こどくのたたかい2会いたかった。けど会いたくなかった。相反する思いがせめぎ合うこの気持ちは何なんだろうか。
「キリカ様、お怪我はありませんか?」
「…うん、大丈夫。ありがとうカーリャ」
敵軍の第一波をどうにか切り抜けた後に私に駆け寄ってきたカーリャが発した第一声は私の安否だった。
まだ油断ならないから、と私の傍を離れなかったカーリャだけど、同じ部隊の人に呼ばれて離れざるをえなかった彼女が気掛かりと言わんばかりに私の様子を伺ってきている事に何だか申し訳ない気持ち。
そもそも術士の私がこんな戦禍の最前線に送られたのは、セールンドの王の口から出たビフレストからのスパイなのではという、どこから出てきたかも分からない疑惑を晴らすためであって、戦争への参加自体に積極的ではなかった。確かにオーデンセ島を襲い、イクスや何の関係もない銀髪の住人、果ては私自身も銀髪ゆえに命を狙われたというのに、どうしても国同士での戦いというものに乗り気にはなれなかった。
『キリカ、約束してくれ。無闇矢鱈に魔鏡術を使わないでほしいんだ』
『私とも約束してちょうだいキリカ。私はキリカがキリカでなくなってしまうのは、嫌だわ』
脳裏にイクスとミリーナとのやり取りが甦る。
二人が指す魔鏡術とは、『変換の魔鏡術』の事だ。
自分自身を魔鏡化…【鏡化】《かがみか》させて魔鏡術そのものの破壊力を底上げするもの。
---同時に、現在開発中のカレイドスコープにも搭載されている、対象のアニマを抜き取って消滅させられることも、【鏡人】《かがみびと》の自身に出来ること。
「(マーナさん……)」
過去ビフレストで過ごして、最大の事件とも呼べる記憶が思い起こされる。
ビフレストで過ごした時間の記憶に、『マーナさん』と呼んでいた皇城侍女の存在が大半を占める。当時キリカは記憶を失くし朧気に残っていた『エリアス』という名前らしき言葉から、『エリアス』と名乗って過ごしていたのだ。そんなキリカ--エリアスがビフレストを離れざるを得なくなった事件。
その時まで眠っていた『変換』の魔鏡術が暴走してしまったのだ。
鏡になり得る窓や刀、剣、果ては地面に出来ていた水溜まりまで鏡化し次々砕けていき、その上鏡化し砕けた破片が次々に居合わせてしまった人々へ襲いかかって行く様は地獄絵図さながらの光景だったのだろう。
その暴走を命を賭して止めたのが、エリアスを拾い育ててくれたマーナだったのだ。彼女は鏡士でも、戦える人間でもなかった。---それでも、これ以上大切な娘が傷付いて行く様を見ていられない、たったそれだけの理由で、文字通り命懸けでエリアスの暴走を止めてみせた。
だがその結果、マーナは遺体すら残らずエリアスの目の前で砕け散ってしまったのだ。暴走したことで枯渇したアニマを補うためであろう、マーナのアニマは残らずエリアスが『食べて』しまう形に事は収束した。
あんな思いは二度としたくない。エリアス---キリカの記憶にその事は傷として鮮明に残り、もう誰に対しても魔鏡術を使いたくない。それはキリカの心底の願いでもあったのだ。
だが。
チャキ…
「(…!)」
意識が急に現実に連れ戻される。
振り向けない。だが、背後に何者かがいる。そして、当たるか当たらないかの距離で何か鋭い物が突きつけられている。
「手短に問う」
「…何を」
「何故【使わない】?」
何を、と反射的に言い返そうとして思わず口をつぐんだ。
「貴様が【鏡人】《かがみびと》だとは調べがついているのだ。加え我がセールンド軍は人口的にも明らかに劣勢なのだ」
「……何の関係が」
「ビフレスト皇国は『敵』だ。それが分からない訳ではないだろう、【鏡人】《かがみびと》」
暗に、魔鏡術を使えと言ってきているのだ。
「自分の置かれた立場を忘れたのか?我がセールンド軍の勝利のために力を使え【鏡人】《かがみびと》」
「…ミリーナとの約束があります。」
「貴様は我がセールンド軍の兵を自分のために見殺すのか?」
それではビフレストのスパイだと陛下が疑われるのも致し方あるまいな。
ざく、
「…っ」
ああ、【鏡人】《かがみびと》は血が流れないとは聞いていたが本当の事だったんだな。そう言い突き刺した剣を何の遠慮もなく動かしてくる背後の存在はほんとうににんげんなの?
「---戦果を期待しているぞ?【鏡人】《かがみびと》」
派手に切り払って行ったのか、背中を覆っていた服の布がだらりと垂れている。
---傷は、ない。
「(……私は、人間じゃ…ない)」
頭を占める刃物が体を突き抜く感覚。それはかつてビフレストの地で眠っていた魔鏡術が目覚めて暴走したあの時をより鮮明に思い起こさせて。
『敵』の襲撃を報せる鐘の音が鳴り響く。漸く話が終わったカーリャがキリカの元に戻ってきた時には既に彼女の様子は豹変していた。
正気じゃなかった。分かってる。けどもうダメなの。
セールンドは、私を。
戦場が見渡せる高台に辿り着き、三つ程の敵小隊が前進してくる様が【眼に映った】。
-------
「----っ」
胸騒ぎがした。手薄な相手軍の陣地へ三小隊程を送ることになったものの、その進軍を指揮するのは自分だ。首尾よく行けば勢力を削ぐことが出来るだろうが、先の戦いで刹那に視界に入った存在の事が気掛かりだったからだ。
「隊長、まもなく敵勢力と交戦開始の場になります」
「分かった」
隊長と呼ばれた男は再び眼前を見据えた。
-------
自身の周囲に展開される複雑な術式。普段は目視出来ない、魔鏡という目に出来る物質の形に顕現した【魔心鏡】《まじんきょう》の輝きが増していく。
---…コワイ
何に対して恐れているのか、自分でもよく分からなくなっていっていた。早くミリーナの元に帰りたい。オーデンセで過ごしたあの日々に戻りたい。
鏡精でもない。ビフレストの人間でもない。セールンドの人間でもない。
果ては---『人じゃない』ただそれだけの理由で、私は独りぼっち。
足りない、たりない、タリナイ
脳裏に過る、目を血走らせて鋭く尖った何かを向けて走ってくる『誰か』。それが、眼下に広がるビフレストの軍勢と重なった。
「(もう……私は……、)」
ふと、視界の端に見覚えのある『誰か』が映る。魔鏡術の発動は目前だ。もう止めることは出来ない。
「(---だれ、だろう……)」
徐々に薄れようとする意識の中---はっきり、見てしまった。
ビフレストの軍勢の最後方、恐らく指揮官だろう位置に。
伸ばした長い髪をポニーテールに結い上げた、記憶に残るビフレストでの友達が……バルドが。
---------
「---っあれは…!」
隊長と呼ばれた男、バルドは眼前に広がった光景に冷や汗を覚えた。まさか、セールンドが…『彼女』を。
展開されている術が何なのか迄は分からない。だがここまで大掛かりな術が危険なものでなければなんなのか。
「すぐに撤退を!【鏡人】《かがみびと》相手では勝ち目はありません!」
「隊長ですが…!」
「早く」
尋常ではない事態だと漸く理解したのか、足を止めた部隊は動揺しつつも後退を始めるが、それよりも先に『魔鏡』の光が部隊の一角へと狙いを定めたように障壁が展開される---その中には、バルドも。
「(マズイ…)」
【鏡人】《かがみびと》の有する破壊力は未知数だ。食らえば一瞬にして消し飛ぶとすら想定されているその固有魔鏡術である『変換』。
脳裏に過る義弟の顔。ここで朽ちるのか。そう考えた直後だった。
派手な轟音を立てて、魔鏡の光が地を抉った。---僅かに射角をずらして。バルドがいる位置のすぐ傍、派手に抉れた地表を目にして嫌な汗が背を伝うのが分かった。
再び『彼女』へ視線を戻す。魔鏡に光が再び収束を始めている。---今なら、連れ戻せる。そうバルドは考えていた。
だが。
口が、動いている。遠目から辛うじて見える最低限の動きで。
目を凝らして彼女の口の動きを追う。
そして読み取ってしまった。
【ご め ん な さ い】
「----っえりあ」
「隊長!早く退かねば」
手を伸ばしたかった。彼女は僕を忘れていなかった。連れ戻したかった。伸ばし損ねた右の掌を見つめて拳を握りしめ、今度こそビフレスト軍の駐屯地へと足を向けたのだった。
『二射目』が再び地表を抉ったのは、そのすぐ後だった。