ホワイトデー 夜に部屋で一人過ごしていると、連日の寒さに暖かいものが欲しくなる。昨日は沖野が暖かい飲み物を持ってきてくれたが、今日は自分で茶でも煎れようかと食堂へ向かった。
食堂に入ると、中央に置かれたダイニングテーブルには一人だけ着席しており、その座っていた人物もこちらに視線を向けたので目が合った。
「おー比治山」
網口だ。何やらテーブルの上に広げ、横に並んだグラスには琥珀色の液体が注がれている。
「網口、酒か?」
「そうそう。昨日由貴ちゃんにチョコレート貰ったからそれと合わせてちょっと、な」
笑う網口の嬉しそうなこと……本当に鷹宮のことが好きなのだなと伝わってくる。
そのチョコレートを大事そうに一つ摘まみ、少し齧る。一口で食べるのではなく何回かに分けて食べているようだった。
それからグラスの液体をほんの少しだけ飲み、はぁと溜息をつく。
「食べたいけど食べたら終わりなのがな」
名残惜しそうに言う網口に思わず声を出して笑うと、網口の視線がこちらに向けられた。
「比治山だって昨日沖野くんにチョコレート貰ったりしたんじゃないのか?」
「沖野に?」
何か貰ったか? と記憶を辿り、風呂あがりに訪ねてきたときのことを思い出した。
「そういえば昨日は寒かったから温まるようにとホットチョコレートを持ってきてくれたな。風呂のあとだったが、おかげで随分と温まった」
合成品と言ってはいたが、何か香辛料が入っていたおかげで、甘すぎず飲みやすいものだった。
「しかし何故網口がそれを知っている? 沖野が何か言ってたか?」
ただ飲み物を貰っただけで、あのあとは少し会話をしたくらいだったが何かあっただろうかと思いを巡らす。
「まさか比治山、バレンタインを知らないのか?」
「ばれんたいん?」
聞き覚えのない言葉をそのまま繰り返して尋ねた。言葉的に外来語だろうが、言葉から意味を想像できない。網口は「えー」とか「あー……」とか言いながらそんな俺を見ている。
「……何か問題があったか?」
「いや~……問題はないんだけど……」
そこまで言った後に小さく「沖野くんが可哀想だな」と言ったのが聞こえた。
「沖野が、なんだと?」
「いや、なんでもない! それよりもあとでデータベースにアクセスして調べてみろよ。俺からはそれ以上は何も言えない」
そこまで言うと、網口はあんなにちびちびと食べていたチョコレートを一気に放り込んで、箱を片付け始めた。
「お、おい」
「じゃ、また!」
そのままチョコの箱とグラスを手に網口は出て行ってしまった。
「……なんなんだ……」
網口の奇妙な行動に呆気に取られていたが、ふと言われた通り検索してみようとデータベースへのアクセスパネルを呼び出し、検索をする。
網口が『バレンタイン』と言っていたその言葉はすぐに見つかった。ただ検索結果がとても多く、中には何かの作り方なども出てきているようだった。その中から単語の意味であろう結果を呼び出し表示する。
『毎年2月14日に祝われる日。日本においては伝統的に「男性が女性からチョコレートを貰う日」で、恋人や好きな人に贈るのが一般的であった』
「………なんだと……」
内容に愕然とし、それから先ほど網口がテーブル上に並べていたチョコレートを思い出す。
なるほど、これは網口もだらしない顔で喜ぶわけだ。
そう思う反面「チョコレート」という単語がどうしても引っかかる。
昨日は2月14日、そんな日に俺は沖野からチョコレートを貰ったのだ。データベースによると「恋人や好きな人に贈るのが一般的なチョコレート」をだ。
あんななんでもなさそうな顔で渡しておきながら、実は意図があったということなのだろうか。いや、沖野のことだから何か意図があって持ってきていたら、すぐにこちらのことを揶揄うだろう。何も言わずに渡してくれただけなのであれば、きっと変な意味ではない! 純粋な差し入れだろう!
……そう思うが、部屋の外でマグカップを二つ持っていた時の姿や「美味い」と答えた後の沖野の笑顔を思い出し、本当に意図はないのだろうか……と考えてしまう。
けれど意図があったにせよそれを明かしていないということは、奴も明かされたいわけではないのだろう。
データベースの記事にはこんなことも書いてあった。
『バレンタインから派生したホワイトデーでは、男性がお返しとしてキャンディやマシュマロなどのプレゼントを渡す』
つまり「あれはバレンタインのチョコだったのか?」と聞くよりも、ホワイトデーである3月14日に何かのお返しをした方が良いのではないだろうか。
「……そうだな」
依然として煮え切らない関係なのはわかっているが、この距離感が俺たちにとってはちょうど良いのかもしれない。ひとまず来月の14日には何かを用意して沖野をびっくりさせてやろう。まさか俺がバレンタインの意図に気づいているとは思いもしないだろう。
「そうと決まれば……」
部屋に戻って何を渡すか作戦を練らねばなるまい。
俺は目的の通りお茶を煎れ、すぐに部屋に戻った。来月俺からプレゼントを渡した後の沖野の顔が楽しみだ。