リンボマンと行く!~火刑の魔女の呪い村~――三万五千円あったら、何をするか。
もやしと鶏むね肉生活にも飽きてきたし、久々に牛のお肉が食べたいなぁ。ステーキなんて贅沢は言わない、ちょっと気が大きくなってつい使いすぎるのが悪い癖なんだから。
「……今夜はとりあえず、妥協に妥協を重ねて、グラム百二十八円の合挽肉でハンバーグかな。いつもなら九十八円にならないと買わないんだけど!」
ウキウキしながら買い物に出るべく、玄関の扉を開け――ばいんと固いような柔らかいような何かにぶつかって跳ね返った。べしゃっと上がり框の上に尻餅をつく。
「立香ァ!! 収入があったのならまず三か月滞納している家賃の支払いでありましょうや!!!」
突如頭上から響き渡る大音声。木造築五十年を超えるオンボロアパート全体がビリビリと震える。
「ッギャー!」
負けじとわたしも悲鳴を張り上げた。ボロすぎて防音性など皆無だが、ボロすぎる故にうち以外入居者ゼロなので苦情はどこからも来ない。
「って、道満!」
「はい」
玄関を塞ぐ壁のような大男の名を呼ぶ。
「残念ながら、お金はありません」
無論、虚偽である。
確かにわたしの財布には、四日間の血と汗と涙の結晶、三万五千円がはいっている。言われてみれば丁度一か月分の家賃にはなるのだけれど。自分でも言ってて情けないが、やっと手に入った茶色いお札、一枚くらいは自分で使いたい。
なのでとりあえずしらばっくれる。
若草色の僧衣に身を包み、胡散臭いが袈裟を着て歩いているみたいなこのオンボロアパートの大家、蘆屋道満は床に座り込んだままのわたしをじっと見下ろす。
「ならば問いましょう。貴方は今どちらへ向かおうとなされたか」
「……イ○ンですけど」
「やはり収入があったのではありませんか! ト○プバ○ューブランドすら高いといつもチャリで三十分かけて格安スーパーに行くお前が!」
――行動パターンまでバレている、怖い。
「というわけで家賃を頂戴しに参りました。何、拙僧も鬼ではありませぬ故、先々月分だけで許しましょう」
卵を産める雌鶏は絞めませぬ、などとセクハラなのかギリギリ迷う最悪の例えをしてくる道満に、必死で財布を護ろうと鞄を抱きしめる。
「ぐぬぬ……そもそもなんで収入があったなんて知ってるのよ……!」
「ンフフ、檀家ネットワークを舐めてはなりませぬ。ほら、観念して財布を出されよ」
「これだから田舎は! ――嗚呼、わたしの三万円……!」
――あえなくわたしの茶色いお札が三枚、道満の懐に収められる。かなしい。
五千円だけが一人寂しい財布の中身を見つめてため息をつく。
「では、先月と今月分もお早い支払いをお待ちしております。……ときに立香。ここ数日何度電話しても繋がりませんがもしや拙僧、着信拒否などされて?」
相変わらず笑顔ではあるが、どことなく怒気を孕んだ声が尋ねた。
「あー、違う違う。プリペイドカードが買えなくて止まってただけ」
「……」
さすがの道満も目を見開き、ドン引きの表情を浮かべる。
「おいたわしや……一体どのような業を背負えば然様な生活に……」
「お父さんがまた仕事やめちゃって仕送りじゃなくて借金取りが来たんだよね。あと大学の授業料の支払いとか諸々……」
さらなるドン引きのお顔。髪型と体格と服装がとんでもなく胡散臭いために霞むけど、中々整った顔がドン引きしているのを見るのはちょっと、いやかなり辛い。
「縁切り寺でも紹介いたしましょうか? それとも弁護士のほうがよろしいか?」
げっ、普段辛辣な道満が優しいことを言い始めた。そんなに?
「うっ、それは最後の手段で……」
「今が最後でなかったら何時だと言うのです!?」
分が悪い。話を変えよう。
「それで、電話って何の用事だったの? 家賃の督促?」
「ンン、あからさまに話を変えよって。それもまあ、ありましたが。どうせまた金欠に喘いでいるのならば仕事を手伝っていただこうと思いまして」
黒曜石みたいな目がすぅっと細められる。
「火刑の魔女の呪いが生きるという村、見に行きませんか」
☆★☆
この胡散臭い男、蘆屋道満――とはいえその名も歴史上の法師陰陽師と同名なので、どうにも本名か怪しい――は最近テレビや雑誌で露出のある自称・超常現象研究家だ。
ついでに言うとわたしの住むボロアパートの経営者、お母さんの供養を頼んでいるお寺の若住職でもあり、一応後者が本業で、わたしとの関係もそれに由来するものであるのだが。
「こないだワイドショーのコメンテーターやってたね。バイト先のテレビで見たよ」
道満の運転する右ハンドルの外車――でないとこの巨躯は収まらない――の助手席に座ったわたしはそんな報告をする。
性格はともかく、顔とプロポーションがよく、素の喋りもなかなか面白いのでテレビ映えするらしい。アルバイト先で何人かファンだという人も最近見る。
――なんか遠くへ行っちゃいそうだな、というわたしが抱いた一抹の寂しさを知る由もなく、道満は機嫌よく笑った。
「ンフフ、お陰様で新刊の増刷と続刊も決まりまして、今いい波が来ております。どうせ赤貧の立香では買えないでしょうから一冊差し上げますよ」
「いらない」
手渡されそうになった最新のリンボマンシリーズを拒否する。っていうか出るたび毎回思うけど、この顔面表紙恥ずかしくないの?
「それで、家計の魔女の呪いって? 火の車?」
「まず家計ではなく火刑ですぞ。火の車なのはお前だけでありましょうや、全く。今から向かいます丼麗巳村は戦国時代末期に『御仏の声を聞いた』と言って百姓の子でありながら村民と蜂起し、数多の戦に参加して勝利を収め、とある大名の領地拡大に多大なる貢献をした。という娘の伝説がございまして」
「……日本の話よね?」
なんだかどこかで聞いたような話だ。
「一説によれば明智光秀を最後に討ち取った百姓もその娘と」
「それは絶対うそでしょ!」
「流石に拙僧もそう思いますが、まあ話は最後まで聞かれよ。さて、数々の戦果を挙げた娘ですが、戦国の世が終わったのち、最終的に生まれ故郷の村で権力者によって火あぶりの刑されて死んでおります。ンフフ」
そこは笑うところじゃないだろうに、道満は小さく笑い声を漏らす。性格が悪い。
「えっ、なんで? 功労者でしょ?」
「邪魔だったのでしょう。御仏の名のもとに周囲を扇動できる、今でいうカリスマ持ちです。戦時ならともかく平時ならば出る杭は打たれる、ということでしょうな。民を戦に誘う悪しき魔女は火に焼かれ、めでたしめでたし――とはいかず、村には娘の怨念が満ち溢れて村民たちは幾人も死者が出たそうな」
一種の集団ヒステリーでしょうがねえ、と専門家面して道満は笑う。
「結局魔女として断罪したはずの娘を神として祀ることにした、と」
年に一度、お祭りをやって舞を奉納する。気休めでもそれで被害は収まったという。
それから、数百年の時が過ぎて――。
「しかしここ数年の疫病禍でそれもまともに行われておらず、その内に祭りに拘っていた長老たちも寄る年波には勝てず世代交代――結局規制緩和した今年も祭りや奉納は行われぬまま」
道満の運転する車は都市部から次第に田畑の広がる地帯に入り、やがてカーナビが目的地が近いことを知らせてくる。
「結局魔女の怨念など現代社会ではただの迷信! 祭りも奉納も因習! と若者たちは思っていたようですが――」
急にテンションの上がった道満の声が低くなる。分かりやすいので、わたしは身構える。
「今月に入って、三人。ええ、三人も、ですよ。突然発火し、なす術もなく焼け死んだそうです」
火あぶりにされた娘と同じように。
「被害者はみな、火あぶりにされた娘と同じ年ごろだそうで。そう、丁度立香と同じ頃で……」
道満が探る様に横目でわたしを見た。こいつはどうも、わたしが怯えるのを見るのが三度の飯より好きなのだ。
――そんなことだろうと、思った。
小さくため息をつく。
道満が成り行きではなくわざわざ指名でわたしを仕事に誘う時、大抵囮だとか人身御供の身代わりだとか、そんな理由だ。
そうして全部が解決してから、「今日も生き残りましたか」とちょっと残念そうにするのが恒例なのだ。
「立香の為に経を上げるのが拙僧の夢でして」
歳の差から言って順当に行けば起きなさそうなことを、道満は嘯く。ほんっと、性格が悪い。テレビの中では猫を被りすぎていて、ファンの話を聞くたびに心配になる。いつか化けの皮が剥がれて大炎上するんじゃないかって。
――でもそうなったら、道満は遠くへ行ったりしないんだよな。
ふと思ったほの暗いことを、わたしは慌てて頭から追い出した。
いやいや、それはそれで困る。炎上して凋落されると今みたいに三ヶ月も家賃は待ってもらえないし、こうしてバイトもさせてもらえない。うん。
「道満、炎上だけはしないでね……」
「ハァ? するわけないでしょうや」
「どうだか」
そうこうしているうちに車は駐車場に入った。到着したらしい。
車を降り、二人分の荷物を担いで道満の後ろをついていく。大男の後ろを大荷物の平均体系女子がついて歩くのは珍妙だろうが、道満は特に気にならないらしい。「給料の内でしょう」と平気で重たいものを持たされる。それを言われると拒否できない。
「ようこそおいで下さりました」
大きな門の前でわたしたちを出迎えたのは、痩せぎすでどことなく陰の気のある男性だった。黒髪で瞳も黒いけれど、名前は『ジル』と日本人には珍しい響きだ。海外に所縁のある方なのだろうか。わたしの抱えた荷物を軽々と引き取ってくれる。
挨拶もそこそこに紫陽花の咲きほこる庭園を抜けて、大正からそのままの形だというお屋敷を案内される。自慢の庭を望める縁側を通り、客間であるらしい和室に通された。
――テレビで見た旅館みたい、などと言おうものなら間違いなく道満に笑われるので、黙っておく。
そこに、ぱたぱたと軽快な足音が近づいてくる。
「ジル! リンボマンが来たって本当!?」
「お客様の前ではしたないですよ、百合」
ジル氏に窘められ、足音の主である百合と呼ばれた少女は「ごめんなさい」と素直な返事をした。
年のころは小学生の高学年くらいだろうか。
百合ちゃんはもじもじしながらも道満を見上げ、リンボマンシリーズの最新刊を彼に突きつけた。
「あの……ファンなのです! サインをください!」
「これはこれは。ええ勿論、かまいませんよ」
下手したら身長が半分くらいしかないように見える少女に、道満は屈みこんで優しく言って本を受け取る。
「道満って子供にも人気あるんだ……」
間違いなく子供が読む本ではないのだけど、テレビ効果だろうか。荷物から油性ペンをわたしに取り出させると、道満はサラサラと慣れた手つきで表紙の自分の顔の上にサインを書き記す。
――ところで、サイン本、わたしももらっておいたら価値がでるかしら。
「……言っておきますが立香、サイン本は中古書店では買い取り不可なことが多いですよ」
「えっそうなの!?」
――というか、何故思ったことがバレたのだろう。
読心術……?
「こら、百合、居ないと思ったらこんなところに! これから皆さんお仕事なのですから、お邪魔してはいけませんよ」
百合ちゃんとほとんど同じ顔の女性が慌てた様子で部屋に入ってきて、サイン本を受け取った彼女を抱きかかえて回収していく。
「失礼いたしました」
「あーんまだお話がしたいのにー!」
二人が見えなくなって、こほんとジルさんは仕切り直すかのように咳払いをする。
「今来た大きい方の娘が巫女を務めます」
「結局舞の奉納をすることにしたのですな」
道満の問いに彼の返答は歯切れ悪い。
「奉納だけですが……年寄り共が五月蠅いもので。それでどうなるとは思えませんな」
――道満(専門家)を呼んでおいてそんなことを言うのか。
そのまま道満の仕事の話が始まったので、あんまり関係のないわたしは右から左へ聞き流しつつ出されたお茶菓子を食べたりして暇をつぶす。
お庭を眺めたり、畳の目を数えたり、道満の分のお茶菓子を食べたり――。
「……立香、暇なら車に飲みかけのペットボトルを忘れたので取ってきてくだされ」
見かねた道満がそんな理由をつけてわたしを部屋から追い出した。