「人生の反省文」 神代賢悟 私の今までの人生で特質して反省すべきなのは、「反省すべき点がない」と思っているそれ自体です。
人の生き方というものは、この空の向こう、広大な宇宙への旅路のように広く自由なものだと思います。
私たち人間は、それぞれ星の数ほどの選択肢を毎日毎秒選びながら自分がどうあるべきかを決定していきます。
私は、今までの人生で常に正しい選択ができたとは思いません。ですが、間違ったことをしてきたとも思いませんでした。
しかし、私の選択次第では、私は今よりも別の私になることができたと気づきました。
私の身の振り方、愛想の至らなさ。そして、その私の性格のどれもを変えられず、生き方を変えられなかったこの自分を曲げられない頑固さ。
理不尽に身に降りかかった悲劇や災難は変えることができなくとも、まだ子供の私に選べる選択肢がわずかだろうとも、私を見る人々の考えは変えられなくとも、私の選択次第では、自分自身の生き方だけは如何様にも変えることができました。
長い人生、正しい選択を完璧に選んでいても、その人生を振り返った時にそれは完璧で正しい人生である、と言い切れないのが人の生き方の面白い所でもあります。
ですから、私が始めに書いたように「反省すべき点がない」と思うこと自体が私の反省すべき点であると思いいたりました。
なぜなら、私は今の人生にまだ満足など到底していないからです。
今までの人生を通して行ってきた選択に後悔など思い至らないにしろ、私はこの自分の生に対して、欠け落ちた何か、まだ足りない何かがあると思っているのです。
私はこの反省を通し、この先の選択を今までより少し違った目で選ぶことができると思います。
私の人生に強い後悔などないのですが、しいていうなら、両親にもっと甘えておけばよかったと思うくらいです。
【書き損じ】
「人生の反省文」 神代賢悟
私の人生に反省すべき点はありません。私はいまだ未熟な子供ですが、思い返せば自分の行ってきた選択に迷いなどありませんでした。
両親の事故死も、孫である私に、少なからず住む場所を与えてくれている祖父と祖母の私への嫌悪も、私自身の反省とは遠く、別のほうにある事象です。
社会と生存、人生の流れの波に身を任せることしかできないこんな子供に一体これらの何を反省できるというのでしょうか?
どれだけ私という生命の誕生を間違いだと言われようと、私はそれを受け入れることはできませんでした。
私の両親が愛し、慈しみ合ったことのなにを私は反省すればいいのでしょうか。
この人生における大きな孤独感に対して、私は何を反省すべきなのでしょうか。
私の人生の何が間違っていたと思えばいいんでしょうか。
だれか教えてください、私の、何が間違っていたのでしょうか。
(続きを書くことを迷った鉛筆の跡がある)