天ぐだ♀/その心はまだ、春待つ庭に――そうか、皆いないんだった
無機質な天井に向かって呟いた言葉が暗闇に吸い込まれる。
年末年始、カルデアのサーヴァントたちはそれぞれの故郷へ里帰りをしていた。
出立前に挨拶をとマイルームに入り浸るサーヴァントも数多く、ここ数日は毎晩お泊り会のような賑やかさだった。彼らが全盛期だった頃の思い出話は明け方まで尽きることなく。
「マスター、良いお年を!」
「うん、またね!」
そして、祭りの後のように、空っぽになった部屋に静けさが訪れた。
まるで、人類最後のマスター・藤丸立香はもう必要なくなったかのように。
皆、自分に明確な悪意を持っているわけではない。
言葉の端々から、彼らなりの気遣いを感じるのも確かだった。
あの時は、何もできない自分に任せるしかなかった。それ以外に選択肢がなかったのだ。
――人類最後のマスターを死なせてはならない。
世界の命運がかかっているのだ。彼らは自分に呪いのような期待をかけ続けた。これは君にしかできないことだ。君は常に前を向いているべきなんだ。初めはただの消去法だったことさえ忘れて。
その期待に応えるべく、何度膝を折っても、立ち上がって走り続けた。
だが、それさえも狂っているのだとしたら。心折れてしまったわたしのほうが正しかったのだとしたら。
一言一句違わぬ言葉で何度も傷付いては、冷たい汗に濡れた自身の身体を抱きしめるように蹲り、過去の記憶でもなければそう遠くない未来でもないのだと自身に言い聞かせる。
それでも、消え去ることはなかった。
一人で眠る夜。
英雄でないわたしは、乗り越えたと思ってもまた同じ夢で地面が揺らぐ。
いつまで経っても同じ場所で足がすくむ。
* * *
「マイルームがデパートの物産展みたいになってるんだけど……」
「いかがでしょう?」と両手を広げて微笑みを見せるのは、サーヴァント・天草四郎時貞。
天草は一足先に里帰りからカルデアに戻ってきていた。マスターへのお土産にと、帰省先の特産品や菓子を山ほど買ってきたという。
天草四郎の原点となる土地は島原と天草。現代で言えば長崎県と熊本県。県を跨ぐため、おすすめのお土産も倍になるのだと天草は言った。
「海産物は食堂に持ち込んでおきましたので、明日の朝食に出していただきましょう」
「やったー!お菓子も美味しそう」
定番の長崎カステラに阿蘇のジャージー牛乳で作ったチーズケーキ、中華街で売られているという独特な形状の焼き菓子、などなど。楽しげに説明する天草に勧められ、お菓子を一口。
「なにこれ、四郎の初恋……?」
「…………っ!マスター、急に下の名前で呼ばれると……」
「天草が自分で買ってきたんじゃん」
曰く、日本の食べ物に親しみがあるマスターに食べてほしいものが沢山あるのだという。里帰りしたからといって何か土産を持ち帰らないとならない決まりはないのだが。彼の若干過剰ともいえるサービス精神、ホスピタリティから来るものなのだろう。
「こちらは左から雲仙ハム、雲仙高原ポークオニオンソーセージ、島原ハムです」
「どれも同じじゃないですかー!」
「そんなことはありませんよ。こうしてスライスして軽く炙ると……」
いや、ますます区別つかないんだけど。同じようなオレンジ色のセロハンに包まれ、太さも同じくらいのベビーハムもといボロニアソーセージ。パッケージを取り払った時点でどれがどれだか分からない。首を傾げて輪切りになったハムをまじまじと見る。
「ではこうしてはいかがでしょう?」
「……っ!」
不意に腕が伸ばされ、視界が遮られる。
こんがり焼けた肉の香りが鼻腔をくすぐり、口元にピックに刺さったハムの切れ端を近付けられているのが分かった。言われるがままに口を開け、ハムを口に入れる。
目元にあてがわれた男らしい手に頬が熱くなりながら、目を閉じて咀嚼する。口の中に濃厚な肉と脂の旨味が広がり、唾液が溢れるのが分かった。だがそれ以上に気になるのは、瞼の上に乗せられた無骨な指の輪郭だった。
目隠しを外され、少年らしい好奇心を含んだ笑顔を浮かべた双眸に覗き込まれると、また心臓が音を立てる。
「お分かりいただけましたか?」
「……いや、全然」
というか、こんなことされて味なんか分かるわけがないだろう。熱くなった頬をごまかすようにお皿の上のハムをもう一口食べて水で流し込む。
それにしてもこんなもの、一体何処で仕入れているのだろうか。天草はいつにもまして饒舌にも関わらず、それだけは聞いても答えてくれなかった。
「こちらのカステラはサンタの皆さんにも好評でしたよ」
早めに戻ってきたのはサンタクロースたちの忘年会に天草(本人は頑なに天草四郎ではなくサンタアイランド仮面だと主張している)も参加するためだった。
天草四郎の宝具は、敵の強化解除を行ったのちに全体攻撃を行う。その容赦無い性能を危惧し、登場直後から集中砲火を受けて早々に退場していたのだった。だけど、それを差し引いたとしても少しやつれているように見える。
「ははっ、気のせいですよ」天草は普段通りの笑顔を見せる。
「天草、もう一つ訊きたいんだけど」
「何でしょうか」
「帰省先で雪は降ってた?」
それまでの朗らかな笑顔に、ほんの一瞬だけ影が差す。
「……それは、秘密です」
* * *
雪こそ降っていないが凍てつくような寒さだった。体感気温は日本の十二月中旬に近いだろうか。
日中はクリスマスシーズンによく遭遇するエネミーを倒し、攻略の拠点としている簡素な小屋に戻ってきた。石油ストーブを付け、水を入れたやかんを上に置く。
明日は早朝から出立だ。今日は早めに寝よう。携帯食料で簡単な夕飯を済ませようとしていると、落ち着いた声が降ってきた。
「マスター、今日の夕食は私にお任せいただけませんか?」
「天草、料理できるの?」
毎年バレンタインには(パッケージについては突っ込みどころ満載な)手作りクッキーをくれる天草だが、料理もできるとは初耳だ。先日はマイルームでハムを切って炙ってくれたが、あれは料理のうちに入るかどうか。
「そうか、パッシブスキル:他人の空似で」
「ははっ、そのようなスキルがあれば有難いのですが。まあ、簡単な料理ですから、座って待っていてください」
「お待たせしました」
土鍋の蓋を開けると、湯気とともに食欲をそそるだしの香りが立ち上る。
大ぶりに切った白菜、人参、ごぼう、鶏肉、椎茸。細く切った凍り豆腐、焼きあなご。具だくさんの食材に見え隠れするのはふっくらと煮えた丸餅。
島原名物料理の具雑煮だ。
「さあ、遠慮なくどうぞ」
「いただきまーす!」
鍋料理の最後にご飯や麺類の代わりとして餅を入れることはあるが、最初からというのも悪くない。お椀に口をつけて汁をすする。様々な食材から出汁が出ていてやさしい味がする。
「元は今日倒したばかりのエネミーですが。今マスターが召し上がっている焼きあなごは岩場で遭遇した……」
「それ以上は言わなくていいから」
天草のスケルトンキー様々だ。大抵の魔術はある程度使いこなせるおかげで、数時間前まで不気味に蠢きながら人々を襲っていた蛇型生物がスーパーで見かけるような食材へと変換できているのだから。
「お酒は飲まないの?これって天草の故郷のお雑煮なんだよね?」
お正月にはまだ早いが、祝いの席で食すものならお酒があってもいいだろう。ロビンフッドに「生臭坊主」とまで言われた梁山泊での飲みっぷりをからかってみる。
天草はやんわりと断ると、諸説ありますが、と前置きしてから続けた。
天草四郎を総大将とした一揆、島原の乱。
一揆勢は三万七千人もの規模となり、島原の原城跡に籠城した。真冬の長期戦、食糧にも限りがある。そこで彼らは兵糧の餅と山の幸・海の幸を合わせて煮たものを食し、体力と気力を養ったのがこの料理のはじまりだという。
「そうだったんだ」
「明日が決戦の日だというのに、縁起でもありませんでしたか」
滋養満点の陣中食とはいえ、結果だけ見れば、自身は敗軍の将であったことに違いないのだからと、天草は苦笑いしながら湯呑みのお茶を啜った。
「そんなことない」
少なくとも、カルデアにおいてはそうではない。
梁山泊では籠城戦の経験を生かし、全体指揮を取って活躍してくれた。最終決戦の裏で暗躍し、聖杯も取り戻してくれた。贋作美術館では怪盗に扮した霊衣まで用意し、皆のために策を練ってくれた。
生前とは全く異なる、快なる冒険譚の数々。
それもまた、人類最後のマスターが見届けた、天草四郎時貞の歴史の一つだ。
「ここまでこれたのは天草のおかげだよ」
「……マスター」
つい、大きな声を出してしまい、小さくごめんと呟く。里帰り直後の天草の様子を思い出すとともに、一つの疑問が再び鎌首をもたげたからだった。
――だけど、その記憶は天草にとって意味のあるものなのだろうか?
「天草が里帰りしていた先って」
「マスターに隠し事はできませんね」
島原の乱では、籠城した一揆勢は女子供関係なく皆殺しにされ、首謀者である天草も拘束された後に両腕を切断され、首を刎ねられたという。
サーヴァントとして召喚された後も残る、彼の身体に刻まれた無数の傷跡が壮絶な最期を物語っている。
だが、天草四郎時貞の夢はそこから始まった。
――全人類の救済。
かつて自分たちを皆殺しにした時の権力者も、罪あるものも、等しく救う。
故郷の地で心身を癒す目的で里帰りする者が多い中、天草は乱の末期を訪れていたのではないか。平和な現代日本で観光を楽しんできたかのような土産物を山ほど用意し、何食わぬ顔で戻っておきながらもその実、彼の心象風景でもある島原の地獄をその身に改めて刻み付けていたのだろう。魔力を削られ、身体中痛めつけられてまでその場所を訪れ続ける、その理由はただ一つしかない。
彼が夢をまだ諦めていないからだ。かつて大聖杯に望んだ夢を。
全人類の不老不死。魂の物質化。
だが、その願いが至る場所は人理が目指すそれとは相容れないものだ。
今は共に戦う仲間だが、いずれは対立することになる。その夢を否定しなければならない。たった一つのバトンを奪わなければならない。
彼が島原の地獄に立ち戻り続ける限り、その定めは変わらないことを意味する。
そして人類最後のマスターもまた、いつかはそのバトンを渡す日が来る。
異聞帯でかれらの夢を壊してきたように。
壮絶な戦いの記録がいずれ「なかったこと」になったとして。
藤丸立香の旅路が、最初から必要なかったものになったとして。
その思い出も、苦難の旅路を一人歩もうとする彼にとっては必要ない、むしろ邪魔なのではないか。
あの庭でカルデアの皆が自分に投げかけた言葉を思い出す。
「かつての私ならそう思ったでしょうね」
言葉を失う立香に、天草は目を細めて懐かしむように言った。
「マスター、貴女と出会って私は変わった」
カルデアに召喚されたばかりの頃は、一歩引いた場所で他のサーヴァントたちを見ていた。私には成すべきことがある。カルデアのリソースを利用し、サーヴァントとして戦闘に赴く。あくまで利害関係であり、それ以上の感情など無用。
だが、幾度もの死線を共に潜り抜け、穏やかな時間を共に過ごすうちに、その思いは変わっていった。
「だったら、わたしも」
「変わる必要があると焦っていませんか」
「…………っ!」
同じ夢に繰り返し恐れ、足がすくみ、踏みとどまったとしても。
自分の感情を殺してまで敢えて変わる必要はない、と天草は言った。
「それに、私はまだ諦めていませんよ」
「何を?」
「マスターの日常を取り戻すことを、です」
「…………」
「貴女が見届けてきた私の、いえ、カルデアに召喚されたサーヴァントたちの旅路に価値がないとは思いません。それは縁として必ず何処かで生き続ける。――いつかそれを手放すことになってもです」
寄り添うような瞳で語りかける。
天草四郎もまた、かつてはただの魔術使いの少年から救世主へと祭り上げられた人間だった。
「ありがとう、体の芯まで温まった」
人間としての弱さともとれる感覚を肯定するのは、いつかすべての日常を取り戻すため。
天草は今もずっと、あの時の約束を守ってくれている。
「明日は勝ちに行こう!わたしは天草を信じてる」
差し出された手を握り、誓いを立てるように答える。
「この天草四郎時貞、必ずマスターに勝利を」
その声には揺るぎない信念が宿る。
世界の平和の果ての果てまで。
――その手がいつか離れるとしても。
(終)