昨日今日あすあさって　夏。
　太陽が張り切って、人を焼いて煮て殺す夏。
　東京はコンクリートジャングルである。
　ビル風という名の熱風が吹き荒れ、地面からの輻射熱は容赦なく足を焼き、日陰にいようとも湿度がひと息つくことを許してくれない。
　慣れたふうに学生服を着込んで登校するシロウを、まるで化け物を見るかのように眺めれば、視線に気がついた彼が穏やかに笑って、「ほら、タイが曲がっているよ」と、涼感のためにわざと曲げたネクタイをきっちり締めてくれた。
　そんな怪物が観測される季節である。

　さて、猛暑を通り越して酷暑と言っても過言ではない東京の夏において、観測される怪物は一人だけではない。
　練馬からわざわざやって来た、自称・柄にもなくハイテンションなジャガーの獣人は、上機嫌で直射日光と輻射熱を全身に浴びていた。
　倒れても知らん、とサモナーは思った。
「きょうだい」
　はしゃいだ様子の彼は全身全霊のタックルをサモナーにお見舞いし、なおかつがっしりと抱きしめてくる。
　真っ黒な体が吸収した熱は、総じていかほどばかりか。
「あっっっっ」
　暑いの「つい」すら叫べない熱さに、サモナーはつい反射で……そう、ついうっかり、わざとではない、決して腹がたったから一矢報いろうとしたわけではない拳を見舞っていた。
　テスカトリポカの下顎あたりにガツンと硬い音を立てて命中した拳が、痺れる。
「フハハハ！　元気がよくて何よりだとも、きょうだい！　早速アプリバトルと洒落込むかね」
「洒落込まない　気温が暑い！　テスカの体が熱い！　筋肉で無駄に厚い！」
「無駄ということはあるまいよ！　君と最高で最低な戦争をたしなむために、趣向を凝らして発注した特別製の体だよ！」
「わかったから離れろ！　ホールドするな！　暑苦しいし苦しい！」
　ぎゃあぎゃあと喧やかましく言い合いをする二人を、ファビュラスな狐と一九二センチの側近が、呆れや微笑ましさや若干の怯えを持って眺めていた。

「いい加減離れてくれないかな！」
　かれこれ五分ほど密着している。次第に汗ばんできたサモナーがテスカトリポカを押し退けようと腕に力を入れるも、ジャガーの彼は決してこの無体な真似をやめてはくれなかった。楽しそうである。

「我慢比べといこうじゃないか、きょうだい！」

　フハハ、と無邪気に笑う彼が、日向でサモナーを抱きしめている。
　当然、テスカトリポカも暑いのである。
　どちらが先に音を上げるかの勝負なのである。
　全くもって馬鹿馬鹿しいが、なんでも張り合い小競り合いにつなげるのが、この「きょうだいたち」なのだろう。
　サモナーはテスカトリポカを横目で見ると、眉間にシワを寄せて一言告げた。

「断る！」

「つれないな、きょうだい！　せっかく、この私が！　練馬から！　新宿へ！　足を運んだというのに！」
「執務はどうした」
「昨日の分は終わっているとも！」
「今日の分は」
「君だって課題ばかりで息抜きがしたかっただろう　鏡合わせの我らだ！　お見通しなのだよ？　ん？」
　この野郎。
　最前線指揮官とあろう者が執務の最前線から逃走を図るとは何事か。
　我慢比べの勝負というのなら、仕事や課題を我慢する方向に持ち込め。
　そう、言いたかった。言いたかったのだが、サモナーは何も言わなかった。

　今まで何をどれくらい我慢してきたのか。

　サモナーの中にいるケツァルコアトルは、なかなか苛烈な性質を持っている。
　テスカトリポカのわからず屋！　と腹を立てたのか、それとも信仰のあり方に一言物申したくてたまらなかったのか、そのどちらもなのかは知らないが、自らの痕跡をすべて消し飛ばし、自身もまた故郷エルドラドから姿を消したトンチキぶりである。
　そんなトンチキなきょうだいを失って幾星霜。
　テスカトリポカは、何をどれくらい耐えてきたのか。
　耐えきれなくなって東京へやって来たのではないのか。

　なのに持ちかけるのが「我慢比べ」だなんて、趣味が悪いのではないか。

「我慢しない勝負がいい」
　サモナーの口からこぼれたセリフに、それまで執拗にサモナーを抱きしめ、悪しきちょっかいをかけていたテスカトリポカが黙った。
「我慢しないでワガママを言い合う勝負なら受けて立つ」
「……どんな勝負だね、それは？」
「そのままだよ。実現可能、不可能に関わらず、スケールのでかいワガママを言い合うんだ。どっちが勝つと思う？」
　サモナーからの意地悪い問いかけに、テスカトリポカが口角を吊り上げた。
「創世神のワガママに勝るものはないよ、きょうだい？」

「まず、こっちからね。えー……夏休みが一年くらいほしい」
「春夏秋冬を巡ってしまうのでは、『夏』休みではないよ、きょうだい」
「いいんだよ、実現可能か不可能かは問わないんだから」
　涼しいカフェに移動して、アイスコーヒーなどをたしなみながら、二人は何でもない、しょうのない、空っぽの要求を投げあっていた。
「次、テスカ」
「んん……どうせ居なくなるのなら、その前にケツァルコアトルともっと喧嘩をしたかったなあ」
「それ第六の世界が生まれかねないから駄目でしょ」
「実現可能か不可能かは問わないのだろう、きょうだい？」
　得意げにストローに口をつけるテスカトリポカに、サモナーは苦笑いを返した。
　天地創造と書いてヤンチャと読む者のワガママは、やはり度を越している。
「次はきょうだいだよ」
「うん。体力がほしい」
「私との戦争のためかね！」
「メインじゃないけどそれも含む」
「フフフ！　なら私は、第六の世界を作ってみたかった！」
「おい大戦争を自重しろ」
「自重などするものかね！　私は戦士に仰がれる者だよ？　それ相応の振る舞いというものがあるのだからね」
　物騒な会話もあったものだ。
　サモナーは、ふと気づいたことを口にした。
「過去形だね」
　テスカトリポカは瞬きを数回。そしてサモナーを見つめる。首を傾げているので、何が何やらわかっていないらしい。
　サモナーの人差し指が、テスカトリポカをしっかりと指していた。

「さっきから、したかった、したかったって、ワガママの内容が過去形だよ」

「それは……」
　致し方ないことではないか。
　テスカトリポカが、そう言いたげだった。サモナーは言葉を続ける。過去がないサモナーは、過去を振り返る創世神に、面と向かって言うのだった。
「これからの願望は？」
「無茶を言うね、きょうだい。私は義体を失えば、もはや何も残っていない残滓なのだよ？　残煙にこれからの展望などあるはずが……」
「もはや何もなくても、それでもいい。望んで。それが駄目ならこっちで勝手に望むよ？　テスカにこれからがありますようにって」

　実現可能、不可能に関わらず、スケールのでかいワガママを言い合う。

　この勝負、サモナーの勝ちのようだ。
　仕方ないものを見るかのような目で、テスカトリポカが笑みをこぼす。苦笑いかもしれないし、泣き笑いかもしれない。涙が出ないので判別はできない。
　アイスコーヒーの氷は溶けて、上澄みが静かに漂っていた。

「……アプリバトル、する？」
「……しようか、きょうだい！」
「最悪の泥仕合を、二人で」
「フハハ！　我慢せずに好きなだけ！」