第一話より抜粋(……あぁ、また、あの人を思い出してる! なんで、なんだろう……)
ふとした時に思い出すのは褐色の肌とハニーブロンドの髪、ブルーグレーの瞳を持ったあの人だった。無意識に比べてしまうのだ。彼の方がかっこよかった、と。そろそろ認めよう。私はいつの間にか名前も知らない父の部下に一目惚れしていたんだ、と。
(でも、やっぱり私はまだ仕事が手一杯だし、上司の上司である私なんか相手が困るでしょ……)
先輩受付嬢に声をかけられ、終業のためロッカールームに向かう。そのまま着替えながらちょっとため息が漏れた。自分の立場からして上司の上司の娘、なんて普通は嫌だろう。父曰くとても忙しい人というしたくさんの事を背負っていると言う。詳しくは言えない、というだけで彼が何をしているか、警察組織に詳しくなくても察してしまう。父が警察官だったのもあり刑事ドラマが好きだったため何となくわかる。況してや警察庁の人だ。
別に告白したい、なんて事は考えてないし付き合いたいという考えがあるわけじゃない。でも、機会があれば話してみたい、とは思っていたが立場を考えるなら告白や付き合いたい、という考えは夢や妄想でしかない。そう思えば何もしてないのに失恋した気分だ。
「駅まで送ろうか?」
「いえ、大丈夫です! 先輩デートだって言ってましたよね? せっかくの金曜日なんですから楽しんで来てください!」
「そう? もし何かあったらすぐ連絡していいからね?」
「ありがとうございます、来週もよろしくお願いします」
ハァッとため息を漏らさないようにしながら着替えを終える。そのタイミングで先輩受付嬢に声を掛けられた。いつも一番に私を気に掛けてくれる。彼女も入社したての頃にしつこい人がいたらしくそこで今は退職した方に助けられたらしい。
受付嬢は会社の顔。ホテル業界ならフロントが顔だ。そのためこうしたナンパ紛いな事は絶えないらしい。華だからこそ求められる、とか。学生時代のアルバイトではこんな事までわからなかった。
気を遣ってくれる先輩受付嬢に断りを入れる。意味深な言葉を言われたが、最悪タクシーを使って帰宅しよう。彼女の恋人は先日まで出張に行っていて久々のデートと言っていた。私を気にしてデートを邪魔したくはない。
「じゃあまた来週ね!」
「はい、お疲れ様でした!」
社員入口を出ると大通りに向かい挨拶をする。そこで別れ、駅に向かって歩き振り返れば、先程までキリッとしていた先輩受付嬢は優しく笑い恋人と手を繋いでいた。少し恥ずかしそうにしながら。
(恋人、か……いいな……。ハッ、私はまだ新米なんだから仕事優先!)
彼女の姿を見てほっこりする。つい口元が緩んでしまう。いつか私にも恋人が出来るかな、と思えばやっぱりあの人の顔が浮かび、慌てて両頬を叩き緩んだ顔を引き締める。浮かれて失敗、なんて出来ないのだ。
(早く帰って今日の反省を纏めて、後は遇らい方調べよう……あ、買い物して帰らなきゃ)
亡き祖父母の家は父が管理していた。一人暮らしではあったけれど、電気やガス、水道など生活用の支払いや生活費などは父が今まで負担してくれていたため気付かなかったが、一人暮らしは楽しいけれど考えて生活しなきゃならない。幸い給金が新社会人ではあるが資格や大学卒のため贅沢さえしなければ十分に暮らしていける。でもいつか、いつかは結婚して親孝行できるよう祖母に言われたように自炊は欠かさない。
亡き祖父母はお見合いという名の政略結婚だった。祖父は気難しい人だったらしいが、祖母の手料理に惹かれたらしい。警察官は命懸けでもあるため、手料理が身に染みたとか。
両親もお見合いだったらしいがお互い一目惚れだったらしく、最終的には恋愛結婚だった。母は料理が得意な人で父のために栄養士の資格を取ったらしい。私も見習い大学では今の企業に活かせる資格と一緒に栄養士の資格を習得した。病で倒れ、亡くなるまでたくさんの手書きのレシピを残してくれており、大切な宝物だ。それでいつか、恋人に振る舞いたい。父が泣いて喜んで食べてくれ時と同じように、まだ見ぬ恋人にも喜んで貰えるように。
だからこそ自炊は欠かせない。疲れていても少しずつ母のレシピの料理を作り、更に自分で考えた料理も追加して行くのが私の夢だ。もちろん、今は仕事優先のため母のレシピ頼りだけど。
「っ……!」
「やぁ、待ってたよ。遅かったね?」
「……あ、の……どうして……」
今日は何を作ろうかな、と考えてた時。駅の近くで外部の営業の彼が立っていた。誰かと待ち合わせ、ではなく私を待っていたらしい。それに思わず一歩下がれば、彼は私に構わず近寄って来る。
「食事行こうって言ったよね? またあとで、とも。だから来てくれたんだろう?」
「ち、違います! 私はただ……」
「いいからいいから、ほら行こうか。ご飯食べてホテル! あ、もしかして……初めて? 大丈夫だよ俺、うまいから!」
頭が真っ白になる。私はただ帰宅するために駅に来ただけだが、勝手に待ち合わせとされてしまったらしい。不安があったのにさっさとタクシーに乗らなかった私の落ち度だ。
逃げようとすればパシッと掴まれた手首。更に恥ずかしげもなく人通りがある中で言われた言葉に恥ずかしくなる。仕事は出来るのかもしれないが勝手に話を進められ気持ちが悪い。
「は、離してください! 私はあなたと待ち合わせなんてしてないです! 勝手な勘違いで話を進めないで下さい!」
「ハハハ、照れちゃってかわいいなぁ。大丈夫だよ心配しなくても」
「照れてないですっ! やめてください! 警察呼びますよ!?」
「ハハハ、そんなに照れるなんて本当かわいいね? 大丈夫だからほら、早く行こうよ」
人の話を聞かない。周りだってヒソヒソと話しているの気付いていないのだろうか。手を振り払おうと動かしても、男女の力の差は歴然で振り解けない。勝手に私が照れていると思っている。
怖くてカタカタ身体が震える。きっと顔色だってよくないはずだ。だというのに、目の前のこの人には照れ隠しにしか見えていないらしい。そのまま外部の営業の彼は私を引っ張り歩き出そうとする。なんとか抵抗して見せるがやっぱり無視されてしまう。
(け、警察……呼ばなきゃ……。お父さんに心配かけちゃうけど、このままじゃ……)
離してと叫んでも、相手がヘラヘラしているせいか周りには痴話喧嘩に見えるのかもしれない。心配する声もちらほらあるが基本巻き込まれないようみんな避けている。私はあくまで警察官の娘だからもし困っていたら警察を呼ぶ事を躊躇わない。だけど、それ以外の人が躊躇うのは致し方ないだろう。
震える手をなんとか使い、携帯電話を探す。だけどうまく手に力が入らない。このままじゃ警察が呼べなくなってしまう。この辺りに交番があれば良かったが、生憎交番は反対の駅出入り口にあるのだ。
「まずはぁ、やっぱりホテルかな? ほら、相性って大事じゃん?」
「本当いい加減にしてください! 離してください! 誰かっ――!」
助けてっ!! 怖い……こんなにも怖い思いをするのは初めてだ。父の関係で逆恨みされ誘拐されそうになった時よりも、今の方が怖かった。先輩受付嬢の提案も断らなければこんな事には。全部悪手になってしまい恥ずかしい。
その時、私の目の前に広がったグレー。夕日でキラッとハニーブロンドの髪が輝き、手首を掴まれていた感覚がなくなり、私をまるで守るように男性が……あの日、初めて視線を交わした彼が立っていた。
「嫌がっている女性をどうする気つもりですか」
「な、なんだよお前!」
「……僕は……彼女の恋人ですよ」
簡単に外部の営業の彼の手を捻り、その手を離せば私と距離を取らせた。急に現れた人物に動揺しているようだ。私も吃驚していたがその問いに、彼はチラッと私を見ると『恋人』と言った。それには私も驚いて危なく声をあげそうになる。だがきっと彼は私が父の娘だから咄嗟に嘘を吐き守ってくれたのだろう。
「なっ、嘘をつくな! 彼女は恋人いないと……」
「先日から付き合ったばかりだったなんですよ。待ち合わせに来ないと思い様子を見に来て正解でした。同意も無しに無理矢理ホテルに連れて行こうとする者に絡まれているとは予想外でした」
確かに嘘だ。でも、彼は次から次へと流れるように嘘を並べる。だけど、今はこの嘘が頼もしい。他力本願にはなってしまうが彼がいなければ私は……。
「同意していたさ! なぁ、だから君もここに来たんだろ!? 嫌よ嫌よも好きのうちって言うもんな?」
「ど、同意なんてしてません! 私は彼と待ち合わせのために来ただけです! 勝手な勘違いやめてください! 迷惑です!」
「なっ! お、俺を騙したのか! 女だからって舐めてんじゃねぇぞ!!」
「っ……!!」
外部の彼がまるで縋りつくように問うて来る。此処でハッキリさせなきゃ本当にストーカーになり兼ねない。そのため、守ってくれてる彼の背からハッキリと伝える。同意ではない、と。迷惑だと。
すると、外部の彼は表情を歪ませ私に飛びかかろうとする。確かに彼と、外部の彼では体格差は外部の人の方が有利かもしれない。いくら警察官でも危ないのではないか、と思い不安になる。
「大丈夫だ、君に手は出させない」
「え……」
外部の彼の行動に恐怖し、ギュッと目を閉じてしまう。私のせいで父の大切な部下である彼に何かあったらどうしよう。そう思っているとふと優しく頭を撫でられ、丁寧な言い方とは違う口調が聞こえる。それに吃驚し顔を上げ目を開けば、優しいブルーグレーの瞳が私を見ていた。
そして小さく口元を緩ませて笑うと、外部の彼に向き合い簡単に捕らえるよう腕を捻り上げた。初め、私の手首から手を離させるよりも強く。逮捕術の一つだろう。
「……今日は警告だけです。しかし、もしまた彼女に近付き同じ事をしてみてください。次は婦女暴行により逮捕します」
「い、一般人が逮捕できるわけ……グッ!!」
「一般人でも現行犯であれば私人逮捕が成り立つんですよ、覚えておくといい」
そう、彼が言うように一般人でも現行犯なら逮捕が出来る。と、言っても彼自身が警察官だから逮捕は可能だが、父の部下なんだ。きっと彼も――。
外部の彼を突き飛ばすよう手を離せば、彼に怯えながら去って行く。恐らくこれで会社でも絡まれる事はなくなるだろう。迷惑を掛けてしまうかもしれないけど、良かった。そう思ったら足から力が抜けてしまう。