餞奇妙な依頼だった。
『自分自身』を殺してほしい、と。
自殺にこの奇殺師フィンクを使うとは、全く、馬鹿げた男も居たものだと思ったが、どうやらそうでもない。
場所は部外者の侵入は決して許さないアマテラス社においても、さらに最高機密区域の研究所。停電を起こした上で、タイミングを見計らって殺せ、という。
明らかに、利用されている。
そんなことは分かっていた。
だが、俺はこの依頼を受けた。理由は、秘密の研究所とやらへの侵入に挑戦してみたくなったことと……嗚呼、この男は覚えていないだろう。
下らない話だ。一度、カマサキ地区で、万引き犯に間違えられたことがある。無論、『仕事』中ではない。保安部を呼ばれそうになり、殺すか逃げるか、どうしたものかと考えていた俺に、その男は穏やかに声を掛けてきた。激昂した店主を宥め、論理的に俺の無実を説明した。真犯人の手首を捻り上げながら。
──災難だったな、あんた。ほら、
そういって肉まんを差し出し、男は笑う。一応礼儀として、礼を言うと、男は名前と、自身が探偵であることを明かした。
──何か困ったことがあれば、力になるぜ。是非ごひいきに
交わした言葉はその程度だ。奴は駆け足で俺の元から離れ、奴を待っていただろう女にへらへらと頭を下げた後、連れ添って何処かへ行った。
……結局、俺がお前を頼る前に、お前が俺を頼ることになったようだが。
別に、そんなことを恩に感じているわけではない。ただあの時の男が、自らの死を覚悟して、殺し屋の手を借りてまで成し遂げたい『何か』があるのならば、手を、貸してやるのも悪くないと思ったのだ。
俺が奴を見つけた時には、奴は歩くのもやっという風体だった。
奴は振り返り、俺を認めると、軽く周りを見回してから、手を上げる。
「……よぉ、お疲れさん」
労いの言葉。奴は成し遂げたのだ。
そして、その最後を飾るのは俺の刃という訳だ。
「ちょっと、待ってくれ──」
奴は突然腹のそこから声を張り上げる。
此処に人を呼ぶ為だろう。刺されてからでは声が出ない可能性がある為の、このタイミングか。
肩で息をしながら、男は再び此方に向き直り、血の気の引いた顔に薄い笑みを浮かべて、こう云った。
「──んじゃ、頼むわ」
俺は頷きもせず、男の急所にナイフを突き刺した。
慣れ親しんだ、肉の感触。捻り、引き抜き、流れ出る血流の勢いと色から自身の『仕事』が成功したことを確信した。
奴は倒れる。あとは此処を離れるだけ。
だが──
此れは、もう要らない。
依頼に使われた写真を、奴の眼の前に放り投げる。奴の驚いたような、絶望したかのような顔。やはり余計なお世話だったか。
奴が血のついた指を『それ』に伸ばすのを視界の端に認めつつ、踵を返す。
これは、俺を利用したことの意趣返しであり、──餞だ。
ヤコウ・フーリオ。
最期に、愛した女の顔ぐらい、見たいだろう──?