地球照 「ケイイチくんの誕生日って27日なんだ。お祝い何がいい?」
アルバイト先で腕を取られた女に言われた。
夏休み中はずっとアルバイトをして、家にもほとんど帰らない。だからこういう人は本当に助かる。寝る場所も困らないし食事も惜しまないでいてくれる。
「…金?」
ベッドに裸のまま胡座をかいて、少しだけ考える風に言った。
「だよね。お金、欲しいよね」
夜の仕事している女の、化粧を落とした肌が好きだ。ファンデーションを拭った肌は少し黄味を帯びている。
何も着ていない背中。染めて色の落ち着いてきた髪が流れている。
「うん。でもあなたからは要らないよ」
「そっか。じゃあ、今からケーキ食べに行こうよ。もうお昼だよ、笑っちゃう」
ブラを着けながら女が笑う。
俺、この人のこと結構好きだな。立ち上がり同じように衣服を身に付けながら思った。
同じような寂しさを抱えて、反発しあうような感情を上手に飼い慣らしていた。
食器を洗いながら、白昼夢を見ていたようだった。
あの時食べた昔ながらの洋菓子店で買ったケーキの味を俺はもう思い出せない。
「…行ってみようかな」
十年経っていた。
潰れていてもおかしくないが、そのままあってもおかしくない。
「真経津、俺出掛けてくる」
リビングのソファでゲームをしている真経津に言った。
真経津が見つけてきた連中の溜まり場になっている我が家だが、今日は真経津しかいなかった。当然と言えば当然で、村雨も叶も天堂も、仕事がある。平日のこんな時間に他人の家でゲームをしている真経津がおかしいのだ。
「あ、僕ディスられてる」
ぽい、とコントローラーを放って、スリッパをパタパタさせて歩いてくる。
「どこ行くの?」
こいつに誤魔化しは効かない。
「ケーキ屋」
「僕も行く〜」
「好きにすれば」
「うん!」
腕に纏わりついてくる真経津を連れて車に乗り込む。ガレージの中にあっても車内は凄まじく暑かった。
「暑いね」
手で自分を煽ぐ真似をする真経津の右手の傷。
「すぐ涼しくなるって」
冷房を強くし、ガレージのシャッターを開ける。
真経津が喋るのを待っていたが、窓にもたれて外を見ているので運転に集中した。
道を覚えることは得意だった。しかしそれが災いして家族を怒らせたことがあった。あれは、小学生の頃の夏休みが始まってすぐのことだった。
つらつらと、真経津の沈黙も相まって過去を思い出す。
信号で止まり、寝ているのかと真経津を見ると、こちらを見ていた真経津と目が合った。
「起きてたのか」
「…ケーキって、不思議だよね。なんであんなに特別な感じがするんだろう」
右肘に頭をのせた真経津が言う。
「なんでだろうなぁ」
まあ、叶の動画で作ったイチゴケーキの話ではないだろう。
誰かが自分のために用意してくれた誕生日ケーキの特別さを、俺は覚え続けることができるだろうか。
店に近いはずの駐車場に車を停め、「少し歩くぞ」と真経津を促す。途中、あの時ケーキを食べさせてくれた女のアパートの前を通った。新しい建物に変わっていた。
「あ、」
店は、あった。
元々こぢんまりとした店だと思ったが、記憶よりも小さく感じる。
「いらっしゃい」
扉を開く音に愛想のないオヤジが奥から出てくる。
「お前どうすんの」
「ん〜、シュークリームにする」
「じゃあ、シュークリームとショートケーキ、あとこのクッキー下さい」
「あ、そこの椅子で食べってっていいですか?」
イートインスペースというよりは、近所の知り合いが座るために用意されたような場所を真経津が指差す。
「ん?いいよ。コーヒーか紅茶か煎茶もあるけど」
コーヒーと紅茶は確かにメニュー表の欄外にあったが、煎茶はこのオヤジが個人的に飲んでいるものだろう。
「じゃあ二人とも紅茶で。いいよね、獅子神さん」
「おう」
「じゃあ、九百四十円ね」
金を払い、椅子に座る。
ケーキと、紙コップに淹れられた紅茶がすぐに運ばれてくる。
「美味しそう」
真経津はそう言うが、普通の、ただただ普通のショートケーキとシュークリームだった。
「獅子神さん、おめでとう」
「ありがと」
組んだ足をコツンと合わせ、俺たちは紅茶を一口、口に運んだ。