冗談「誕生日おめでとう、グロスタ」
背後から掛けられた声に瞬間的に姿勢を正す。それから、このままでは怒られてしまうとすぐに力を抜いたが、一瞬の緊張にも彼は気づいているだろう。姿を見ずとも間違いない。そう思いながら振り返る。
「アラミス殿、ありがとうございます」
「いつになったらそうやって肩に力が入らなくなるやら」
「すいません」
予想通り、普段から周りをよく見ている昔の主にはこちらの緊張などお見通しだった。
「はは、冗談さ。おめでとう」
それでも以前に比べれば良くなったことを知っているから、アラミスはその努力を認めて笑った。それからグロスタの正面に立つと、その手に持っていたものを渡した。
受け取ったグロスタはそれを見るなり、ハッとしてアラミスの顔を見た。
「砥石ですか!」
「あぁ、手入れに使う仕上げ用の砥石が欲しいと前に言っていただろう」
「覚えていて……ありがとうございます」
確かにアラミスの前で砥石の話をしたことがあったが、それは本当に些細な会話だった。だからこそ彼が覚えていてくれたことが嬉しく、心にじんときた。
「このグロスタ、賜りました砥石で今後の戦いも」
「固い」
礼を言おうと思ったのだがアラミスに言葉を遮られてしまった。沈黙した後、一度咳ばらいをしてから仕切り直すことにした。
「覚えていていただけて嬉しいです。本当にありがとうございます。いただいた砥石で刃を整え、勝利の一助となれるよう精進いたします」
「……まだ固いが、先ほどよりはマシか。喜んでもらえてなによりだよ」
優し気な微笑みがグロスタに向けられる。解放軍で再会してから、自分の知らぬ笑みを浮かべるようになった元主君を見て、初めの内は複雑な気持ちを抱いていた。自分の知る主はこのような笑い方はしなかった、と離れている間の苦労を想像し、傍で支えられなかったことを後悔していた。しかし共に過ごしていくうちに、この笑みが心からのものであることに気づき、変わらざるを得なかったことの全てが悪いものではなかったのだと気づいた。それからこの事実は自分が主君を守れなかったことへの慰めにもなっていることを感じていた。
「ところでお前の想い人とはその後どうだ?」
アラミスへの思いに浸っていたというのに、急に投げられた思わぬ質問に貰ったばかりの砥石を落としそうになり、慌ててその端を掴んだ。
「! あ、あ、アラミス殿!」
「友として、友人の恋路は気になるというものだ」
怒るわけにもいかずその名前を呼んでから見ると、少し意地の悪い笑みを浮かべている。その視線を受け止めきれずに逸らすと、小さな声で「特には……」とだけ返した。
「なんだ、特に進展もないのか! 本当に奥手だな」
「声が大きいです!」
呆れるような声に慌てて静かにするよう懇願するが、その様子を見てまた笑われる。もうこれ以上は触れないでほしいのだがそうも言えず、グロスタはただ黙っていた。それからアラミスはひとしきり笑ったあとで満足げに頷いた。
「お前にそんな姿をさせるなんて、奴も罪が深いな」
「……俺が勝手に想ってるだけですから」
「まだ何も言ってないんだろう?」
「向こうは何とも思っていませんよ」
自分で言いながら悔しいが、恐らくあちらは何も思っていない。「お互いにスッキリするし、いいだろ?」と言われて夜を何度も共にしているが、それだけだ。このような関係はよくないと思いながらも、自分は時間を共にするごとに惹かれていく。しかし向こうはどうにも様子が変わらない。年下ということもあってか、甘く見られているようにも感じていた。
「でも身体の関係はあるわけだ」
「やめてください」
「ふしだらだな」
「……それについては申し開きのしようもありません」
思っていたところを突かれて、返す言葉がなかった。グロスタの落ち込むような声にアラミスも反省する。
「すまない、揶揄いすぎた自覚はある」
「友という割に随分と仰いますね」
「友だから言うのだよ」
アラミスも本当に気にしてくれているのだろうとは思う。ただ進展のしようもないもどかしい気持ちの中で言われる言葉としては複雑だった。
「しかしいつまでも変わりないと言うのは、友として心配だな」
「友という言葉を使えば何を言っても許されると思っていませんか?」
「とんでもない。ただ友人の力になりたくてな」
頷きながら言うその言葉に説得力はなかった。それに元主君に『友』と言われるこちらの気持ちもわかってほしい。
「アラミス! 次の編成の件で少し顔を出してほしい」
急に割り込んできた声の方へと二人して視線を向けると、天幕の前のアレインがこちらに向かって呼びかけていた。
「あぁ、今行く」
アラミスは一度返事してから、再びグロスタに向き合うと「もう一度、誕生日おめでとう」と改めて祝福の言葉を告げた。
「ありがとうございます。貴方にまたこうして祝っていただけて嬉しいです」
揶揄われもしたが、改めて自分の誕生日を祝ってくれたのだと思い嬉しくなる。グロスタが頭を下げると「またな」とアラミスはアレインの元へと向かった。しかし数歩行ったところで足を止めて振り返ると、また名を呼ばれる。何かと思って顔を上げると、その顔にはいたずらを思いついたような意地の悪い笑みが浮かんでいた。
「あんまりのんびりしていると、俺がジェレミーにちょっかい出すぞ?」
「え」
何を言われたのか頭が追い付いて来なかった。それはどういう意味だ? どういうことだ?
「ははは、それが嫌ならさっさと先に進むんだな」
「え! ま、待ってください!」
アラミスが彼に手を出すのか? 他の誰でもないアラミスが?
言葉の説明を求めたかったが、アラミスはアレインに合流し、そのまま天幕の中へと入っていった。さすがに個人的な理由でそこに入っていくわけにはいかないとやり切れぬ気持ちのまま、その場に立ち尽くしたのだった。