「ヴァンパイア・ロマネスク」 甘いよな? まあな という会話が聞こえて陸奥守は嫌な予感を抱えながら部屋を覗いた。
案の定そこにいたのは昔馴染みの脇差と同じ時代を「活きた」打刀だった。
何の話か聞かなくても解る。えずい話に決まっている。
しかも本刃達はそれを「えずい」と思っていないから質が悪い。
「こう、さ、滴るヤツとか」
「あー、解る…… サクッといった時のあれだろ」
「おー! 話が解るじゃねえか、それだそれ」
やめるんだ、そこでテンション上げるなその話を掘り下げるな……
「闇は味方」
「夜は最適」
なにに
キャッキャと盛り上がっていると思えばほのぼのなのにどうして。
「あ? なんだいたのかよ」
「お、混ざるか?」
いいえ結構です。手を振ったら打刀さんにはなんだ…… とガッカリされてしまった。
「次はいつ飲めるかねえ」
「ま、近いうちじゃねえの」
果物でも貰えるかのように煌めく碧い目と赤い目、彼らの望む真っ赤なものの供給源に同情した。
まさか自分が供給元に数えられているとは知らない夕刻の話である。
長毛の大きな猫と短毛の黒い猫にたっぷりおねだりされて、仕方なく与えることになるとは到底思わなかった夕刻のことだ。
与えてしまった己が愚かかどうか、それは刀の神のみぞ知る。
「なあ、良いじゃねえか少しくらい……」
それはもう婀娜っぽく求められて、これがその仕草から連想するものなら即座に頷いただろうな、と陸奥守は意識をどこか遠くに飛ばした。
「少しで良いんだよ、何も取って食おうなんて言ってねえだろ。ちょっと付き合ってくれればそれで、」
「わしの何かが色々減る!」
「減るほど搾り取らねえよ」
「絞るほど持ってかれたら普通に死ぬるが」
「だから絞らねえって」
少しでいいから。なあ。
ごろにゃん、と撫でる事を要求する猫のようだ。懐いて、媚を売って、何とも愛らしい。
求められたことが「血液寄越せ」でなければ、だが。
「良いじゃねえかよ大して減るもんでもなし」
「おんしら仲良しさんじゃな」
こちらは素っ気ないフリをして実は狙っている、というところが猫なもう一匹がすん、と冷めた目で見てくる。
ごろごろにゃあにゃあ。デッカくて甘えたなのとすばしっこくてツンデレなのと、二匹の猫に囲まれて溜息しか出そうにない。
だって、と大きい猫こと和泉守が口を尖らせた。
「こればっかりは国広と意見合わねえんだよ。あいつ、闇討ち暗殺なんて言う癖に同意してくれねえし、甘噛みも怒るし、絶対吸わせてくれない」
それが普通だ、と言ったところでエターナルニコイチからしたら納得がいかないことなんだろう。堀川が和泉守の求めに答えないことは多くはない。とっても実戦刀らしいことだと思っているらしい和泉守からしたら、心外かつ寂しいことなのだろう。相棒と分かち合えない感覚があるということは。
「へえ、あいつとはこれに関しちゃ気が合うかと思ったんだがな」
「冷たいもんだぜ、まず甘いってことに同意しねえからな」
鉄臭いだけだとか、少しも解ろうとしてくれない。
すん、と鼻を鳴らしたデッカい猫が不満そうに眉を寄せた。
「甘いのにな」
「なあ? なんで解んねえんだろ……」
「わしも全然解らんが」
「お前はおれと違って斬りに行くより守りの刀だろ。数が多くねえから気付いてねえだけじゃねえの」
まるで苦いとか渋いとか大人の味の深みが解らない子供に言うような声音に、やっぱり特大の溜息が漏れた。
そりゃあ確かにすばしっこい猫こと肥前とはそれなりに長い付き合いで、彼の方がよっぽど年長なのは間違いないが、こっちだってとっくの昔に立派な…… 付喪神の『大人』がどこからかは解らないが、確実に和泉守よりは年長だからまあ、大人ということで良いだろう。とにかく一人前には違いない。
互いに一人前のはずなのに、こうも食い違うのは何の差か。
「おんしらが人斬りの刀なんはわしもよう知っとるし、血の味覚えるんも当然じゃ。けんど!」
今は付喪神である、刀剣男士である。
飯なら米粒から魚から肉から、美味いものを沢山食えるし、それがちゃんと、それこそ血肉になっている。間違いない。そんな肉体を得て尚、血液を求めるのはそれは少々どころでなく大分変わり種…… 少なくとも亜種とやらには違いない特殊事情だろう。
「別に主や人間から貰おうなんざ思ってねえし、遡行軍の血は絶対ごめんだぜ」
まるで至極真っ当なことを求めているような顔付きで和泉守が言う。いっそ純粋な子供みたいに輝く目が返って人外感を増している。
「あんな不味そうなもん」
ぜってえいらねえ、とその声に嫌と言うほど乗せた肥前も同意した。
だからといって。
「どういてわしがおんしらに噛みつかれにゃいかんがか!」
「お前はいらねえっつーからやるもんがねえんだよ」
「だよな。代わりにやるっつっても受け取らねえんだもんよ」
「やき! わしは血の味なんぞ好まんし、舐めようと思わんのじゃちゅうとろうが!」
ふす、と不満そうに二匹の猫が鳴いた。
じゃあ何を戦利品に差し出せば良いの、と言わんばかりだ。
「……なあ、お前がして欲しいこと何でもしてやるからさ」
「お前、そんなこと言うと良いようにこき使われるぞ」
そんなところで仲良くしないで良いから、と頭を抱えていると碧い眼の猫の方が痺れを切らした。
「なー、肥前」
「ああ? ったくしょうがねえな……」
そんなところで脇差タラシの真骨頂を発揮しなくてよろしい!、と止める暇もない。
これも脇差の性なのか。和泉守にはやたらと甘い肥前が、普段なら絶対に自ら解いたりしないだろう首に巻いた白い布をあっさり取り払う。
にゃあ。
長毛の猫はそれはそれは嬉しそうに曝け出された首筋を舐めた。
チロチロと綺麗な色の舌が肥前の首筋を舐めるその倒錯的な光景の先で、これもいつもは隠されている鋭い犬歯―― いや、あれはもう牙と言って良い。鋒が如き切れ味で、サクリ、と僅かに皮膚を裂き、滲んだ血を甘露を受けるが如くの恍惚とした表情で舐め取った。
鮮血に染まる舌が生々しい。
それ以上に、やっと欲しかったご飯を貰ったとばかりに悦ぶ刀の付喪神が、その色香をこれでもかと振り撒いて目のやり場に困った。
ただでさえ、平均以上に整った容姿をしているのだ。美しいと表現するに相応しい顔形、それが恍惚としている。貴族の姫君もかくやの緑なす長い黒髪、その色に意味を持つことが一目で解る玻璃のような瞳。薄い唇をたった今貰った血が紅の代わりに赤く染めていて、白い顔を際立たせている。
うっとりとしたその視線も何もかもが猛毒だ。淫靡で蠱惑的だった。
「お返し」
さらりと指通りの良さそうな髪を背に追いやり、急所を曝け出す仕草まで別人のように色っぽい。これが普段道場で喧嘩殺法を繰り出してはもう一本、もう一回、と手合わせを強請る健康そうな若者と同じとは到底思えないほどだ。
「随分と良い子じゃねえか」
ふっ、と僅かに笑みを浮かべたかと思うと、ギラリと獲物を捉えた獣の目になった肥前は、遠慮なしにその尖った歯で和泉守の首筋に噛み付いた。
つぷ、と丸く浮かび上がった血の塊をやはり甘露を得たと言わんばかりに舐め取る。こくり、と動いた喉仏が生々しい。
こちらもまた壮絶という言葉が相応しい色気を纏っている。和泉守とはまた違う、獰猛な狩人の鋭さとしなやかさだ。触れれば切れるの言葉通りに鋭く、確実に反撃を逸らす隙のない美しさ。まさしく良質な刃物のそれは、同じ刀だからこそ正確に威力を感じ取ってしまう。
傷付け過ぎないギリギリの、それでいて確実な一咬み。ぴく、と痛みに震えた背を宥める手が信じられないほど優しい。あやすように触れて、小さく傷付けたそこから溢れる血をたっぷりと味わい、喉を鳴らす。
その音にまた和泉守が満足そうに微笑む表情と、顔を伏せたままチロチロと首筋を舐めている肥前が唇で立てる音と。
どうにも倒錯的としか言い様のない奇妙な光景のはずだというのに、どれだけ否定しても美しいと感じてしまう。正常と美の感覚が狂うには充分過ぎた。
「っ……」
二匹の猫は互いに己の武器を存分に発揮した表情でこちらを見た。
これでもまだ、くれないのか。
互いだけでは満足できないのに。
お前のことが、欲しいのに。
「和泉守。のう、兼定、おんし良い加減にせんか」
「もうちょっと、あとちょっと、だけ」
違う意味で喉が鳴りそうだ。
くたっと力を失って酔い痴れた大きな猫はそれはもう満足そうに目を細め、噛み付いた肌から得た血を堪能している。
「はは、そこまでになんのは初めてだな。良かったじゃねえか、気に入られてよ」
冗談じゃない、と切り捨てられないのが困る。首筋に懐いている和泉守は常には絶対に見せないだろう恍惚とした様子で舌を、喉を鳴らしている。
あんまり心地よさそうで、満足げで、ここまで蕩けた表情を見せるとは予想もしていなかった陸奥守を動揺させるに充分だった。
「おれにも少しは分けてくれよ」
肥前の悪戯っぽい声に顔を上げた和泉守は、そのまま彼の唇に陸奥守の血を文字通り分け与えた。
「……流石に良い味してるなお前」
いっそ感心に近い声音で言われても反応に困る。
「血の味なんぞ誰から貰うても一緒じゃろう」
ぱちり、と猫達の目が瞬いた。
ふっと霧散した濃厚な色気の代わりに、不思議そうに目を合わせる二人の表情が見える。
「一緒だと思うか」
先に尋ねたのは肥前だ。
「まさか。全然違うよな」
答えたのは和泉守で。
お前が一番美味そうだった。
これは、褒められているのだろうか。少しも嬉しく……
いや、でも。
にゃあにゃあ。
この吸血鬼だか猫だかよく解らない二人が、この異様で耽美な空気を他でも見せているとしたらそれは。
(腹ぁ立つにゃあ……)
スッと血の気だか体温だかが引いたのを感じ取ったのか、碧と赤の目がじっとこちらを見つめた。
「しようがないき、――他ではしたらいかんよ」
取引の開始を告げるようなその言葉に、猫達がぴん、と耳と尻尾を立てた気がした。
またくれるなら、浮気しない。
くれんなら、ちょっと良い子にしても良い。
そんな幻聴を聞いた陸奥守は、ふは、と吐息を漏らした。
その吐息には存分に笑みと愉悦が含まれていたことを、まだ自覚しては居なかったが。