さあなにするか、と考えたところで無趣味な自分には特になにもすることがないわけで。ただぼぉっと自室のベッドで横になって、シミ一つない白い天井を見上げるだけ。でも不思議と心地良いと思うのは陰キャ特有のスキルなんだろう。
「あー……このまま寝ちまおうかなぁ」
とかくだらない独り言を吐き出して目を閉じた。その時、
「わーー! ごめん匿って!!」
本当に一瞬だった。自室の扉が開くのと同時に人が入ってきて、そのまま俺がいるベッドへ見事ダイブしてきた。
「ななななんすか!?」
「うぅう痛たた……」
そいつは頭を押さえながら顔を上げた。
うつ伏せ状態で見えなかった顔がようやく見える。澄んだコバルトブルーとターコイズ色の大きな瞳に目が惹かれた。めかしこんでいるわけではなさそうなのに、ほのかに火照った頬、薄く開いた唇に心の臓がぎゅっとなる。それに加え、腰あたりまである黒髪が綺麗だ。
……こんな女の人っつーかサーヴァント、いたっけか?
「えっと、もしかしてマスターに新しく召喚された方っすか?」
自分の問いに対して彼女は口をぽかんとした。かわいい。徐々に下がっていく困り眉もかわいい。
「……マンドリカルド。気づかないの?」
「へ?」
すると、とたんにむくれ顔をした彼女は俺の手に右手を重ねた。急な肌の接触に体が跳ね、その手に釘付けになる。そして、俺の体は硬直した。なんでかってそりゃ……彼女の——違う、彼の——手の甲に、我らがマスターの令呪が刻まれていたのだから。
「マ、ま、マスター……」
よく見りゃそうだ。服装はいつもの黒い魔術礼装着ているし、声だって。
「そうだよ。もう、ひどいなぁ」
「すんませんっしたぁ!!」
あぁ。マスターに謝罪するのはこれで何回目だろうか。軽く100回は有に超えているに違いない。
「しーっ! 声おっきい」
「あっすんませ……マスター、もしかしなくても追われてるんすか?」
「そう。そうなの。聞いてくれ……」
よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりで、マスターはいかにも屈辱そうな顔をして語ってくれた。暇を持て余した女子サーヴァント(Nさん)がどこからか調達してきた黒髪ロングウィッグを、廊下を歩いていたマスターの背後を狙って被せてきたと。その場に居合わせた他のサーヴァントに謎のスイッチが入って、マスターに可愛い服着て欲しい、化粧をしたいと迫ってきたもんだから、たまらず逃げ回ってここに来たらしい。
「大変でしたね……」
「みんなの目がマジでさ。怖かった。命の危機を感じた」
「ふ、命の危機って」
マスターには悪いがちょっと笑っちまった。
「まあそういうわけだから、しばらくここにいてもいい?」
「全然いいっすよ。大したもんありませんが」
「そんなことないよ。マンドリカルドが話し相手になってくれるでしょ?」
小首を傾げて上目遣いで言うもんだから、また溝落ちあたりがきゅっとなった。狙ってやってんだろって感じなのに、本人は無自覚でやっているのだからすごい。
「えー……じゃあ、頑張り、ます」
「ん。ありがと」
そう言って笑みを浮かべたマスターはジッと俺を見つめた。口を開く素振りがない……ということは俺が話題を持ちかけるのを待っているということ。そうだよな。頑張りますって言っちまったもんな!
話題、話題、話題。……ねぇ。
この手の沈黙は苦手だ。気まずいことこの上ない。それでもマスターは顔色一つ変えずに待っている。思わず、真っ直ぐ見つけるその目とかち合う。
ぶっちゃけ、マスターは俺のタイプだ。いつものマスターでさえきゅんきゅんしちまってるのに、ただ髪を長くしただけで破壊力がすごい。もともと幼い顔立ちをしてると思ってたけど、これほどまでとは聞いていないぞ。
「……マンドリカルド」
「っはい!」
「何ていうか、視線がうるさい」
「へ!?」
「口じゃなくて、目と目で会話しようっていう高度な技使おうとしてる?」
「は!?」
「どうしよう。俺できるかな」
俺はたまらずマスターの肩を摑んだ。
「すんませ、口で喋りましょう……」
「うん! そういえばさぁ——」
あ、結局マスターから会話初めてる。自分の情けなさに泣きたくなるぜちくしょう。
◇
「馬持ちのサーヴァントの愛馬に何度か乗せてもらったけど、まだまだ乗馬に慣れないや」
「そんなに上手くなりたいならマスターも専属の馬持った方がいいんじゃないすか。やっぱり信頼関係が大事、だと思うんで」
「そっかー。そうだよねー……王様の宝物庫に馬、いるかな?」
「い、いるんじゃないすか……?」
馬鹿野郎。いなかったらどうすんだ。いやいたとして馬飼うこと勧めた俺が不敬罪で殺されるのでは。
「ふふ。もしいたらお世話大変そうだね」
「! ……そうっすね」
マスターの返答で冗談ってのがわかった。相変わらず俺はこの人の話を真に受けやすい。
「そしたら、よければ俺のブリリアドーロで乗馬の練習します?」
と、意気揚々に言ってから“宝具の一瞬だけですけど”と弱々しく付け加える。アホか。大した練習になりゃしねぇ。己の未熟さが憎い。
「いいの!? じゃあ次回の戦闘でマンドリカルドの宝具、打ちまくれる編成にするね」
「えっあ、ジョーダンっすよね」
「本気だよ?」
「えぇー……」
なんてやりとりをして、どちらからともなく笑い出した。やっぱり、このマスターの隣は心地良い。もっと笑顔が見たくなる。
ふと、肩を揺らして笑うマスターと共に揺れる黒髪が目に止まる。完全に違和感が飛んでいた。
「マスター。それ、もう外していいんじゃないすか?」
マスターの頭に指を指して伝えると、思い出したようにウィッグを外した。……ああ、いつものマスターだ。どっちにしたってかわいいな。
「ありがとうね」
「うす」
「…………」
手にあるウィッグに視線を落とし、急に黙ってしまった。……マスター?
「ねぇ、マンドリカルド。……ドキドキした?」
……え?
突然の問いに驚き、さらに質問の意図がわからず返事ができない。不安なったのか、マスターが顔を上げて、潤んだ瞳で俺の答えを待っている。反射的に喉が鳴った。己の無意識にびびった。ときめき6割、緊張が4割といったところか。
いやいやそんなこと考える暇じゃねーって。とにかくここは、嘘ついたってしゃあない。
「し、シマ、し、た!」
うわ声裏返った恥っず!!
羞恥に耐えきれず顔を両手で覆い隠す。俺のバカ正直な答えに何て返されるのかも怖い。ただ、いくら待てども反応がない。
どうしたマスター! 俺やっちゃったすか!?
俺は恐る恐る顔を覆った指の隙間からマスターの様子を伺った。
俺の目が確かならば、本当に正確ならば、今まで見てきたマスターの赤面の中で1番かわいかった。
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ウィッグを被せられたのか、ウィッグを自分から被ってきたのか、解釈はお好みで。