ふみやの✕✕◯月◯日
面白い人に出会いました。
退屈な学校が終わり、家に帰る途中でした。いつものように公園の前を通りかかると、ベンチに一人の青年が座っていたのです。ワインレッドの髪に仕立ての良さそうな学生服。どこか名門校の学生じゃないかな。見覚えのある制服だったし。物憂げな雰囲気を漂わせていたので、声をかけてみました。
「どうしたの?」
青年は、戸惑ったように顔を上げ、困ったような笑みを浮かべ、こう返事をしました。
「何でもないですよ」
そりゃそうだよね。突然俺みたいな見ず知らずのガキに、そう簡単に悩みを打ち明けられるはずがない。それでも、もう一声かけてみた。
「悩みでもあるの?」
そうすると
「大した悩みじゃないです」
と。ここで引き下がることもできたけど、家に帰ったところで、母親はまだ帰らないし、暇を持て余すだけだろう。それになんとなく、もう少しつっつけば話してくれそうな気がした。
「世間では大した悩みじゃなくても、本人にとっては深刻な悩みってあるでしょ。ね、話してみない?アドバイスはできないけど、話すだけで結構楽になるよ。難しいとこは適当に聞き流すし、壁に話してるつもりでさ」
なんてランドセル背負ったガキがペラペラ喋るもんだから、驚いたんだろうね。そいつの顔、面白かったなぁ。目がまん丸なっちゃってさ。変わってるって思うよな、普通。あ、そういえば敬語忘れてた。ま、いっか、どうせ見るの俺だけだし。
“ 天彦 ” と名乗った青年は、ポツリポツリと話し始めた。ところどころボカしながら。まぁ、全部話すのは気が引けたんだろう。彼によると家でも外でも、窮屈な生活を送ってるんだと。で、家の教えに反する分野に興味がある、と。あの態度とか身なりから察するに、裕福な家庭で育ったんだろう。要するにガチガチに凝り固まった環境で、庶民的な遊びに手が出せないって訳か。
「じゃあさ天彦、明日俺と遊ぼうよ」
「はい?」
「朝の10時に、ここ集合ね」
「待ってください。明日は平日で、僕は学校が…というか貴方もでしょう?」
「うん、そうだね」
平然と返した俺に、天彦はひどく狼狽えた。今振り返れば、あれは彼が俺を子供扱いすることへの、ささやかな意趣返しだったのかもしれない。
「休めばいいじゃん」
「駄目に決まってるでしょう。サボりじゃないですか」
「明日大事な試験でもあるの?」
「あ、りませんけど…」
僅かに彼が口籠る。どうやら、この男は強く押されると弱いらしい。
「一日くらい、ダメ?一日で置いていかれるほど授業、難しいの?」
「そんなことはありません。しかし、だとしても」
あともう一押し。
「じゃあ良いじゃん。家を出た後に、体調が悪いから休むって電話すれば良い」
「…そんなに上手くいくでしょうか?」
ほら、案の定、凛々しい眉がハの字に下がった。
「上手くいくよ。天彦、真面目そうだし。大抵、普段いい子にしてる奴ほど、嘘がバレないもんなんだよ」
ここまで言えば、もう十分でしょ。「そんな言い方…」ってまだ何か言いたそうだったけど、もう切り上げて良さそうだ。
「じゃ、待ってるから。またね」
◯月◯日
結局、天彦はやって来た。「本当に待っていそうだったから」だってさ。思わず笑いそうになった。予想を裏切らないお人好しっぷり。
朝の清々しい空気がまだ残る公園を後にし、通学時間を過ぎて静まり返った住宅街をふたりで歩く。時折、通りすがりの人々が俺たちに物珍しそうな視線を向けてくるがすぐに興味を失い、人々は日常へと戻っていく。ただ、その度に天彦の肩が強張り、そして小さく安堵の息を漏らす様子が、隣を歩く俺には忙しなく感じられた。
「そういえば、貴方のお名前、聞いていませんでしたね」
「…俺?俺はふみや。」
「ふみやくん」
“ 伊藤くん ” や呼び捨てが多かったから、なんだか擽ったかった。
「ところで、ふみやくん。僕たちはどこへ向かっているのでしょう」
「俺の家」
「家!?」
ボロアパートの錆びついた階段を上ろうとした時、慌てて腕を掴まれた。
「ふみやくん。軽率についてきてしまった僕も悪いですが、これはいけません。」
「ダメ?なんで?誰もいないよ」
「…でしたら、尚更問題です」
「『近所のお兄さんが遊びに来た』それのどこが悪いの?」
「そ、それは…」
緩んだ手からするりと抜け、階段を上がる。鍵を取り出し、ドアを開けた。ここまで来たんだから、もう遅いのに。
「何に怯えてるか分からないけど、誰も見てないよ」
部屋に招き入れば、彼はきょろきょろと周りを見渡した。こんなボロアパート、足を踏み入れたことすらなかったんだろう。
「あの、ここが…ふみやくんのお家ですか?」
「うん、ボロいし狭いでしょ」
「そ、そんなことは…」
「いいよ、お世辞なんて。俺もそう思ってるし」
気まずそうにまだ玄関で突っ立っていたから、靴を脱いで入るよう促すと、恐る恐る居間へ足を踏み入れた。
「座ってていいよ。何飲む?アップルジュース?カルピス?メロンソーダ?」
「見事に甘いものばかりですね…」
「何、飲まないの?」
「あっ、いえ、では、りんごジュースを…」
不機嫌になった俺に気を遣ったのか、天彦は慌てて返事をしてきた。昨日からの不安気な態度も含めて、俺はやや苛立ちながらコップを手にする。面倒くさいから俺もアップルジュースにしよう。「そこの棚にポテチ入ってるから開けといて」と後ろに声を掛ければ、戸惑った返事が聞こえる。ジュースを居間に持っていけば、ポテチを抱え困惑した面持ちの天彦がいた。
「あの…開け方が…分からなくて…」
まじかよ。
必殺パーティー開けを披露すると、彼は目を輝かせて見入った。おぉ、と小さく拍手するほどだ。これじゃあ、どっちが子供なんだか。いや、どっちも子供か。
「いただきます」
ポテチに向かって手を合わせる姿は、なんとも間抜けで、どこか可愛らしい。
「…ん、ん!美味しいです、これ…!どこで売ってるんですか?」
「いや、普通にコンビニだけど」
「コンビニで売ってるんですか!?」
「大体どこにでも売ってると思うよ」
本当に初めて食べたのか。想像以上に箱入り息子だったらしい。それよりも、太陽のように眩しい笑顔に目を奪われた。へぇ、そうやって笑うんだ。改めてじっくりと顔を見たけれど、ラムネ色の瞳に凛々しい眉、高い鼻筋と、随分と整った顔立ちをしている。これは人目を引くだろう。家はともかく、学校でも一挙一動、人の目を集めていたに違いない。住宅街を歩いた時の反応を思い出す。なるほど、道理で納得がいった。
「何しようか?テレビゲーム、それともカードゲーム?テレビゲームだとちょっと古いけど、人生ゲームとか、パーティーゲームがあるよ」
「カードゲームだと?」
「うーん…トランプとか、あとUNOかな」
「では、うの、で」
「じゃあ、ルールを説明するね」
「スキップ」
「あぁっ!ズルい!ふみやくん、それ何枚持ってるんですか!?」
とても楽しんでいる。一旦人生ゲームを挟み、軽くおにぎりを食べ、またUNOをやっていた。ふたりだからどうかなと思っていたが、杞憂だった。天彦という男はかなり表情豊かな人間らしい。出会ったときは控えめだったのに、今では笑ったり怒ったり青ざめたり、ころころと表情を変化させる。見ているだけで面白い。
「はい、UNO」
「う…」
「出せない?じゃあカードを一枚引いて」
「また負けちゃいました」
負けたと言いながらも、天彦は柔らかい笑みを浮かべていた。
ふと時計に目を向けると時刻は午後4時。一緒に視線を向けた天彦は、小さく「あ」と声を漏らした。
「もう、帰らなくちゃ」
「楽しかった?」
「ええ、すごく…こんなの初めて」
「なんか今の言い方、エロいね」
「え、エロ…!?」
「あー、えっと、セクシーってこと」
「セクシー…ふふっ、なんですかそれ」
天彦は艶やかな笑みを浮かべると、唇の端から小さく息を漏らした。
「何か吹っ切れた気がします。ありがとう、ふみやくん」
天彦は長い睫毛を伏せ、お礼にと懐紙から果物の形をした飴を取り出して俺の口に入れた。
ん、ほんのり甘い。グレープ?
「こっそり持ち歩いているんです。あなたにも、特別に」
そっと俺の唇に、天彦のしなやかな人差し指が添えられる。どきりとしたのを誤魔化すように、コロンと飴を舌で転がした。
あの日から、天彦の姿を見ることはなかった。
たった二日間。それでも俺は、何度も天彦の面影を探してしまった。数年前、お前を見つけてシェアハウスに誘ったとき、天彦は俺のことを覚えてなかったけど、俺は甘いグレープの味と、胸を締め付ける苦い想いを覚えてたよ。あの時の俺には分からなかった。でも、今の俺なら分かる気がする。あれはきっと、俺の初恋だったんだよ。
ねえ、天彦。今、これを読んでいるんでしょ。日記だと思った?残念。これは天彦への告白だよ。
今でも、天彦のことが好きなんだよね。
俺と、付き合ってくれない?