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    するめまちこ

    @surumemachiko

    メガロボクスのジョーとサチオ大好きおぢさん

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    するめまちこ

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    5/3イベントにて発行した無配の小説です。

    *ドラゴンスレイヤー後、『凶』前。色々捏造なお話。 何となく注文した唐揚げ弁当を、沢村は半分も食べないうちに持て余していた。どうせなら、さっぱりしたものにすればよかった、と悔やむ。
     毎朝の恒例である弁当の注文は、朝礼の後の形式だけのラジオ体操の後、作業内容によって班分けされた作業員達が持ち場につく頃、現場監督の補佐役がメモを片手に聞きに来ることになっている。日当に含まれている仕出し弁当は幾つかの種類があり、ハンバーグやミックスフライの他、稀に魚料理がおかずになる日替わり、それに定番の唐揚げ弁当だ。沢村の属する八班に今日はどうする?と聞きに来るときには、補佐役のメモには幾つかの『正』の字が並んでおり、同じ班の作業員達が日替わりやミックスフライと我先にと口々に言うのを聞き、横に幾つかの線を足していく。補佐役が足した線を数え、「お前は?どうする?」と尋ねられる頃には、注文を終えた作業員達は安全ベルトの装着を進めており、今日の作業がああだこうだと話始めている。差し迫った完成予定日やそんなことを考慮されない資材の納品日に、明日以降の連続した雨予報。時間はいくらあっても足りないくらいだ。頭の完全に回っているとは言えない、そこそこの早朝に昼頃の腹具合を察することは簡単ではないが、口からは咄嗟に「唐揚げ」という単語は容易に出た。何の気なしに出てしまったのだ。
     現場の敷地内でグループを作って弁当を食べる別の班の作業員が、「今日の日替わり、鯖の塩焼きかよー」と、唐揚げにすれば良かったと言いながら弁当をつついているのを見て、交換しようか、と言いたくなるのをぐっと堪える。
    弁当の数に間違いがないか数えながら去って行く補佐役の背中を走ってでも止めておけばよかった、と思う。少しでも食欲が出るだろうかと先に食べた梅干が乗っていた場所の、赤く染まった冷たい米を箸先で弄んだ後、いつもなら美味いと思うはずの歪な唐揚げを気張って一口齧り、そしてまた、ああ別の物にすればよかった、と残念に思った。

     *****

     待ち合わせは駅前のファーストフード店にした。
     駅の階段を降りてくる人々を待ち構えるようなガラス張りの店内から、日の入り時刻が早まったせいで、すっかり夜の気配を孕んだ夕刻の街がよく見えた。部活動に励んだ学生達の帰宅ラッシュだろうか、校章や高校名の印刷された揃いのスポーツバックを担いだ一団が、「今日も練習がキツかった」だとか「腹が減った」だとかを言い合いながら、カウンターで思い思いのメニューを注文していく。店の名前を冠した定番や照り焼き味のハンバーガー。フレンチフライとオニオンリングにチキンナゲット。トレイに乗った食事を一人ずつ持ち、店奥のソファ席を陣取った一団は、「明日の数学がダルい」や「帰りにジャンプ買わなきゃ」と賑やかに話しながらも全ての料理を飲み込むように食べ、家で待ち構えている夕食の前の食事を終わらせると早々に店を出て、「また明日なー」と解散だ。他にもそういう学生の団体が何組かいたが、皆同じように帰宅前の腹ごしらえを終えてそれぞれの帰路につく頃には、仕事帰りであろう男性や参考書を広げる若い女性、静かに食事や食後の余暇を楽しむ人々へ客層に変わっていた。
     沢村が入店の際に注文したホットコーヒーはすっかり飲み終わっており、レジを打つ店員にレシートを見せることで二杯目のコーヒーの注文が割引になるのだとにこやかに言われていたが、二杯目の注文はコーラにした。頬杖をつき、人間観察のようなことをしながら幾つかの帰宅ラッシュと思しき人々の群れが駅から吐き出されていくのを見ていた。それぞれの速さで、それぞれの目的地へ向かう人々。その中に、目的の人物がいるに違いない。―いや、いてもらわねば困るのだが。
     『おくれり、ごめん。』
     急な会議が入ったのだという、河辺から送られてきた手短な文章は、変換も誤字の推敲もなく急いでいるのが伝わってくるもので、沢村はそれに対して『わかった』と短い返事をした。それにやっと既読が付き、『今、駅に着いた!』と届いた頃には、コーラの嵩はコップの半分を下回っていた。

     「ご、ごめんっ!遅れた!!」
     肩で息をする河辺を向かいの席に親指で座るように促し、河辺はそれに従って沢村の向かいに腰を下ろす。駅の階段を駆け下りているのも、その勢いでつんのめりそうになりながら入店したのもしっかりと見ていた。荒い呼吸を整えようと、暫く胸元に手を当てたまま動けないでいる河辺の前に沢村は飲みかけのコーラのグラスを置き、河辺はそれを炎天下のマラソン選手のようにごくごくと一気に飲み干した。
     「ありがとう、生き返ったよ。」
     深呼吸を二度、三度。それからやっと、走っていたせいで肩がずり落ちたままのコートを脱ぎ、通勤鞄にかける。そして、「竜平、遅れてごめんな。」と河辺は改めて申し訳無さそうに謝罪する。来週に迫った修学旅行の見学先への行程について、今日中に決めなければならない細々とした調整の必要なことがいくつかあったらしい。
     「時間は?間に合うかな?」
     「飯食う時間くらいはある。」
     スマートフォンに表示された時間を確認して沢村は立ち上がり、河辺に何が食べたいかを聞いた。河辺は細い目を更に細めてカウンターの上のメニュー写真を見やり、定番のハンバーガーと、「後は適当に買ってきてくれ。」の注文に頷いたが、河辺の差し出した財布は無視して、沢村はカウンターで注文を始めていた。メニューを指差し、定番のハンバーガーはフレンチフライとオニオンリングのセットにして、それからチキンナゲットの大きいパック、パティが二枚挟まったボリュームのあるハンバーガーとシンプルなホットドッグ。少し悩んでホットドックは骨付きフライドチキンのセットにした。差し迫ったわけでなくとも、また訪れる減量期のことを思い、本当はもう少し節制しないいけないことは薄々判ってはいたが、メニュー表の上で人差し指が描いた軌道は、昼食で満たされなかった食欲に忠実だ。注文している最中に河辺から横から財布を持たされそうになるのを、「いいよ。今日は俺が出す」と突っぱねながらも飲み物を注文し、いよいよレジに合計金額が表示される頃には眉間に不機嫌を刻んだ沢村に「さっさと席に戻ってろ!鞄盗られても知らねえぞ!」とカウンターの女性店員が目を丸くする程の一喝をされ、河辺は不服そうな表情で席に戻らされた。

     それなりの量を注文したため、全ての料理が揃うには時間がかかる。カウンターの店員が用意したドリンク、厨房の店員が次々と投げるように準備するハンバーガー類、それぞれの陣地を主張する料理達が犇きあい、出来立てを席まで運んでくれるというフレンチフライとオニオンリングが乗っていないにも関わらず、トレイの上は満員電車の形相だ。
     食事を運んできた沢村を、河辺は「おかえり」と迎え「竜平、ありがとうね」と笑った。
     「別に。給料日だったからだよ」
     早速自分用に注文したホットドッグの包みを開け、沢村はあんぐりと齧り付いた。この店のホットドッグはザワークラウトが山盛りにかかっており、ケチャップとマスタードの味をその風味がかき消してしまう程である。独特の酸味は好き嫌いが分かれるだろうが、店の拘りだという羊の腸詰ポークソーセージの肉々しい旨味をさっぱりとした後味にしてくれるこの味を、沢村は好ましく思っているし、メニューに残り続けているということは、同じようなザワークラウト愛好家が全国に居るのだろう。
     河辺は「いただきます」と手を合わせハンバーガーの包み紙を開いた。艶やかなバンズのハンバーガーを一口。その頃には沢村の食べ始めたホットドッグの長さは半分になっており、一口、二口、と小気味良いリズムで咀嚼されたソレの残りを口に放り込んだ頃合で、カウンターの中に居た店員がフレンチフライとオニオンリングの出来立てを運んできてくれた。河辺が店員に小さく会釈をするのを横目に、沢村は次にナゲットの一つを摘み、躊躇うことなくハニーマスタードにその殆どを浸して一口に食べた。それから出来立てのフレンチフライを半口、想像よりも熱かったので齧った残りはセットで注文した烏龍茶で流し込んで、次にフライドチキンを軟骨まで余すところ無くしがんで、合間にオニオンリングをサクサクと音を立てながら二つ、定番の内容量を二倍にしたボリュームのあるハンバーガーの包みを手にしたタイミングで、沢村はポケットからスマートフォンを取り出し「先生」と河辺に呼びかけると、あと十分で出るから。と告げる。
     「飯食う時間くらいはある。」とは言ったが、「味わって食べる時間がある。」という意味を含んではいない。
     沢村が本来の待ち合わせの時間からの想定であれば、食事を楽しんだ後に『これからの予定』について語らう余裕もあったろうが、そうとは言ってられない。いつもより大口に齧り付いて、それでもちゃんと咀嚼して飲み込む。それを繰り返していれば、あっという間に沢村は自分の陣地を食べつくしており、河辺は蛇の食事のような食べっぷりに圧倒されながらも、ハンバーガーに立ち向かっている。
     一般的なチェーン店より、バンズとパティが織り成す厚みのあるボリュームと、ソース量の多いことで人気のあるハンバーガーショップなだけあり、店のオリジナルなのがウリのトマトソースが零れた包み紙の中で、ハンバーガーの欠片を回し、首を傾け、ああでもないこうでもないとしながら河辺が最後の一口を、頬を小動物のように膨らませながら口に収めた頃には、手は包み紙からも溢れてトマトソースで汚れてしまっており、退店予定の時間までに手を洗い、最低限の身支度をすること考慮すると、「竜平、残りのポテト食べてくれるかい?」と、河辺の食事はここで終了だ。
     早足に手洗いに向かう河辺の背中をぼんやりと目で追いながらも、沢村は紙袋半分に残っていたポテトと奥底で眠っていたオニオンリングを一口に食べて、紙袋を握り潰した。
     急いで食べてしまったからか、いつもより腹を重く感じながら席を立ち、簡単にトレイやゴミを纏めたものを返却口に返した頃合には、河辺が席に戻りコートに袖を通しており、沢村はそのまま入り口近くで待って、カウンター内の誰に言うでもなく「ご馳走様でした」と小さく頭を下げた河辺と共に早足に店を出た。

     「竜平、ご馳走様。美味しかったよ。」
     久しぶりに食べたよ、ハンバーガー。また食べたいね。次は先生がご馳走するからな。と言う河辺を沢村はちらりと横目で見遣る。本当は到着してすぐに、一言二言ちくりと刺さるような文句の一つや二つでも言ってやろうと思っていた。のっぴきならない事情があるのは判っていたが、遅刻した側に説明や言い訳をする権利があるのならば、待たされた方に文句を言う権利はあるだろう、と。けれど、彼は彼の職務を全うし、それからあんなにも息を切らして自分に会いに来てくれたのだ。「竜平、待たせてごめんな。今日は私から誘ったのに…」
     肩を落とし俯いた河辺の姿は、しゅんと耳と尻尾を垂らした犬のような哀愁を漂わせており、そうなてしまうと沢村はもうお手上げだ。
     「…全然、待つのは嫌じゃないよ。ちょっと心配してただけ。」
     事故とか、事件とか、色々あるだろ?最近物騒なんだから。そう言って、河辺をまたちらりと見遣ると、耳と尻尾がゆっくりと立ち上がり、何かの感情を表そうとゆらゆらと揺れている―ように、見える。
     「…先生がオレを誘ってくれて嬉しかった…よ。」
     ちゃんと言わなきゃいけないことほど、ちゃんと相手に伝えたいことほど、言葉にするときにぶっきらぼうになってしまう自分が嫌になる。沢村は上着のポケットに両手を入れ、背中を丸めて歩幅を更に大きくした。沢村と並んで歩いていた河辺の早足が小走りになり、「竜平が、そう思ってくれて嬉しい」とその声色で微笑みかけてくれていることは判っていたけれど、河辺の方を向くことは出来なかった。顔が、熱い。耳や尻尾で感情が判ってしまう生き物でなくて良かった、と沢村は思う。

     駅の裏手にある駐輪場から、目的地まではバイクの二人乗りで向かう。
     「学校に迎えに行くけど?」という提案は、今日の予定に誘われたときにしていたが、「流石に学校の前からは駄目だよ」と、河辺からは即却下にされた。いくら放課後と言っても、部活動帰りの生徒や、他の教員も残っているし、塾や習い事の為に迎えに来る親やその他にも色々と気にしなければいけないことは様々にある。―そういうこともあって、待ち合わせは目的地の最寄り駅に、18:30。沢村のトレーニングも終わっているしシャワーを浴びて身支度を整える余裕はあるだろう、河辺の方も予定通りで行けば職員会議の為に部活動も休みで、待ち合わせに余裕を持って退勤出来る予定だったのだが。予定の時間は19:45、今の時間は19:30。目的地までは距離的に五分もかからない計算なので、現地で慌てることもないだろう。沢村はホーム画面で時間を確認した後、シート下から二つヘルメットを取り出す。「ここは私に」と駐車料金を精算してくれていた河辺が戻ってから、河辺の通勤鞄をシート下に収め、それからフルフェイスのヘルメットを河辺に渡し、以前から着用しているオープンフェイスのヘルメットを沢村が身につけた。
     「竜平、私が後ろなんだからさ」
     河辺が差し出すのを半ば強引に取り上げて被せたヘルメットの頭頂を、曲げた指の間接でコンコンと叩く。サイズ感も強度は問題無さそうだ、と沢村は思う。鬼槍留の会長からは、バイクは扱いによっては自動車並みの速度で進むのに対し、極端なことを言うと運転手の身を守るものはヘルメットしかない。だからこそ、フルフェイスのものを購入しろ、と以前から口酸っぱく言われていた。お前は鬼槍留に必要な選手なんだから!―その言葉に対する感情は、今は煩わしさからもう少し柔らかいものとして受け止められるように変化している、と沢村は思う。
     けれども、自身の分は元から使っているものがあるのだから、そういう理由では殊更購入には繋がらなかった。壊れたとき用だとかその他でも尤もらしい理由を考えていたところ、河辺をバイクの後ろに乗せるには、会長が通勤に使っているスーパーカブの経年を感じるヘルメットを借りるだとか、ジム生でバイク趣味だと休憩時間に話していた奴に急に話しかけるだとかの選択は端から存在せず、それならば新しく購入したい、と思ったのだ。これはいい機会だ、と仕事帰りにバイク用品の量販店に通い、ロードワーク中にバイクショップのショーケースを見遣り、見た目や予算や、勿論強度のこと、色々な点を考慮して購入したのが、今沢村の眼下で河辺の小作りな頭を守っているものなのである。
     「竜平!」
     びっくりしたじゃないか、とバイザーを上げて中でずれた河辺が眼鏡を直すのを待ち、河辺を先にそれから沢村がバイクに跨る。沢村は背中に僅かな重みを感じながら、バイクは出来る限り安全に考慮して、それでいて予定には間に合う速度で滑るように出発した。19:35。

    ―――そのチケットは、プラネタリウムのある市立科学館が閉館してから行われる特別上映プログラムのものだった。

     河辺は顧問である。文化部の中でも華やかなコンクールのある吹奏楽部や演劇部、共に汗を流しながら苦楽を共にする運動部のような表立った活動は少なく、活動の記録でもある文化祭での活動展示に使った教室が、毎年休憩室代わりに使われてしまいがちな地学部の。
     主な活動は、学校近くのフィールドワークでの地層の観察、屋上での天体観測、など。だが、実際のところは、河辺が教師になった頃には長雨での地すべりによって山肌が露になっていた誰も寄り付かないような近所のハイキングコースや、日の入りが早くなった放課後には、学校の屋上程度の高所でも、双眼鏡や天体望遠鏡を使って月の満ち欠けや僅かに星の観察等も出来たのだ。けれども、最近は土地が綺麗に手入れされ、ハイキングコースが綺麗な公園になってからは、フィールドワークに向かうのも小旅行の形相で、天体観測をするには夜は賑やかになりすぎだ。
     休日に学生が主体となって市立科学館へのプラネタリウムへ赴く計画をして、そこで得た季節の星座の知識や宇宙に関することを文化祭の活動展示の為、という名目で校外学習の引率をしたことも過去にはあるものの、今ならば現地に赴かなくてもインターネットの画面越しに世界中の天体ショーを空調が整い、快適な室内で観測することができる。それに、いくら部活動の一貫といえども、夜に学生が家を出ることを良く思わない親も多いのだ。―そういうこともあって、展示物の内容は立派になったと思うが、顧問としての河辺の仕事は、毎月の掲示物の一つになる地学部新聞の内容に目を通し、承認印を押すことが主になってしまっている。
     春を過ぎれば、あっという間に夏になる。夏休みが近付けば、上級生は受験だなんだともっと勉学に励む必要になるだろうし、春の大型連休中も過ぎて五月病の始まる頃合に、新入生達が先輩達との交流の機会になれば、と科学館側が学生を招待することを主に想定してわざわざ『地学部』宛てに招待チケットを送ってくれたのだ。期間内にインターネットで申請をすれば、人数分のチケットを用意してくれるというシステムのもので、以前に同プログラムが行われた際チケットが即完売してしまったため、これからはチケットは抽選販売のみになり、一般に流通はしないらしい。部室に使用している空き教室で地学部新聞を模造紙に書く部員達に科学館への校外学習について提案したが、「塾があってー」「インターネットで調べられるのでー」という言葉で口々に断られてしまい、「先生が使ったらいいんじゃないですか?」という部長の一言で、河辺は背中を丸めて教室から出て、いつもの職務を全うする為に職員室で待つしか出来ない。
     だから、その日の夕食を共にした沢村に話したのだ。一つの笑い話にでもなれば良いと思っていた。
     「竜平が行きたいならチケット注文しようか?」
     抽選購入の開始時間が差し迫っていた為、招待チケットの有効期限はあと30分程だった。
     誰か友達でも誘って一緒に行っておいで?という意味で提案したつもりのチケットは、沢村の中で即座に『河辺先生と一緒にプラネタリウム行く為のチケット』に変換されたらしい。河辺としても、断る理由が無いのでそれを了承し、行儀は悪いが食事中にチケットをインターネットで注文した、という訳だ。―つまりは、今日のチケットは運命と言う名前の糸が手繰られるように河辺の手に渡ったチケットなのである。
     それから数日で特別上映プログラムのチケットは河辺の家に届いた。仕事から帰宅して、河辺も随分草臥れていた。そういうことを口実にしては良くないかもしれないが、自炊をする気が起きず、それなら一緒に食事をしよう、と沢村を夕食に誘った。一度帰宅してスーツを脱いでしまっては、また出掛ける為の服装に着替えるのは億劫な気持ちになっていたが、ちょうどトレーニング終わりだという沢村はスーパーで適当な食事を買おうとしていたところらしく、それなら先生の分も買っていくよ。と話は早かった。「何にする?」と言うのに「竜平と同じもので」と答えたことで、豆腐一丁とサラダチキンを丸ごと並べたものを食べることになるとは思っていなかったが、河辺が手渡した長方形の紙切れに、沢村は眼を輝かせた。―と思う。実際には、沢村の表情は滅多に変わることは無いから、ただ河辺が『そう感じた』というだけなのだけど。
     そのチケットは、『特別上映プログラム:宇宙の誕生と銀河』、あとプラネタリウムのある科学博物館のロゴと、星空の写真が印刷された艶やかな紙だった。

     二人は市立科学館に到着した。19:41。
     裏口の駐輪場から急いで入場口に向かうと、プラネタリウムホールの前には入場を待つ人々が列を作っており、係員が素早くチケットをもぎりながら人々を中へと案内している。
     列の最後尾に並び、沢村は列を作るそれなりに盛装した人々を見やった。自分と同じ年代ような客の姿はなく、と言うよりむしろ、自分よりも年上のカップルや、如何にも星や天体が好きそうな大人の客ばかりだった。
     このプラネタリウムは座席指定ではないので、入場を開始してすぐのタイミングで良い席は確保されているだろうが、「いつも前の方空いてるんだよ」という河辺の宣言通り、最後に入場した沢村と河辺は残った一番前列の中央通路沿いの二人で並んで座れる席に腰掛けた。全天を見渡すには首を大きく倒す必要があるが、前列は椅子が体重でリクライニング出来るようになっており、足を伸ばすことも出来る。
     ホールの中はひそやかなざわめきで満たされていたが、上映前のアナウンス―携帯は電源を切るかマナーモードに、またビデオ撮影の禁止などなど―が流れ、照明が落ちていくに連れてざわめきは静まっていった。楽しみだね、と椅子の上でほぼ寝っ転がった体制になった二人は視線を合わせ、河辺は静かに笑った。そして、半球ドームに投影される外界から閉ざされた空を見やった。
     ざわめきを模した茜色のカーテンが西に沈み、代わりにしっとりとした沈黙の夜空が東からやって来た。
     今日の夜空の解説と、今見える春の星座のこと、銀河の始まりをCGで現した映像。春に見える星、おとめ座の一等星、スピカ、連なる星…小綺麗にまとまった、男性学芸員の聴きやすく万人向けの宇宙の解説。隣に座りうっとりとした表情のカップルや、熱心に解説を聞く人には申し訳ないが、沢村は小さく息を吸い、あきらめて小さな欠伸を噛み殺した。そして、横目に河辺の真剣な横顔を見て、もう一度星空を見上げた後、彼は静かに目を閉じた。
     ―もし、星がこちら側を見るとき、自分達はスピカのように見えるのだろうか。―

     ―今や解説も、後ろで流れる音楽も佳境に入り、すべての星達が高らかに声を張り上げているというのに、沢村はまるで頓着せずゆったりと眠りに落ちている。彼のそんな健やかさを、河辺は愛おしく思う。起こした方が良いだろうか、と触れた手は暖かく、そこからひどく心地よい感覚が流れ込み、起きないで欲しいと、矛盾した気持ちが河辺の心に浮かぶ。確かに其処に存在しているぬくもりを求めるように、沢村は静かに身じろぎ、包むように、離さまいとするように、重ねるというよりも子供が親の手にしがみ付くような形で、河辺の手を包む。
     他の客から見えない、椅子で隠された場所。そこには、彼等だけの小さな温もりがあり、沢村は眠ったままだった。

     上映後の再びざわめきで満たされたホールの中、沢村は目の縁を小さくこすっていた。それから大あくびをして伸びをした。その仕草は短時間であっても熟睡していたいうのがありありと伝わってくる。
     「…寝てた」
     「寝てたね。」
     「分かってたんなら起こすだろ、普通?」
     眉を顰めて拗ねている沢村の、寝顔が歳相応よりも幼く見えて可愛らしかったことを、河辺は胸に収めながら、苦笑いでやり過ごすことを決めた。
     帰路に着く人々がホールの入り口作る渋滞が収まるのを待ち、彼等が科学館の建物を後にした時には、行きと同じように最後の一組になっていた。
     駐輪場で見上げた夜空はすっきりと晴れていた。けれど、上弦の月は夜空というカンバスの上に滲むように浮かんでいる。四月と言えども、まだオリオン座が見えていた。けれどももうすぐ彼は裏っかわの空に行く。
     「あれが乙女座で、えっと…一番明るい星がスピカ…だったか?」
     ―もしも、自分達がスピカであれば、ずっと傍に居られるんだろうか。―
     沢村はバイクの鍵を弄び、少し考えてから、「送っていくよ、家まで。」と言った。

     動物が縄張りを作るように体を預けて、じっと動かない河辺の重みを背中に感じながら、バイクは四月の夜を滑らかに走った。
     ―もしも、自分達がスピカであれば、ずっと傍に居られるんだろうか。―
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    *ドラゴンスレイヤー後、『凶』前。色々捏造なお話。 何となく注文した唐揚げ弁当を、沢村は半分も食べないうちに持て余していた。どうせなら、さっぱりしたものにすればよかった、と悔やむ。
     毎朝の恒例である弁当の注文は、朝礼の後の形式だけのラジオ体操の後、作業内容によって班分けされた作業員達が持ち場につく頃、現場監督の補佐役がメモを片手に聞きに来ることになっている。日当に含まれている仕出し弁当は幾つかの種類があり、ハンバーグやミックスフライの他、稀に魚料理がおかずになる日替わり、それに定番の唐揚げ弁当だ。沢村の属する八班に今日はどうする?と聞きに来るときには、補佐役のメモには幾つかの『正』の字が並んでおり、同じ班の作業員達が日替わりやミックスフライと我先にと口々に言うのを聞き、横に幾つかの線を足していく。補佐役が足した線を数え、「お前は?どうする?」と尋ねられる頃には、注文を終えた作業員達は安全ベルトの装着を進めており、今日の作業がああだこうだと話始めている。差し迫った完成予定日やそんなことを考慮されない資材の納品日に、明日以降の連続した雨予報。時間はいくらあっても足りないくらいだ。頭の完全に回っているとは言えない、そこそこの早朝に昼頃の腹具合を察することは簡単ではないが、口からは咄嗟に「唐揚げ」という単語は容易に出た。何の気なしに出てしまったのだ。
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