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    tooko1050

    透子
    @tooko1050
    兼さん最推し。(字書き/成人済/書くCPは兼さん右固定。本はCP無しもあり)
    むついず、hjkn他
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    アイコン:れれれめいかあ様(Picrew)

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    tooko1050

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    謎設定むついずでおとなこどもなやつ増量編(初出:2020-04-07 ぷらいべったーより移転)


    【注意】
    とても何でも許せる方向け
    リアルな法律とか考えちゃ行けないやつですふわっと、ふわっと
    設定も土佐弁もすべてをふわっとでお願いします(予防線)

    過去の話含めて人が死んでますので、苦手な方は読まずに閉じるで待避願います…!

    ##むついず
    ##エスケイプ

    「隔絶エスケイプ」(どういてこがぁなことになっちゅう……)

     何でも無いような顔をしながら、その実人生で一番と言っても良いほどの動揺を隠してハンドルを握っているなんてバレたら速攻ブタ箱行き、と混乱した頭で考える。
     助手席には助手にはほど遠い…… 遠いにもほどが、駄目だやはり混乱している、と諦めてメンソールだって煙草だってこんなにはないぞ、というほど思い切り深い溜息を吐いた。

     ぺち、と小さな音がしたので恐る恐る視線を動かし、確かに今が大きな交差点の長い赤信号であることを確認しながらそちらを見た。
     ぺち、とまた小さな音がして柔く丸みを帯びた手に引っかけた帽子のゴムで手遊びをしていたらしい幼児が退屈そうにまたそれを引っ張る。
     あ、これは放っておくとこの先に面倒が待っている、と己の勘が警告を発した。

    「なにしちゅう~?」
     ほれほれ、と今装える精一杯の愛嬌と一緒に興味を誘うように視界の端で手を振れば、見事に引っかかった大きな眼が器用な方だと自覚している指の動きを追いかけた。
    「おじちゃ」
     おじさん!! と人生初の呼びかけに驚愕したが、いやまあ、こんなこまい坊ちゃん(多分)から見たらおじさんかも知れん……、とがっくりしながらこの言葉遣いもいかんか、と思わず来し方を振り返ってしまった。
    「おじちゃんはキッツいのう…… あ、ほうじゃ、『むつ』て呼んでくれたら嬉しいにゃあ」
     頬が引きつるのを必死で押さえながらお伺いを立てると、小さな背中に流れる男児にしては随分と長い髪を揺らしながら幼児は首を傾げた。
    「にゃー……? むちゅ…… むつ?」
     確認するように少しつたない音で確認する幼児になんとか維持した笑顔で頷くと、何に納得したのかさっぱり解らないが、ふんふん、と頷いた幼児はぱっと破顔した。
    「むつ! おぼえた!」
     それまでまったくと言って良いほど反応しなかった子供が急に生き生きしだして困惑しているなど気付きもしないお子様はご機嫌に言った。
    「これから、どこ行く?」

     キラッキラの期待に満ちた顔に陸奥守はこれまた引きつった笑顔を張り付けて誤魔化すことしかできなかった。

    「ほうじゃのうー、着いてからのお楽しみじゃ!」

     どこへ行くかなんてこっちが教えて欲しい。
     だって、本当に知らないのだ。
     鍵はかけてから離れたはずだとか、どうして荷物か女しか乗せたことがないシートに見も知らぬお子様が寝ていたのかとか。概ね平和だが物騒なこともそれなりにある世の中だ。車上荒らしだってまあまあある。いつもなら異常の有無を確認してからスタートさせるはずのエンジンを、何故その時に限って流れるように動かして走り出してしまったのかとか何もかも全部が予定外だ。

    「はああ、これが誘拐じゃのうて完全な貰い事故じゃて誰が信じてくれゆう……?」

     本気で泣きたい、と思いながらも今一番の問題は自分の気持ちではない。子供が泣き出したらどうなるかなんてどんな馬鹿な独身男だって想像が付くというものだ。
     まずいなんてもんじゃない。
     とりあえず仲良くなったと思ってくれているらしいお子様が何か一生懸命話しかけてくるのに生返事をしながら、今だけはどんな小さな違反も事故も絶対に起こすまい! と固く誓う。ドライブグラスに隠れて血走りそうなほど力の入った目で初めて通る道を見つめる陸奥守の苦労を解ってくれる者がいないことだけは確かだった。
     少なくとも、現行道路交通法では幼児をチャイルドシートに乗せていない時点でアウトだなんて気付く余裕は欠片も残っていなかった。



    「なんで出ん!?」
     ツー、ツー、と虚しい音を立てるスマホに絶望しながら背中にべったり張り付いている視線に冷や汗が出る。
     今向かっているのは都心にほどほどに近く、長閑な田園風景も広がっているという都会人が憧れる「ちょうど良い感じの田舎」だ。その最終目的地は親戚の家。子供の頃に連れられて来たのはよく覚えているが自分の車で行くのは初めてという不慣れな状態かつ、目的が目的なので心理的にも余裕はない。カーナビ様々で迷う事はないが、どこの子かも判らない幼児を連れて行って良い場所でない事は確かだ。
     お前の子供かと揶揄われるならまだマシ。誘拐沙汰だと思われたらとんでもない騒ぎになる事間違いないのだ。死活問題すぎる。

    「にゃー……」
     痺れを切らしたお子様が不満そうに鳴いた。田舎特有の広くて混んでいない駐車場に猫でも居たかと思ってから「にゃー」が自分を指していることに気付く。じっとりとした視線は間違いなく陸奥守の頭の辺りに向けられていた。
     今振り向いて対面してしまったことを後悔する程度には。

    「おみずほしい……」

     むう、と目ばかり大きいような顔全部で不満を訴えてきた。多分四、五歳といったところだろう。懐かしいことこの上ない小さなスモックを着せられて、下は今時らしいハーフパンツに靴下と運動靴。髪の長さと幼児ながらに整った顔をしている、というのが目を引くが、ある意味どこにでもいる保育園、もしくは幼稚園児といった風情だ。今時と言えば今時らしく、スモックには名札が着いていなかった。ニュースで不審者から名前を呼ばれて油断してしまう子供もいるから、と敷地外では名札を外させる園や学校があると聞いて「物騒じゃのう」と思った自分に言ってやりたい。時にはものすごく重要アイテムになるのだということを。
     そしてこの子供、身元に繋がりそうな荷物を一切持っていなかった。身一つで赤の他人の車に潜り込んでいたというのか。ますます疑問しかない。
     陸奥守にとって一つだけ幸いだったのは子供が大騒ぎしないことだった。この年頃の子供としては割と我慢強いんじゃないだろうか、と妙な関心をしながら慌ててしゃがんで視線を合わせる。
    「すまんすまん! ほうじゃの、お昼寝ばしとって起きたとこじゃったな。なんか買うてこよ」
     何が飲みたい、と聞いてもぶんぶん首を振る。
    「なんでもえいよ。も少しかかるき、我慢せんでえいえい」
     おいで、と手を伸ばせば飛びついてくるかと思ったのだが。
    「どした?」
     何かを窺うような少しの警戒が子供の周囲に張り巡らされているのを感じた。知らないシートの上ですやすや寝ていたとは思えない警戒っぷりだ。
    「ん?」
    「……なんでもいいの」
    「おう、えいよー、何が好きじゃ?」
     子供は可愛いと思うが慣れているというほど世話をした経験もないから、この小さい子供が何を思って聞き返してきたのか察することができない。
    「ぺん、てする?」
     だからこの言葉には心底驚いた。
    「は?」
    「ぺん、てする?」
     二度同じことを言われてやっと、ヒヤリとしたものが背中を伝ったことを自覚する。
     ぺん、て。
     この手が?
    (……そりゃ、いかんやつじゃないかえ)
    「むつはぺん、てする?」
     誘拐犯にはならずに済みそうだが別の意味で肌が粟立つことになるとは。
    「せんせん! そがぁなこと絶対にせんよ!」
     慌てて答えるとホッとしたように警戒が解け、差し出したままだった手に小さな手が重なった。
    「むつはしないほう!」
     ということは、する奴としない人の二種類を知っているということだ。
    「おう、むつはしない方じゃ。で、何がえいかにゃあ?」
     そのままひょいと抱き上げてしまえば腕の中からはきゃあ、と機嫌良く笑う声が聞こえて、一瞬過ったほどに悪いことはなさそうだとも思うが油断は禁物だ。

    (こりゃ押し付けられたかも知れん)

     酷いことをする、と思ったことを悟られないようにコンビニのドアを開け、色取り取りのジュースと清涼飲料水が並ぶ開放型の冷蔵庫の前まで一息に移動した。

    「好きなもんあるかの?」
     抱え直した子供に検分させるとあれ、と指差されたのはミックスジュース味の豆乳だった。
    「割と渋いもん知っとるのう……」
     まあ、本人がいいと言うんだから良いだろうと深く考えずに手に取った。後から思うとアレルギーでもあったら、と考えなかったのは酷く軽率だったと青くなったが、この時はまったく気付かなかったのも動揺していたからだろう。自分用の缶コーヒーとお子様用のパックを会計して、出入り口近くの角に数席設けられたイートインコーナーへ向かうとまたお子様の目が輝いた。
    「いいの?」
     いいの、とは。よく解らないがイートインの仕組みを理解出来る歳でもないだろう。店内で飲食するのはダメだとでも教わったのかも知れない。
    「ちゃあんとお会計したじゃろ? もう飲んでえいよ」
     椅子に座らせて小さい手にはあまりそうなストローを刺してからパックを目の前に置いてやるとそれは嬉しそうにかぶり付いた。
     パックを潰して大惨事にすることもなく上手に飲み始めたのを確認してから自分も缶コーヒーを開け、もう一度スマホから連絡を試みる。
     相変わらず出てくれない相手に焦れて、今度は先に着いているかも知れない別の親戚にメッセージを送ってみた。

    『近くまで来ちょるけど問題発生しとります』

     しばらく既読にもならず、つくづくツイてない、と溜息を吐きかけた時ピコンと吹き出しが現れて文字が送られて来た。

    『さっきこっちに電話入れたか? 今ちょっと騒ぎになってて迎えに行けない』

     これはいよいよ、と半分以上覚悟を決めて陸奥守は隣に座らせた子供に問いかけた。
    「そう言えばお名前聞いとらんかったな」
     んくんく、と喉を鳴らしていた子供はストローを咥えたままきょとんと首を傾げる。
    「坊ちゃんのお名前は?」
    「おなまえ? せんせーが大人のひとにはせんせーからおしえるよっていってた! むつはしらないの?」
     おう、しっかりした子じゃのー、と手放しで褒めてやりたいところだったが、これは本人に名乗らせるのは難しそうだ。仕方なく「先生との約束を守った」ことを褒めながら窓越しの風景を撮るフリをして子供の顔が判るように写真を撮る。
    「いよいよ危ないおじちゃんの気持ちじゃなぁ……」
     自分で言って悲しくなりながらメッセージに撮影したばかりの子供の写真を添付した。

    『もしかせんでも、この子探すんで騒ぎになっとりますか?』

     どこで見つけた!?

    とものすごい勢いの着信がくる数分前のことだった。



    「犯人は逃げゆうか……」

     着いた先ではまず平謝りに謝られ、子供を保護したことを大いに褒められると同時に偶然にしては出来すぎている経緯を不審がられて大騒動だった。

    「はあ、つまり」
     こん子供は近々『主役』の一人、花嫁さんとしてお披露目される予定だった人の連れ子で、わしとは血の繋がらん遠縁になったばっかりの幼児。

     あちこちから断片的に飛んでくる言葉を繋げるとそういうことだった。しかも主役はもういない。
     今日ここに来たのは通夜と葬式、その支度があるからである。
     実家の両親は遠すぎるから都内に住んでいるお前が代わりに顔を出してくれ、とまあそういう話になって、それこそ自分の子供時代ぶりに会うような人達とこうして再会しているのだ。
     合間合間に「えーあの吉行くん!?」とか「まー、立派になってー」などとお決まりの言葉を矢のように浴びるのも久しぶりだ。

     実の母親と義理の父親になったばかりだった男が突然の事故の結果仲良く北枕を並べてしまっているせいで宙ぶらりんになった幼児。
    「おまんもお母やんも波乱万丈じゃのう……」
     誰かが振り返れば目が届くよう隣の部屋で大冒険の疲れからかすよすよ良く寝ている子供は、自分の『親』が居なくなってしまったという重大事をまだ誰からも教えてもらっていなかったらしい。
     『むつ』に連れられて着いた先が自分の家だったことに喜んだのも束の間、知らない大人が大勢尋常じゃない様子で迎えたものだから、コンビニの店員にばいばい、なんて手を振るくらい愛想の良い幼児も流石に人見知りして陸奥守の服をギチギチに掴んで黙りこくった。
     その様子にまずい対応をしたことに気付いた自分も母親であるおばさん達が動くのは流石に早かった。保育園に置き去りだった荷物や「いつものおやつ」を出して貰ってやっと「なんだか解らないけど一応安全」らしいと警戒を解いてくれる程度には落ち着いたわけだ。
     ちなみに「いつものおやつ」を探り当てたのは絶賛子育て中の、陸奥守から見れば再従姉妹はとこにあたる女性だったので現役の勘は流石である。

     保育園に迎え……というよりは攫いに行ったのは母親の方の縁者で、どうもそっちはタチの悪い人間だったようだ。
     何しろそんな人間がいること自体誰も把握していなかった。二週間後にごくごく内輪の結婚披露をする、その報せを貰い、幼児がいることも伝えられていた人でさえ一切知らなかったのだからよっぽどだ。
     例外の引き渡しに渋る保育園から強引に連れ出したことからこちらに確認の連絡が来て、保護者登録のない者が向かう報告をしてから迎えに行こうというところだった親戚一同を驚かせた。ただでさえ突然の不幸で人手も話の通じる人間も少ないところへ誘拐騒ぎとなればそりゃ大混乱だろう。
     しかも当然のことだがまだ亡くなった二人の引き取りすら済んでいないのだ。仲良く北枕を並べているのは警察病院の霊安室の話である。
    「ぺん、されたんはそん罰当たりからか……」
     可哀想に、と柔らかな薄掛けの端っこを握りながら寝ている様子に胸が痛む。
     耳聡いおばさんの一人にどういうこと、と突っ込まれたので、勝手な予想だが、と付け加えた上で事実だけを伝えれば親世代の怒りは恐ろしいものになった。

     そりゃそうだろう、という気持ちで上世代の難しい話の行方を見ているしかない。これが大変面倒くさい厄介な話だということは少し前に大学を出たばかりの陸奥守にも解っている。
     だからと言って誘拐紛いの…… いやもう誘拐で良いだろう。そんな真似をした上に何も知らない幼い子供に手を上げるような人間を庇う人達でもない。間違いなく引き取り候補からは永劫削除だ。
     どうやら母親の弟に当たるらしいその男の普段の評判は良くわからないが、たった数時間の内に化けの皮が剥がれるような男だ。そんな人間に預けるなど、下手をすれば子供は数ヶ月後にも母親の元へ行くことになるだろう。
     そんな酷いことが想像できるのにむざむざ渡すくらいなら、いっそ最初から施設行きの方がずっと良い。

    「それはそうと、なんでお前の車が判ったんだろうな」
     実はそれにも思い当たることがあった。
     慌てて飛び出してきたものの、ほぼ知らない土地へのドライブにしろ待っている事情にしろ、この後が長いことに気付いた。先に何か腹に入れておかないと保たない、と途中で寄ったファミレスで連絡係を仰せつかっていた別の親戚へ事の次第を説明したのだ。
     高齢の上にスマホなんざ今更要らん、とFAX付き固定電話だけで生活しているその人は当然メッセージアプリなんて使っていない。それで別口の連絡が必要になって伝言係に選ばれた。
     なるべく目立たない角の席を取りはしたが、通話している内容を誰かに聞かれるには十分な環境だ。

     何しろお子様が突然出現したのはファミレスの駐車場を出た後で、ついでに言うとこれは今度のことには無関係の偶然だったが、キーの閉じ込めだか忘れ物だかで大きな声を出している家族連れに気を取られた。
    「あん時、車の近くまで来とったもんで先に鍵開けてしもたんです」
     突然の大声に何事かと立ち止まったので、子供を押し込む時間くらいはあった、かも知れない。昼時、しかもインターチェンジ近くの国道に面した立地とあってそれなりに混み合っていた駐車場ではドアの開け閉めの音なんて溢れていたから、自分の車から聞こえたかどうかまでは気にしていなかった。
     お子様が静かに黙りこくっていたのもまったく理解の及ばない展開に驚きと、それまで多分怖いと感じる相手に連れまわされていたことへの警戒と、そんなところだろう。
     さっきまでと違って怖いこともないし、その内車の揺れにあやされて安心感で寝ていたんじゃないだろうか。

     何にしてもいきなり強引に連れ回した上に手を上げるような男から全く知らない男の車に放り込まれてご機嫌にしていろ、というのは無理難題が過ぎる。
     むしろ大泣きしなかったことを褒めてやらにゃあ、と思う域だ。下手に大騒ぎしていたらそれこそ車から放り出されていたかも知れない。
     同じことを考えたらしい親戚も真っ青になったり怒りに震えたり忙しい。
     色々考えると大事にはしたくないが黙っているわけにも、とこちらは顔も知らない男については警察に一報が入れられている。
     結果的に親戚の子供を保護した功労者ではあるが、例え僅かな時間でも初対面の子供を連れ回したことについては陸奥守も厳重注意を受けた。言われてみれば見知らぬ子供に気付いた時点で安全なところへ車を停めた後イチイチゼロを押せ、というのは至極ご尤もである。それをしたらそりゃあもう面倒臭い事態になったのも事実だが、ルール上はそれが最適だった。変質者扱いを受けるのが目に見えていてやれたかどうかは別として、だ。
     同時進行で再従姉妹が保育園にも連絡を入れたら既に警察から保護の報告が繋がっていた。互いの監督不行届や不手際を詫びあってとりあえず数日の欠席と今後についてはまた後日、ということになったようだ。
     問題の弟とやらがこの家に顔を出そうものなら男連中が警察に突き出すのは当然、という空気になるのは早かった。

     さて子供も落ち着いたことだし、と整理された情報によると。
     まだ対面したこともない女性は件の子供、「かねさだ」という名らしい。どういう字を書くのかは聞く隙がなかったが、保育園から戻ってきたバッグにも確かに「かねさだ」と書いてあった。
     かねさだくんの実の父親とはなんと子供が生まれる前に死別してシングルマザー生活をしていたという。その内知り合った人、これが陸奥守の親戚になるわけだが。その人と好い仲になって、色々あったが入籍したのが先日。僅かに数週間前のことだ。籍を入れるかどうかを迷った時間が長かったので既に同棲状態、この家自体はもう二年暮らした慣れた家だった。子供は今月、これもつい最近なのだが、四つになったばっかりというから子供にとってはこの家で生まれたも同然だろうとのこと。
     子供が四歳になるのを機に入籍したのだと言われるとなるほど、時期が重なったのも頷ける。
     つまりかねさだくんは齢四歳にして実の両親も義理の父親も亡くしたわけだが、母親だけでなく血の繋がりのない父親ともきちんと親子関係があることになる。
    「ああ、読めたちや……」
     都会人から見て「ちょうどいい田舎」の庭付き一戸建て。姉の遺産となるはずの家の権利は当然血を分けた息子であるところのかねさだくんにもある、と思える。
    「遺産目当てに子供懐柔しようとして失敗したんか」
     ぞうくそわるい、と呟けば概ね罵倒の類だろうと察したらしい叔母さんに「そうでしょう!」と勢いよく同意された。

     そもそも陸奥守が父母兄弟ほど近くなく、一緒に暮らしているわけでもないのに即日連絡を貰ったり現地へ急行したのもこの家と持ち主に理由がある。
     母は嫁入りして以来陸奥守の実家でもある高知で暮らしているが、元々はこの家に暮らしていた。一人娘が成人式もそこそこに嫁に行ったからこの後の代は住む者が居ない、となったので両親を相次いで亡くした弟の子供、つまり甥っ子である人と同居することにした。卒業すれば出て行かなければならない大学の寮住まい、懐かしの我が家は父の勤め先の社宅で戻るわけにもいかず、両親を送り出すのが精一杯で就職活動もままならなかった甥一人くらい住まわせてやろうじゃないか、という流れだったと聞いている。
     娘が遠方に嫁入りして少し寂しい思いをしていたところに思いがけず息子ができたようなもので、互いに相性も良かったおかげでその同居は思っていたより長いものになった。年齢と共に体が利かなくなった老夫婦がホームへ移る時に財産整理をして金銭は必要分を除いて娘や孫へ、土地と家屋については引き続き住めるよう甥っ子に譲る、ということになった。
     その従兄弟叔父いとこおじ――陸奥守は親しみを込めて『おじさん』とだけ呼んでいる――が途方に暮れるところだった自分に『家』をくれた伯父夫婦、つまり陸奥守にとっては母方の祖父母となる二人にとても感謝して、母には従兄弟がいようが気兼ねなく里帰りして欲しいとよく招いては陸奥守のこともそれはそれは可愛がってくれたのだ。たまたま近くに住っている親戚が多かったので行き来も濃密だった。そんなわけで今時珍しく住まいも遠方なら関係も少し遠い再従姉妹ともちょっとした顔見知りの間柄なのである。
     流石に造りが古くて不便もあるだろうに、祖父の代からほとんど変わりなく家や庭が維持されているのも感謝の表れだったのだろう。

     そしてそのおじさんは理由は知らないが、どうせ自分は一生独身だろうから、と言ってこの家は自分の後は吉行に譲るつもりだと前々から言っていた。
     祖父の持ち家と思えば孫である吉行にも権利はあったはずだし、本来の持ち主候補に返すだけだとかなんとか。
     お前は上京したいだろう、というのも見透かされていたし、何も住まなくとも別荘にしたって良いし、誰かに貸したり売って起業の足しにしたって良いなどと言われた日にはこの人には勝てそうにない、と何度も思った。
     それが五十路を迎えようという歳になってから初めて結婚したい人がいる、なんて言い出したものだから随分驚いたし、それでもおめでたい話だから素直に祝った。
     陸奥守自身が自分のことで忙しくしていたこともあって、「今度またゆっくり」で終わっていた話の先がまさかお相手はおちびさんを連れた若い女性となるとは知らなかったから今非常に驚いているわけだが。
     あの人なら生まれたばかりの子供を抱えて困っている女性を手助けする姿が簡単に想像出来るし、同棲までしていながら二年も結婚に踏み切れなかった心情もなんとなく理解できる気がする。
     それこそ財産狙いだのなんのと結婚を意識するほど大切に思う人を悪く言われるのが嫌だったのかも知れない。
     そもそも証書があるわけでもなんでもない口約束の段階だったが、彼が希望する相続先として指名されていることは周知だったので、今回の不幸に関しても真っ先に連絡が来た。というか来るように手配されていたと言った方が良いかも知れない。
     多分、あのおじさんは律儀に約束を守ろうと妻と義理の息子以外に自分のこともきちんとした相続人に数えていたのだ。でなければ両親より先に警察から陸奥守のところへ連絡なんて来ないだろう。

    「で、どうする、あの子……」
     まあ、大人達の議題はどうしたってそこへ行く。
     何しろ入籍後の事態の急変だ。比較的親戚関係が良好かつ濃厚な我らが一族が庇護候補筆頭となる子供であることは間違いない。しかも実の母親は誘拐騒ぎを起こした弟以外に身寄りがないときた。
     実父も既に亡くなっているし、その家族関係まではまだよくわかっていないが、再婚にあたって特に問題になったとも聞いていないから子供のことはまったく関知していないか再婚先で養われていると思っているだろう。
     とにかくあの男には渡せん! というところは一致したものの、今から四歳の子を引き取る体力のある上の世代も、突然一人子供が増えて大丈夫だと言い切れる同世代もいないのは交流があるからこそ互いにバレバレだ。
     どの家も自分達の将来設計というものがあるわけで、降って湧いた子供の責任まで負えるほど有り余る金や体力があるとはとても言えない。それなりの価値が見込める一戸建て付きとはいえ、幼児が成人するまでのあれこれを考えると金銭では足りないことが多すぎる。
     ましてや祖父母世代の介護と子供世代の子育てが重なる心配をし始める家なら尚のこと無理! となるだろう。

     とにかく今日の今日で結論など出るはずもなく、それこそ我が子のお迎えだ、食事の準備だ、葬儀はどうする、と別の問題の相談や帰宅しなければならない人も出始めた。
    「あのぅ」
     これは多分期待されている、と嫌でも感じる気配についに陸奥守は口を開いた。
    「ひとまず今晩、わしがここに泊まりましょうか。あの男が来るかも知れんし、空き家にしとくんは無用心ですろう。合鍵貰っとりますし、一応帰れんこと考えて着替えは車に積んどりますき。あんまり急なことであの子を皆さんとこに泊まらせる言うても難しいのは解ります」
     ぱっと大人達の視線が集まったのは言うまでもない。
    「そんかわり! 子供の世話は初めてやき、子供向けの夕飯とかなんかは協力頼みます!」



     まさかいい加減返すつもりだった合鍵を返す相手が居なくなるとは思っていなかった。
     流石に警察と葬儀に関しては伯父伯母連合がやってくれると言うのに任せて、とりあえず奇妙な体験を一緒に味わった子供と一晩を過ごすことになった。
     お昼寝から覚めた後親戚会議の間はずっと一度だけだが以前会ったことがあるという叔母が面倒を見てくれていた。やはり異様な空気に以前とは違う反応だったらしい幼児と二人きりというのは荷が重いにもほどがあるが。

    「おかあさんは?」

     ついにかねさだくん(まだ漢字の綴りを聞けていない)からこの単語が飛び出した時は陸奥守の方が飛び上がりそうになった。
    「き、今日はお泊まりじゃて」
    「……おとうさんは?」
    「お父やんもじゃ」
     無理無理、無理がある! と叫びそうだったがまさか死んだなんてとても言えなくてヘラヘラと笑ってやり過ごすしかない。
    「おかーさんは、さんぎょー? あるけど、おとーさんは、おそと、いかないのに?」
     さんぎょー?
     と思ったところで「残業」であることは解った。なるほど、自分が寝てから帰ってくる母親というものには馴染みがあるようだ。
     そういえば伯父が連絡していた勤め先は誰もが知っている大企業の地方支社だった。そもそも平日の今日休んでいたのは、役所や警察、銀行と入籍に伴う諸々の届け出などを済ませる為に有給を取っていたからだというのもその時知った。何とも皮肉なことである。
    「お母やんは働きもんなんじゃなぁ」
     うん、と嬉しそうに頷いた後、おとーさんは?の二度目が来た。
     確かにそうだ。彼は勤めに出ていたこともあるが、祖父が脚を悪くした時に親孝行がしたいと言って会社を辞め、ホームに移るまで甲斐甲斐しく面倒を見ながら同居してくれていた。その後はよくわからないが家で出来ることと貯金で暮らしていたようだ。つまり今のところ毎日出かける形での仕事はしておらず、いってらっしゃいと見送るような習慣すらなかったはずだ。言ってみれば主夫に近い。
    「き、今日はお母やん休みじゃったろ? やき、お父やんもお父やんお休みなんじゃ」
     自分でも何を言っているのかよく解らなくなっていたが、子供はもっと訳がわからない。顔中に疑問を浮かべて首を傾げている。
    「あ、あー えーと…… そ、そうじゃ! わしが、お泊まりするき、ちぃと遅くなってもえいかなーて言うとった!」
     後で困るだろうなと解っていながら嘘をついた自覚はあったが、子供はおとまり、という言葉に反応した。
    「おとまり? むつ、とまるのか!」
     わくわく、と顔に書いてあるのに釣られて後のことは未来の自分に丸投げして頷けば、子供は機嫌良く陸奥守が泊まることと両親の突然の不在を許容してくれた。



    「ちがうー、それちがうの!」
    「お、おお? あー、んじゃこれはどうじゃ!」
     車で10分の一番近いお宅からカレーライスとサラダとオレンジジュースの宅配を受けて夕飯の支度に移ったのは19時を回った頃だ。
     多分子供のご飯にはそろそろ遅い時間だろうと思うのだが、早くしてやろうにも子供特有のこだわりを発揮されて四苦八苦している。
     なんでもカレー用の皿があるらしく、それじゃないと嫌だ、ということのようだ。夕飯がカレーと聞いて目を輝かせた時とは打って変わった表情でこちらを見ている顔はかなり厳しい。
     若造とはいえ仮にも成人男子の陸奥守には既に遠くなってしまった感覚だが、お子様にとっては非常ーに重要なことのようで、さっきから何枚も子供用と思しきキャラクター物や軽くて割れにくそうな皿を出しては引っ込めしている。
    「そっち! にかいのほう!」
     上段、ということらしいお子様の指示に従って食器棚の高いところへ手を伸ばすのだが、後確認してもらっていないのは滅多に使わないちょっと重いガラス皿くらいだ。どう考えても子供用ではないし一人前ですらない。フルーツを盛るような、夏に一同が会した時素麺を何人分も盛り付けるような大皿である。
    「み、見つからんのう…… こっちの皿じゃいかん?」
     諦めてはくれまいか、という願いを乗せつつ発した言葉にも、「ぜったいにある」という確信があるだけに中々所望した物が出てこない不満でいっぱいのお子様は厳しかった。
    「だめ!!」
     やだ、じゃないところがすごく厳しい…… とガックリしながら、ふとシンクの方に見慣れないものが置いてあることに気が付いた。
    「食洗機……?」
     ハッとして中を確認すると案の定、中に食器が残っていた。
    「これでどうじゃ!!」
     目の前に出したのはどこかで見たようなだんだらブルーの縁取りが入った丸皿で、それを見たかねさだくん(まだ漢字を知らない)がやっと深々頷いたのに思わずガッツポーズをしそうになって慌てて思い止まった。危ない、お気に入りの皿を目の前で損壊などしたら恐ろしい展開しか待っていないではないか。非常に危なかった。

     そうしてなんとか食卓として使っている(はずの)座卓に今夜のメニューが並ぶ頃には20時近くになっていた。
    「……いつもとちがう」
    「はい?」
     いただきます、と行儀良く手を合わせてパクリと一口カレーを運んだお子様の言葉にまたしても謎のこだわりか!? と身構えたがそういうことではないようだった。
    「やさい、おおきい」
    「あー、ええとな、お母やんの作ったんじゃないがよ。いただきもんじゃ」
    「おかーさんは、ほしのやつ」
    「ほう」
    「おとーさんが、まるのやつつくる」
    「ん?」
     よく解らなくて聞き返すと、子供は一生懸命考えてから言った。
    「おとーさん、ちっさいほうちょうで、こーやるの」
     身振り手振りで伝えてくれることによると、どうやら母親が作る時は野菜は型抜き、父親―おじさんが作るものはナイフで小さくしてくれる、と言いたいらしい。
    「ほうかー! おじさん器用やきねぇ」
     伝わったのが嬉しかったのか、うん、と大きく頷いてまたパクリと一口カレーを運ぶ。どうやら辛すぎるとかそういうことではなく、単純に家で食べるカレーとして思い浮かべていたものと違っていたのが不思議だったようだ。
    「美味いか?」
    「おいしー」
    「ほうかほうか、良かったのう」
     しばらくは夢中で食べてくれたのでこれと言って苦労することはなかった。

     風呂に入れる時も大人しく言うことを聞いてくれたし、トイレだ歯磨きだと必要そうなことで出来ないことはきちんと申告してくれる。柔らかくて長い髪を乾かすのに四苦八苦する陸奥守を下手だと笑うくらいの余裕があったのだが。

     じゃあ寝ますか、となってからが一大事だった。
     子供にとっていつもと違うということが大変な騒ぎであることを失念していた。
     何しろこの子にとっては叔父に当たるはずの男に誘拐されかけるわ、初めて会う男とドライブするはめになるわ、知らない大人に囲まれるわ、挙げ句の果てに怖い思いをしたその日だというのに両親は帰ってきてくれない。代わりに昼間短いドライブをご一緒しただけの男と二人で寝ろと。
     これが異常でなくてなんだと言うのだ。そりゃ興奮するなと言う方が無理な相談だ。

     というわけで、かねさだくんによる今日一日がどんなに変な一日だったか、というお喋りが始まった。始まってしまった。
     行きつ戻りつ、話しているうちに興奮して起き上がってしまうのを寝かしつけつつ、攻防はあっという間に一時間を超え、プライムニュースのお時間に突入している。
     多分、昼寝の時間も長すぎたのだ。
     難しい話をしている大人は寝ていてくれるならこれ幸い、と良く寝ている子供をそのままにしてしまったが、考えてみれば昼間寝過ぎれば夜眠れなくなるのは自然なことだ。今更気付いても遅かったが。

     早う寝てくれんかのう…… という陸奥守の内心など知ったこっちゃないお子様も、流石に一時間ほぼノンストップで喋ったのは疲れたようだ。
     少しずつ口数が減っていくのを黙って見守っていると、唐突に不安そうな声が漏れた。
    「おとーさん、おれのこときらいになった?」
     これは聞き捨てならない。一緒に寝落ちたい気分だった陸奥守は一気に目が覚めた。
    「ど、どういた? なんでそう思う?」
    「おとーさん、……ほんとうのおとーさんじゃない」
    「は……?」
    「えっと…… おれの、ほんとのおとうさんは、しんじゃった? から、いまのおとうさんは、おとうさんだけど、ちがう……」
     慌ててしっかりと顔を見ると、一生懸命考えている時の顔で口をパクパクさせている。
    「ゆっくりでえいよ」
     まさか実の父と義理の父という小さな子供には難しいはずの違いを朧げであろうと理解しているとは思っていなかった。まったくの不意打ちだ。生まれる前に他界した実父のことなど覚えようがないし、どうせ知らないと思い込んでいた自分を恥じる。
    「まえに、ほんとのおとうさんだよ、ってしゃしん、みた」
    「うん」
    「あと、あと、とおいとこいって、ごあいさつ? もした」
    「遠いところ……」
    「えっとね、こーゆーのがいっぱい、ならんでるとこ。いーっぱいあった」
     こういうの。
     それ、墓石じゃな…… と小さい手が空をなぞる形を辿って複雑な気持ちになる。つまり、実の父親の墓があるどこか。寺か霊園か、そういうところへ三人で行ったことがあるのだ。きちんと理解できるかどうかは別として、どういう場所か教わった上で。
     ご挨拶というのはほぼ間違いなく、新しい父親を迎えることの、新しい父親になることの報告だろう。どちらの希望かはさておき、きちんとしておきたいとなれば当然の流れだ。
    「おとうさんは、あえないけど、おとうさん…… えっと、あたらしいおとうさんが、いるから、だいじょうぶっていってた、のに」
     いまいない
     ふにゃりと子供の表情が崩れる。
    「なんで、かえってこないの……?」
     そうか。今まで小さい子供を置いて泊まりがけの留守にすることなど無かったと思われる義理の父親が突然いなくなったから不安なのだ。帰ってこられない理由なんて想像もできない子供にしてみたら、真っ先に思いつくのも最後に残るのも「じぶんのことがいやになったから」それしかないのだ。
     母親の不在より義理の父の不在を殊更気にかけることが余計に辛かった。まだ知らない。父親だけじゃない、今絶対の信頼を寄せている母親も帰ってこられないことを。母親の夜の不在を疑問に思わないことがいっそ苦しい。
     何故なら、この子にとって母親の帰りが「残業」でたまに遅くなるのは日常で、寝る時間に姿が見えないことも日常にあることだ。でも起きる時にまで居なかったことはない。朝までに帰ってくると信じて疑っていない。
     二人とも居ないのではなく、「おとうさんが」居ない、まだそれしか認識できていないのだ。
     もう二人とも帰ってこないのに。それを知っているのに、言えない。朝になれば少なくとも母は帰ってくると信じているその希望まで奪ってしまったら寝るどころじゃなくなってしまうし、どんな反応が起こるのか予測もできない。
     泣いたら帰ってこないとでも思っているのか、少し潤んだ目をパチパチと瞬く度に睫毛に弾かれた水滴がぱしぱしと音を立てそうな勢いで散る。
     身近な体験はなくとも、小さい子供が必死で我慢している姿というのは非常に辛いものだと色々な場面で感じたはずなのに、まるで初めて見たように苦しい。
    「おとうさんは、嫌いになったりせんよ」
    「……でも、」
     帰ってくるから、と言ってやれれば良かった。だってあの人がこんなに小さい子供を、自分が責任を持って父親になるのだと決めた子供を置いていきたいはずがない。これからまだ、当分の間成長を見守るつもりで、親になる覚悟で最初の形を整えたばかりだ。おちびさんからすれば随分年嵩の父親だから一緒に居られる時間は若い父親より短いとも想像したことだろう。それも迷った理由の一つに違いない。それでもこんなに早く別れるつもりなんて絶対になかった。
    「おとうさんのことは、わしもよう知っとる。大好きなおじさんじゃ。おじさんは、子供に嘘なんかつかんよ。嫌いになんか、なったりせんよ」
     嫌いだったらカレーなんか作ってくれん、と言うとやっと少し子供の強張っていた体が緩んだ。
    「おとうさんから、ぺん! てされたことあるか?」
     ほとんど賭けのつもりで言葉にしたらびくりと震えた後忙しなく首を振った。
    「しない! しない! ……おれが、わるかったとき、いっかいだけ」
    「おぅ、そりゃ仕方ないのう。何したんじゃ?」
    「よく、わかんない。けど、えっと」
     しばらく唸った後、不安そうに子供は言った。
    「あぶないから、にどとしちゃだめ、っていった」
    「そりゃ家ん中でか?」
    「あったかいように、パチンてした」
     何をどうしたかはさておき、これは多分火事につながることだったんだろうと想像はできる。
    「うーん、そりゃおまんが悪いのう。ぺん、されるんも仕方ないやつじゃな。けんど、おまんのことが好きだから覚えて欲しかったんじゃ。わしも、危ないことしたら叱られたき、おとうさんは嫌いでぺん、てしたわけじゃないぜよ」
    「きらいじゃない?」
    「おう、嫌いだったら叱ってくれんよ」
     ほっとしたように息を吐いたのを見て笑ってやればやっと小さな枕に頭が落ち着くのが見えた。
    「おとうさん、いつかえってくる?」
     これには何と答えれば良いか困ってしまった。明日、早ければ明日の夜には戻ってくると言えば戻ってくるだろう。でもそれはこの子供が待ち望む帰宅とは違う。
     良い子にしてたら、なんて絶対に言ってはいけないのも解る。結局どう答えても傷付けると解っていて言葉を選ばなければいけないのは初めてだった。
    「ほう、じゃの…… わしも、会いたいのう……」
    「むつも?」
    「うん、会いたいにゃあ」
    「じゃあ、いっしょに、まっててくれる?」
     同意したのが嬉しかったのかそれで安心したのか、少し輪郭の崩れた声が小さく問う。
     ああ、約束してやれることを聞いてくれて良かった、と嬉しくなって微笑めば、やわらかな指が伸ばされて陸奥守が自分用に敷いた布団を遠慮がちに掴んだ。
    「おぅ、一緒に待っちゃるよ」
     帰ってこないことはわかっていても、一緒に待つことなら出来る。答えを濁したままなんて狡い大人だと思うが、少なくとも嫌われてしまったのではないかと疑う気持ちは否定してやれる。
    「明日も一緒におるよ」
     一人にはせんから、もうおやすみ。
     驚くほど自然に腕が伸びた。自分も昔はこんなに小さかったのだろうかと信じられないほど頼りない身体を抱き寄せる。ぎゅ、と襟が掴まれて、寝巻き替わりのTシャツが伸びるな、と思ったが、まだ大して着ていないそれが伸びようが知ったことではない、とどうでもよくなるほど、今この腕の中にある温もりが愛おしいものに思えた。
     まだ出会って一日も経っていない子供なのに。
     微かな記憶を辿って、ゆっくり軽く背を叩いてやると少しして柔らかな吐息が胸元に触れた。
     小さな寝息が静かに穏やかに続いているのを確認して、鍵を閉めたこと、火の始末をきちんとしたこと、電気もガスも全部切ってから寝床になっている二階に上がったことを頭の中で二重チェックする。

     今夜色々思い出して眠れないのは自分の方かも知れないと鼻の奥がツンとするのを感じながら、どこか甘い匂いのする小さい身体を抱き寄せたまま、適当に放ったままだった上掛けを片手で引き上げた。






    「陸奥てめぇ!!」
     朝から騒がしい…… と嫌々枕から顔を上げると、これでもか、と眉と目を釣り上げた子供が叫んだ。
    「洗濯物をごっちゃにすんじゃねえって何度言えば解るんだ!! 三十過ぎた男が情けねえ!!」
    「ああー…… わし徹夜しとって……」
    「言い訳すんな! 折角洗ったのに汚れもん突っ込まれたら全部やり直しじゃねえか! オレもう学校行くからてめえが洗い直しとけよ!」
     思春期の反抗。と真面目に思った自分はただの間抜けだったようだ。朝起きたら洗い上がって干せばよくなっているはずの洗濯機に脱いだものを突っ込んだらしい明け方の自分を恨みながら、辛うじてこれだけは、と思い出して寝ぼけた声で子供を呼ぶ。
    「かねさだくーん……」
    「はぁ!?」
    「気ィつけてな、行ってらっしゃい」
    「っ…… 行ってきますッッ!!」
     最近少し低くなってきた声で律儀に返事をして、バシン!!と折角の予定を台無しにしたことを許したわけではないのだと精一杯乱暴に襖を閉めた子供がバタバタと玄関へ向かう足音を聞きながら、今日も元気、と聞かれたら追加の雷が落ちそうなことを考えた。

    「おじさん、おまさんと惚れた女ひとの大事な子ぉ、ちゃあんと大きゅうなっちょるよぉ……」
     再びじわじわと襲いくる眠気に身を委ねながら、十年前を思い出す。

     固い表情をして大人の言う難しいことを一生懸命理解しようとしていた大きな眼。
     一人になってしまったのだということだけは解っていて、寂しいと言えないまま震えていた唇。
     置いていかないでと真夜中に二つの棺の真ん中で蹲っていた小さすぎる背中。
     連れてかないで、と良い子にすることも忘れて泣き叫ぶ声。

     おかあさんとおとうさんは、ほんとのおとうさんのところに行ったの、と理解できる精一杯で問うてきた涙混じりの小さな、小さな声。

     ここで一緒に暮らそうか、と飛び出た言葉に誰より驚いたのは自分だったが、あの時そう言って良かった、と眠りの縁で考えた。

     ――元々この家わしのもんになる予定でしたき。連絡来たんもそういうことじゃろうなあと。
       庭付き一戸建てに子供あり。楽しそうでえいじゃないですか。

     子供一人抱えるというのがどういうことか解っているか、一時の感情で人生を棒に振る気か、責任が取れるのか、「やっぱり無理」は子供には通じないんだぞ、と散々あちこちから言われたものだが、今では誰より「孫」にめろめろな両親やどうしても譲れないなら、と出来る限りで助けてくれた周囲のおかげさまで今日も幸せに暮らしている。

     まあ、大変なことが山ほどあったのは事実だし、世に蔓延る数多の前例は一般的でないということに常に厳しく、今度こそ無理かと諦めかけたこともあった。
     何より養い子が本当に幸せかどうかに関してはこれっぽっちも油断はできない上に常に不安なのだが、これは彼が成人する時に一つ目の証明をしてくれるだろう。

    「とりあえず、寝るかにゃあ……」

     そうだ、自分が譲り受けたこの家を更に受け継ぐと宣言している兼定のために準備したいことは尽きない。
     起きたらまずは洗濯機を回して綺麗に干して、部活を終えて帰ってきた時にはふかふかのタオルを洗面所と脱衣所に用意しておかなければ。
     それから、それから。

     そんなことをぽやぽやと考えていると自然ににやけてくるのだから本当に。
     これを幸福と呼ばずになんと呼ぼうか。
     あの時繋いだ手を離さなくて良かった、と寝息に変わろうとする深い息に小さく愛しい子供の名が混ざった。






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    好きって言ってもらう前の、そういう意味で好きだって気付く前の擬似親子になる話でした

    同居に漕ぎ着けた後は父兄に協力頼む行事は皆勤賞だし、若くて身軽な分と負い目の分もアレコレやるから頼りにされるし事情を知ったお母さん連合と主夫経験者が色々助けてくれるよ流石むっちゃん的な

    兼くんは子供の残酷さで虐められたりそれなりの経験もするけど家に帰れば陸奥と親戚の人が大事にしてくれるしおかーさんとおとーさんズが見ててくれるってグレたりはしないいい子
    どこから仕入れたのかえらく威勢のいい喋り方するけど目上の人にはちゃんと敬語も使える

    ちなみに実はかねくんのお母さんと仲良しで兼さんを可愛がることにかけては近所イチだった堀川くんが「兼さん!!…って貴方誰ですか(誤解による殺意)」って飛び込んでくるまであと二日です
    この時まだ学生で泊まりがけのオリエンテーションに行ってました的なそんな
    卒業後はむっちゃんの敏腕マネージャー&兼さんの保護者その2として大活躍するみたいです

    むっちゃんのお仕事?
    そりゃちびさん抱えてたら在宅ワーク一択ですよねって思ったけど稼げる在宅ワークってなんだろう…デイトレと何か掛け持ってそうだなって考えたところで知識がファンブルしたので誤魔化しました
    作家はどっちかっていうと土方組のイメージでむっちゃん…作家……ジャンル????で機能が停止しました

    最初の時点でベンチャー立ち上げようとしてるって設定は微かにあった

    あと短文で上げた時点では色々候補がありました。
    ・ちょい悪世界の大人が子供を拾って四苦八苦するやつ「お化けのキャラクターが出る映画知ってる方握手しましょう…!」
    むっちゃんに煙草吸わせようと思ったなど…
    ・今回のパターン「これなんて『う◯ぎドロップ』?」
    ・悪い大人から逃げてきた近所の子供をお家にお届けするクエストから始まる年の差カプ
    みたいなのを考えてました。

    お粗末様でございました!
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