ララ・ソウルの結婚前夜⚠️捏造しかない
⚠️何でも許せる方向け
カチン、とグラスを鳴らしワインを口に含めば程よい酸味が広がって、芳醇な香りが鼻に抜けていく。好きだった葡萄ジュースよりもワインが美味しいと思うようになり、大人になったんだなとララは実感していた。
「寒くない?」
「大丈夫よ」
バルコニーで過ごすには少し肌寒い夜だけれど、ブランケットも持ってきたし、アルコールが入った身体はぽかぽかと温かい。
ララの返答に「良かった」と微笑んだのは、此処オセオンから遠く離れた国──日本でトップヒーローとして名を馳せるデク──もとい緑谷出久だ。
隣のウッドチェアに腰掛けて、同じようにワイングラスに口をつける出久はララよりもずっと歳上だというのに、あまりにもお酒が似合わないものだからつい声に出して笑ってしまった。
空に瞬く星を眺めていた出久がララを見て、どうしたのとでも言いたげに首を傾げる。
「デクさんはいつまで経っても若いなと思って」
「もうおじさんだよ」
「おじさんに見えないわ」
童顔なのを気にしているのか複雑そうにありがとうと笑った。おじさんと呼ばれる年齢なのかもしれないが、初めて出会った頃と差程変わらずティーンに見えてしまうのだからララからすれば羨ましい。そもそもおじさんと言っても世間一般的にはまだまだ若いほうなのだけれど。
若さを保つ秘密を今度教えて貰おうと心に誓って、ワイングラスを傾けた。
「お酒はほどほどにね」
「それを言うならデクさんだって。私は強いから大丈夫よ」
「君は明日の主役なんだから」
「まだ実感ないなぁ」
兄と住んでいたこのアパートを出て、ララは明日、結婚する。
最愛の彼からもらった婚約指輪が、月の光に照らされてきらりと輝いた。
結婚式の前夜である今日は二人の兄がパーティーを開いてくれた。出久も日本から招いて、兄の手料理を鱈腹食べて、お酒も飲んで。さっきまでどんちゃん騒ぎだったのが嘘のように、今は静まり返っている。
フローリングで寝落ちた二人の兄をベッドルームに運んでくれた出久に、飲み直さないかと誘ってバルコニーでワインを開けたのはついさきほどのことだ。
「彼。写真見せてもらったけど真面目な良い人そうで安心した」
「でしょう?すごく優しい人なの」
「ロディの説得、大変だったでしょ」
「まずなかなか会ってくれないし……。それに彼を殴ったらどうしようかと思った」
ロディならやりかねないと苦笑するデクを見て、ララもまたあの日を思い出しては口元を引き攣らせた。
ロディが認めてくれなくとも結婚しようと思えば出来たが、ここまで育ててくれた父の代わりでもある兄に不誠実な事はしたくなかった。誰よりもララの幸せを願ってくれているのはロディだと知っていたからこそ、どれだけ時間をかけても自分が結婚したいと心から思った男性を認めて、祝福して欲しかった。そんなララの思いに理解を示して、一緒に説得しようと微笑み支えてくれた彼だからこそ結婚したいと思ったのだ。
「ロディが言ってたよ。彼のこと話す時の顔がイキイキとしていて楽しそうだって。本当に好きなんだなって」
「もー、お兄ちゃん何でもデクさんに言っちゃうんだから!」
説得の末、最終的にはロディが認めてくれて、三人目の兄である出久にも祝って貰えて、ララには今この瞬間だけでも世界一幸せな自信があった。
「──ねぇ、デクさん」
「うん?」
サイドテーブルにワイングラスを置いて星空を見上げた。名前を呼ばれたデクの大きな瞳に、どこか緊張したようなララの姿が映る。
ララには、どうしても伝えたいことがあった。兄であるロディでもロロでも最愛の彼でもない、出久だけに。結婚前夜に二人きりの今がきっと好機だと、そう思った。
「私、本当はね、デクさんと結婚したかったの」
「え!?」
「子どもの頃の話ね?」
「ああ、なんだ……。びっくりしちゃった」
よくある、子どもの「将来はお父さんと結婚する」と同じで、ララにはそれが出久だっただけの事で、もちろん本気で好きだった訳ではないし、自身が妹のようにしか見られていないことは明白だった。
目を細めてほっと息を吐く出久に、そんなあからさまに安心しなくてもいいじゃない、とララは少しむっとした。女性として意識をして欲しいわけではない。仮に本気だったとしても、出久が気持ちに応えてくれない事は知っていた。否、応えられない理由を知っていた。
兄であるロディやロロ、出久にだって守られ甘やかされて育ってきた自覚はある。感謝してもしきれないほど、惜しみなく愛情を注いでくれていた。けれどララがどれだけ年齢を重ねようとも、いつだって彼らの中の〝何も知らない小さな妹〟というカテゴリーに分けられ、まるで一線を引かれているような寂しさを感じることがある。
なんだかそれが面白くなくて、置いたばかりのワイングラスを引っ掴んで、ビールを煽るかのようにぐいっと飲み干した。
「ララちゃん飲みすぎじゃない?大丈夫?」
「いつまでも私のこと子どもだと見くびっていたら大間違いよ」
「え?うん、もう立派な大人の女性だよね」
「そういう意味じゃなくて……。ああ、もう本当にデクさんもお兄ちゃんも、肝心なところでお馬鹿さんよね」
「えっ何で!?話が見えないんだけど……もしかしてけっこう酔ってる?」
「うん、酔ってるのかも。……だから、ちょっと昔話に付き合って?」
トクトクとララの胸を打つ脈はいつもより早いけれど、頭のなかはすっきりとしていて。酔っているなんて嘘がバレたとしても優しい出久はきっとララに怒ったりしないだろう。
困惑した表情を浮かべながらもデクが頷いたのを認めて、ララは静かに目を閉じた。
◇
「兄ちゃんはずっと一緒にいるからな……」
今よりもうんと小さかった頃。記憶にあるのは、そう言ってララの背中に回されたロディの腕も、声も微かに震えていた。まだ年端もいかない少年の細い腕は泣きじゃくるロロとララの二人を抱き込むのに手一杯で、安心させるように呟かれた言葉はロディの決意のようで。幼いながらもそんな兄の姿をどこか頼りなく感じてしまっていた。
それでも、ララにはロディが全てだった。
ララを産んですぐに逝ってしまった母親は当然のことながら、父親の記憶ですら朧気にしかない。父親が失踪したというだけであることないこと噂を立てられ優しかった大人達に白い目を向けられるのは怖かったし悲しかったけれど、もともと忙しい父親に代わって面倒を見てくれていたのはロディだ。住み慣れた家を追い出され、治安があまり良くない場所に住むことになって。豪華な食事をお腹いっぱい食べられなくなったし、可愛い洋服が着れなくなった。
取り巻く環境は天と地ほどの差はあって、手放しに幸せだとはお世辞にも言えないけれど。変わらずロディが側にいて守ってくれていたから、ララは悲観的にはならず自分たちを見捨てた父を恨むことはなかった。
「わたし、おおきくなったらおにいちゃんとけっこんしたいな」
摘んできたばかりのオレンジ色の花をはい!とロディに手渡せば、見たこともないくらい鼻の下を伸ばしデレデレと照れていた。
「けっこんしたらずっといっしょにいれるでしょ?」
「兄ちゃんもララと一緒にいたい!」
ぎゅうぎゅうと痛いくらいに抱きしめられて、ピノも頬にキスを落としてくる。擽ったさに身をよじって目が合ったロロに助けを求めれば、「ぼくも!」と混じって三人で笑い合う。生活は貧しいけれど、楽しいことはたくさんあった。
渡した花はロディのコートの胸ポケットにちょこんと収まって、萎れてはまた新しいものを摘んできてあげれば、その度に嬉しそうにくるくると茎を回しニヤニヤと口元を緩ませている。愛とか恋とかまだ良く分からない年頃だったけれど、ロディのお嫁さんになれたらこの楽しい毎日がずっと続くのだろうなとララは思っていた。
「私、おおきくなったらデクさんとけっこんしたいな」
結婚の対象が出久に変わったのは、ロディがとある事件に巻き込まれてからすぐのことだった。事件は世界規模にも及んだため、一般人のロディには箝口令が敷かれララは今でも詳しくは知らない。けれどロディがララの知らぬ間に出久に心を開いたことは確かで、日本に帰国した後も文通という古典的な方法で連絡を取り合っていた。
ロディと同じように、ヒーローにあまり良い印象を持っていなかったララだが、出久に出会ってからイメージは覆された。
遠く離れた日本から届く手紙にはロロやララに対する一文も付け加えてくれていて、頻度は多くなかったけれど出久からの返事は待ち遠しかった。ロディに強請って押し花だったり、似顔絵を同封すれば凄く喜んでくれたし、ララの誕生日には見たこともない花がたくさん載っている本をプレゼントしてくれた。そんな優しい出久が大好きで、ずっと一緒に居れる方法は結婚しかないと思ったのだ。
出久と結婚したいとララが言い放った時のショックを受けたロディの顔と言えば。今でもときどき思い出してはくすりと笑ってしまうのはララだけの秘密である。
◇
「お兄ちゃんってば、デクには渡さん!って真剣な顔して言ってたのよ?」
「はは、ララちゃんに僕は相応しくなかったかあ」
かつてのロディを真似て、わざとらしくキッと目を吊り上げてみせれば出久はからからと笑う。
「違う違う、逆よ。私がデクさんに相応しくなかったの」
「え?」
きょとりとした顔で首を傾げる出久に、ふふっと笑みを零した。なにも知らないままのお子様だと思わないでほしい。そういう意味を存分に込めて。
「だってライバルがお兄ちゃんなんて、敵わないじゃない?」
出久が目を見開いて驚いたような視線をララに向けた。わざわざ訊かなくてもわかる。知ってたの?と問うような眼差しに、こくりとひとつ、ただ頷いた。
大人になるにつれてロディや出久と結婚したいと思うことはなくなったけれど、二人のことが好きなことには変わりはなかった。ロディはララにとびきり甘いし、出久はまるで本当の妹のように可愛がってくれていた。
ロディがスマホを持ち始めてからはビデオ通話だって出来るようなり、他愛のない自分の話を楽しそうに聞いてくれる出久と画面越しに会えるのが嬉しかった。
手紙ではわからない表情が見えてしまうからこそ、気づいてしまったのだ。兄の、ロディの出久に向ける眼差しがひどく優しいことに。
自分たち弟妹に向けられる優しいそれとはまた違う、愛おしさを存分に孕んだ眼差し。そして、出久がロディに見せる顔も、決してララの前ではしないような表情だった。
二人が両想いなのだと確信したのはこんな些細なことで、たったこれだけだった。
けれど何故自分に教えてくれないのか。大好きな二人が好き同士なら、ララにとってとても喜ばしいことなのに。
妹であるララにわざわざ言う必要もないし、ヒーローと一般人という立場上公にしない方が良いこともあるのだと今なら理解できる。けれど、当時は一線引かれているような気分だったのだ。これ以上は踏み込んでくるなと言われているようで、実際にララには踏み込む勇気はなかった。
でも今を逃したら、きっと機会は訪れないだろうから。なんで黙っていたのと責めるつもりは無いけれど、本当のことが知りたくて、伝えたいことがあった。
「……僕がララちゃんには黙っておこうって提案したんだ」
眉を下げて申し訳なさそうにまっすぐとララの目を見て話す出久。こういう普通は目を逸らしたくなる場面でもしっかりと目を合わせてくれるところが好きだ。真面目な出久らしいと思った。
でもそんなに申し訳なさそうにされると、何故言ってくれなかったのとまるで子どものように拗ねている自分が恥ずかしく思えるのでやめて欲しかった。
「大方、私が二人に幻滅するとでも思って秘密にしておこうとしたってところかな」
「うっ、その通りです……」
「本当にデクさんもお兄ちゃんも、馬鹿だなぁ」
そんな事くらいで幻滅したり嫌いになったりするはずないのに。そう思われていたのも少なからずショックだけれど、例え本当にララが幻滅したとしても関係ないと言いのけて自分たちだけ幸せになる選択肢だってあったはずだ。
このふたりはいつだって自分のことなんて二の次で。周りの人たちのことばかりを考えている似たもの同士だ。
「私ね、デクさんにお願いがあるの」
トレーラーハウスで貧しい生活を送っていた時ですらララは楽しかったけれど、きっとロディはそうではなかった。ロロとララの知らない所でたくさん嫌な思いもしてきただろうし、お金のために言えないことにだって手を染めただろう。あの日「どんな事をしてでも守る」と言った通り、ここまで守り育ててくれたロディには感謝してもしきれない。
「私にとってお兄ちゃんはかけがえのない大事な家族で、とびっきりかっこいい男なんだ」
こればかりはヒーローである出久にも、結婚する最愛の彼にも譲れない。ララにとってこの世で一番かっこいいと思う男性はロディだった。
「だからね、お兄ちゃんを選んでくれたデクさんも、デクさんを選んだお兄ちゃんも世界一見る目があると思うの」
昔からロロとララのことばかりだったロディに、そろそろ自分の事だけを考えて、生きて、幸せになって欲しい。それがララの唯一の願いだ。
普段は照れ臭くて言えやしないから、お酒の力を借りたけれどやっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい。
「お兄ちゃんと、うんと幸せになってくれなきゃ許さない。──約束してくれる?」
静かに涙を流す出久の前にララは小指を差し出した。幼い頃に一度だけ教えて貰った、日本での約束の仕方。覚えてたの、と少し驚いた顔をして、ララよりもふた回りほど大きな出久の小指が絡められた。ほんのりと温かさが伝わってきて、この人になら安心して兄を任せられる。ララはそう確信した。
「泣きすぎだよ、もう。明日は絶対に笑ってよ?」
背後のカーテンの隙間からピノが声を押し殺しながら大粒の涙を零しているのにララは気づいていた。ロディの姿こそ見えないが、きっと。
◇
「ララちゃんすっごく綺麗だね」
「言っただろ?ララは美人になるって」
最愛の人の隣で幸せそうに笑うララを見つめるロディの表情は穏やかで、でもどこか寂しそうだと出久は思う。ロディの気持ちを推し量ることはできないけれど、血の繋がりがない出久でさえ寂しいのだから、手塩にかけてきたとなれば相当なものだろう。
式に来てくれた友人たちと楽しそうに過ごすララを少し離れた場所で見守っていると、隣に立つロディがゴホンと咳払いをひとつ。
「……あー、その。出久」
「うん?」
「昨日、ララが言ってたことだけど」
「やっぱりロディも聞いてたんだ」
そんな気はしたし、きっとロディも聞いてることにララも気づいている節はあったけれど。泣いているところを見られたくなかったんだろうなと少し腫れたロディの目を見て、出久は微笑んだ。
「一緒に住まねえ?オセオンに来るのが無理だったら、俺が日本に行くのでもいいし」
「それって……」
「ロロも立派に働いてるし、ララも嫁いじまったしさ。俺もそろそろ、生きたいように生きていいかなって」
出久の手をすくい上げて、節ばった指をすりと優しく撫でる。そこは左手の薬指で、何を意味するのかなんて、いくら鈍い出久でもわかった。
思い描くロディのこれからの人生に、自分が当たり前のように入っていることが何よりも嬉しかった。ロディの指を絡め取り、「よろしくお願いします」とはにかめば、ロディもまた照れ臭そうに微笑んだ。
しばらくは住む家を探して、引越したりと少し忙しくなるけれど。これから始まる新しいロディとの生活を想像して出久は期待に胸を弾ませた。
「あ、そういえば……」
「?」
「うんと幸せになるって約束しちゃったけど、もう既に幸せな場合はどうすればいいのかな?」
「おまえ素でそういうこと言うのやめろよな……」
fin.