に胡座を描いていてはいつか足元を掬われる」と。説明を求めると、さらに混乱を招く言葉が返って来た。
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