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    kitsunettune

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    kitsunettune

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    若がヤキモチを焼いてくれたと思って浮かれたトーマがうっかりテンション突き落とされるはなし。またの名をヤンデレ若。 トマ人習作。

    ――

    恋と献身 帰宅した綾人に家司として本日の業務の報告をし終えると、トーマはお茶を淹れながら今度は日中自分の周りでどんなことがあったか語りだす。仕入れた旬の食材の話やら出入りの庭師から聞いた町の噂、顔を出した店での一騒動。必ずしも主の耳に入れる必要性はない、稲妻のありふれた日常、たわいのない雑談のような内容だ。それを綾人は穏やかな顔で聞いている。目を細めてトーマの話に耳を傾ける彼の優しい顔が嬉しくて、ついつい話しすぎてしまうことも多かった。
     日がな一日中社奉行としての業務に追われ自由に外に出る暇もない綾人にとって、トーマが話すような平穏な日々の話は心安まるものだ。それに神里綾人という立場ではなかなか立ち入ることの出来ない、市井の情勢を知る貴重な助けにもなっていた。

    「それでその看板娘のお嬢さんに、近所の旦那たちはすっかり骨抜きになってましてね。おかげで店は大繁盛、遠方からわざわざ彼女目当てに来る客までいるそうで」

     今夜もあれこれととりとめのない出来事を話して、話題は最近城下で評判の看板娘に移っていた。最近茶屋で働き始めたその女性は、相当な美人であるのに加えて、かなり機転の利くやり手なのだという。露骨な誘い文句はのらりくらりと交わしながら、興味本位の男たちに愛想をたっぷり振りまいて、見事に魅了してしまうのだ。人懐こい笑顔にのぼせ上がった男たちはつい山ほど注文をしてしまうらしい。

    「あんまり話題なんでオレも様子を見に行ってみましたけど、確かに美人で人気になるのも分かりましたよ」
    「そう。トーマが言うのなら、よほどなのだろうね」
    「ええ、愛想の良いお嬢さんで。まあ、あんまり度が過ぎると危ないんじゃないかとは思いますけど、上手くやってるみたいです。気をつけるように言ったらけらけら笑ってました」

     男たちにはくれぐれも気を付けるようにと言うトーマの忠告をおかしそうに笑い飛ばす笑顔は店先で男たちに向けているそれよりも豪快で、見かけ以上に肝の据わった強い女性なのだろうと思った。
     そんなことを言いながら、湯飲みを差し出した時、不意に綾人はすみれ色の目を瞠り、ぱっとトーマの腕を掴んだ。

    「若?」

     翡翠色の目を丸くするトーマに応えぬまま、綾人は無言ですっと身体を近づける。さらりと青みがかった銀の髪が揺れた。その整った顔には何の表情も浮かんでいない。いつもたおやかな微笑を浮かべている彼には珍しい様子に、思わずトーマは息を呑んだ。
     あまりに近づいた距離と、らしくない主の表情。動揺でつい身体が強張る。しかし主に腕を掴まれている以上、じっとその場で制止していた。

    「…」

     綾人はトーマの首元にそっと顔を寄せ、すん、と匂いを嗅ぐ。トーマはとたんにぎょっと目を剥く。一気に顔が真っ赤に染まった。

    「若!?あの、オレ、まだ湯浴みも済ませていないので…!」
    「…なんだか、甘い香りがするね」
    「へ!?」

     甘い香り?普段あまり香になんて気を遣っていないから、汗臭いんじゃないかと心配だったが、そんな香りするだろうか。トーマは唖然とした後に、変な匂いでもしていたのかとすんすん鼻を鳴らす。
     はじめに感じたのは綾人の香りだった。社奉行という職務上、彼はいつも公的な典礼の場で使われる香木の香りがする。気持ちが鎮まる、甘さのない上品な香りだ。彼の優美な振る舞いと涼やかな美貌によく合っている。
     それとは別にふわりと、確かに甘い華やかな香りが漂っているのに気づいた。瑞々しい、新鮮で明るい香りだ。

    「良い香りだね」

     綾人はトーマの首元に顔を寄せたまま、どこか無感動な声で呟いた。かたちのいい頭が、トーマの肩に埋めるように伏せられている。トーマは顔を熱くしたまま呆けたようにしばしぽかんとしていたが、やがてハッと、その原因を思い出した。

    「あ、あの、若。――これは果物の香りです。そういえば、モンドから渡ってきた果物を町でお裾分けされたんでした」
    「果物?」
    「小振りの柑橘で…こちらでは見ない品種なんですけど、甘くて美味しいですよ。先にお嬢に出したんです。香りが強いものなので、いつの間にか移っていたんですね。若にもあとでお持ちします」

     ははは、とトーマは動揺を誤魔化すように笑う。茶屋を覗いた帰り、偶然出会った万国商会の顔見知りから籠一杯の果物を貰ったのだ。モンド産のそれは瑞々しい果汁たっぷりの強い甘みが特徴な果物で、綾華もとても気に入って目を輝かせていた。甘くて良い香りだとも盛り上がっていたのに、すっかり忘れて、言われてもすぐには思い出せなかった。綾人が急に近づいて匂いを嗅いできたことに、あまりに動揺しすぎて。

    「ああ…そう……」

     トーマの胸元に手を置いて、綾人はそっと身体を離す。その顔はらしくなく伏せられていた。

    「あの、若…。もしかして、何か誤解がありましたか」
    「……」

     綾人は応えなかった。まるで何か恥じ入るように、黙ってじっと顔を伏せていた。
     彼らしくない、不自然な沈黙。トーマはごくりと固唾を呑んだ。これは、きっと、あの美人な看板娘の移り香なのだと思ったんじゃないだろうか。今まさにそんな話をしていたものだから……。
     だからあんな、冷たく凍り付いたような、感情のない顔を見せたんだろうか。

    「若」

     もしかして、嫉妬してくれたんだろうか? 愛想のいい女性の話をしていて、甘い香りなんてしたものだから。まさか香りが移るほど近づいたのかと、そう思ったんじゃないだろうか。つい抱いてしまう期待に、トーマの心臓の鼓動がドキドキと高鳴るのが分かった。
     稲妻でも指折りの高い地位に居ながら、綾人にはあまり所有欲というものがない。あの独特な食事体験への関心を除いて、なにかを強く欲しがったり興味を示すことも少なかった。神里家当主として与えられる物を享受し、それ以上も以下も望まない。来る者拒まず、去る者追わず。それはトーマに対してさえ同様だった。
     主と家司という立場を越えて、肌を合わせるような関係になっても、綾人のそうした振る舞いに変わりは無かった。ちゃんと気持ちを向けてくれているのは分かっているが、それでもなおいつでも離れることを許している、それを平気で受け入れているという素振りに、トーマはずっと思うところがあった。

    「若、どんなに美しい女性だって、オレは興味なんてありませんから。こんな気持ちになるのは、貴方だけです。こんな風に、触れ合うのも」

     俯いた綾人に、トーマは力強く宣言した。しなやかな白い手を取り、そっとその甲に口づける。
     わかってほしい。安心してほしい。けれど、不安になって、怒ってくれたのならすごく嬉しい。
     主を動揺させて、こんなふうに思うなんて悪い家司だ。そう思いながらも、浮き立つ心が抑えきれないまま、トーマは綾人の手に何度も口づけた。

    「……疑いをかけられたのに、どうしてそんなに嬉しそうにするのかな……」

     されるがままになりながら、綾人が呟く。顔を上げると、下がった長い前髪の向こうに、少し照れたような、困ったような、複雑な表情が浮かんでいた。軽く眇めた目で睨まれてトーマは、はは、と間の抜けた笑顔を浮かべた。

    「すみません。オレから甘い香りがして、若が焦ったのかな、と思ったら、つい嬉しくて」
    「焦っ…たとまでは言わないけれど。…もしかして、とは思ったかな」
    「誤解ですよ。茶屋の看板娘とは、一言二言言葉を交わしただけで、指一本触れてませんから」
    「それはもう分かったから…私の勘違いだったよ…」

     流麗な曲線を描く白い頬が、ほのかに赤く染まっている。それを見ただけで、なんだか胸の奥がキュウっと、締めつけられるように切なくなった。自分の邪推を恥じる綾人が、トーマの目にはたまらなく可愛らしく、愛おしく見えてならなかった。

    「トーマがそれほど言うのなら、よほど魅力的な女性なのだと思ってね。それにトーマは、人と親しくなるのが上手いから」
    「どこのどんな美女と知り合っても、オレは若一筋ですよ。絶対に、余所見なんてしません」

     ぎゅっと手を握って笑うトーマに、綾人は呆れたように笑う。

    「トーマは一途だね。少し他の女性と親しくするくらい、別に怒ったりはしないのに」
    「…」

     トーマは黙り、ぎゅっと眉根を寄せた。露骨に機嫌を損ねたらしい彼に、おや、と綾人は首を傾げる。

    「そんなことしませんよ。本当に、お分かりにならないんですか?」

     まさか本気で、余所の女性と関係を持つかもしれないと思っているのか。固い声色でそう問われて、綾人はぱちりと目を瞬かせた。
     トーマには綾人がそんな風に言う理由がわからなかった。こんなに美しい人の傍にいられるのに、これほど大切に思う人といられるのに、どうしてさして知りもしない女性に靡くだなんて思うのだろう。まさか、と、一瞬不安がよぎるだけならまだしも、それほど軽薄と思われているのなら断じて受け入れられないことだ。
     とたんにむすくれるトーマに、綾人は困ったように微笑んだ。それからトーマに捕らわれていない方の手で、そっと金の髪を撫でる。

    「分かっているよ、トーマ」
    「…若」
    「君は誠実な人だ。そんなことはしないね」

     気分を害したトーマを宥めようとする、甘い声。わかっているのに、くすくすと軽やかに響くくすぐるような笑い声に、ついそわそわと心が動いてしまう。
     綾人はトーマの機嫌を取るのが上手い。というよりも彼に対したトーマがあまりにもお手軽なのかもしれないが。

    「ごめんね。どうしたら機嫌を直してくれる?」

     何をしなくとも、その細い手で撫でられているだけでもうほとんど機嫌は直っている。優しい手になでなでと頭を撫でられるままになりながら、トーマはしばし考えた。
     ちょっとは、我が儘を言ってもいいだろうか。思いもしない疑いをかけられ、ありえない不貞の可能性に言及されて、機嫌を悪くしているということで。
     綾人はとても理性的な人物だ。だから普段なら、トーマが女性の移り香をさせていても、怒ったりなど本当にしないだろう。今回はたまたま動揺を見せてしまっただけで、神里家の当主として、家司に特別な相手が出来たとなれば、その時はきっと喜んで祝福してくれる。たとえそれが、一線を越えて求め合った相手であったとしても。それくらい自分を律し、立場にふさわしい行動を取れる人物だった。
     でもトーマは、綾人ほど割り切れてはいない。そうであるべきなのかもしれないが、そうなるつもりはなかった。

    「トーマ」

     オレの機嫌を取って、喜ばせてくれるというのなら。もっときつく、強く、重たく厳しくこの手綱を掴んでいてほしい。

    「なら、言ってくれますか? 浮気したら許さない、って」
    「……」

     今度こそ、綾人ははっきりと困惑を見せた。
     戯れ言だ。きっと彼はたかが不貞で優秀な家司を罰しはしない。
     優しく縄をゆるめられて、自由にされている方が幸せだと、きっと綾人はそう思っているのだろう。トーマはそう考えている。どのみち自分たちは、一緒になるなんて夢のまた夢、主人と従者としてしか共にいることが出来ない関係なのだ。今はこうして甘く触れ合っていても、いずれ他に良い人が出来るならばそれでいい――そう綾人は自分に言い聞かせている、のだと思う。
     それをトーマも理解している。けれど、それでも嫉妬してくれた方が嬉しい。嫉妬して、怒って、自分を欲しがってほしかった。

    「…トーマの趣味は変わっているね」
    「そうですか?好きな人に束縛されたいって、それなりに一般的な考えだと思いますよ」
    「そうなのかな。私はあまりそういうことに詳しくはないけれど…」

     綾人は呆れたようにぼやいた。するりとしなやかな腕をトーマの首の後ろに回すと、そのぞっとするほど美しい顔をすっと寄せた。
     トーマをまっすぐに見つめる。さらにするりと距離を縮め、銀と金の髪が触れ合う。低く艶めいた声にどこか冷ややかな色を乗せて、トーマの耳元に囁きかけた。

    「でもそんなこと言わないよ、トーマ」
    「えぇ……まあ、そうですよね…」

     一瞬期待をしたものの、戯れはばっさりと拒絶されてしまった。はは…と力なく笑ってみせるトーマに、綾人はくすりと小さく笑った。

    「許さないというのがどういうことか分かるかい?トーマ」
    「え?」 
    「それは本当に、慈悲を与えないということだよ。必死に謝意を示そうとも、泣いて跪き額を地面に擦りつけようとも、何をしても情けをかけないということだ。誠心誠意過去を悔い、己の過ちを認めても、その後どのような勲功を挙げ神里家に生涯を尽くしても、私が情を向けることは、一切しない。どれほど長い間傍に居ても、肌どころか衣服に触れることさえ許さないだろう。許さないというからには、私はそれくらいはする」
    「……」

     思わず想像してしまったトーマは、ぞくりと背筋を震わせた。今当たり前のように享受している、この特権。綾人の傍にいて、笑いかけられ、触れられて、この献身を優しく受け取ってもらえる立場。それをすべて失うということ。
     主の信頼を完全に失って、失望されたのち、自分がどんな風に生きることになるのか想像出来た。きっとトーマはそれでもなおこの地から離れないだろう。神里家への恩、そして綾人と綾華への思いは、決して望む見返りが得られないからといって失われるものではない。辛く寂しく、惨めな思いをすることになってもだ。かつて綾人が許してくれた甘く優しい時間の思い出を狂おしい気持ちで幾度となく思い返し、それをよすがに仕え続けて生きることになる。見つめることは許されても、見つめ返されることは二度と無い距離で。
     本当に許さないというとき、綾人はそうする。

    「だから許すよ、トーマ」

     くすくすと笑いながら、綾人はぎゅっとトーマの身体を抱きしめた。ふわりと慣れた心地の良い香りが漂う。悲しい想像でしょんと元気を失ってしまった彼を励ますように、綾人はぽんぽんと広い背中を叩いた。

    「浮気くらい何度でも許すよ。美女や美男に余所見をしても、一人や二人、囲っていても多めに見よう。所帯を持つと言い出しても……本気なら認めるだろうね。でもそれは、君を手放せるからではなくて――それくらい許せるほど、私にはトーマが大切ということだよ」

     諦めがつくのではなくて、諦められないからこそ許すのだと言う。
     それはトーマが望んだ束縛とは違った。もっときつく強く、どこにも行かないでと望む束縛しか、トーマは思い至らなかったからだ。
     綾人のそれは、もっと一方的なものだ。たとえトーマの心が離れても、綾人は決して見放さないという束縛だった。どこへ、誰のもとへトーマが離れていっても綾人は許してしまう。許さないなんてことは、彼にだって出来ない。そうしてずっと、トーマのことを思っていてくれる。

    「……。若…っ」
    「ん、…ふふ、んんっ…」

     耐えきれなくなって、トーマは強引に綾人に口づけた。ぐしゃりと滑らかな髪をかき乱すようにして、強く深く彼を求める。綾人はくすくすと笑いながら、従順な家司の背中を優しく撫でていた。
     何度も角度を変え、終えてしまうのが惜しくて口づけを繰り返す。そうすることで、このままならない気持ちがほんの一欠片でも伝わればいいと思った。

    「……若、オレ、本当に誰にも余所見なんてしませんから。貴方を悲しませるようなことは、決してしません」
    「わかっているよ。トーマは嘘をつかないからね」

     綾人はにこやかに笑ってトーマの背筋をするりと指先で撫でる。トーマの言葉に頷いてみせる。
     けれど考えを改めることはないのだろう。離別も心変わりも、きっと口にしたとおりに許してみせる。ほんのわずかに動揺を見せることがあったとしても。トーマが望むように強くきつく手綱を引いて、感情も露わに引き留めてくれるようなことはきっとない。トーマに必要なだけ手綱を緩めて、そっと静かに見守ってくれるのだ。
     綾人はトーマのきらきらと輝く翡翠色の瞳に、とびきり甘く微笑みかけた。

    「だから機嫌を直して。おねだりは他のことにして。トーマ」

     トーマはぐっと奥歯を噛みしめた。
     浮気なんてしたら許さない、と、そう言われるよりも、許すといわれる方がはるかに堪えた。この人の前で女性の移り香なんて絶対にさせてはならないと、そう強く心に誓うくらいには。
     まるで獣のように低く唸りながら、トーマはとさりと綾人を押し倒した。

    「……今夜は、優しくしてください」

     しおらしく言いながら自分に覆い被さる男に、綾人は今度こそ心からおかしそうにあははと声を上げて笑った。




     巷の噂で、あれほど人気のあった茶屋の看板娘が、あっという間に辞めて町を去ってしまったことを知った。なんでも、たまたま店に立ち寄った旅の男に惚れ込んで、後を着いていってしまったらしい。運命の人を見つけた、と確信に目を輝かせて旅立った看板娘に、ある者は嘆きある者は行く末を案じた。向こう見ずな恋なんて、他人の理解を得にくいものだ。ほんのひとときの嵐のような出来事だったが、めまぐるしく流行り廃りの移り変わる城下町では、やがて人々の記憶からも薄れていくだろう。
     すべてのしがらみを投げ捨てて追いかけてくれるほど愛された男をほんの少しだけ羨む。

    「トーマが美人と褒めた女性を、私も見てみたかったのだけどね」
    「もう、勘弁してください若…」

     意地悪く笑う主に苦い笑みを返しながら、さほど関心も無かった女性の恋の成就を、トーマは心から祈った。


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