13戦目★酒は飲んでも飲まれるな!酒は好きだ。
見知った仲間と酒を飲む雰囲気もそれなりに気に入ってはいる。
だがひとつだけ、どうしても許してはならない事があった。
「し〜んっのんでるかい?」
「ああ、程々に。ピクは……もう出来上がってる様だね」
「にへへ〜〜」
満月を肴に酒を嗜む。なんて粋で風情のある夜だろうか――この距離の近い酔っ払いがいなければ。
「まだよってないよぅ?」
「酔ってる人は皆そう言うんだよ」
一体何がおかしいのか、ピクはワイングラス片手に新の肩を抱きいつもの五倍は陽気に笑っていた。
見ての通り、ピクは笑い上戸の絡み酒である。
完全に出来上がったピクに絡まれない様予め距離を取っていた安原は見事に絡まれた新にご愁傷さま、とその光景を肴に葡萄酒を一口含み、数秒後の未来を予測し今晩の生贄に憐れみの目を向ける。
頬を淡く染め陽気に笑うこの酔っ払い、もうひとつ厄介な酒癖があった。
「ほっぺぷにぷに〜しんはかわいいな〜〜」
「擽ったいよピク……」
つんつん、と頬の柔らかさを堪能した後、新の案外柔らかい頬にちゅっと口付けをした。
小鳥の啄みの様な小さなキスを何度も落とし、新は頬に触れる柔らかな擽っさに困った様に小さく笑う。
そう、ピクは酔うとキス魔になるのだ。それも誰彼構わないたちの悪いキス魔である。
元々信頼した人間としか酒を飲まない為赤の他人にキス魔の本性を知られる事はない。その反動なのか気を許しているからなのか、心を許した人間にはその酒癖を大いに晒すのだ。
ピクのキス魔は最早諦めの境地か、標的の新も困った様に笑いつつも満更では無さそうな気もある。眉目秀麗な花のムムリク同士の仲睦まじいじゃれ合いに見えない事も無い。だがピクが絡む相手が新ではなく他の奴が相手だとどうだ?
安原はグラスの中の葡萄酒を一気に飲み干し、重い腰を上げて二人の元へと歩み寄る。
「し〜んっ」
「おい」
「ふゃっ!」
新の頬に唇を寄せた所で突如引き止められ、ピクは襟首を掴み新から引き剥がされた。
「って安原かぁ。どう?のんでるかい?」
「お前よりはな」
「全然よってないじゃないか。ホントザルだよねぇ」
「酔わない程度に呑んでるだけだ。誰かさんと違ってな」
飼い主に首根っこを掴まれた仔猫の様なその風体にピクの酔いがほんの少し覚め、自分の襟首を掴む安原の方へ振り返る。
ザルとまでは行かないが酒には強い方である。酒での醜態は晒したくないという見栄張りのプライドが無いと言えば嘘になるが、要は酒の呑み方が上手いのだ。
「お前はもう少し酒の呑み方を自重しろ。新が困ってるだろう」
「安原、僕は困ってないよ?ピクが楽しそうだし、僕も……」
「こら、お前がそうやってコイツを甘やかすから酒癖が酷くなっていくんだ」
「いてっ」
ピクを擁護する新を軽く小突くと、ピクは安原の顔をじどっと睨んだ。
「ほら〜、新だってそう言ってるじゃないか」
「そもそも誰彼構わずキスするな。気色悪い」
「誰彼かまわずじゃないもん、ちゃんと相手は選んでます〜ぅ」
挑発する様に上がる語尾に安原は奥歯をギジリと食いしばる。
酔っているせいかいつもの三倍ウザさが増長しているピクの見え透いた挑発にまんまと乗せられた安原もまた顔には出さないが相当酔っていると見で取れる。
「ほぉ?じゃあ俺とするか?あ?」
「安原"は"イヤ」
ピシャリ。剣を振り下ろすが如く断ち切ったピクの断固拒否により辺りに静寂が張り詰める。
酔いどれの舌足らずから一変、スンッと酔いが覚めたピクの流暢な拒絶に安原の筋張った青筋がブチンと切れる音がした。
――安原"""は"""イヤ。
しっかりと目の前で名指し拒否された安原の中でふつふつと蓄積された怒りは青い炎となり烈火の火山の如く音すら立てずに爆発した。
「――お前の考えは良ぉく分かったぜ。この酔っ払いキス魔」
「ふぎっ……っ」
そう言った安原は襟首を掴んでいない方の手でピクの両頬を鷲掴み自分の方に無理矢理向けさせる。
ぽかんと薄く開いたつぶらな唇は文句のひとつでも言うよりも先に――大きな口で塞がれた。
一体何が起きているのか?ただでさえ大きな瞳を零れそうな程に大きく見開き、ゼロ距離にある安原の精悍な顔を視界いっぱいに映していた。
唇の薄い皮膚から感じるのは少しかさついた唇と相反する熱。そのかさついた薄い唇はピクの柔らかく小さい唇を味わう様にしっとりと咥える。
「ふっ……ゃっ……っ!」
引き離れようにも両頬を掴まれ襟首を掴んでいた手も後頭部に回され逃がさまいとガッチリ掴まれピクに逃げ場は無い。
空気を求め開いた口から出る拒絶の声など露知らず、これ幸いと厚い舌がするりとピクの咥内へ侵入した。
「ゃ、だ……ぁっ………〜〜〜っ!」
上顎、歯の裏をなぞった舌先は逃げ惑う薄い舌を捕まえ逃がさまいと絡みつく。
舌裏を撫でられた瞬間、ピクの身体が弓形に跳ね上がった。
今にも腰を抜かしそうな震える脚を見た安原は両頬を掴んでいた手でピクの細い腰へと回し自身の方へと引き寄せる。
後頭部と腰を掴まれ逃げ場はない――それは捕らわれ逃げられない事実上の敗北を意味していた。
「っぁ………っふ……っ」
こんなに熱いのは酒のせいなのか、熱に浮かされた浮遊感の中、ピクはぼんやりと安原の舌先に意識を向ける。
安原の舌も熱い――なんだ、君も相当酔っているじゃないか。
「……っはっ……」
永遠の熱に溶かされる様なキスは安原の熱い吐息により終わりを告げる。
未だに熱を引ずり左右不明瞭なピクの膝を抱え、所謂お姫様抱っこで抱えた安原は全容を目の前で見せられていた新を見て詫びを入れる。
「悪い、新。今日は先に帰る。原達にも言っておいてくれ」
「わかった……余り無理させたらだめだよ」
「………覚えてたらな」
成り行きとはいえ目の前であれを見せられた新の頬が赤いのは酔っているからなのか、これからピクに訪れる"理解らせ"を察した新は意味が無いだろうがと思いつつ、僕は言ったからねと安原に釘を刺す。
……今度新には酒か魚を持って行こう。
遠巻きに一連を見ていた原の呆れ散らかしたしらけ面に気づかないまま、安原とピクは満月に照らされ二人の世界に消えていった。
――これだからコイツが誰かと酒を飲むのが嫌なんだ。
安原がこの厄介な酒癖を嫌う理由を知るのは月のみぞ知る。
――後日、新曰くピクのキス魔癖が収まったとかなんだとか。
今日の勝負、無自覚牽制により安原の勝ち。