いつかあなたと過ごせるのかな鏡界に留まれない存在であることを、今日ほど悔やんだ日はなかった。
それはある日の出来事。
「---ナーザ将軍が時間を作っては私を、捜してる?」
魔鏡通信越しにその話題を持ってきたその人は肩を竦めながら、前より動きにくくなったという理由を続ける。デミトリアス率いるアスガルド帝国に追われる日常にはもう慣れてしまったが、なぜ以前直接断った筈のナーザ将軍が自分を捜すという行動に出たのだろうか。
「(私が鏡界に留まれない事情は話した筈なのに)」
彼は続ける。やはりナーザ将軍は私が目の届く場所にいないというのが耐えられないのでは、と。
「……それは流石にないんじゃないでしょうか?いくら私が昔馴染みであっても、昔と今は違いますよ」
『……そうでしょうか?』
「理性の塊みたいなナーザ将軍に限ってまさか……」
今は側にバルドもメルクリアもいるのだ。彼が案ずることなどアスガルド帝国の動向以外に思い付かないが。
「(あれ、私ってウォーデンに対して結構偏見入ってる?)」
『ナーザ将軍』として彼と再会した当時の状況が思い起こされる。あまり思い出したくはないが。
当時と状況こそ違えど今やアスガルド帝国と明確に敵対の意思を表明したあの時まで思い返してみるが、一向に分からない。私のことに時間を割くくらいならメルクリアと過ごす時間を作ってほしい。これは明確に自分の本心だ。
『…私には何だかんだ、彼は自分の懐に入れた人が自分の目の届く場所にいないことへの不安と汲み取りましたが』
「そう言われてもどうしようもないというか……」
あ、と突然魔鏡通信が切られてしまう。協力者の彼の身に何かあったのだろうかと刹那の不安を覚えるが、彼からの返信を待とうとその場から動くことにした。
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人が行き交う街を通り過ぎ、木々が生い茂る地へ足を踏み入れる。確か、さっきの魔鏡通信越しに見えた景色はこの辺りだった筈。周囲を警戒しながら草木を踏みしめていると、此方の捜し人はすぐに見つかった。
が。
「……あー、えっと」
「すみません。通信を切って撒こうとはしたんですが彼方が上手でした」
もう一人、いた。それも明らかに虫の居所がよくなさげな表情で、ビフレスト聖騎士団の実質的な旗頭---ナーザその人が。
「(何で一人で出歩いてるんだこの人は…)」
「俺の単独行動に何か不都合でもあったと?」
「勝手に心読まないで下さい。」
ぴしゃりと返してやれば、遭遇当初の不機嫌丸出しの表情は僅かに和らいだ。何しにきたこの人。
「単独行動はバルドを心配させますよ。いくらあなたが生半可な相手に遅れを取らない実力の持ち主であっても、何が起こるか分からな」「分かっている。バルドのような小言を聞きにきた訳ではない」
ハイそうですかと内心でふてくされる。単独行動してるなら何か任務中なのかと考えたりもしたが取り越し苦労に終わった。
「キリカ、来い」
「え、何処に」
「俺たちのアジトにだ」
だから行けませんって説明した筈でしょう、と言ってはみるものの、聞く耳を持ってくれそうになかったのだった。
有無を言わさず手を捕まれ引っ張られて行くと、ほどなくして景色が変わった。そこではじめて手を離された。
その意匠を目に入れて、私は言葉を失っていた。
見覚えのある赤が主の意匠は、間違いなく記憶に残るビフレスト皇国にあったものと酷似していて。
マーナさん、エルダ様。バルド、メルクリア様。
---ウォーデン。
ビフレストで過ごした日々が否応なしに思い起こされて、その場にへたり込んでしまう。
「---あ、」
「どうだ?見事なものだろう」
「ジュニア、が?」
「そうだ」
ナーザが私をここに連れてきた理由。分かってしまった。
中に入って内装を見てみたい。ビフレストの面影をこの目に焼き付けたい。そんな思いが溢れてしまいそうになる。
「---そうか。そろそろジュニアが保たないか。」
「っ!?」
『ぼ、僕はまだ大丈夫です!』
『何を言っておる!そのような青い顔色では説得力に欠けるのじゃ!』
通信越しにジュニアの弱々しい声が聞こえる。そんなジュニアを案じるメルクリア様の声も。
『…っ僕がもっと強ければ、キリカさんを……』「---ありがとう、ジュニア」『えっ、』
こんなアジトにしてくれて、無理してまで私に見せてくれて。
鏡界を展開する鏡士のアニマを内側から侵蝕していく私の体質を知りながら、精一杯の尽力で私にこの光景を見せてくれた彼と。
「…連れてきてくれて、ありがとう…ウォーデン」
「………」
ナーザと呼べ、と言いたかったろうに。そんなやり取りをする時間もない。これ以上キリカが留まればジュニアの心が保たないのだ。
諦めたように肩を竦めながら、ナーザはキリカの手を引いた。
見えなくなる景色。ビフレスト聖騎士団のアジト。
鏡士の展開する鏡界に留まれない体質。どうしようもないと分かっていた。
繋がれていた手が離される。
「キリカ」
「…はい」
混じり合う視線。真っ直ぐに射抜いてくるその瞳から発せられる意思が、嫌でも汲み取れる。
諦めていないのだ。ナーザ将軍は。あの場にいなかったにしろ、恐らくバルドも。
「忘れるなよキリカ。お前の命はお前だけのものではないとな」
必ずお前を留められる方法を見つけ出す。握りしめられた手に力がこもる様が遠目でも見てとれる。
そして、
「『必ず貴様を側におく』」
通り抜け様に肩に手を置かれて耳元で囁いていくのだった。
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ナーザが立ち去った後、漸く正気に返ったキリカはその場にへたり込んだ。
「(あ、頭の中で…ナーザの声が勝手にウォーデンの生前の声と重なって……)」
色々ダメージを食らっていたのだった。