2.小鉢にある高野豆腐美味しい「いらっしゃいませ~。おひとり様、カウンターです」
「いらっしゃいませー」
駅から少し離れた場所にある個人経営の定食屋さん。こぢんまりとした清潔感ある店は従業員は夫婦だろうか、厨房に立つ男性とカウンターとテーブル席併せて十五席ほどの店内をまわる女性だけ。
ランチタイムの忙しさを抜けた店内は今入ってきたジェイドと合わせても数名だけだった。
「唐揚げ定食を一つください」
「はいよ、から揚げね」
カウンター越しに出されたお茶を受け取りながらジェイドは店主に注文をする。揚げ物はその都度揚げているようで、じゅわじゅわと油の香ばしいにおいが漂う。
(なかなかキリがつかず……こんな時間になってしまいました)
定食が来るまで手帳を開きこれからの予定を確認する。仕事の量と定時までの残り時間を逆算し、少し頑張れば残業せずに上がれると踏み鋭気を養うべく食事を待った。
「はい、おまちどーさん。唐揚げ定食ね」
お盆に乗せられた料理が店主から提供された。お盆の上には自身の肉汁に油が反応してしゅわしゅわと小さく音を立てる唐揚げと千切りキャベツ、煮物と和え物がそれぞれ入れられた小鉢、具沢山のお味噌汁にホカホカのご飯正に定番の定食といったラインナップである。
「こっちもから揚げ定食、ご飯大盛りね~」
ジェイドと一つ席を空けたカウンターに大柄なビジネスマンが座っており、自分と同じ定食を注文していたのだろう、ほぼ同じタイミングで提供された。
(大盛り……)
そんなワード注文過程のやり取りで出てきただろうか?と疑問に思いながらカウンターに視線を送ると、それに気が付いた店主が愛想の良い笑顔を浮かべて言葉を発する。
「ああ、お兄さんは細身だからそんなに食べら……」
“あんまりいっぱい食べると太ってみっともないわよ”
「あのっ……」
店主の声を遮ってジェイドは自分の茶碗を両手でもって差し出した。
「すみません、僕も大盛ご飯をお願いしてもよろしいでしょうか?」
リフレインした言葉を遮るように、ジェイドはまっすぐに店主を見つめて丁寧にお願いをする。固着した二人の空気を止めたのは少し怒りを孕んだ女性の声だった。
「もう!おと~さん!どうして自分で判断しちゃうの!」
ジェイドの差し出した茶碗をかっさらっていったのは接客を終えてカウンターに入ってきた店主の夫人だった。ジェイドに優しい笑顔を向けたと思うと、般若のような顔で調理場のカウンターを睨んだ。
「わっ、悪い……」
しゅん……としながらも奥さんが突き出した茶碗にこてこて白米をアドした店主が申し訳なさそうにお盆に戻す。
「ごめんなさいね、お客さん。この人の悪い癖、もうやんなっちゃう。小さな親切大きなお世話よねぇ~?」
店主はお客に気を遣ったつもりでいても、その気遣いが時には余計なものでしかないという事に自分自身が気が付かない。
「いえ、こちらこそすみません」
「若いんだからね、いっぱい食べなくちゃ!って、こんなこと言ったらセクハラよね~!」
ころころと表情を変えながら明るく接客する奥さんの姿がユニークでジェイドも一緒に笑ってしまった。
「あら、ごめんなさいね~。お料理冷めちゃうし休憩無くなっちゃうわよね~。やだ~」
ごゆっくり~と仕事に戻っていった奥さんを見送りジェイドは割り箸を割って手を合わせた。
「いただきます」
健康の為ベジファーストと言われている世の中でも、美味しいものは温かいうちにとジェイドは一番にからあげへと箸をのばした。箸越しに伝わってくる衣のザクザク感は口に頬張ってもそのイメージが変わることは無かった。サクッと揚げられた衣を齧ると中からジューシーな肉汁を携えたもも肉のうま味が現れる。ご飯も一緒に食べると無限に食べていけそうなループに陥る所だった。時々箸休めに小鉢をつまみつつ、しっかりとお味噌汁を完飲するまで無言で食べ進めるジェイド。その食べっぷりをちらちらと調理の合間に盗み見る店主と堂々とお茶を注ぎながら横で見ていた夫人。
「ごちそうさまでした。お会計お願いします」
「あ、ありがとうございました」
カウンター横のレジで定食代ピッタリの料金を支払い、まだ少しバツの悪そうな店主と笑顔の夫人がジェイドを見送った。
「全く、どうしてそう余計な事ばっかりするの!大体アナタの気遣いは昔っから……」
「わっ……悪い」
ジェイドが店を出た後も店主への説教はちくちくと続いているのであった。
◇◇◇
「ふう……」
予定通りに仕事が運び定時を少し回ったところで帰路に着くことが出来たジェイド。少し疲れた表情のままエントランスに入ると、両手に買い物袋をさげたトレイと鉢合わせた。
「あ」
「リーチさん、今帰りですか?」
その荷物の多さに思わず手を差し伸べるジェイド。礼を言って片方を預けると、トレイは少しほっとした表情をして話を切り出す。
「ついつい買いすぎちゃうんですよね……あの、もし今日も夕食まだだったら……」
「えっ」
「いや、すみません、やっぱ……」
「よろしいんですか?」
「是非」
ほっとした顔のトレイと玄関先で別れ、部屋まで赴く。
「おじゃまします」
「すみません、本当」
どうぞと通された部屋。家具の配置やインテリアはそのままに、変わっていたのはテーブルに置かれた料理の種類だけだった。大きなどんぶりにはカラフルなナムルとプルコギ、中心には半熟に焼かれた目玉焼きが鎮座している。
「今日は野菜が安くて。冷凍してもいいんですけど、せっかくなら新鮮なうちに使おうかと。お肉は薄切りなので短い時間でもしっかりと味が染みています。ごはんがすすむ味付けなのでぎっしり盛っています」
そう言いながら横に置かれたのはごま油がふわっと香るわかめスープ。お茶を淹れながら料理の説明をするトレイにジェイドは少し遠慮がちに声をかけた。
「あの……これ、自分が頂いてもいいのでしょうか?」
その言葉にきょとんとした顔を返し湯呑を置きながら食い入るように返した。
「リーチさんに食べて欲しいです!」
愛の告白のような雰囲気になったが、とりわけそうでもなく。お互いにふと笑いあいジェイドが手を合わせる。
「いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」
帰ってきてから仕込んだというプルコギはお肉だけではなく玉ねぎの薄切りも一緒に炒められており、野菜と牛肉の脂がとても甘い。ナムルは豆もやし、ニンジン、ホウレンソウとカラフルであり単体で食べても良し、混ぜて食べるとなお良しの品だった。ビビンバの醍醐味である全部を混ぜていただくと、なんとも言えない至福である。
大き目のスプーンでどんぶりの底からご飯をひっくり返し、全体をしっかりと混ぜ合わせてからもぐもぐと頬張っていく。食べているときは寡黙な性分なのだろう。表情が少し緩む程度の変化でしかなかったが、トレイは満足そうにその様子を見つめていた。
◇◇◇
「ごちそうさまでした。で、前回と今日のお食事代なのですが……」
食べ終わるタイミングを見計らいながら剥かれていたのは真っ赤なリンゴ。ジェイドが差し入れにと持ってきたそれは、取引先から毎年大量に送られてくるそれを各自持ち帰ったいただきものだった。
「え?」
しゅるしゅると途切れること無く剥かれていた皮がトレイの拍子抜けした声と一緒にぷつりと切れた。
「食事が霞から生まれると思っているとでも?どこぞのモラハラ夫ではありませんか」
「例えが面白いな」
ほとんど剥き終わっていたリンゴを八つに切り分けて芯と残った皮を取ってジェイドにサーブした。
「ただでさえ物価上昇でエンゲル係数を圧迫するのです。簡単にしか計算していませんが、足りなければ仰っていただいて」
自分が切り分けたリンゴと横に置かれた封筒を交互に見ながら、トレイは言葉を探して口を開いた。
「う~ん……リーチさんはコミケというイベントを知っていますか?」
聞きなれない単語に首をかしげるジェイド。
「?」
「世の中には好きなもの自分のお金を出して創作している人もいます。趣味の延長のようなもので、俺の料理はここと通づるものがあると思ってます」
「しかし、実際に作っているのはクローバーさんでも、食べているのは僕なわけで。本は食べられませんし」
「……」
「物事を続けるために必要なのは熱意の次は資金です。クローバーさんの家計が破綻するとは思っていませんが、長く続けていただく一つのラインとして、受け取っていただければと」
どれだけ良い案でも有益なアイディアでもそれを回していくためのマネジメント力や資金がないと頓挫する事となってしまう。リスクを最小限に抑える為というジェイドの話は的を得たものだった。
「そう言っていただけるならありがたく」
「あと……」
材料費を出すというジェイドにとっては当たり前の事をしただけだったに過ぎなかったが、トレイは自分の料理が評価されたような、少し気恥ずかしくなりながらも素直に封筒を受け取った。
「クローバーさん、ここの道の駅に行ったことはありますか?」
ジェイドがスマホの地図アプリを起動しトレイに見せる。
「いや……話には聞いたことはあるが、実際に行ったことは無いかな?」
「ここ、産地直送の農産物や海産物を取り扱っていて、更に安い」
「ほう」
道の駅のイメージは小売店よりも安くものが手に入り、産地からの経由地点が無く新鮮なイメージであった。
「よかったら一緒に行きませんか?お礼がてら」
「え?」
食材費以上のものを渡しても受けっとってもらえないとこの短いやり取りで踏んだジェイドは“作る手間”の対価として食材の提供を提案した。
「本当に安いので、是非」
「いいのか?じゃあ……来週の日曜日とか?」
「よろしくお願いします」
会釈をし合う隣人の関係から休日一緒に出掛ける仲になるまで交友関係が進展するとは思ってもみなかったトレイはニコニコとリンゴを齧りながら、頭の中では当日のシミュレーションをすることでいっぱいになっていた。