夕陽に照らされ君とキスをする 飛行機の中でナワーブはホットドッグを頬張り、戚とリリーは飛行機から降りてホテルに荷物を置いたあとは、どこで食事をするか話し合っている。
ジョーカーはアイマスクをして眠っていて、ルカはスマホのロック画面に設定している恋人の写真を愛おしそうに眺めていた。
「あ〜っ、ルカぴったらまたカノジョさんの写真眺めてる〜!」
「時間がある時はいつも眺めているわよね」
「ん……? ああ、まぁな」
ルカがそう返しながらスマホをポケットにしまうと、リリーが興味津々な様子で身を乗り出す。
「ねねっ、ルカぴとカノジョさんの馴れ初めとか、思い出話聞きたいなっ!」
「構わないが……そこまで楽しませられるような話になるか自信が無いな」
構わないのね、と思いながら戚は烏龍茶を飲みリリーと共に話を聞いた。
「ふむ……そうだな……彼と出会ったのは、二年前かな。ただのクラスメイトから友人となり……それから私達は恋人同士になったんだ。」
「……ん?」
首を傾げるリリーを気にしないかのようにルカは話を続ける。
その目はどこか懐かしそうに、そして少し悲しそうでもあった。
◇ ・ ◆ ・ ◇
二年前の夏。
放課後となりエアコンが切られた夕陽の射し込む教室に一人の生徒が窓を開けてグラウンドを静かに見つめていた。
カーテンが温い風でゆらゆらと揺れ、スマホを手にしてメッセージアプリを開こうとすると、背後から「アンドルー!」と声をかけられる。
「……! ルカ……!」
「すまない、図書室から借りていた本を返してすぐ戻ろうと思ったんだが、隣のクラスの友人から借りた教科書を返し忘れていたことを思い出して……彼を探すのにやや時間がかかってしまった」
夕陽に照らされながら穏やかにアンドルーとルカが呼んだ生徒は微笑み、「そうか」と言いながらスマホをズボンのポケットにしまった。
「帰りにコンビニに寄って帰って、アイスでも食べようか。奢るよ」
「え、いいのか?」
「ああ、勿論」
アイスを奢ってもらえると聞いたアンドルーは嬉しそうに笑って鞄を肩にかける。
ルカと共に教室から出て靴を履き替えては他愛のない会話をしながらコンビニへと向かった。
これが彼らの日常だったのだ、穏やかかつ楽しい学生生活、勉学に励みつつも遊ぶ時はうんと二人で遊んで笑い合っていた。
けれどいつからだっただろうか、ルカがアンドルーに対して友情以上の感情を胸に抱き始めたのは。
いつもと変わらないはずの夕焼けに照らされる彼の笑顔がどこか愛おしくて堪らなくなった。
いつもと変わらないはずの彼の勉強をする時の真剣な眼差しに惹かれた。
いつもと変わらないはずの彼の優しい声をずっと聞いていたいと望むようになった。
もっと、もっと彼に近付きたいと思った。
そんな思いが膨らみ、ある日それが止められなくて誰も居ないいつもと同じ放課後の教室でカーテンが揺らめく中彼にキスをしてしまったのだ。
「……え」
「……あ」
唇を離して驚くアンドルーの丸く開かれた目を見て、ルカはやってしまったと青ざめる。
それもそうだ、いつもと同じように窓辺で軽く会話して、いつもと同じように帰ろうとしたのだから。
けれど笑いながら話すアンドルーと目が合った途端、愛おしくなって唇を重ねてしまった。
(やってしまった……やってしまった……! ど、どうしよう、このままでは……)
アンドルーと友人ですら居られなくなる。
それはルカにとって死と同等の苦しみだった。
「あ、の、すまない、アンドルー、突然こんなことをして……い、嫌、だった……よな……本当に、すま」
そこまで言おうとした所で、アンドルーはルカの言葉を遮るようにルカの唇に自分の唇を重ねたのだ。
「……!」
「……か……勝手に……嫌だとか……決めつけるなよ……」
アンドルーからもキスをした、ということは考えられることは一つだけだ。
「……なぁ……アンドルー……私は……君のことが、好きなようだ。その……友人として、ではなく……恋愛対象として……」
「……うん……ぼ……僕、も……ずっと……ルカのこと、好きだった……で、でも……好きって言って……今の関係が壊れるのが、怖くて……言えなかった……」
まさかお互いに今の友人同士の関係が壊れて、他人以下になってしまうことを恐れていたとは思わなかった。
けれど、こうしてお互いの想いが同じであることを知ったのなら。
「……アンドルー……私と……付き合って、もらえるだろうか」
「……うん」
そうしてルカとアンドルーは晴れて恋人同士となったのだ。
◇ ・ ◆ ・ ◇
「……とまぁ、付き合った経緯はそういったところだな」
「へぇ……ルカぴったら大胆〜♪ んでも……ルカぴのカノジョさんって男の人だったんだね?」
「私も意外だと思ったわ……いつもスマホの画面見ながら世界一可愛い、とか……芸術品みたいに美しい、とか言ってたから……てっきり絶世の美女とお付き合いしてるのかと……リリーがカノジョさんって呼んでても訂正しなかったし……」
ルカは飲んでいたジュースを置き、何を当たり前のことを、と言わんばかりにキョトンとした顔をした。
「うん……? アンドルーは世界で一番可愛いし、芸術品のように美しいが……? それに、恋人で言う彼氏と彼女であるのなら、彼は彼女の位置にあると思うんだが」
「そ……そう……」
戚はそれ以上は何も言わず、リリーはクッキーの缶を開けては一枚口に入れながら首を傾げる。
「でも、カノジョさんとは今は遠恋中でしょ? 同じ学校に通ってたのに……なんで?」
「ああ……確かに……電話やメッセージでやりとりしているのは見かけても、会いに行くって言うのは聞いたことなかったものね……」
「……それは……あまり、彼の個人的な話になるから詳しくは言えないんだが……訳あって、彼が海外に引っ越すことになって、会うことが難しくなってね……」
ルカはアンドルーが引っ越さなくてはならなくなった原因の出来事を思い出しては、どこか辛そうに目を伏せて飛行機の窓の外の景色に目をやる。
ルカとアンドルーが恋人同士となってから半年程経った頃に……その悲劇は起こったのだ。
◇ ・ ◆ ・ ◇
雪がしんしんと降る冬。
いつも通りルカが登校すると、いつもは自分の席で読書をしているはずのアンドルーの姿を見かけなかった。
図書室に行っているのか、それとも園芸部の手伝いをしているのか。
けれど、朝のHRでアンドルーが欠席だと担任が言い、風邪をひいたのかと心配になってメッセージを送ってみたが午後になっても既読すらつかなかったのだ。
おかしいと思い、ルカは担任の教師にアンドルーは何故欠席なのか問いかけた。
「すみません、先生。クレス君は……今日はどうして休みなんですか?」
「ああ……そのことか……実はな……彼のお母さんが、亡くなったんだ……」
「……え」
どうやらアンドルーの母親は病死したらしく、ルカは青白い肌をしていて弱々しい雰囲気だけれども、優しく穏やかに微笑んでいた彼の母親の顔を思い浮かべ、それと同時に一切既読のつかないメッセージに嫌な予感を感じた。
アンドルーに電話をかけてみたが、それでも彼が出ることはなかった。
放課後になってもやはり既読がつかず、ルカは家には帰らずにそのままアンドルーを探しに街中を駆け回った。
彼の自宅、公園、庭園、商店街、ショッピングモール、街の図書館、様々な場所を巡ったが彼は居なくてルカは焦る。
外もすっかり真っ暗になり、街灯や店の明かりで街が照らされ、それでもルカはアンドルーを探し続けた。
そうして川に架けられた橋を通りかかったところ……手すりに手をかけ、じっと川を見つめているアンドルーを見つけ、ルカは思わず「ッ、アンドルー!」と叫ぶ。
一秒でも早く彼の元へ駆け付けなくては、彼がこの真っ暗な空を呑み込んだ川に身を投げそうな、そんな気すらしてしまって走り出した。
アンドルーの元へ駆け付けてアンドルーを抱きしめると、アンドルーは力のない声で「……ルカ」と小さくルカを呼ぶ。
「はぁ……はぁ……やっと……見つけた……メッセージに既読もつかなくて……電話にも出なくて……家にも居なくて……心配したんだぞ……っ」
「……何も……考えたく、なかったんだ……家に居るのも……母さんとの思い出を思い出して……辛くて……それで……ぼんやりしたまま歩いてたら……ここに、来てた……」
母を失った悲しみも、苦しみも、絶望も、全てをこの川が呑み込んでくれそうな、そんな気がしたのだろう。
ルカがあと数分遅れていれば、本当に飛び込んでいたのかもしれない。
「……アンドルー……君に死ぬことは良くないことだとか、君が死ぬことを母君は望んでいないだろうだとか……そんな綺麗事を言うつもりは、私にはない。ただ……私は君が居なくなってしまうのは、嫌だ……」
「…………」
「君に、生きていてほしい。私の我儘を……聞いてはくれないだろうか」
「……生きてたって……僕は、もうルカと一緒に居られない……僕のことを、母さんの親戚が引き取ってくれることになったけど……その親戚は、これから海外赴任するから一緒に引っ越そうって言ってくれてて……」
「それでも、連絡の手段は沢山ある。普通の電話でも、テレビ電話も、メッセージでのやりとりも……確かに、君をこうして抱きしめられなくなってしまうのは私も寂しいが……君が死んでしまって、声を聞くことすら出来なくなるより、ずっとマシだ」
ルカはしっかりとアンドルーを抱きしめ、アンドルーの頬には涙が一つ、また一つと流れ落ちていく。
「だから……頼むよ、アンドルー……生きてくれ……」
「っ……ル、カ……」
それから、アンドルーは泣き疲れるまでルカの腕の中で幼い子供のように泣きじゃくった。
ルカはアンドルーが泣き止むまで、冬の寒さからアンドルーを守るように抱きしめ続けた。
当然、家に帰らないままアンドルーを探していたルカは、アンドルーを連れて帰宅したあと心配したルカの母親に酷く叱られたが、アンドルーの瞳にもう死を感じさせる薄暗さがなかっただけで、ルカは構わなかった。
◇ ・ ◆ ・ ◇
ルカの雰囲気を察して、戚もリリーもそれ以上は根掘り葉掘り聞こうとはせず、ルカはスマホを取り出してアンドルーから送られた写真を見せた。
「海外に行ってから、彼はよく写真を送ってくれたんだ。ほら、これは彼が庭で育てた花の写真。こっちは、引越し先の家の近くに居る野良猫の写真。それから、家族旅行に行った写真や、作った料理の写真……元気に過ごしていることを伝えてくれるような写真ばかりで、私も嬉しくなったさ」
「わぁ、猫ちゃんすっごく可愛い〜……!」
「花もすごく綺麗に咲いてるわ……きっと、丁寧に手入れをしたんでしょうね」
アンドルーを引き取った親戚の夫婦はアンドルーに優しく、アンドルーを家族として暖かく出迎えてくれていた。
だからこそ、家族旅行に行った際も皆楽しそうに笑って写真を撮ることが出来たのだろう。
決して、母親を失った悲しみを忘れ去ったわけではないけれど、それでも彼がまた笑うことが出来てルカは心の底からホッとしたのだ。
「……お、見えてきた。皆、空港が見えてきたぞ。ほら、ジョーカー、起きろ〜」
「んぅ……なたりぃ……むにゃ……」
寝言を呟くジョーカーにナワーブが起きろと言わんばかりにアイマスクを外し肩を揺さぶる。
やがて飛行機は無事に着陸し、飛行機から降りて空港から出たルカ達は、先ずはホテルへと目指した。
幸い空港からそう遠くなく、徒歩五分程度で着く程度の距離で近くに海や公園、コンビニもある場所で、ホテルの部屋も広々としていて綺麗だった。
戚とリリーは二人用の部屋を、ジョーカーとルカとナワーブは三人用の部屋で寝ることになり、各々部屋に荷物を置いていると、ルカのスマホからピコンとメッセージ音が鳴った。
スマホを取り出し確認するとメッセージの相手がアンドルーと知り、ルカは目を見開く。
『ルカ、今どこにいる?』
タタタ、と素早くタップをしてホテルの名前や大まかな場所を伝えると、すぐさまピコン、と音が鳴る。
『僕もすぐ近くに居るんだ。良かったら、会えないか』
何故アンドルーがここに居るのか……その理由を考えるよりも前に、ルカは分かったと返事を送るとホテルの近くの海岸通りで待っていると返事が来た。
「すまない、少し出ても良いだろうか」
「ん? 構わないが……どうかしたのか?」
「会いたい人が居るんだ。あまり時間はかけないと約束する」
ナワーブとジョーカーは顔を見合せ、やがて頷いては笑いかけてくれる。
「分かった、リリーと戚には俺から説明しておく」
「遅れそうだったらまた連絡してくれ!」
「ああ、ありがとう!」
ルカはホテルの部屋から飛び出して急いで待ち合わせの場所へ向かう。
夕陽が街を美しく照らす中、息を切らせて走っていると……ルカが会いたかった人物が、海岸通りの手すりに手をかけて待っているのが見えた。
色素の薄い金髪と黒いロングカーディガンはふわふわと風に揺れ、ルカの足音を聞くとゆっくりと振り向く。
ルカがプレゼントしたシルバーのシンプルなネックレスがキラリと夕陽の光を跳ね返し、アンドルーは嬉しそうに「ルカ」と笑う。
「アンドルー……はあ……はぁ……どうして、ここに……?」
「もうすぐ、eスポーツの大会があるだろ? それで来たんだ。ルカもそうだろ?」
「確かに、私はOPHの選手として出るから来たが……まさか……」
アンドルーは小さく頷き、「僕も選手として出るんだ」と誇らしげに微笑んだ。
まさかアンドルーもこのゲームをやり込んでいるとは思わず、ルカが驚きを隠せないでいるとアンドルーはクスクスと悪戯が成功した子供のように笑っていた。
「結構必死にここまで来たんだぞ、立ち回りとか編成とか考えるの難しかったし、ハンター毎の対策を覚えたりとか」
「だ、だが、何故このゲームを……? 君、一度もやってるなんて言わなかったし、引っ越す前も私がやっているのを見ていただけだったのに……」
「……選手になれるぐらい強くなれたら、ルカと顔を合わせて会えるチャンスが出来るかな、って思ったんだ。やってみたらすごく難しかったけど……でも、頑張れたお陰で頼もしい仲間にも出会えたし……こうしてルカと同じ土俵に立てて、ルカに会えた」
アンドルーはルカの手を握っては幸せそうに目を細め、変わらないその笑顔が愛おしくてルカはアンドルーを抱きしめた。
アンドルーもルカの背中に腕を回して抱きしめ返し、どちらともなく「会えて嬉しい」と呟く。
「……ずっと、こうしたかった……ルカ……」
「ああ……私もだ……」
美しい夕陽に照らされながら互いに見つめ合い、やがて静かに唇を重ねる。
カモメの鳴き声と海のさざなみが心地良く耳に響き、互いの体温と唇の柔らかさを感じられるこの時間が、何よりも幸せだった。