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    yamaki_jyu

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    yamaki_jyu

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    妖怪パロ脹虎(九尾×鬼)
    なんでも許せる方のみどうぞ!(約25,000字)

    #脹虎
    inflationTiger
    #パラレル
    parallel

    妖怪パロ脹虎「そんなちっこい身体じゃアイツら全員守るのも大変だろ?将来は兄弟全員守れるくらい立派な狐になんねえとな。その次いでに、うちの田んぼの実入りが良くなるようにお前から神様にお願いしてくんない?」
    その人間は罠に掛かった脹相に止めも刺さず、かと言って後ろの茂みで震える弟たちを捕まえもしなかった。一体何が可笑しいのかそんな冗談を飛ばし、脹相の前脚に深く噛みついた虎鋏に手を伸ばす、その時だった。突如ボボボッと脹相と人間の間で勢いよく炎が噴き上がる。
    「うわっ、熱っちぃ!」
    間一髪飛び退いた人間の前髪を真っ赤な狐火がべろりと舐める。脹相に危害を加えると思ったのだろう。茂みに隠れていた弟たちがきゅーきゅー鳴いて、人間を遠ざけようと必死に威嚇したのだ。でも、その人間はほかの奴らとはやはり何かが違ったらしい。髪がまばらに焦げても腹を立てず、脹相たちを化け狐と罵りもしなかった。
    ただそこらにいる狐と大差ない脹相たち相手に、焦げた髪もそのままに、済まなそうに笑うだけだ。
    「ごめんごめん、突然触ろうとして悪かったって!取って食ったりしねーから、これで許してよ」
    茂みの前に差し出された柿の実に、弟たちの抗議の声がぴたりと止まる。
    突然の施しに戸惑っていたが、やがて空腹に耐えかねたのだろう。結局めいめい鼻先だけをひょっこり茂みの外に出して目当ての柿を咥えると、すぐさま奥へ引っ込んでいった。その様子を微笑ましそうに眺めながら、人間がそっと脹相の前脚に手を掛ける。ズキリと走る痛みに低く唸れば、人間は慌ててあれこれと脹相に言い募った。
    「痛てぇのは分かるけど、お前を助けるんだから噛んだり燃やしたりすんなよ!?もうちょっとだけじっとしてくれれば……」
    おりゃっ!という掛け声とともに、忌々しく喰い込んだ鉄の牙がバキリと音を立てて外れる。いくら爪や牙を突き立ててもビクともしなかったのに……と驚いて人間を見上げれば、うっかりその黄金色の瞳とばっちり目が合ってしまった。
    一瞬、このまま捕まってしまうかも……なんて不吉な考えが脹相の頭をふとよぎる。けれど、その心配は杞憂だった。当の人間はいつまで経っても毛皮を剥ぐ気配も、弟たちと一緒に脹相を袋に詰めようとする気配もない。
    ただただ、良かったな~!と硬い掌で何度も何度も脹相を撫でるだけだ。勝手に一人で盛り上がって、せっかく弟たちが整えてくれた毛並みをもみくちゃにして笑うだけだった。
    (変な人間もいるんだな)
    その時脹相はようやく自分を救い出した奴の姿をまじまじと見た。薄桃と黒炭の二色髪、稲穂みたいな黄金の瞳、笑った顔は……何だろう。人間嫌いだった脹相にはぴったりの例えがすぐには思い浮かばなかった。けれど今まで見たどんな景色や草花とも何かが違う気がする。
    わしゃわしゃと人間が脹相を一撫でするたびに、なぜだか毛皮の下が炎でも灯ったように温かかった。呪力も使っていないのに一体どうしてだ?初めての感覚に目をぱちくりさせる脹相の前に、人間はニカッと笑って包みを差し出してみせた。
    「じゃあ俺そろそろ帰るから、これはお前にやるよ。食って元気になって、いつかうんと立派になった時は俺のお願いも叶えてな」
    頑張れよ、お兄ちゃん!
    そう言ってもう一撫でしたのを最後に、その人間は本当に山を降りていってしまった。呆気に取られる脹相の元に弟たちが駆け寄ってきても、脹相の心はまだその人間に向いたままだ。もう後ろ姿も見えないのに、まだあの人間に撫でられた感触が毛皮に残ってる。
    (礼も言えなかった……。そういえば名前も聞いてない……)
    もう一度撫でてほしい。もう一度お兄ちゃんと呼んでほしい。もう一度会って、今度はちゃんと伝えたい。助けてくれてありがとう、とあの人間に伝えたかった。
    撫でられた傍から灯った温もりが今は炎となって、ちりちりと脹相の胸を焦がしている。それはきっと、さっきの人間と交わした約束が胸に焼き付いたからだろう。
    そうと決まれば、脹相がやるべきことは決まっている。
    あの人間が言ったとおり、いつかうんと立派になって今度は脹相から人間に会いに行こう。そう決心した脹相の足元から、きゃあっと弟たちの歓声が上がる。
    『兄さん見て!さっきの人間が置いて行った包みに油揚げが入ってますよ!』
    『旨そうだなあ~。早く喰べようよ兄者ァ』 
    『そうだな、有難くいただこう。じゃあみんな、いただきます』
    『『『『『『『『いただきまーす!』』』』』』』』
    食べ盛りの九匹にかかれば、柿も油揚げも一瞬で腹の中に消えてしまう。少しでも弟たちが腹いっぱいになるようにと、自分の分の油揚げを弟たちに譲ってしまい手持ち無沙汰な脹相は、もう一度あの人間に思いを馳せる。
    次会う時は、約束どおり弟たち全員を守れるくらい強くて立派になって、あの人間にふさわしい狐になるのだ。稲荷の神使ではない脹相は直接神に奏上はできないが、天上の神々に並び立つくらい強くなれば、きっとあの人間の願いだって叶えてやれる。
    『傷が痛むか兄者ァ?』
    『いや、このくらい平気だ。俺はお兄ちゃんだからな』
    『でも無理はよくありません。それに怪我してるのに兄さんはまたご飯を譲って!私が支えますから兄さんは寄りかかってください』
    油でべた付く下の弟たちの口元を綺麗に舐めてやっていた脹相に、上の弟たちが心配そうに声を掛ける。脹相にとっては、前脚の痛みなんて弟たちの思いやりの前ではもう治ったも同然だった。それでも強い絆で結ばれた兄弟たちは互いに支えあい、九匹の小狐もまたガサゴソと茂みの奥に消えていく。
    弟か、弟以外か。
    その区別だけで十分だったはずの脹相の世界に、その日を境に、もう一つ特別な存在が生まれたのだった。




    「というわけで、悠仁ッ!俺と、番になってほしい!!」
    「……いや、なんで?」

    遥か時は流れてここは天上、極楽浄土。
    神、または神に並び立つほどの呪力を有する大妖怪である九尾の脹相が無名の鬼に求婚を断られた。そんな真偽不明の噂がある日を境に立ったらしい。あるいはその日極楽では特大の狐火が噴き上がったとか、上がらなかったとか……。
    兎にも角にも、まさかその日から百夜通いなんて目じゃないほどの求婚の嵐に見舞われるなんて、この時の悠仁はまだ知る由もなかった。



    *** *** ***



    カンッ!カンッ!カンッ!
    勢いよく振り下ろされた木槌の音が閻魔殿の一角に木霊する。地獄では死者の生前の行いに応じて裁きが下る。各々の罪の重さに応じて極楽に行ったり刑罰を受けたりする。今日もまた、とある死者の量刑を告げる声が仰々しい法廷の中に響き渡る。
    「この封筒にはオマエが生前に他人を騙して多額の金銭を得た証拠が入っている。……その顔色の変わりようを見ると、どうやら心当たりはあるようだな?何か弁明があるなら聞くぞ」
    「だ、騙してないっ!俺はただ、楽して稼ぎたいって奴らを手伝ってやっただけだ!その金だって必要経費だったんだから問題ないだろうが!」
    「それなら経費の多寡については保留しよう。だが必要な情報を伏せて契約を迫るのは詐欺罪に当たる。更にオマエは詐欺行為によって得た金銭を懐に入れている。これは地上でいうところの刑法第二百四十六条第一項詐欺に該当し」
    「さっきからごちゃごちゃうるせえんだよ!こんな裁判、インチキだ!」
    逆上した死者が暴言を吐こうと壇上の男の冷ややかな様子は変わらない。だが、男の背後に影ように控える巨大な天秤を模した式神は違ったらしい。縫い合わせた口と目がみるみるうちに吊り上がり、鬼の形相に変わっていく。慌てたのは、暴言を吐いた死者を連行していた若い獄卒である鬼の方だ。
    「おっちゃん、今のはヤバいって!俺も一緒に頭下げてやるから、さっきの言葉は取り消さねえっ!?あれじゃ余計に罪が重くなって、」
    「……被害者への謝罪も、真摯な反省の態度もなし。おまけに遺族からの陳情に相当する弔いも今日まで一度も確認できなかった。裁きの場で悪態をつくとなれば、もう言い残すこともないだろう。……これより、判決を言い渡すっ!」
    カンッ!カンッ!
    地獄の裁判官・日車が握る木槌の最後の一振りが、ことさら大きく、ゆっくりと振りかぶられた。ヒィ……と引き攣った声とともに、許しを請う声が上がろうがもう遅い。今や天井を覆い隠すほど巨大になった木槌が、獄卒諸共死者の頭上に振り下ろされる。
    ズドォォオンッ!
    すさまじい音と衝撃が部屋全体を揺るがした。そしてその中心で潰れた蛙のようにのびる死者に、憤怒の表情を浮かべた式神が主人の怒りを代弁するように絶叫する。
    『有罪!叫喚地獄行き!』
    「これにて結審とする。……刑期を終えるまでに、その腐った性根が叩き直されているよう願うばかりだな。虎杖、連れていけ」
    「いやその前に、日車さんは俺に謝んなきゃいけないことあるよね!?危うく俺も一緒に潰されるとこだったんですけどっ!?」
    「何を言う。君は身体能力に優れていて、現に今も俺の一撃を直前で避けてみせた。万が一巻き込まれても鬼の頑丈さなら耐えるだろし、怪我をしても獄卒だから労災も利く。ここは危険だが意義ある仕事場だ。君もそれを承知の上で働いているんじゃないのか?」
    「いや、それは、そうなんですけどね……?」
    本日最後の死者を引き攣るように次の係りに引き渡すや、悠仁は恨めしげな視線を日車に向けた。悠仁の上司にあたる日車は決して悪人ではない。頭が切れて、法律に詳しくて、正義感も倫理観も備わっている。死者を裁くのにこれほどの適任者は、地獄中探したってそうはいないと言い切れる。ただし大変な理屈屋で、こうやって時折悠仁を煙に巻くのが玉に瑕だ。
    どうにか言い返そうと頭を悩ませていると、意外な人物が悠仁に助け舟を出してくれた。
    「いくら手当が出ると言ってもただでさえ獄卒の数が足りないんです。そうホイホイ休まれちゃこっちにしわ寄せが来て困るんで程々で頼みますよ、日車センセ」
    「よぉ〜虎杖!相変わらず派手にやってるなあ!」
    「しゃけ!」
    「日下部先生にパンダ先輩、狗巻先輩も!お疲れ様ですっ!」
    「オイオイ、アタシには挨拶なしかよ?ほらこれ、明日使う裁判の記録だってよ」
    「あっ!真希先輩もお疲れ様ッス!資料持ってきてくれんのすっげえ助かります!」
    本日の役目を終えたはずの閻魔殿に、どやどやと悠仁の先輩に当たる獄卒達が入ってくる。この後何か予定が入ってただろうか……、と不思議そうな表情を浮かべる悠仁に、真希はうんざりした様子で肩をすくめてみせる。
    「どっかで呪霊だか妖怪だかが暴れてるんだとよ。地獄も無駄に広えからな。安全が確認できるまでは新しく死者は送り出すなって話し合いらしいぜ?あーあ、本当に毎日面倒ばっかで嫌になるよな」
    「そう腐るなよ、真希。報告にあった野干の群れなんて、この面子ならすぐ蹴散らせるさ」
    「ツナツナ」
    「ヤカンって確か狐の妖怪でしたっけ……?その、そんなにヤバい奴なんすか?」
    「変化で騙された、くらいなら可愛いもんだけどな。狐火ってのは人を迷わせる。アタシは見えねえから平気だが、下手に見える奴が知らねえ土地まで誘い出されてみろ。そこが最下層の阿鼻地獄だったら残念だがそいつはもう助かんねえし、助けられねえ。だから被害が出る前に元凶をぶちのめさなきゃなんねえんだよ」
    狐と言われ、ふと悠仁の脳裏を過ぎったのは長年自分の元に通い詰める神様の姿だった。悠仁が知るその狐は、確かにお騒がせな言動は多いけど無闇矢鱈に悪事を働くような奴じゃない。それでも自分が責められた訳でもないのに、どうしてか胸がざわつくのだ。そして不安はいつの間にか、顔にも出ていたらしい。
    「おーい、言っておくけど虎杖んとこの神様とは無関係だから、あんま気にすんなよ。てゆうかお前が凹んで俺らに怒りの矛先が向く方がマズいから元気出せよ?……で、最近その脹相とはどうなんだ?上手くやれてんのか?ん?」
    「いや、どうも何も俺らそんな関係じゃないッスけど……」
    「……なんだよ虎杖!オマエ、神様を手玉に取ってあれこれ貢がせてるなんて案外悪ィ事やってんじゃん」
    「しゃけしゃけ」
    「それは誤解ですって!そもそもいくら俺が断っても向こうが勝手にあれこれ押し付けてくるだけで……!」
    「そうは言ってもあのご大層な神様はお前に首ったけなんだろ?貰えるもんは貰っちまえよ。……ほら、噂をすれば今日も彼氏様がお出ましだぜ」
    「げっ……!」
    両脇を先輩達に固められた悠仁にも見えた。鴉天狗や朧車、そのほか有象無象が飛び交う地獄の空を裂くように、赤い炎が閻魔殿目掛けて一直線にかっ飛んできている。逃げる間すらない。文字通り流星のように飛んできた炎が轟音を立てて閻魔殿に突っ込んできたのだ。もうもうと上がる土煙の中から姿を表したのは、今しがた話題に上がった、悠仁もよく知る神様・脹相だった。一見すると白を基調にした紫の狩衣と黒の差袴を身に付けた普通の男に見えるかもしれない。それでも煙が晴れれば只者じゃないと誰もが直ぐに顔色を変える存在だ。
    「脹相っ!建物は壊すなって、俺何度も言ったよなっ!」
    「すまん、悠仁……!だがこれが一番悠仁に会いに来るのに早くて……」
    ぷりぷり怒る悠仁に叱られ、神様である筈の男は大きな図体を丸めて申し訳なさそうに頭を下げた。
    しかしその頭に生える狐耳も、ふさふさした九本の尾も、いずれも普通とは程遠い。そして何よりその身に纏う呪力の禍々しさが、男が超常の存在であると示していた。神様、大妖怪、千年狐狸。呼び方は様々だが、いずれにしても畏怖を込めて崇め奉られる存在には違いない。そんな神様相手に最初は戸惑った悠仁も、長年言い寄られているうちにすっかり脹相に慣れてしまっていた。
    不敬なのは百も承知だし、本来なら首が飛ぶ。それでも腹に据えかねてくどくど説教する悠仁は、今日という今日は許さんぞと表情を引き締める。番だ、求婚だという前に、この際ハッキリと伝えなければいけない事がある。
    「もお〜〜〜っ!神様だからって何やってもいいわけじゃねえんだけどっ!?」
    「すまない……、悠仁に会えると思うとどうにも力加減ができないんだ……。これでは番失格だ。壊したところを元に戻したら機嫌を直してくれるか……?」
    「そりゃまあ直せるんなら元通りにお願いしたい……って俺、オマエの番だなんて一言も認めた事ないんだけど」
    「悠仁の願いならなんだって叶えてやるから任せてくれ」
    「その心意気は嬉しいんだけど、ぶっ壊したのもオマエだからなんかスッキリしねえんだよなぁ……」

    釈然としない悠仁の前で脹相が力を振るうたびに、瓦礫が持ち上がり埃が一掃されていく。みるみるうちに崩れた壁が呪力で修復され、最後にはヒビ一つない元の姿に戻っていく。その様子はまさに神業の一言だ。ついでに上司の開けた大穴までも修復されていたので、始末書を書かなくて済むのは悠仁としても大助かりである。けれど先程の決意は早速揺らいでいて自分に、悠仁は内心複雑だった。脹相相手だといつもこうだ。ズレているが純粋な好意になんだかんだ甘えてしまう自分がいる。気恥ずかしさと負い目。その二つが複雑に絡み合って、悠仁はどうしてもこのはた迷惑な神様を邪険にできずにいた。
    「なかなか上手く直せたと思うんだがどうだ?悠仁に迷惑をかけた分、床も一緒に直したが余計だったか?」
    「いや、正直言って凄え助かる。助かるけどさ……」
    「な、なら!今日こそは俺の番になってくれるか……!?」
    「う〜〜ん……。悪いんだけど、それはちょっと難しい、かな……」
    「そうか……」
    悠仁の煮え切らない返答に、ピンと立った狐耳が元気を失いへにょりと垂れる。ふさふさの九尾も主人の悲しみを表すように萎んでしまった。これじゃまるで、悠仁がいたいけな動物を虐めているような有様だ。騙されるな、こんなナリでも神様なんだぞコイツと思い直しても、やっぱり良心はチクチク痛む。そんな双方の様子を見て、思うところがあったのだろう。今まで黙っていたパンダと真希が悠仁たちのやり取りに口を出す。
    「まあまあ。そうは言うが、神様に良くしてもらっておいて御礼もなしじゃ流石に申し訳ないよな?真希はどう思う?」
    「言えてる!この際、番がどうとかは一旦横に置いておけよ。なんたって相手は極楽におわす神様なんだ、虎杖だってほかの願いなら受けてやんなきゃだよなぁ?」
    「高菜~」
    「うっ……、確かに脹相にはなんだかんだ世話になってるし……。無茶振りしねえって約束できるんなら、まあ……」
    「本当か悠仁!それなら……!」
    外野の働きかけによる超消極的な了承にも係わらず、声を弾ませる脹相に悠仁はたじたじだ。耳も尻尾も、一時はしょげて悲しげに垂れ下がっていたが、今は嬉しげにぴこぴこと揺れている。そうも喜ばれては、次のお願いは断れまい。
    一体何を請われるのかと思わず身構えてしまった悠仁とは対照的に、興奮冷めやらぬ脹相はいそいそと懐から何かを取り出した。たぷん、と音を立てて揺れるそれは、この場にそぐわぬ意外な代物だ。
    「このあと時間があったら俺と一緒に酒を飲まないか悠仁?鬼は酒好きな者が多いから、きっと例に漏れず悠仁も酒が好きだと思ってな。もし俺と酒を酌み交わすのが嫌なら、その、貰ってくれるだけでも嬉しいんだが……。もしかして酒は嫌いか?」
    いかにも高価そうな瓢箪を手に、ハッとした脹相が悠仁の顔を覗き込む。さっきまであんなに浮かれていたのに、今はあわあわとなんとも情けない表情で悠仁の返答を待っている。これでも恐ろしく強大な力を持つ神様のはずだが、恋する悠仁の前ではいかに神様の脹相といえど形無しのようだ。そして、そうやって一人で赤くなったり青くなったり忙しい脹相に、つい悠仁も絆されてしまう。毎回毎回、脹相相手だといつもこうだ。本人はいたって真剣だから笑っちゃ悪いのに、張り詰めた気持ちがいつの間にか緩んでいる。福の神でもないのに、本当に不思議な神様である。
    「……あははっ、そんな心配せんでも酒は大好きだから安心して!つーかそんな高そうな酒、俺一人で飲んだらバチが当たるよ」
    「悠仁……!」
    「よーし話は纏まったな?んじゃ、虎杖はさっさとこいつを連れて上がれ。で、明日は仲を取り持ってやったあたしらに昼飯奢んの忘れんなよ」
    「頑張れよ虎杖~!骨は拾ってやるからな~」
    「それ今初めて聞いたんですけど!」
    ポイッと脹相と共に部屋の外につまみ出されて、悠仁の本日の業務は終了した。いや、本番はこれからなのだが、体よく先輩たちに追い払われたのだ。ぐぬぬ……といくら扉を睨んでも、これ以上は無駄だろう。それが分かるから、悠仁は溜息をついてから脹相に向き直る。
    「知ってるだろうけど、俺んち狭いしボロいけど文句言うなよ」
    「悠仁とならどこだって極楽だぞ?」
    「そういうのは綺麗なお姉さん相手に言えよ。あと、ここは極楽じゃなくて地獄」
    律儀に言葉を交わしながら、二人は閻魔殿を後にする。脹相に見初められてからというもの、悠仁が普通に退勤できたのはごく僅かな日数だ。そういえば、大抵はこうして連れ立って帰っている気さえする。
    (……今気付いたけどこれ外堀埋められてね?いや、でもコイツに限ってなぁ……)
    ちらっと盗み見た横顔は先程の騒々しさが嘘のように穏やかだ。時折見せる神様然とした姿とも、悠仁以外と関わる時のすまし顔とも、また違う。夕陽に照らされた表情はとろりと砂糖を溶かしたように柔らかい。そして思わず目を奪われた悠仁と、そんな悠仁に気付いた脹相の視線が交差した。慌てて目を逸らしても、どうやら脹相の追及を逃れるには少し遅かったらしい。
    「どうかしたか悠仁?」
    「なんでもねーって……。つーか、ただ俺んちに上がるだけでそんな楽しみ?」
    「勿論だ。しかし悠仁の家に招かれると知っていたら、もう少しめかし込んだんだが……」
    「ははっ、めかし込むって!そんな大したところじゃないよ。別にそのままだって、脹相は十分、その……」
    「悠仁?どうかしたか?」
    突然黙り込んだ悠仁を不審に思ったのだろう。脹相が様子を窺おうと覗き込むのに対し、悠仁は首を竦めて「なんでもないから今の忘れて……」と小さく抵抗するのみだ。誉め言葉なのだからそのまま気にせず伝えればいいのは、悠仁だって分かっている。けれど脹相本人を前に何故か口籠ってしまったのだから、今更悠仁にはどうしようもない。出来ることと言えば、夕陽が少しでも頬の赤みを紛らわせてくれるよう祈るだけだ
    心配そうな脹相の視線には気付かないふりをして、悠仁は少しでも脹相の気を逸らそうと別の話題を振った。
    「脹相はさ、今晩食いたいものある?酒持ってきてくれたお礼につまみは俺が作るよ」
    「悠仁の手料理が食べられるのか?」
    「そんな凝ったもんじゃないよ。ぱっと作って食えるってだけ」
    「謙遜しなくていい。料理までできるなんて、流石悠仁だ」
    「あのなあ……」
    悠仁は呆れ、それでもこらえ切れなかった笑いがくすりと零れた。態とおだてるなら腹の立てようもあるけれど、脹相に限ってそれはない。こうも期待されては悠仁も怒るに怒れず、どうにも胸がこそばゆかった。下心はあれど裏表のない賞賛に、頬に差す赤みもそろそろ夕陽を言い訳にできないくらい増している。そんな悠仁の焦りも知らずに、脹相はご機嫌な様子で揺れる九尾もそのままに、今夜に思いを馳せている。
    「悠仁が作る料理はきっとなんでも旨いだろうから、どんな料理でも楽しみだな」
    「……ふふっ、脹相、それって料理する奴が一番困る言葉だって知ってる?」
    「なっ、そうなのか!?俺はそんなつもりじゃ……!」
    「ごめんごめん、人によるけど俺は気にしねぇから平気だよ」
    そう言って宥めても、脹相の動揺はなかなか消えないようだった。ふさふさの九尾はかわるがわる悠仁に巻き付いて離れないし、端正な顔を横切る一文字も今はどろどろに溶けている。
    「そんなに泣かんでよ。お詫びになるか分かんねえけど、お前の好物も作るからさ。脹相はなんか食いたいもんねえの?」
    「……それなら、また油揚げが食べたい。昔悠仁がくれた油揚げが美味しくて今でも忘れられないんだ。思えばあの時から俺は悠仁に惹かれていて……」
    「また俺がよく知らん話してる……」
    怖……と呆れながらも、脹相の顔の紋様が徐々に元に戻り始めたのを見とめて悠仁はほっと胸を撫で下ろす。結局家に着くまで脹相の思い出語りは続き、悠仁もそれに耳を傾ける。悠仁の一挙手一投足に泣いたり笑ったり、悠仁に付き纏う神様は実に表情豊かで騒々しい。でも案外そんな脹相との時間が楽しいから、実は悠仁もこの時間が嫌いじゃなかったりする。最も、本人に伝えたら今よりもっとうるさくなるから、伝える予定はないけれど。夕陽に照らされ長く伸びた影を背負い、悠仁と脹相はゆっくりと家路についたのだった。



    *** *** ***



    その日、とっぷりと日が暮れ家々に明かり代わりの鬼火が灯るころ、悠仁の家の食卓にはいつもよりも贅沢な食事が並んでいた。こんにゃくの田楽に野菜の漬物、煎り豆などが小さなちゃぶ台の上にひしめき合い、悠仁の隣で目を輝かせた脹相が尻尾を膨らませて身を乗り出している。好物の油揚げが小松菜と一緒に煮びたしになったり、カリカリになるまで焼かれたり、悠仁の手で様々な料理に呪力も使わず変身しているのだ。部屋いっぱいに漂う旨そうな匂いに、脹相は興奮を隠し切れない様子で悠仁と食卓に交互に熱い視線を送っている。
    「凄いぞ悠仁!短時間でこれだけ料理を作るなんて、まさに天才だ!」
    「いちいち大げさだな~。極楽の神様なら普段からもっといいもん食ってるでしょ?」
    「一人だとどんな食事も味気ないから、俺は供え物には手を付けんな。五条だって食事はおざなりだぞ」
    「えぇー……、五条先生まで何してんの……」
    思わぬ形で知った知人の食生活に、悠仁は困惑するほかない。その狼狽えぶりに、脹相は笑いを噛み殺しながらも晩酌のために手を動かす。杯にとくとくと酒を注ぎながら、今回ばかりは世話になった五条の名誉のために、脹相は事の始まりを悠仁に明かす。
    「この酒の出所も五条だ。アイツが下戸なのは有名なんだが、それでも時折供物に酒が混じると嘆いていた。それを聞いた時に酒なら悠仁が好きなんじゃないかと思って、俺が貰い受けたんだ。だから、悠仁は遠慮せずに飲んでくれ」
    「んじゃ、五条先生に感謝して今日もお疲れさまでしたってことで乾杯!……って何この酒うっま!?」
    「悠仁、酒が零れてるぞ」
    「うわっ勿体ない!」
    驚きのあまり零した酒に、悠仁は慌てて杯を持ち直す。床や布巾に吸わせるにはあまりに惜しい。そう思って咄嗟に杯を支えた悠仁の指ごと、長い舌がペロリと酒を舐め取った。
    「確かにこれはイケる。五条もたまには役に立つな。悠仁?どうかしたか?」
    「お前さあ……。そういうの、絶対勘違いされるから女の子にやっちゃダメだかんな?」
    「悠仁にしかやらないから大丈夫だが」
    「それはそれで問題なんですけど……!」
    悠仁の曖昧な返答はやはり脹相には伝わらない。野狐だった頃の名残だろうか。首を傾げて不思議そうに狐耳をぴこぴこ動かす脹相に、悠仁は「そのあざとい動きも禁止!」と言いたくなるのをぐっと堪えた。この成人男性に狐耳を生えた一見事故みたいな見た目も、脹相に掛かれば何故か様になるのだ。これで顔も良いときたのだから、本当に訳が分からない。
    その気がなくても一瞬ドキリと胸が高なったのは不可抗力、百歩譲って狐耳に惹かれただけ。俺が悪いわけじゃないと悠仁は必死に抵抗する。けれどそんな悠仁の努力をよそに、脹相からの好意は止まらない。
    「どの料理も美味いぞ悠仁!これなら幾らでも食べられる!」
    「そ、そう……。口に合ったんなら良かったけど……」
    脹相は悠仁お手製の料理を一口食べるたびに、耳と尻尾をピンと伸ばして全身でめいいっぱい感動を伝えてくる。悠仁からすればこんな庶民的な食べ物を神様が口にしていいのか悩むが、本人が満足そうに頬張るのだからそれは言うまいと口を噤む。代わりにぐいっと杯を煽れば、脹相がすかさず空の杯に酒をなみなみと注いでくる。これではどちらが主賓か分かったもんじゃない。
    「手釈するから別にいいのに。脹相は神様なんだからもっと偉そうにどーんと構えたら?」
    「俺は神である前に悠仁が好きな一人の男だ。悠仁に威張り散らすより、安らげるようにしてやりたい。それだけだ」
    「……お前、よく変わってるって皆に言われない?」
    「褒め言葉だろう。悠仁限定だしな。」
    「あっそ……」
    酒を舐めていた悠仁だがその言葉を聞いて気が変わったのか、今度は悠仁が瓢箪を手に脹相に迫る。
    「それじゃ、俺ばっか飲んで瓢箪が空になる前に脹相もお酒味わってよ。じゃないと俺がぜーんぶ飲んで気まずくなっちゃう」
    「悠仁の希望なら喜んでもいただこう。ただこの瓢箪は干せないんじゃないか?五条曰く、特別製らしいからいくら飲んでも中身が減らないんだそうだ」
    「はあっ!?お前また俺の家にそんなお宝持ってきたの!?」
    「そうは言うが、俺や五条の元では死蔵するより他にない。悠仁が喜んで使ってくれる方がこいつも道具冥利に尽きるだろう。俺も美味そうに酒を飲む悠仁の姿が見られて満足した」
    「そりゃお前はそうなんだろうけど!そういう大事な事は先に言えよ!」
    そう言って驚きに縮み上がった悠仁を慰めるように、悠仁の杯にまた脹相が酒を注ぐ。
    どうやらこれで機嫌を直してくれという事らしい。すまなそうに腰に巻き付く尻尾に嘆息して、悠仁は勢いよく杯を仰ぐ。こんな些細な怒りで脹相との酒宴が終わるのは、少し勿体ない気がしたのだ。ダンッ、と行儀悪く空の杯を置いた悠仁は一瞬逡巡した後に、キッと脹相に向き直る。
    「今回だけっ、今回だけだからな!もう高価なお宝は俺の家に持ってきちゃダメだし、職場に約束無しで突撃しないって約束できる!?」
    「悠仁……!」
    いたく感動する脹相にうっ……と悠仁はたじろいだ。だって長年脹相から向けられる愛情はちっとも変わらず、色褪せる気配もない。どこかお人好しのきらいがある悠仁は、どうしたってその愛に絆されるのだ。
    健気で一途で、ちょっと騒がしいが基本脹相はいい奴だ。仕事柄大勢の死者と関わる悠仁は、人を見る目には自信がある。だからこそ、そんな脹相の好意を袖にしている自分に負い目を感じる時がある。いつまで経っても応えられない愛情に、申し訳なさを感じてしまうのだ。
    脹相の両腕と九尾、その全部に感動のあまり揉みくちゃに包まれながら、悠仁は脹相に問いかけた。今なら酒の勢いに任せて尋ねられる、そんな気がした。
    「……脹相はさ、もし俺が一生お前のこと好きにならないって分かったらどうすんの?」
    「考えた事もなかったが、そうだな……。もしそうだとしたら、今よりもっと立派になって悠仁が惚れ直すように努力する、か……?」
    「ふはっ、なんだよそれ。もっとこう、俺を脅して無理矢理とか考えないの?」
    「悠仁を番にしたいと思ったのは俺の意思だ。だから悠仁に無理強いしたくはないし、きっとそんな事したら悠仁はもう笑ってくれないだろう?それは嫌だし、もし叶うなら悠仁も悠仁自身の意思で俺を選んでほしい。悠仁が振り向いてくれる日まで努力あるのみだな」
    「そっか……」
    答えてくれてありがと、と小さく返せば、脹相の手が応えるように悠仁の頭を撫でる。それに呼応するように、九本のふさふさの尻尾もそれぞれが悠仁を労うように背や肩を撫で始めた。
    悠仁の杯にまた新たな酒を注ぎながら、脹相は優しく悠仁に声を掛ける。
    「悠仁が俺の求婚を重荷に感じる必要はない。ただいつか、応えたいと思った時に応えてくれればいい」
    「……求婚止めないんだ?」
    「それは……、その……やはり迷惑、だったか……?」
    「ははっ、意地悪しちゃって御免って!そんなんじゃないよ。ほらっ、飲み直そうぜ?」
    慌てた途端にまた崩れ始めた脹相の鼻筋の紋様を笑って、悠仁も脹相の杯を酒で満たす。
    そのあとの会話もぽつりぽつりと交わされる会話は途切れそうで途切れない。
    「働きながら家の事まで取り仕切るなんて悠仁は頑張り屋だな。ん、明日は休み?それならもう一杯飲むか?」
    「『前から思ってたけど神様ってのも大変だね』……?まあ確かによく分からん決まりには辟易するが、慣れてしまえばなんて事はない。えっ、凄い……?そ、そうかっ……」
    「尻尾なら好きに触っていいぞ。ふふっ、この九尾は俺の自慢なんだ」
    いろいろ話した筈なのだが、どうにも急激に酒を煽ったせいで悠仁の頭はふわふわとおぼつかない。
    ただ脹相と飲むのも案外悪くはないと感じていた、ような気がする。
    鬼なのにすっかり酒精の回った悠仁が最後に見たのは、天井付近に燃える明かり代わりの鬼火と、「水を飲むか?」と悠仁を心配そうに覗き込む脹相の姿だった。



    *** *** ***



    ふっと沈んでいた意識が戻り、瞳に差し込む光に悠仁はそっと目を開けた。
    (朝……?つーか、俺いつの間に寝たんだ……って、うおっ!?)
    いきなり目の前に大写しされた脹相に驚いて飛び退ろうとした瞬間、悠仁は今の状況をようやく理解した。黒々とつややかな太い尻尾が上にも下にも重なって、悠仁の身体を包んでいた。まるで自分まで狐になって巣穴の中で身を寄せ合ってるみたいな気分だった。
    最も人間の時ならいざ知らず、鬼の悠仁が身体を冷やすなんて八寒地獄の仕事帰りでもなければありえないと、脹相も知っているはずなのだが……。
    枕代わりのふかふかの尻尾に顔をうずめていた悠仁はそっと脹相を見上げる。
    日中は騒がしくてゆっくり観察する暇もないが、まじまじ見ると顔の造りだって悪くない。多分誰よりも近くで微笑まれる悠仁が、それを一番よく知っている。
    「衆合地獄のお姉さんたちにもモテんのに勿体ねえの……。いや、九尾の神様とか極楽にだって絶対狙ってる奴いるし、お前のせいで俺も結構大変なんだけどさ……」
    同僚のパンダ先輩から「極楽の九尾からの求愛を断る鬼がいるらしいって噂聞いたんだけど、これ虎杖の事だろ?大丈夫か?変なふぇろもんでも出てるんじゃねーか?」と言われた時の悠仁の気持ちなんて、目の前で幸せそうに眠る狐には分かるまい。
    どうしてくれんだよ全く……、と嘆息して悠仁はその頭にそっと手を伸ばす。獄卒の仕事ですっかり硬くなった掌をくすぐるのは、尻尾同様ふさふさで時折ピクッと震える立派な狐耳だ。悠仁の隣で眠るのは、今や生前の朧気な記憶の小狐とは似ても似つかぬ立派な九尾の黒狐だった。
    聞けば、今は善狐として人々に崇め奉られる神の一柱なのだという。本来なら畏れ多くて一生縁のない雲の上の存在のはずなのだが、一体悠仁の何を気に入ったのか、この変わり者の神様・脹相はもう随分と長いことこのボロ屋に通い続けている。
    『……っ、ずっと捜していたんだ!悠仁で相違ないか!?俺と結婚してくれっ!!』
    『えっ!?だ、誰っ!?つーか何で俺の名前知ってんの、じゃなくてえっーと……ドコカデ オアイシタ デショウカ……?』
    『そんなに畏まる必要はないぞ悠仁。それにまだ力もなく弱っていた俺たちを助けてくれたあの日に、悠仁から教えてくれたんじゃないか。あの時から俺はいつか悠仁に釣り合う立派な狐になったら、必ず悠仁を娶ろうと決めていたんだ!どうだ悠仁、俺はお前が認めるくらい立派になれたか?ああ、夢みたいだ!触れを出して祝言を挙げなくては……!』
    『ちょっ苦しい……、苦しいから、離しっ……!頼むから俺にも、分かるように説明してー!』
    あの日たまたま上司の供として極楽に出向いた悠仁は、そこで働く脹相と嵐のような再会を果たした。脹相曰く、あれは運命の再会であり自分たちは番になるべくしてもう一度巡り合えたのだそうだ。それからというもの、悠仁の生活から「平穏」の二文字は瞬く間に地平の彼方へ遠ざかり、代わりに目を剥くような毎日が始まった。悠仁の元に脹相が通い詰めるようになったからだ。
    悠仁に似合うと思ったんだ、とピカピカ光る蓬莱の珠の枝を持ってくる。揃いの服を仕立てたんだ、と火鼠の皮衣を持ってくる。最初の頃は一事が万事この調子だったので、青くなって「今すぐ返して来い!」と神様相手に思わず叱りつけたのも、今となってはいい思い出である。
    それでもめげずに長年せっせと脹相が貢ぐせいで、古ぼけた悠仁の家の押し入れには文字どおり宝の山ができている。贈った当の脹相は「気に入らなかったら金に換えてくれ」などとのたまうが、流石にそれは憚られた。悠仁だって鬼じゃない。いや、鬼には違いないのだけど……。もう悠仁は脹相にそこまで冷徹な態度は取れそうにない。
    「番ってのはピンとこねーけど、俺たちほとんど毎日会ってるようなもんだろ。どっちかって言うと家族……いや兄弟かな?そっちの方が俺はしっくりくるんだよね。……とにかくさ、俺はお前といる毎日は退屈しなくって面白れえから好きだよ」
    それは極々小さな、野外の虫の音にさえ掻き消されてしまいそうな独白だった。
    あまりにもか細い声で告げたから、硬い両の掌で狐耳にそっと蓋をするだけできっと目の前の相手には届かない。
    けれど、めざとく「好き」の一言だけは夢の中でも捉えたのかもしれない。ピクッと震える耳がいかにも脹相らしくて、知らず知らずのうちに悠仁の顔にも微笑みが浮かぶ。でもその微笑は、いつもと違ってどこか少し元気がないようだった。
    「騒がしいのも面白れえのも好きだし、お前が良い奴なのもこんだけ通い詰められたら嫌でも分かるよ。でもさ、昔お前を助けたのも立派になれって言ったのも、全部昔の俺だろ?それなのに今の俺が求婚に応えるのってなんか違うんじゃねえかな……」
    いっそフツーの神様らしく、こっちの意志なんてお構いなしに攫ってくれればよかったのだ。訳も分からぬうちに祝言でもなんでも挙げてくれたら、こんな悩みを抱く事も無かったのに……。嗚呼、でも、コイツが強引なだけの神様だったらここまで惹かれたかな。
    今まで散々脹相の求婚を袖にしてきたのに、あまりにも身勝手な考えだった。
    悠仁自身もそれが分かっているから、この悩みはずっと胸に秘めたままだ。そもそも長い時を経て神様になった脹相にとって、きっと人間の頃の悠仁と鬼になった今の悠仁は地続きで同一の存在なのだろう。前に尋ねた時に血で分かる、魂が同じだとかなんとか言っていた気もする。
    でも悠仁にとって過去と現在の繋がりはあまりに希薄で、せいぜいそんな事もあったかな程度の記憶しかない。
    だからだろうか、脹相が過去の出会いを語るたびに心のどこかでさざ波が立った。
    俺だけど、俺じゃない昔の俺。
    そいつが脹相が出会ったからこそ、今こうして悠仁は脹相と共に過ごせるのだ。頭では分かっているのに、どうしても心が臍を曲げてしまうのだ。昔の自分への嫉妬で求婚に応えられないなんて、本当に情けないにも程がある。
    「神様を弄ぶなんてどんな罰が下るんだろうなあ、俺……。」
    きっと考えるまでもなく有罪で、重い刑罰が科されるだろう。
    いっそ好意を手放せばとも考えたが、絶え間なく注がれる愛情に悠仁の胸がいっぱいになる方がずっとずっと早いから、やっぱりそれも難しい。しこたま飲んで酔った悠仁では、いくら悩んでも複雑な恋心に明確な判決は下せそうになかった。
    ハアァァ、とひときわ大きな溜息と共に悠仁の片手が億劫そうに空を切れば、室内を漂う青白い鬼火が火の粉を巻き上げてフッと消える。
    灯りを失って真っ暗な室内に残るのは、あとは野外の虫の音と微かな衣擦れの音だけだ。
    「……おやすみ」
    返事はなかった。
    脹相は既に夢の中だから当然と言えば当然なのだが、いつもの騒がしさに慣れた悠仁には少しだけ物足りない。
    けれど返事代わりに、何本もの尻尾に優しく身体を引き寄せられ、温かい身体と尻尾にぴったり包まれると、やっぱり離れがたかった。
    こうやって二人で引っ付いていると、心のどこかで本当は嬉しいと感じる自分が居るのを悠仁だって分かっている。
    さっきは番より兄弟でいいなんて言ったけど、いざ脹相が別の誰かを番にしたら、きっと悠仁は思いっきり凹むだろう。
    でも、求婚を迫る脹相に悠仁はどう応えたらいいのだろう。
    (お前を助けたのは厳密には俺じゃない?過去の俺じゃなくて今の俺を見てほしい?もっと他に相応しい奴がいるんじゃない?……やっぱ最後のはナシ)
    良くない考えばかりがグルグルと悠仁の頭の中を駆け巡る。
    せっかく美味い酒にありつけて、酔った勢いとはいえ脹相と共寝までしてるのに、このままじゃ落ち込むばかりだ。
    もう寝よう、と今度こそ悠仁は尻尾に身を沈めて目を閉じる。少しばかり潤んだ瞳も、明日の朝になればきっと元通りになるはずだ。
    (たった一言『好き』って言うだけなのに……。昔の、人間だった頃の俺だったら言えたんかなあ……)
    意識を手放す直前に小さな棘がまた一つ、悠仁の胸をチクリと刺す。それでも睡魔には抗えず、やがて脹相に続いて悠仁も深い眠りへと落ちていく。
    そうして次第に夜も更け二人分の寝息だけが響くなか、悠仁の頬を伝った涙が一本の尻尾に落ちたその瞬間、突如暗闇から辺りを煌々と照らす真っ赤な炎が上がった。



    *** *** ***



    『悠仁、出てきてくれ悠仁!迎えに来るのが遅くなったがやっと立派な九尾になれたんだ!これならきっと、悠仁の願いだって叶えてやれる!』

    ふと気付けば、先程床に就いたはずの悠仁はなぜか生前暮らしていた山小屋の前に立っていた。
    そして直ぐに、これは夢だと直感した。だって今の悠仁は人間から鬼になり、今日も今日とて地の底で亡者相手に獄卒として労働に勤しんでいたのだ。これは現実じゃないと直ぐに分かった。けれど夢とわかった今も、悠仁はぐるぐると小屋の周りを徘徊するとある狐から目を離せずにいる。狐には珍しい黒の毛皮で、ふさふさした九尾の持ち主なんて、悠仁の知り合いには一人しかいない。鼻筋には横切るように一際黒い模様まであるとくれば、もはや間違えようもなかった。
    『留守……いや、あれから随分時間が経っているからな。別の住処に移ったなら探し出して、礼を伝えて、それから番になってくれと言わないと』
    無人の廃屋を前にその狐は九本の尻尾を振り振り思案していたが、やがてピンと耳を立てて悠仁の隣を素通りする。
    夢の中だからか、こちらの姿は狐には見えていないようだった。
    そう頭では冷静に物事を捉えられても、どうしてか胸がざわついた。
    悠仁がよく知る脹相は、悠仁を見つけるや目を輝かせて一目散に駆け寄ってくるのだ。こんな風にすぐ傍で手が触れ合う距離にいるのに見向きもされない。その視界に入らない。夢の中とはいえ、脹相からそこに居ないものとして扱われるなんて思いもよらなかった。
    もしこの先、脹相が別の誰かと番になったら、いつかこんな日が現実になるんだろうか……?
    想像するだけで身体の芯が冷えるような、ずっしりと胃の腑が重くなるような心地だった。正直言って、気分は最悪だ。そしてそんな悠仁とは対照的に、まさにこれから悠仁探しの旅に出る脹相はご機嫌だった。
    『悠仁の願いは田んぼの実入りが良くなるように、だったな? どれが悠仁の田か分からんが、行く先々の田畑全部にまじないを掛けていけば、そのうち悠仁の田に行き当たるだろう』
    手始めにと脹相が駆け寄った田畑は遠い昔、悠仁と祖父が山を拓いた土地だった。
    最も、今はもう手入れもされず放置されているから、一見すると雑草が伸び放題のただの草むらに過ぎない。その荒れ具合を見れば、人間として悠仁が生きていた頃から既に長い年月が経っているだろうことは誰の目にも明らかだった。
    ただ一人、うんと立派な妖狐になり永遠のような時を生きる脹相を除いては。
    かたわらで旅の結末を知る悠仁が複雑そうに見守るなか、脹相が九尾を一振りするとボッと音を立てて悠仁たちの周囲に狐火が灯る。
    更にもう一振りすれば狐火はみるみるうちに大きくなって脹相(とついでに悠仁)を囲む八匹の狐の形に変化する。
    めらめらと真っ赤な炎の輪郭を持った狐たちは呼び出されるやいなや、みな一目散に脹相の元へと駆け寄った。
    『兄さんの番はどんな方なんでしょうね。家族になると知っていたら、あの時茂みからお顔だけでも拝見すればよかった』
    『飯をくれたから俺は兄者の番のこと好きだぞお。いつかお礼がしてえんだよなぁ』
    『じきに会えるし、きっとお前たちも気にいるさ。……悠仁が腹を空かせることがないくらい、此処が豊かな土地になりますように。悠仁が健やかに暮らせるくらい、此処が穏やかな土地でありますように。……うん、初めてならこんなものだろう。それじゃあ皆行くぞ』
    『『『『『『『『はーい!』』』』』』』』
    わいわい盛り上がる弟たちに清めの炎を吐き終えた脹相が向き直る。
    その晴れやかで自信に満ちた表情から思うに、求婚を断られるなんて考えもしなかっただろう。約束通り立派な狐になったのだから尚更だ。
    (神様からの求婚を蹴る奴なんてフツーはいねえし、断ったらもっとおっかねえ事になるとかザラだもんな……)
    ずっと探していた相手からはとうに忘れられ、結婚を渋られるなんて、神様相手なら本来は呪われたり祟られたりしてもおかしくない。けれど脹相の愛は呪いに変じる事もなく、今も変わらず悠仁に注がれている。
    生前の悠仁に向ける愛情を今の悠仁が受け取っていいのかは分からないし、苦しくないと言えば嘘になる。
    でも、注がれた愛情は確かに悠仁の心の隙間を埋めていった。爺ちゃんはもういなくて、ふと隣に誰かがいたらと思う時はいつだって脹相が悠仁の前に現れる。たまに姿を見せない時は、ついに飽きられたと柄にもなく凹んだ夜も実はあった。
    絆された、根負けした。それでもいつしかその愛情に応えたいと思ったのは、悠仁自身の想いにほかならない。
    「あのさ、脹相!俺、本当はお前に言わなきゃいけないことが……って、冷たっ!!」
    悠仁が悶々としているうちに、辺り一面を清めた炎は煙となって空に昇り、太陽が燦々と輝く空から雨となって悠仁の上にも降り注ぐ。狐の行列に付き物の天気雨が、しとどに悠仁を濡らしていく。
    その雫が流れ落ちるより早く、悠仁は脹相の元へと走り出した。
    天気雨と一緒に遠ざかる後ろ姿に、ひた隠しにしていた想いが遂に堰を切ったようにあふれ出す。
    「脹相!俺もさっ、本当はお前のことずっと……!!」
    いっぱい謝ったら、本当はずっと前から秘めた気持ちを伝えよう。快晴の空から雨が降る中、陽炎のようにゆらめく脹相たち狐の一行の姿がぐにゃりと歪んで、悠仁はさらに速度を上げる。このままでは想いを告げる前に脹相が消えてしまう。
    列をなして進む狐たちを抜き去り、悠仁の手が真っ赤な狐火を灯す脹相の尻尾を掴んだその瞬間、ジュウゥッと掌が焼けるように痛んで、目が眩むような熱と光が悠仁を包む。そして……。



    *** *** ***



    「熱っちぃ!」
    目が眩むほどの熱と光、ついでに焦げ臭い匂いまで加わって、悠仁はたまらずふさふさの尻尾を蹴飛ばすように跳ね起きた。肩で息をする悠仁の目に飛び込んできたのは見慣れた我が家の板の間で、生前の住居や狐の行列はどこにもない。
    慌てて室内を見回せば、眠る前に確かに消したと思った鬼火がふわふわふよふよと悠仁の目の前を横切った。しかも二つも、だ。流石に深酒しすぎたかな……、と悠仁は昨夜の所業に落胆する。窓から差し込む朝日はまだ少し柔らかくて、今が明朝なのだと暗に悠仁に告げている。そして先程の悠仁の悲鳴に反応したのだろう。隣で寝ていた脹相が眠たそうな目を擦ってのっそりと起き上がる。
    「あ、悪りぃ……。起こしちゃった?」
    「……俺は平気だが悠仁こそどうした?ここ、怪我しているぞ」
    「えっマジで!?うわ〜髪焦げてんじゃん……」
    トン、と己の額を指し示した脹相に倣って額に手をやると、焦げた前髪の感触が掌を通して伝わってくる。鬼だから火傷なんて痛くも痒くもないけれど、夢と違って心配そうに様子を窺ってくる脹相のせいで胸だけがくすぐったい。
    そういえば生前脹相と初めて遭遇した時もこんな風に髪を焦がした覚えがあるけど、あいにく朧げな記憶ではその時抱いた感情までは分からなかった。
    今の悠仁がそうであるように、もしかしたら人間だった頃の悠仁も脹相に惹かれたりしたのだろうか。いつもならこの気持ちに蓋をして、見ないふりもできたと思う。でもあんな夢を見た後だからか、気付いたら悠仁がずっと隠していた想いが一つ、また一つと零れていく。
    「あのさ……、答えたくなかったら別にいいんだけど、脹相は人間だった頃の俺と今の俺だったらどっちが好き……?」
    「……?悠仁、俺は」
    「いやこの聞き方は流石にズルいか。人間だった頃の俺と、今の俺っておまえには同じに見えてるのって聞いた方がいいかな……。多分脹相みたいな神様がずーっと一途に俺のこと好きでいてくれたのって、きっと俺が思うよりずっと光栄な事だと思うんだよね。そりゃあ最初は驚いたけど、四六時中一緒にいたら俺も毎日楽しくなって……。その、お、おまえと番ってのも悪くねーかなとか考えたりもしたんだけど……」
    「ほ、本当かっ!?」
    「だーっ、もう!人の話は最後まで聞けっての!」
    番の一言で沸き立つ脹相を悠仁はピシャリと叱りつける。
    本当は悠仁だって一緒になって騒ぎたかった。でも長年抱え続けた疑問が熾火のように燻るせいで、まっすぐに向けられる好意すら今の悠仁では持て余してしまうのだ。好きと言われるたびにこっそり舞い上がって、やっぱり自分の事じゃないのかもと落ち込んだ。こんな責め苦、きっと地獄のどこを探したってないだろう。
    それでも目の前の神様が好きで好きで堪らない。だから例えこの恋が報われなくとも、例え脹相の「好き」が悠仁を通した別人に向けられていたとしても、今ここでちゃんと目を見て想いの丈を伝えたかった。
    「魂が同じだからって言うけど、それって元を辿ると昔の俺に対して好きって思ったのが切っ掛けだろ?昔の俺が好きだから今も好きって言われてるみたいで複雑っていうかさ……。我が儘かもしんないけど、脹相には今の俺のことを好きって思ってほしい。……と、突然こんなこと言われたって困るよな!その、ごめん……」
    自分の想いがひどく自己中心的な気がして、悠仁は俯いた。嘘偽りは一切ないが夢で脹相の過去を知っているから、尚更申し訳なくて顔を上げられなかった。
    やっぱり嫌われただろうか?さっきから一言も喋らない脹相が悠仁の告白をどう捉えたかは分からない。もし怒っているのならば、呪われたって文句は言えないだろう。
    神様を弄ぶなんてそれだけで重罪なのだ。
    獄卒として裁判の立ち会う悠仁も知識として知っていたから、どんな罰でも受ける覚悟だ。でもいざその時が来ると、まるで世界でたった一人取り残されたように心細い。脹相がいるから寂しくなくなったけど、これでまた一人に逆戻りかもしれない。
    そう怯える悠仁の内心を知ってか知らずか、泣かないようにと握りしめた拳を一回り大きな掌に包みこまれると、堪えきれなかった涙がじわりと目尻に浮かんでしまう。
    「顔を上げてくれ悠仁」
    「でも俺、お前に酷いことしてたし……」
    「そんなことはない。悠仁、泣かないでくれ。悠仁が泣くと俺も悲しい」
    「……別に泣いてねーよ」
    強がって、つい可愛くない返事をしても脹相の眼差しはいつもと変わらず柔らかい。
    けれど困惑するまま更に言い募ろうとする悠仁を制し、今度は脹相が先に口を開く。甘く低く、悠仁の大好きな声がゆっくりと愛を紡ぎ出した。
    「悠仁も俺を好いていてくれたなんて夢みたいだ。だが、俺のせいでずっと不安にさせていてすまなかった」
    「脹相が謝る必要ないだろ。俺が勝手に気にして一人で凹んでただけなんだし……」
    「それでも悠仁を悲しませていい理由にはならない筈だ。確かに、俺が悠仁に好意を抱く切っ掛けになったのは、間違いなく人間だった頃の悠仁が俺たち兄弟を助けてくれたからだ。あの時はまだ小狐だったし、人間にも優しい奴がいるなんて知らなかったから随分驚いたんだぞ」
    「ははっ、確かにお前こーんなに小さかったもんな」
    「悠仁を番にしようと思い立ったのも小狐の頃だ。俺はどこぞの神の眷属や神使の狐じゃないから、神頼みより俺自身が力をつけて悠仁を番に迎えた方がいいと思ったんだ。その方が悠仁が腹を空かせることもないだろうと。まあ、実際そう上手くはいかなかったが……」
    「こればっかりは仕方ねえよ。ただの人間と九尾の狐じゃ寿命の差があるだろうし……、俺もお前が迎えに来るまで生きていられなくてごめん」
    「多少時間はかかったが、こうして悠仁にまた会えた。それだけで俺は十分だ」
    ぎゅっと強く抱きしめられ、悠仁は脹相の腕の中に囚われる。常人だったら骨が軋んで早々に降参するような熱い抱擁も、頑丈な鬼の悠仁にはこのくらい力強い方が心地よかった。寂しさを嫌うあまり、夢のように離れ離れになる方が堪えてしまう性質なのだろう。ぽんぽんと優しくあやされながら、悠仁は脹相の言葉に耳を傾ける。
    「番になろうと考えたのは、確かに人間の悠仁との出会いが切っ掛けだ。人間の悠仁は俺の命の恩人で、俺に恋心を気付かせてくれたか大切な人だ。でも共にはいられず、結局会えたのはあの時一度きりだ。憧れも大いに抱いていた。だからだろうな、今の悠仁と再会して共に過ごすうちに、俺が一生をかけて愛したいと思ったのは今目の前にいる悠仁になった。悠仁が優しいのは生前から分かっていたが、仕事に真摯に取り組むのも、皆に好かれる存在なのも、酒や博打を好むのも、実は寂しがり屋なのも全部全部、再会して共に過ごすうちに初めて知った俺の番のかわいい一面だ。これからも俺は悠仁の隣で寄り添っていたい。番になって、新たにみせる笑顔や泣き顔を全部俺が一番初めに見たいんだ。……悠仁、どうか俺の番になってくれ」
    「うんっ……!俺もっ、俺も本当はっ……!ずうっと、脹相のつ、番に、なりたかった……!」
    「ああ、これからはずっと一緒だ悠仁……!」
    誰かの代わりなんかじゃない。互いに心から通じ合ったと分かり最後の胸のつかえが取れたから、悠仁の黄金色の瞳から一粒、また一粒と大粒の涙が溢れてくる。
    ちゅっ、ちゅっ、と脹相が目尻を啄み、仕上げにぺろりと頬を舐め上げても、涙の跡は増えていく一方だ。澄ましていれば漢前な脹相だが、今はその凛々しい眉を八の字にして心配そうに悠仁の顔を覗き込む。
    「そんなに泣いたらいつか悠仁の目が溶けてしまうな」
    「恥ずかしいからあんま見んなよ……。これは痛いとか辛いって時に出る涙じゃねえから、その、大丈夫だから……」
    「そうなのか?しかし悠仁が泣いているとどうにも落ち着かん……。何か俺に出来ることはないか?悠仁が望むならどんな願いだって叶えてやる。だから、どうか泣き止んでくれ」
    「……それってすっげえくだらねえお願いでもいいの?嗤ったり呆れたりしねえって約束できる?」
    「勿論だ」
    愛しい悠仁の申出に、脹相はその内容も聞かずに快諾してしまった。番になれた喜びと、どんな願いにも応えるようという自信と、溢れんばかりの愛情がごっちゃになり、九本の尻尾も彼の背後で弾むように揺れている。
    その姿は威厳ある神様というより、どちらかと言えば恋に浮かれた若人そのものだ。
    けれどその様子に感化されたのか、はたまた悠仁自身も浮かれているのか。いつもの快活さはなりを潜め、微かに頬を染めて恥じらった悠仁もまた、おずおずと口を開く。
    「番って、つまり俺たち恋人になったんだよな?……それじゃあ、キスしたいって言ったらさ、叶えてくれるの……?」
    「きす?」
    「えーっと、お前の知ってる言葉だと……口吸い、かな……」
    「口吸い……!」
    悠仁の説明に脹相はすぐに合点がいったのだろう。
    ふさふさの狐耳は緊張でピンッと直立し、鼻筋の黒い紋様の端が動揺でじわりと滲む。
    しかし腕の中で首元まで赤く染めていた悠仁を見て、脹相も覚悟を決めた。
    自分以上にいっぱいいっぱいな番を、今はどうか安心させてやりたかった。長年思い悩んだ分、たくさんの幸福を与えてやりたい。
    神としてではなく番として、不安に駆られる暇も無いほどに溺れるくらいの愛情を注いでやりたかった。
    脹相はすりすりと鼻筋同士を擦り合わせ、ようやく視線を合わせてくれた悠仁に微笑んだ。
    「恋人もいいが、俺は悠仁と夫婦の契りとしてキスがしたい。いいか?」
    「……うん」
    髪色と同じくらい茹だった頬が脹相の筋張った手で包まれ、差し込む朝日からもその横顔を隠してしまう。桃と黒の不思議な髪も、稲穂輝く黄金の瞳も、今は少し控えめな笑顔も、今日この瞬間から全部脹相のものだった。
    腰に回した腕で悠仁の身体を確かめるように撫で上げれば、逞しい肉体を震わせながらも、悠仁は脹相にされるがままだ。九本の尻尾が四肢に絡みつくように巻き付いてもそれは変わらない。恥じらう様に目を閉じて、一度も抵抗らしい抵抗はみせなかった。
    もう二人を隔てる障害は何も無い。脹相はそっとキスを待つ悠仁に顔を寄せた。
    朝日が昇るなか、ちゅ、ちゅ、とまるで小鳥が啄むように二度、三度と唇が重なってまた離れる。
    脹相の手がキスに合わせて何度も悠仁の頭を撫で、小さく生えた角を擽ってやるうちに、徐々に悠仁の身体も強張りが解けたのだろう。
    満足げな笑みを浮かべた脹相は目を細めて、悠仁にそっと睦言を囁いた。
    「次はもっと深いキスをしような。口を開けて、……そう、悠仁はいい子だな。流石、俺の番だ」
    「んぅ、あっ……ちょ、そ ……ふぅ、んっ……んぅ!」
    脹相の長い舌が悠仁の口内を我が物顔で蹂躙する。奥で縮こまっていた悠仁の舌も絡め取られ、くちゅりくちゅりとねぶられ、しごかれれ、悠仁は次第にぼうっと頭の奥が痺れていく。息苦しい。けれどじゅううっ、と口外まで引き出された舌を好き勝手吸われたり甘噛みされたりすると、悠仁はただただ恥ずかしくも気持ちが良くて堪らなかった。
    「ん、暫くは俺の呪力にあてられるだろうが心配いらないぞ。慣れるまでずっと傍にいるからな」
    「そーいうのは、先にっ、言えってのっ……!」
    「すまない。しかし、悠仁はやはりどこか痛むんじゃないか?声も震えているし、なんだか泣きそうだ」
    「こんだけ好き勝手やっておいてお前なあ……!」
    ようやく満足したのか最後にぺろりと悠仁の唇をひと舐めして離れた脹相に、悠仁は思わず悪態をついた。悠仁にだって矜持がある。お前とのキスのせいで足腰に力が入りません、なんて馬鹿正直に白状なんか絶対にしたくない。
    この狐に一泡吹かせられるような妙案は何かないものか。そこまで考えて、悠仁は拭った口元にニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
    「なあ脹相」
    「どうした悠仁?」
    名前を呼ばれ素直に顔を寄せた脹相の襟元を引っ掴んで引き寄せて、先程の仕返しとばかりに今度は悠仁からキスを送る。ただ唇を押し付けただけで技巧もへったくれもないキスだ。でも、そんな可愛らしいキスでも脹相には効果覿面だったらしい。目を見開いてわなわなと震える脹相に、悪戯を仕掛けた悠仁の方が思わずといった様子で吹き出してしまう。
    「あっはは!なんて顔してんだよ、お前!」
    「ゆ、ゆゆゆゆ悠仁からの初めてのキスだぞっ!こんなの、動揺しない奴の方がどうかしてる……」
    「なーに言ってんだよ。番になりたいって言ったのはお前じゃん。そもそも番が夫婦だって言うなら俺たちさあ、」
    これからもっと凄いこともするんじゃねーの?と、悠仁はピンと立ち上がった脹相の耳に甘い言葉を吹き込んだ。脹相から返答はない。でも声にならない声とともに、どろりと溶け出した顔の紋様を見て、悠仁は意趣返しの成功を確信した。ついでに崩れた紋様からあふれて頬を伝う呪力も舐め取ってやった。酩酊したように頭がくらくらするけど、悠仁だっていつまでもやられっぱなしは御免なのだ。
    昇る太陽のような笑みをたたえて、今度は悠仁から脹相に万感の想いを込めた言葉を贈る。
    「これからもよろしくな、脹相」
    「悠仁——!!」
    脹相の感情の高ぶりに呼応して、ぶわっと真っ赤な狐火が噴き上がる。あっという間に炎が板の間を満たし、屋根を超え、天を衝くほどの強大な火柱となってなお、その勢いは止まらない。けれどその中心で絶えず炎に炙られているはずの悠仁には、不思議なことに全くと言っていいほど熱さを感じられなかった。
    「正式に俺の番になったから、もう俺の炎や呪力で悠仁が傷つく事も無くなるんだ」
    「へぇ……。じゃあこれもお前と番になったから証ってやつなん?」
    「ああそうだ。よく似合ってるぞ。流石、俺の番だな」
    「そう?自分じゃよく分かんねーけど……。似合ってんなら良かった」
    キスの際にたっぷり流し込まれた脹相の呪力が炎に炙られて反応したのだろう。炎が悠仁を舐めるたびに、脹相の鼻筋に刻まれたような紋様が、徐々に悠仁の皮膚の下からも浮き出てくる。それはきっと、魂に刻みつけられた神様の番の目印だ。ほかの誰でもなく、悠仁だけが持つ脹相との大切な繋がりなのだ。
    ちっとも熱くない炎のなかで、悠仁は照れ隠しで脹相の肩口にすっぽり顔をうずめてしまう。けれど、刺青の浮いた両手はしっかりと脹相の首に回したままだ。
    朝日の中で燃え盛る火柱がようやく薄れ、悠仁の肌に浮かんだ刺青も次第に皮膚の下に潜っていく。それでも、二人の間に新たに生まれた炎はまだまだ冷めそうにない。
    朝日というにはだいぶ高い位置に太陽が昇るなか、古ぼけた悠仁の家にもう一度、小さなキスの音がした。
    *** *** ***
    そんな抱き合う二人を見守るように、ぴょっこりと獣耳のようなとんがりのある火の玉が二つ、部屋の隅に浮いていた。
    彼らもようやく自らの役目が終わりを迎えたと判断したようだ。極力目立たぬように変化を解くと、音もなく纏う炎を青い鬼火から本来の赤い狐火に変える。「兄」と番の邪魔にならないよう、その燃えるように輝く魂はそっと黒々とした尻尾の中に還っていく。
    長い旅路の中でひとりぼっちになった兄が心配で、今日までずっとお供していたけど、もう安心だった。まるでありし日に兄弟と同じくらい、大事そうに番に微笑む兄に安堵して、その二つの魂はあるべき場所へ還っていったようだった。
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