7戦目★ヒーローは都合良く助けに来るもので視界に広がるのは青い空と新緑の木々、そして削ぎ落ちた崖の断面。
「やっちゃったなーー……」
あちゃー…、と渇いた笑みを浮かべるピクは投げ飛ばされた大の字で寝転がったまま、パラパラと名残の残骸を落とす崖を見上げていた。
偶然が重なった不運だった。
踏み込んだ足元の崖が崩れ投げ出されたピクはそのまま崖の下に転げ落ちたのだ。崖の高さが数十メートルと比較的浅く、落ちた先の若葉がクッションとなってくれたお陰で大事は免れた事は不幸中の幸いである。
ピクは上体を起こし片膝を立て立ち上がろうと右足を生い茂った若葉についた。
「ぃっ……!!」
右足首を地面に着いた途端右足首に走った電撃の様な痛みにピクは顔を歪め、その場にぺたりとへたり込む。
「ったぁ〜〜っっ」
若葉の上にへたりこんだピクは忌々しそうにズキズキと痛む右足首を見やる。
恐らくさっき、崖から落ちた時に捻ってしまったのだろう。
この足ではこの崖は登れない。痛みが引くまで大人しくしておくか、近くを通りかかった人に助けを求める事が出来たら……そう思ったが、この人通りの少ない森の小道に人が現れる希望は薄い上に太陽の位置からするともうすぐ日が暮れる頃合だろう。
車で行けばよかった……望み薄な状況にピクは近場だからとテントの横に置いて来た愛車に思いを馳せる。
どうしたものかと悩むピクの背後で草と草が擦れ、不穏に鳴く音が響く。
「……っ!」
こんな崖下の暗がりの森にいるのは獣か山賊か、ピクは即座に肩を強ばらせ緊張を走らせる。
いざという時は右脚を痛めてでも戦い逃げれる様腰を浮かせて様子を伺っていく中、その不穏な音は刻々と近付いてくる。
不穏な音が一層大きくなり、目の前の草木がガサガサと揺れる。やられる前に先手を打つと揺れる草木を睨みつけたピクの前にひとつの人影が姿を現した。
ガサガサと不穏に揺れる草木の中、若葉色の羽付き帽が草木の影から露になった。
「なにしてるんだ?」
人影の声を聞いた途端、ピクは鋭く睨みつけた眼光を解き、臨場警戒体制で構えていた腰はへたりと地面に降ろされた。
「安原かぁ〜〜」
「なんだよその言い草は」
飽きる程見慣れた顔の登場により緊張感が一気に抜け、再び若葉にへたりこんだピクは肩の荷を降ろし深く長い溜息をつく。
殺意に近い敵意を向かれたかと思えば戦意ゼロでへたりこみながらいつもの腹立だしい語尾を向けられた安原は眉を顰め地面にへたりこむピクに近づく。
「こんな所でなにをしてるんだ?」
「そういう君こそなんでこんな所でほっつき歩いてるのさ」
「俺はたまたま散歩をしていただけだ。そしたら偶然お前がいたって訳さ」
"偶然"や"たまたま"をやけに強調しているのは気のせいだろう。そんな安原はへたりこんだまま中々立ち上がらないピクを不可解に思う。
「立てないのか?」
「立てるさ」
「じゃあ立ってみろよ」
「……」
安原の指示にバツが悪そうにふいっと顔を逸らすピク。
そんな態度、嘘をつきましたと公言している様なものじゃないか……安原は心の底から湧き出た深いため息をつく。
「しょうもない嘘つくなよ……」
「立てない訳じゃない、今は立たないだけだ」
「言い訳にも程があるだろ……」
強がる言葉よりも正直な態度に本人は気付いているのだろうか。
どこまで意地を張るのかと呆れも通り越した安原はピクの背面の、真新しく刻まれた崩れた崖の跡を見て成程なと合点をついた。
「……落ちたのか」
「……たまたまタイミングが悪かったんだ」
「……アホすぎるな」
「誰がアホだ誰がっ!」
小犬の様にキャンキャンと吠えるピクはへたりこんだまま、ここまで来て立ち上がらないのは相当痛めている証だと察した安原はへたりこむピクの前に膝をつき、ピクの脚へと手を伸ばす。
「どっちの足だ?」
「………右」
「見せてみろ」
「ちょっと?!」
見せてみろと言う前に安原の手は既にピクの右脚に触れ、素早い手つきでブーツを脱がす。
「……っ!」
「……派手にやったみたいだな」
ブーツに圧迫され上手く脱げずに引っかかったのだろう。ピクは目頭を強ばらせ痛みに顔を歪める。
その表情を目にした安原はまるで硝子玉を扱う様に丁寧にゆっくりと、なるべく痛みを感じさせない様優しく緩やかな手つきでピクの足からブーツを脱がした。
ブーツの圧迫から開放されたピクの細い足首は倍程にぷっくりと腫れ上がり、炎症した皮膚の赤が痛々しい。
力が入らない右足は安原の手に包み込まれ、安原は痛むであろう炎症した足首に触れない様にそっと若葉の上に降ろした。
「……痛みが治まったら登るつもりだったんだ」
「この足で?そんなの悠長に待ってたら夜中になっちまうぞ」
拗ねた様に目を逸らし小さく呟いたピクだが安原の口から出た正論にぐうの音も出ない。
やれやれと小さくため息をついた安原はピクに背を向けピクの膝の裏に手を滑り込ませる。
「ゎぁあっっ?!!」
ピクを背後に抱え難なく立ち上がった安原。突如ふわりと宙に浮いたピクは咄嗟に安原の首に両腕を回した。
「ちょっと急になにするんだ?!」
「歩けないんだろ。だから運んでやる」
「はぁあ?!」
軽い身体をよっと抱え直すと安原はすたすたと歩き始めた。
「ぴーぴーぴーぴーうるさいな、叩き落とされたいか?!」
「やれるもんならやってみなよ!」
口だけで本当に自分を叩き落とすなど出来ない事は十分に理解しているピクはたかを括り強く出る。
どうせ怪我するなら口にすれば良かったのに……と達者な口を聞くピクをなんとか黙らせたい安原は敢えて余裕をこいたふうに見せかける。
「それともお姫様抱っこがご希望って訳か」
「っ誰がっ!!」
ニヒルに口端を上げる安原の見え透いた挑発にまんまとはまったピクは心底悔しそうに唸ると観念したのか安原の背に身を預け大人しくなった。
やっと大人しくなりやがった、と息をつく安原はピクの両膝を抱え直すと上へあがれる麓へと歩き出す。
「お前軽いな。ちゃんと食べてるのか?」
「失礼な、ちゃんと三食食べてますー」
「へいへい」
冗談抜きで羽の様に軽い、なんて言ったらきっと気色悪いとなじられるか馬鹿にして笑われるだろう。
そんな軽口を叩き合いながら夕暮れの知らせを感じた西からの日差しに目が眩み、ピクは安原の首筋に顔を埋める。
――広く逞しい背中。自分とは正反対の厚い背中は硬いのに寄り添えばなんとも言えない心地を感じる。
背中越しに感じる体温と身体に染み付いた煙草のムスク、そして首筋から香る安原の匂い。
安原の首筋に顔を埋めたままピタリと黙ったピクの変化に気づいた安原が呼びかけようとした時、ピクのつぶらな唇が控えめに動く。
「………、ありがと」
それはあまりにも小さく、二羽の黒い鳥の鳴き声に掻き消される程囁かな声だった――耳元で囁かれなければ聞こえない程の。
やけに素直すぎる囁きに、安原は口元を強く引き締める。
「いま何か言ったかー?ぜんっぜんきこえないなーー」
「っっっ何でもないっ!!」
わざとらしい棒読みにガバリと顔を上げたピクは安原の首に回した腕で思い切り締め上げた。
「おい!苦しっ、首を絞めるな?!!」
「うるさいっ!もう二度と言ってやらない!!」
夕暮れに誘われた森の麓はオレンジ色に染まっていた。
……今お姫様抱っこじゃなくて良かった。この時ばかりは二人揃いそう思ったのだった。
本日の勝負、打算的に颯爽と現れたヒーロー安原の勝ち。