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    321saniwa

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    321saniwa

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    花街で用心棒やってる肥前と出会った別本丸の陸奥守

    あだしが原 極彩色の街に、月は要らない。
     立ち並ぶ家屋の赤い柵の向こうから、不健康な白さの腕が何本も伸びている。その腕の一本が、橙色の着物の裾を掴んだ。
    「……すまんの、仕事中やき」
     眉尻を下げ、陸奥守吉行は指を引き剥がした。弱々しい、女の指だ。振り払うのに、良い気はしない。そもそもこの街自体が、陸奥守には不快であった。男が金で、女を買う。出陣先で調査が必要になったのは、そんな街だった。夜風が涼しくなってきたこの時期だというのに、頬に触れる風さえも気分がよくない。
    「しっかし、こがなところで、有益な情報なんぞ聞き出せるんかの」
    「そこが俺たちの腕の見せどころ、というやつじゃないか。手土産の一つでも持って帰って、隊長殿を喜ばせてやるとしようじゃないか」
     鶴丸国永が笑うと、装飾の鎖がしゃらんと鳴った。隊長の同田貫正国に聞き込み係に任命されたのは、この二振だ。
    「しっかし、嫌なかざがするのう」
    「香でも焚いているんだろう。隠したい匂いも多いだろうしな。さて、闇雲に当たっても怪しまれて終わりだ。どこからいくかな」
     陸奥守は、通りをぐるりと見渡した。往来を行き交うのは、身なりが整った男の姿ばかりだ。品定めをしながら歩く速度は皆遅い。誰に声をかけるべきか思案していた陸奥守は、口をつぐんだ。往来を歩いているひとりの男の姿に、見覚えがあったからだ。
    「すまん鶴丸、すっと戻るき!」
    「おい、陸奥守!」
     追われていることに気がついたのか、男の脚が早くなる。この街には来たばかりだ、地理にはさして明るくない。愚直にその背中を追う。距離はあるが、この街の中では、男が身につけている羽織は目立っていて、見失う心配はなさそうだった。
     頑丈に作られた身体でも、酷使すればそれなりに疲労は蓄積する。互いの早足はやがて、人の流れを縫いながら、駆け足になる。
    「……ッ、肥前!」
     陸奥守は、知っている名前で呼びかけたが、男は呼びかけに応じず、脚を止めない。
    「待ちや! どういて逃げるがか!」
    「…………」
    「肥前!」
     男が角を曲がった。躊躇うことなく追いかける。しかし、そこに男の姿はなく、袋小路があるばかりだ。
    「おかしいの、確かにこっちに……」
    「おい」
     ひた、と首に冷たいものがあたる。男は陸奥守の背後を取り、手にした刀の刃先を首筋に当てていた。
    「…………おんしがこっちに来てるたあ、知らんかった。主が別で寄越した部隊、……っちゅうわけじゃなさそうじゃな」
    「ぺらぺらとよく喋る口だな。おれの質問に答えたら、まずその口から切り落としてやるよ」
    「物騒じゃの……」
     冗談にしては、殺気が込められている。茶化すのは程々にして、陸奥守は男の質問に耳を傾けた。
    「おれが聞きたいことは三つ。いいか、余計なことは喋るんじゃねえぞ。ひとつ、なんでおれを追いかける? ひとつ、てめえがしてる『仕事』について話せ。──ひとつ、てめえは何者だ? なんでおれの名前を知っている?」
    「…………おおの」
     質問の意図を汲み取りながら、返すべき回答について考える。どうやらこの男は、陸奥守吉行を知らないようだった。
    「……いかんちや、質問、四つあるぜよ」
    「………………」
     その言葉に刺激され、男は陸奥守の皮膚に刃を立てた。薄皮一枚弾けた皮膚から、赤い筋が伝う。
    「すまんすまん、ちゃあんと答えるき。一つ目、おんしがわしの知り合いにそっくりだからじゃ。二つ目、とある御仁を探しちょる。三つ目、……」
    「…………どうした、早く言え」
     言葉を止めた陸奥守を不審に思ったのか、男が続きを促した。
    「……わしは、陸奥守吉行。かつて坂本龍馬が持っていた刀じゃ」
    「……むつのかみ?」
     男が、噛みしめるように名前を反芻する。男の正体が陸奥守の予想と相違なければ、この名前に思うところがないはずがない。
    「……やき、おんしの名前くらい、知ってても何もおかしくはないろ。わしはおんしと争うつもりは毛頭ないき、頼むからそん刀、下ろしてくれんかの」
    「………………」
     男が刀を下ろしたので、陸奥守は自由の身になった。ゆっくりと振り向いて、改めて男の姿を見る。血で汚れてぼろぼろの羽織、赤で半分染まった頭。そして何より、首元に巻かれている包帯。少し頬が痩せこけている点を除いては、陸奥守が知るとおりの、『肥前忠広』の姿だった。
    「……おんし、どうやら事情がありそうじゃのう」
    「……てめえには関係ねえ」
    「そう冷たいこと言いなや、わしとおんしの仲やか。ここで会ったんも何かの縁じゃ、このあたり道案内してくれんかの」
    「断る。尋ね人なら奉行所当たれ。おれは知らねえ」
    「現地での交流は必要最小限が鉄則やき、おんしが色々教えてくれるんならそれに越したことはないんじゃが」
    「……………………」
     男は黙って、まじまじと陸奥守を見た。まるで、今日初めてその姿を見たかのような態度だ。
    「…………わかったよ。ただし交換条件だ」
     男は大きなため息を吐き、刀を納めた。そして、右手を差し出した。
    「てめえのその刀と銃、おれが預かる。余計な気起こされたらたまんねえからな。それから、案内するのはてめえだけだ。連れの方は諦めろ」
    「おん、そこまで見ちょったか」
     陸奥守が男と対面したのは、こうして追いかけたからだ。鶴丸と面識はないはずだが、追いかけるよりも以前にこちらの様子を伺っていたのだろう。舌を巻きながら、陸奥守は大人しく、男に刀と銃を渡した。
    「これでえいじゃろ。さ、案内頼むきに」
    「……こっちだ」
     促されるまま、陸奥守は男の後を付いていくことにした。

     陸奥守吉行の本丸には、肥前忠広という刀がいる。
     かつて大業物だった太刀は、坂本龍馬の手から岡田以蔵の手に渡り、折れて研ぎ直され、脇差となった。人斬り以蔵と呼ばれる剣士に使われた刀は、その刀身が短くなってもなお、その輝きと切れ味は失われない。今、陸奥守の目の前にいる男は、間違いなく肥前忠広の姿をしている。その腰に差している刀の拵えも同一だ。
     彼が刀剣男士として顕現した経緯は、他の刀とは少し異なる。政府によって顕現され、放棄された文久三年の土佐藩に先行調査員として派遣された。ここにいる肥前忠広も、恐らく同様の経緯があって、どこかよその本丸に所属しているはずだ。それなのに、陸奥守吉行を知らないという。それは少し、道理が合わない。
    「にゃあにゃあ、肥前の」
    「でけえ声出すな」
    「おんし、ほんまにわしのこと知らん? 昔やのうて、今のわし」
    「……知らねえよ。おれが本丸ってやつにいたのは、ほんの一瞬だったからな」
    「おん?」
     女が男を切に呼ぶ声、男たちの欲が滲む声。生活と享楽の声が入り交じる中でも、男の、──肥前の静かな声は、陸奥守の耳によく届いた。
    「おれが配属されたのは、特命調査に参加していない本丸だ。歴史を守るなんてご大層なお役目が与えられちゃいるが、全ての審神者が真面目に義理を果たそうなんてご立派な思想を持ってるわけでもねえ。戦に出ない刀を無断で売り飛ばして、金にしようってやつもいる」
    「……それが、おんしのところの主だったっちゅうわけか?」
    「主なんて呼べるもんじゃねえよ。会ったのは一瞬だった、顔も覚えてねえ。審神者よりも、今の雇い主の方が長い付き合いだ。それでも、あいつの力があってこの身体を維持してんだから、皮肉なもんだよな」
    「だから、わしの顔も知らんと」
    「ああ。今初めて見た。おれは、おれと政府にいた刀以外は知らねえよ。先生達が今どこで何やってるか、おれの知るところじゃねえけどな。まあ、ここにいても、どっかよそにいても、おれがやることは変わらねえ。敵を斬るだけだ。そういやてめえの連れ、あれもどっかの刀か」
    「ほうじゃの。鶴丸にも会うてみるか」
    「会ってどうする?」
     肥前の声色がやけに強ばっている気がして、陸奥守は大きく唾を飲む。
    「いや……、せっかくやし思うて……」
    「どうせてめえらとはこれきりだ。必要のないことはしねえ」
    「……肥前!」
     陸奥守は肥前の肩を掴み、振り向かせた。肥前は特に驚いた様子もなく、陸奥守をただ見ている。手のひらの下の肩は、やけに骨の存在を感じる。ここでの待遇は、果たして彼にとって良いものなのだろうか。
    「……本丸に、戻りたいとは思わんか?」
    「あ?」
     肥前が眉間に大きな皺を刻んだ。
    「そりゃ、敵を斬るっちゅうことには変わらんけんど、本丸には、他にもいろんな刀がいる。わしもおるし、南海先生もおる。畑には桑名が育てた美味い野菜があるし、福島が育てた花が咲いちょる。めしは美味いし、他の刀と手合わせできるし、しょうえいことずくめじゃ。おんしの主が金目的っちゅうなら、わしがなんとか工面する。やき、」
    「陸奥守」
     肥前は陸奥守の申し出を制止し、その手を振り払った。
    「自惚れてんじゃねえ、……ここじゃ金で買えるのは、女だけだよ」
    「…………ッ、」
     明確な拒絶だった。今の環境を喜ばしいと思っていないだろうことは、肥前の口ぶりからも明らかだ。それでも、誰かに助けを求めない、その姿勢は陸奥守が知るところの肥前忠広であるが故に、もの悲しい。
    「……世間話は終いだ。行くぞ」
     二振は、言葉少なに人通りが減った道を抜けて、大きな川を渡る橋に差し掛かった。欄干が低く、幅も狭い橋の中心で、肥前は足を止めて振り向いた。
    「……それで、てめえの探し人ってやつだが、ここにはいねえよ」
    「おんし、居場所を知っちゅうがか?」
    「さあ、どうだかな。それよりあれ、見てみろ」
     肥前は川を指さした。大通りから離れた川は明かりが少なく、水面に映る満月がよく見える。
    「……おお、見事な月じゃの」
    「足抜けした遊女が、よくここで見つかるんだよ。男と身を投げるには、いい場所だろ」
    「……肥前、おんし」
     世間話、にしては不穏な話題だ。まさか肥前がおかしな気でも起こすのではないかと横顔を盗み見る。喜もなく怒もなく哀もなく楽もない顔からは、何を考えているのか読み取ることができない。
    「陸奥守、……てめえには会いたくなかったよ。てめえがそんな姿をしているなんて、知らねえ方がよかった」
    「……何言っちゅう。わしは、どんなところにいても、何をしていても、おんしに会えたんなら、嬉しいぜよ」
    「嬉しい、……、そうか、嬉しい、か」
     肥前が喉の奥で、くっと笑ったような気がした。次の瞬間、肥前の腕が陸奥守に伸びてきて、その後頭部をに手を入れた。
    「ひぜッ、……、ッ、」
    「ん……、」
     目を閉じた肥前の顔が、目前にあった。薄い舌が、歯列の間からぬるりと侵入してくる。人間がする行為の知識はあっても、この身ですることなど、これが初めてだ。口吸いの意図はわからないが、例え恋仲ではなくとも、先ほどまで自分を拒絶していた肥前が、一番近い場所まで自ら飛び込んできたのだ。陸奥守は、行為を制することなどできない。身体の力が抜けていく。陸奥守の身体を支えているのは、背もたれにした低い欄干のみだ。
     月夜に照らされた青白い顔にある睫毛は、近くで見るとこんなにも長いものなのか。甘い声を漏らしながら、肥前が陸奥守の背中に腕を絡める。うまく呼吸をすることができない。薄く開いた口から、混ざりあった唾液がぼたりと落ちた。口の中で悪さをする舌に、自身の舌を絡ませて応戦すると、背中に回された腕の力が強くなった。
     唇がじんじんと痺れるころ、ようやく肥前はぷは、と息を吐きながら陸奥守を解放した。
    「……肥前、おんし、どういうつもりじゃ!」
    「……土産だよ」
     手の甲で口を拭いながら、肥前は陸奥守の耳元に口を寄せ、一言囁いた。
    「陸奥守、……、──────────。」
    「肥前! ……!」
     その囁きに答えるよりも、ドン、と肩を押されるのが先だった。バランスを崩した陸奥守の身体がぐらりと傾き、そのまま背中から川に落下する。見上げた肥前は、その背後に満月を背負っている。今夜は、兎が餅をついている姿が肉眼で見えるほど、はっきりと月が見えた。
    (──まっこと、綺麗じゃあ)
     思った瞬間、背面を思い切り水面に打ち付ける。全身を水で覆われ、音が遮られた。着物が水を吸って、陸奥守の身体は深く深く沈んでいく。呼吸もろくに続かず、視界がくらくらと回る。
     ……せいぜい、どうにかして生き延びろよ。
     肥前の最後の言葉が、意識を手放しかけた陸奥守の頭に響いた。

    ◆◇

    「……ああ、ちゃんと始末したよ。疑ってんのか? あの高さから落ちたら、まず助からねえ。死体が浮いてくるかどうかまでは、おれの知ったことじゃねえ」
     仕事を終えた後に呑む酒はまずいが、今日のまずさは格別だ。
    「まさかとは思うがおれの腕、疑ってるわけじゃねえよな?」
     一息に煽って睨みつけてやれば、雇い主はそれで納得した。これまでの不愉快な実績も、たまには役に立つ。
     陸奥守吉行は折れていない。普通の人間ならばいざ知らず、刀剣男士の身体は頑丈にできている。少しだが、霊気も分けてやった。自称する通り、あれが本当に陸奥守吉行であれば、の話だが。彼と共にいた鶴丸という刀は泳がせている。あとはどうにでもなるだろう。
    「……本丸、か」
     自分にはとうに縁がなくなった言葉を、小さく呟いた。彼の提案に乗れば、敵を斬って摩耗したこの肉体も、少しはましになるというのだろうか。肥前は服の上から、懐に触れた。雇い主はただの人間だ。回収した獲物は、いざという時の切り札にできるだろう。
    「…………冷えてきたな」
     開いた障子を閉めれば、満月も見えなくなる。行燈だけが照らす部屋で、肥前は空になった盃に酌をして、夢物語とともに飲み干した。
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