ソファーについていた手に何かが触れて、僕は何も警戒せずにそこへ目を向けた。僕の手に重なっている誰かの手、もちろんそれは隣に座っているルカのもので、ジッと横顔を見つめれば視線に気がついたルカは僕のことを横目で見てふっと目尻を下げた。
名前を呼ぼうと口を開けた瞬間に反対隣に座っているアイクが「シュウ、お酒のお代わりは?」と僕の空のグラスを見て声をかけてくれて、僕はそれに何も考えず「あ、お願い」と返してしまう。もうだいぶ飲んだからそろそろソフトドリンクに変えようと思っていたことを新しく注がれたアルコールに口をつけてから気がついた。
ルカは数杯飲んだ後はソフトドリンクに切り替えているから酔っている様子はないのに、どうして僕の手を掴んでいるんだろう。片手を使わなくてもお酒を飲むだけなら問題なくて、僕はさっきよりふわふわした感覚の中でグラスの中を減らしていく。いつもより頭が回らないのはアルコールのせいか、それ以外のせいか。きっと赤くなっている顔はアルコールのせいだと思いたい。
僕よりたくさん飲んでるアイクはすっかり酔っ払って上機嫌だし、ミスタはすでに寝落ちてヴォックスの膝枕で横になっている。たぶん今しっかり意識があるのは自分のコントロールがうまいヴォックスと、カクテルの雰囲気でジュースを飲んでいるルカだけだ。
一番酔っていないはずのヴォックスがくだらない下ネタを言い、ルカが爆笑しながらそれを繰り返す。いつもは注意するアイクは酔ってるからお腹を抱えて笑い、僕も一緒になって笑った。体を傾けた拍子にトンっとルカに肩がぶつかってしまい、笑いすぎて溢れた涙を拭いながらルカを見上げると、ルカはさっきみたいに目を細めて笑った。いつもとすこし様子の違うルカに心臓が跳ねて思わず動きを止める。
「ん? シュウ?」
「あ、うん……ううん、なんでもないんだけど」
「……水持ってこようか。シュウも一緒に行く?」
「うん……?」
水、そうか、僕は酔ってるから、水を飲んだほうがいいかも。ルカに手を引かれて立ち上がり、二人でキッチンに向かった。棚から出した自分のコップに水を注ぎ一杯分を飲み干して、隣で僕の様子を見ているだけのルカに「飲まないの?」とコップを渡す。
「んー、俺は別に酔ってないから」
「? 水飲みたいんじゃなかったの?」
「シュウと二人になりたかっただけ」
「……なんで?」
「ふは、うーん、なんでかな?」
あ、またあの顔。水を飲んでさっきよりスッキリした頭が、なんでそんな目で僕のことを見るのかな、と考え始める。酔ってないのにルカはこっそり僕の手に触れて、僕と二人になりたかったの? ルカはイタズラをする時のような楽しそうな声音で笑うからきっと自分では理由を分かっているのだろう。それを、僕に当ててほしいのかな。
「……ヒントは?」
「ヒント? 必要ないと思うけどな」
「全然わからない……」
「本当に? 俺、シュウは気づいてくれてるのかと思ってた」
「……」
「うん? ふふ、今なに考えてる? いいよ、たぶんそれが正解だから、言ってみてよ」
「……いや、でも、絶対こんなの正解じゃないよ……」
「教えて」
リビングからヴォックスとアイクの笑い声が聞こえて顔を向けると、ルカは僕の頬に手を当て自分のほうへ向き直させた。正面から見つめてくるルカの顔はやっぱり笑ってて、僕の心の中を見透かしてるみたいだった。
「……ルカって、僕のこと、……」
目を伏せて、それからそうっと視線を上にズラしていく。ルカは何も言わずに僕の言葉の続きを待っていたから、閉じた口を開けないわけにはいかなくて。
「僕のこと、好き?」
勘違いだったらものすごく恥ずかしいなとずっと思っていた。僕がルカのことを好きで、自分に都合よく解釈したいからそう感じるだけなのかもって。好きな人が自分のことを好きだったらいいなって考えて、ありえないよねって否定しながら、本当は少し期待してた。
だから今日、ルカが僕の手に触れたのが酔ってるせいじゃないのなら、二人になりたいと言ったルカの言葉をそのまま受け取っていいのなら、僕の答えはそれしかなかった。
怖くてすこし震えた声に、ルカはパッと満開に咲くような笑顔を見せて「うん!」と頷いた。うん、……うん? つまり、ルカは、僕のことを好き?
「え、ほ、本当に?」
「本当に! 俺、シュウのことが好き。結構アプローチしたつもりだったんだけど、そんな分かりづらかったかな……。シュウ、めちゃくちゃ鈍いよな」
「そんなことない、でも、だって、僕のこと好きな人がいるなんて思わないし」
「どうして? ここにいるのに」
「……ルカは僕のことを好いてくれているとは思っていたけど、それは友達としての好意で」
「えっ。シュウは俺のこと、友達としてしか好きじゃないの?」
「ちがうよ! ……まって、そもそも僕、ルカのこと好きだなんて言った?」
「え!? 好きじゃないの!?」
「好きだよ! う、あぁ、もう、そうじゃなくって……!」
ルカのことは友達として以上に、人として、大好きなんだけど! ルカが僕のことを好きで、僕ももちろんルカのことを好き、それだけなのに偏屈な頭と口が状況をややこしくしてくる。
僕が一人でぐるぐると迷路に迷い込んでいる間、ルカはうーんと何かを考えて数秒後に、僕の肩をポンと叩いた。「シュウ」と名前を呼ばれ顔を上げるとなんの躊躇いもなく近づいてきたルカの顔がピントを合わせる隙もなく僕にキスをした。
「……え」
「俺の好きはこういう意味の好き。で、俺はシュウも同じかなって思ってるんだ。ちがう?」
「……いま、なにを」
「必要なのはイエスかノーかだけだよ、シュウ。俺はシュウがいっぱいいっぱい考えてくれるところも好きだけど、もっと簡単に、好きって言葉くらい思ったままに口にしていいと思うんだ。ねえ、シュウは、俺のこと好き?」
「……イエス」
「オーケー!」
にっこり笑ったルカがもう一度僕にキスをして、僕の頭はすっかりオーバーヒートしてしまった。アルコールがまだ残っているから、なんて、もう言い訳にもできない。体が熱いのも顔が赤いのも、全部ルカのせいだ。
ワッと爆笑する声が聞こえて僕は今さらすぐ近くにヴォックスとアイク(あと寝ているミスタ)がいることを思い出した。むこうに声が聞こえていないだろうか。いや、大きな笑い声以外むこうの声も聞こえてこないし、大丈夫だとは思うけど。
「シュウ、ねえ、今は俺だけを見ておく場面じゃない?」
「え、あ、そう、かも……? でもそろそろ戻らないと」
「二人とも酔ってるから大丈夫だよ。もう一回キスをしてもいい?」
「聞かないでしたくせに……」
「聞かないでしていいよってこと?」
「……」
「ふ、オーケー。シュウってすごく可愛い」
照れて逃げ出したくなった僕は咄嗟に顔を背け、ルカの唇は僕の頬に当たった。本当は自分だってキスしたいくせに、天邪鬼で意地っ張りな自分が嫌になる。
ルカは目を丸くして僕の顔を覗き込むととろけるような笑みを浮かべ、両手で頬を挟み額をこつんとくっつけた。どこにも逃げ道がないこの状況が嫌いじゃなくて、指先ひとつ動かさないまま瞳をルカに向ける。
「イジワルしないで、もっと欲しくなっちゃうよ」
「……もっとって、なに?」
「何かな。シュウはなんだと思う?」
「……しらない」
「そうかな?」
心臓の音がルカに聞こえてしまうんじゃないかと心配になるくらいドキドキうるさい。イジワルしてるのはルカでしょうって言い返してやりたいけど、何を言っても今の僕はルカに勝てない気がした。勝ち負けなんて必要ないのに、負けず嫌いが顔を出してしまう。
「……ルカ」
「うん」
「……キスしてもいいよ」
「ふっ、……もう、かわいすぎる」
優しく重なる唇で思考全部がルカに支配される。リビングの物音なんて、もう少しも気にならなかった。