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    yudoufuneko

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    yudoufuneko

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    死んだ人間が現れるという噂がある湖に藍忘機が足を運ぶ話。

    愛おしき温もり かの夷陵老祖が死んだと言われて数年が経った。人の世を脅かす存在が消え人々は歓喜した。しかし悪事が行われたり何か不吉なことが起これば、夷陵老祖が復活したのではないか、夷陵老祖のせいだ、と世間は噂した。彼が死んだ後も夷陵老祖は人々の不安の捌け口にされた。誰もが夷陵老祖を恐れ嫌悪する中、彼の噂が経つとその場へ足を運ぶ者がいた。しかし噂のすべては所詮噂でしかなく、そのたびに胸が締め付けられるような思いでいっぱいだった。それはもう夷陵老祖は、魏無羨はこの世にいないのだと思い知らされるようで。それでもその人、含光君と慕われる藍忘機は噂される場所へ出向くことをやめなかった。
     新しく夷陵老祖の噂が立ち、藍忘機はその地へ向かった。
    「最近あそこの家族が次々に病で臥せっているみたいだ」
    「その話なら聞いたよ。何でも夷陵老祖が原因と言うじゃないか」
    「だが、その夷陵老祖は死んだんじゃなかったか?」
    「いや、あの悪逆非道と言われる夷陵老祖のことだ。死んだからと大人しくするとも限らんだろう」
    「はは、それもそうだ」
    町を歩いているとそんな会話が藍忘機の耳に届く。彼は足を止め、会話をする人たちへ視線を向けた。
    「お兄さん、あの人たちの話は真に受けちゃだめですよ」
    ふと後ろから女性の声が聞こえ、声のした方へ体を向ける。そこには呆れた表情を浮かべている女性がいた。
    「何かご存知なのですか?」
    静かな声で藍忘機が尋ねると、彼女は肩をすくめながら問いに答える。
    「あの人たちの言っている家の人はただの流行り病。何でも大げさに話すんだから」
    彼女の言葉に藍忘機はがっかりする。やはりただの噂だったのだと。これ以上この地にいる理由がなくなった彼はその場を去ろうと、女性へ一礼する。すると彼女が藍忘機をじっと見つめ再び口を開いた。
    「お兄さんはもしかして仙門世家の人ですか?」
    藍忘機は小さく頷く。
    「別に害があるわけではないのだけど、ここから五里ほど行ったところに林があって、その林をさらに奥へ進んでいくと湖があるらしいんです」
    「らしい?」
    彼女の言葉に違和感があり、彼は問いかける。彼女は眉をひそめながら口を開く。
    「私がこの間林に入った時はどこにも湖がなくて。町の人に聞いても興味本位で湖を探しに行った人はやはり湖はなかったと言うんです」
    おかしな話であるが、人のうわさ話ならよくあることだと彼は彼女の話の続きに耳を傾ける。
    「ただ、それよりも気になることが。その湖はただの湖じゃなくて……」
    彼女の言葉がそこで切れる。そして少し考える仕草を見せた後、躊躇いがちに次の言葉を口にする。
    「その、湖へ行くと死んだ人間が現れるとか」
    藍忘機は一瞬大きく目を見開く。彼女はさらに言葉を続けた。
    「私が見たわけじゃなくて、私の友人が亡くなったばかりの旦那さんと湖で会ったって言っていて。私は信じてはいなかったのですが、彼女の様子から嘘を言っている風にはとても見えなくて……」
    「……」
    「あ、危害を加えられたわけじゃないですし、だからどうしろということでもないのですが気になってあなたに話を。引き留めてしまってすみません」
    女性は一礼するとそそくさと去っていった。藍忘機は遠ざかる彼女の背を見送り歩みを再開する。
    「湖」
    彼は一言そう呟き、先程の女性の話を思い出す。死んだ人間に会う、その言葉を聞いた彼の脳裏に真っ先に浮かんだのは魏無羨の姿だった。藍忘機がこうして各地を巡っているのは魏無羨ともう一度相まみえたいためである。事実かどうかは分からないし、また落胆するだけかもしれない。それでも彼は魏無羨に会いたかった。例え不確かなものに縋ったとしても、会いたかった。もしかしたら、という気持ちが彼には芽生え、その湖のことが気にかかって仕方がなかった。彼は拳をぎゅっと握り、ゆっくりと湖の方へと向かった。
     彼女の言った通り、五里ほど進むと林があった。彼は林の前でぴたりと足を止める。
    (この先に……)
    藍忘機は林の奥をじっと見つめ唇をきゅっと結ぶと、意を決したように林の中へ足を踏み入れた。奥へ奥へと進んでいくと急に開けた場所へ出た。
    (湖はまだか。……君に会いたい)
    一瞬目を伏せたが、すぐに彼は辺りを見渡す。すると正面から一陣の風が彼を通り抜け、黒檀のような髪が宙を舞うように靡いた。藍忘機は瞼を閉じ、辺りが静寂に包まれると目をゆっくりと開ける。
    「何か妙だ」
    そう呟く藍忘機は、この場所にどこか違和感を覚える。目の前に広がるのは先程と変わらない風景、静けさ、そして草木の香り。しかし何かが先程とは違っている気がして彼は目を細め周りを注意深く観察する。しかしおかしなところは見つからず彼は考え込む。

    ポチャンッ――

    背後から突然聞こえた水音に藍忘機は勢いよく振り返る。
    「っ!」
    振り返った先の光景に彼は息をのむ。
    「これは、…………湖」
    先程までそこにはなかったはずの湖が藍忘機の視界に映る。あの女性が話していた湖はこのことだろうとすぐに分かった。そして同時にこれは何らかの術の影響であることも。
    「何かを条件に発動する類か。どうりで彼女や町の人が湖を見つけられないわけか」
    そう言いながら彼の頭には一つの疑問が浮かび上がる。なぜ自分は術を発動させてしまったのか――。
    (私とあの女性の友人には何か共通点があったはずだ)
    藍忘機は湖が現れる前の己の行動を振り返る。辺りを見渡していたが、湖を探す者ならば皆そうするだろうと別の行動を考える。しかし行動に思い当たる節はなく、別に要因があるのかもしれないと行動以外に意識を向ける。
    (あの時私は何を考えていたか。湖の在り処。いや違う。そんなことではない)
    藍忘機は自問自答を繰り返す。そしてふと思い出した。
    「あ、魏嬰……」
    その名を呼びどこか腑に落ちた様子で視線を落とす。
    「あの時、私は君に会いたいと」
    そう言葉を零す。思い返せば、女性の友人は夫を亡くしたばかりと言う。この林には全く人気はなく、人が通ったような形跡もほとんどなかった。何もない人間が訪れるとは考えにくい。夫を亡くしたばかりの女性は湖の噂をどこかで耳にし、愛する人に会えるかもしれないとこの場所を訪れたのではないだろうか。そんな人間がここへ来る際に考えることは恐らく一つであろう。会いたい――。女性や町の人が見つけられなかったのはただ湖を探すことを考えていたからで、誰かに会いたいという強い気持ちは彼らにはなかったから。憶測でしかなかったが、藍忘機は湖が現れた訳をそう捉えた。
     湖を目の前にした藍忘機は胸がざわめくのを感じた。女性の話が本当であれば彼が逢瀬を果たしたい人、魏無羨が現れるはずだ。彼は湖の傍に腰を下ろしじっと待ち続けた。しかしいくら待てど彼が姿を見せることはなかった。藍忘機は湖を覗き込み、水面に映る自身の顔を見て乾いた笑みを漏らす。
    「くだらない」
    彼の零したそのことばは悲哀に満ちていた。
    「町へ戻ろう」
    彼は重たい動作で立ち上がると湖に背を向ける。この場所は術の中であったが、藍忘機には簡単に解くことができる。彼は避塵に手をかけると弱弱しい声で一人の名を呼んだ。魏嬰、と――。彼は剣をゆっくりと鞘から引き抜いていく。そしてすべて引き抜くと一文字に空を切る構えをする。彼は剣を握る手に少しの力を込めた。
    (やはり君にはもう会えないのだな)
    悲しそうな笑みを浮かべ、藍忘機はゆっくりと目を閉じた。
    『藍湛』
    「っ!」
    突然彼の耳に届いた声に動きを止める。彼は耳を疑った。ずっと聞きたかった声、もう半ば諦めかけた望み。彼は唇を震わせながら言葉を絞り出す。
    「うぇい、いん……?」
    途切れ途切れになりながら彼が長年、一番会いたかった人の名を口にする。そしてゆっくりと後ろを振り返る。
    「君は……」
    胸がはち切れそうなほど様々な感情が溢れてくる彼の言葉は続かなかった。そして言葉を紡ぐ代わりに彼は目の前にいる愛おしい存在を力いっぱい抱きしめる。
    『藍湛苦しいぞ』
    ははっ、と笑いながら自分を抱きしめる藍忘機の頭をそっと撫でてやる。
    「うぇいいん。……魏嬰」
    『うん。ここにいるよ、藍湛』
    藍忘機は何度も何度も名前を呼び続ける。そのたびに、ここにいる、と安心させるような柔らかく落ち着いた声で返事をする。そして二人はだただたそれを繰り返した。

    「魏嬰。私は君に……」
    少し落ち着きを取り戻した藍忘機は言葉にしようとするも、喉につっかえたようにうまく言葉が出てこない。口を開いてはつぐみ、それ以上の言葉が彼の口から発せられることはなかった。
    『藍湛、言わなくていい。そんな顔をするな。俺が死んだのはお前のせいじゃないし、気にする必要はない』
    「魏嬰」
    『お前は自分の道を行け。俺に囚われなくていい』
    「私は」
    『それより藍湛、この数年のお前の話を聞かせてくれ。元気でやっていたか?』
    「……」
    藍忘機は口を開きかけると言葉を飲み込んだ。魏無羨亡き後、元気であったとは言えない。本当のことを言ってしまえば彼を困らせてしまう。かと言って、嘘を吐くのは家規に反する。藍忘機は黙るほかなかった。しかしそれを見た彼は昔と変わらない口ぶりで話し出す。
    『まったくお前は相変わらず口数が少ないな。もう少し話したらどうだ? まあそれが含光君という男だがな。しかしおしゃべりな藍湛は見てみたいな』
    ケラケラ笑いながらそんなことを言う。藍忘機はそんな彼の様子に懐かしさを覚え、胸の辺りが温かくなるのを感じる。しかし目の前にいる男は術によって現れた幻。それを分かっている藍忘機は同時に胸が締め付けられる思いでいっぱいになる。彼の瞳に映る魏無羨は本物ではない。彼が本当に望んでいるのは生きた魏無羨だった。抱きしめた彼の体には体温がなかった。しかし幻と分かっていても目の前にいるのは藍忘機がよく知っている魏無羨だ。仕草や言動それぞれが魏無羨のそれと全く同じで、藍忘機は目の前の彼が幻でも構わないと思った。このまま連れ帰ってしまいたいと思うほどに彼は魏無羨を求めていた。
    『藍湛? 黙り込んでどうしたんだ?』
    首を傾げて尋ねる彼に、藍忘機はまっすぐな眼差しを向ける。何も言わずただ見つめていると、目の前の男は片眉をあげながら困った顔で言う。
    『そんなに見られるとさすがに恥ずかしいぞ含光君。俺の顔に何か付いているのか?』
    「ない」
    『じゃあ藍二公子は俺の顔に見とれていたのかな?』
    ニヤニヤしながらそう尋ねる彼に、藍忘機はくだらない、といいながら顔を背ける。それを見て楽しそうに笑っていたが、ふと彼の笑い声が止む。不思議に思った藍忘機は彼へ視線を戻す。どこか陰りのあるその顔を見た藍忘機が心配そうに尋ねる。
    「魏嬰、どうかしたか?」
    『んー、そうだな』
    はっきりとしない答えが返ってくる。そんな彼はどこか迷っている様子だった。
    「魏嬰?」
    不安が藍忘機の胸をよぎる。そして唇をきゅっと結び、目の前の男が再び口を開き彼が言わんとしている言葉を待つ。待つほんの数秒がこの上なく長く感じた。するとようやく次の言葉が耳に届く。
    『藍湛、お前はどうしてここへ来たんだ?』
    「それは……」
    藍忘機は突然の問いに言葉を詰まらせる。言葉にしてしまえば耐えられなくなってしまいそうな、そんな気がした。藍忘機は再び唇を固く結ぶ。
    『まあ、理由なんてなんだっていいか。俺は藍湛に会えて嬉しかったんだ。藍湛も同じか?』
    「…………うん」
    長い間の後、目を逸らしながら短く答える。するとその答えを聞いた彼は、そうか、とだけ言って黙り込む。そして一つ息を吐くと、静かな声で藍忘機へ言う。
    『すまない藍湛。俺はもう行く』
    彼のその言葉は藍忘機の心を波立たせた。そして彼の言葉が何を意味するのかすぐに察した。口の中が渇いていく。胸が苦しくなる。藍忘機は自分に、もう行く、と言い放った彼に恐る恐る視線を向ける。すると彼の体は透け始めていた。それに気づいた藍忘機は彼を引き留めようと咄嗟にきつく抱きしめる。しかしなぜだか体にうまく力が入らない。腕の中にいる彼によって、回していた腕を簡単に解かれてしまう。自分からゆっくりと離れていった彼に、藍忘機は悲痛な叫びのような声をあげる。
    「魏嬰、いくな!」
    藍忘機の表情を見ると今にも悲しみに押しつぶされてしまいそうだった。それを見た彼は困った顔を浮かべる。そして藍忘機との距離を縮め、力強くかつ優しい声で言った。
    『藍湛大丈夫だ』
    彼はそう言っておでこを藍忘機のおでこにくっつけ、子供を宥めるようにまっすぐ目を合わせて微笑む。言葉にできない思いが募り、藍忘機は胸が張り裂ける思いだった。
    彼の体はすでに向こう側がはっきりと見えるくらいに透けていた。もう時間がないと藍忘機は胸につっかえる想いを言葉にすべく口を開く。
    「魏嬰! 私は君にただそばに――」
    すると続く言葉を遮るように、目の前の彼は人差し指を藍忘機の唇に当て静かに頭を横に振る。そしてニコリと快活な笑みを浮かべながら最後の言葉を藍忘機へ贈った。
    『ありがとう』
    そう言い終わると彼の体は完全に消えた。
    「魏嬰!」
    そう叫び手を伸ばしたところで藍忘機の視界が真っ暗になる。次に彼が目を覚ました時、その視界に映ったのはよく見慣れた天井だった。
    「ぅんん」
    胸元で聞こえた声に視線を落とす。そこには気持ちよさそうに寝息を立てている魏無羨がいた。
    (温かい……。随分と、懐かしい夢を見た。……今は君がこうして私の傍に、生きて傍にいてくれる。もう二度と君を離したりしない)
    藍忘機は、昔、かの湖に現れた魏無羨が自分にしてくれたように、目の前の愛おしい人の頭をそっと撫でた。そして胸の温かみを感じながらゆっくりと目を閉ざし再び眠りについた。
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