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    yotou_ga

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    yotou_ga

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    次に出したいなーーーーと思ってる工場長ジュナ×ホムカルさんのお話の冒頭。

    アルデバラン0.

     水を蹴る足音がする。破れた天井から差し込む日の光を足首に絡めて、きらきらと飛沫を上げながら、青年が薄く水の張ったリノリウムの床を歩く。透ける水の中には、硝子だとか、コンクリートだとか、金属だとかの欠片が沈んでいたが、青年の裸足の足は、器用にそれらを避けていく。
     頭の天辺から足の先まで、真っ白な青年だった。着ている患者衣すらも真っ白で、ただ鋭く光る両の虹彩だけが青く澄んでいた。
     ぱしゃ、ぱしゃ、と。水音以外に生き物の立てる音は無い。あるのは壊れた建物の隙間から吹き込む風の音だけだった。風は患者衣の裾を揺らし、青年を導くように奥へと吹き抜けていく。白い青年は、立ち並ぶ円筒形の硝子容器からなる林を、黙々とただ歩く。どの容器も割れ、千切れた管やケーブルが無残に垂れ下がっていた。中には濁った液体の残っているものもあったが、そこに宿していた命はもう無い。
     水面の表面を風が撫で、漣が立つ。やがて青年は、建物の一番奥へと辿り着いた。そこにも大きな容器があり、罅割れて曇った硝子の向こうには細い管が見えた。それが青年の臍の緒だった。そこが青年の生まれた場所だった。壊れた揺り籠を前に、青年は小さく口を開く。
     白く薄い唇が誰かの名を呼んだ。それは風に舞い上がり、ただ虚しく空へと消えた。
     応える者は無い。もう誰も居ない。
     此処で起きるべき全てのことは、もう既に終わった後だった。



    1.

     初めはひとつの細胞だ。
     試験管の中に浮かぶ、肉眼では見えない微小な球。次第にその中で、二重に絡むDNA鎖がほつれ、分かたれた鎖の上をポリメラーゼが走る。相補的塩基対が水素結合を作り、複製された鎖がヒストンタンパク質に巻かれ、更に凝集して染色体を形成する。
     美しきセントラルドグマ。
     煌めく中心体が細胞の両極から糸を伸ばし、セントロメア上の動原体へと接続する。愛しき生命が、初めての有糸分裂期を迎える。染色体は各々の極へと移動し、やがて核膜に包み込まれた。細胞膜の赤道上に収縮環ができ、最初の体細胞分裂が終わる。ひとつが、ふたつになる。
     その様子をアルジュナはモニターで確認していた。組んだ指の上に顎を乗せて、黒い眼で見詰めていた。幾つかが胚盤胞になったのを認めると、キーボードを叩いて次の作業をコンピュータに指示する。母胎を求める胚の為に、培養環境を試験管から、人工子宮となる培養槽へと移行する。
     今日新たに培養を開始した十の細胞のうち、順調に発生過程を進行しているものは六つだけだ。残りは正常に卵割できなかった。ごぽり、と背後で音がする。立ち並ぶ背の高い硝子容器のうち、六つにランプが灯る。
     in vitroでは上手く行っているのだ。アルジュナの目がぼんやりと培養槽を見る。ごうんごうんと、機械の駆動音が腹の底に響いている。天井は高く、アルジュナの座る実験机の周り以外は薄暗い。この研究室で、もう何度も実験を繰り返してきた。
     胚はどんどん分裂を繰り返し、魚に近い形になる。かのエルンスト・ヘッケルによれば、個体発生は系統発生の反復であるという。誰であれ発生の最初は、この小魚に似た姿から始まる。分かってはいるが、いつだって、これがヒトの形になるとは信じがたい。
     ヒトの形にはなる。だが、培養液に浮かぶこれはヒトではない。現に今も、ヒトではあり得ない速度で成長している。これはホムンクルスという。フラスコの中の小人。御伽噺の中では、腐敗した人間の精液に血液を与えて作るとされている、架空の人工生命体。そして現代においては、その製造方法は理論上、科学的にほぼ確立されている。精液も血液も使わない。必要なのは人体を構成する原材料たる物質と、正しい反応式である。
     そして未だ、誰も完璧にはその製造に成功していない。もしかすると、アルジュナが知らないうちに誰かが成し遂げたかも知れないが、アルジュナにそれを知る術はないし、関係ない。せめて一片でも肉片が残っていたのなら、クローンという手段もあった。その方がずっと簡単だった。何もかも消え去ってしまったので、アルジュナにはこの不確かな道しかない。
     全ての成功例は試験管内だけだ。硝子容器から出て、この世界に生まれ落ちることに成功した事例はない。アルジュナにしたってそうだ。何度も実験を繰り返したが、作り出したホムンクルスは皆、知能を得ることができず、培養液から出すと息絶えてしまった。
     誰も聞くことのない溜息を吐き、アルジュナは席を立った。白衣が翻る。この研究室は一日中暗いが、今は朝だ。リノリウムの床に革靴のコツコツという音を鳴らして、奥のドアへと向かう。
     暗い廊下を行く。建物の照明は、研究に必要なものを除いて切っている。発電機は全て正常に稼働しているとはいえ、無駄遣いする気にはなれなかった。
     植物研究棟のドアを開くと、眩しい光がアルジュナの目を灼いた。何度か瞬きをして目を慣れさせる。息を吸い込むと、湿った土の臭いが鼻を擽った。
     アルジュナは植物の様子を見て回る。ここに植えられているのは野菜やハーブが主だ。水やり、肥料の供給、種まきまでも全自動で管理されており、何もしなくとも勝手に育つのだが、それでも毎朝状態を確認することにしている。昔はここで品種改良なども行われていたが、今はただ惰性で動いている植物工場だ。
     収穫だけは人力である。少し前に、自動収穫装置が上手く動かなくなってしまった。修理する為の部品がないので、以来朝の様子見のときに、実った作物があれば収穫している。今日はトマトの実が熟していたので、二つほどもぎ取った。
     手にした赤い実をじっと見詰める。毎朝のことだが、植物研究棟に来るといつだって、かつてここに居た人間の姿を思い出す。アルジュナ、と名前を呼ぶ声が頭の中に響く。その音声が、日々段々と不明瞭になっていくことをアルジュナは恐れる。
     人の記憶は声から失われて行くという。まだ思い出せる、とアルジュナは自分自身の記憶を確認した。まだ大丈夫だと言い聞かせる。白色LEDの強い光が足下に濃い影を作っている。もがれたトマトの青い匂いが、いつかの夏を想起させる。
     植物研究棟を出ると、アルジュナは次に居住棟へと向かった。廊下を抜けた先には、モスグリーンのドアがずらりと並んでいる。その手前から三番目の部屋に入る。数十ある他の部屋は、現在はどれも使われていない。
     冷蔵庫を開け、前日に収穫した培養肉とパンを取り出した。培養肉はパテに似た食感で、パンは硬くぎっしりとしている。どちらもこの研究所で合成したものだ。アルジュナの本来の研究でもある。
     簡易キッチンのIHヒーターのスイッチを入れ、フライパンに油を引く。培養肉を放り込んで塩を振った。胡椒は大分前に切らしてしまっている。ピペリンを合成して代用しようかとも考えたのだが、止めた。どうせ使うのは自分だけだし、自分しか使わないのなら必要ない。必要な栄養さえ摂れていればそれでいい。
     焼けた肉を、トマトと一緒にパンで挟んでサンドイッチにする。それを皿に載せて研究室へと戻る。培養中の個体の様子を見ながら食べようと思った。
     足音が虚しく廊下に反響する。静けさがしんしんと床に降り積もる。
     研究室に戻ると、六つ稼働していた筈の培養槽のうち、四つが既に動きを止めていた。発生が正常に進行せず、これ以上の培養は無意味と判断して、機械が自動で停止したのだ。実験机にサンドイッチを置くと、アルジュナは無感動にキーボードを叩いた。培養液が硝子容器から排出され、途中までしか育たなかった個体が、アームによって取り出される。いつものことだ。
     少しずつ条件を変え、何度も培養を試みているが、ちゃんと成長するものはごくひと握りだ。試験管環境外で生き延びられる個体を生み出す以前に、元々の成功率がかなり低い。意識の獲得など、夢のまた夢だった。
     残る二つの培養槽を確認し、吐き出されたデータを見比べる。より数値の良い方を選び、もう一体は廃棄処分にした。どのみち同時に完成させられるのは一体だけだし、アルジュナに必要なのも一体だけだ。不要になった身体が運び出されるのを横目に、アルジュナは実験机の引き出しを開ける。収まっているのは楕円を象る赤い石だ。クッションの上に置かれた紅玉をそっと取り出すと、アルジュナは最後の一体が浮かぶ培養槽へと向かった。
     硝子容器の横に機械があり、そこに投入口が取り付けられている。本来ならば薬品などを手動で追加するための設備だが、アルジュナはそこに、赤く光る石を入れた。容器内のアームが石に伸び、傷つけないよう静かに掴む。そしてゆらゆらと浮かぶホムンクルスの胸に、その石を押し付けた。
     石は容易に肉に埋まり、定着した。拒絶反応はない。ほっと一息吐いて、アルジュナは硝子の表面を撫でた。今のところは上手く行っている――どうせ今回も駄目だろうが。期待と諦念の狭間で、ぬるい硝子に寄りかかる。
    「カル、ナ」
     数日ぶりに出した声は喉で引っ掛かり、アルジュナは咳き込んだ。けほけほ、と噎せる音は機械音に飲み込まれる。不明瞭な中に、ごぽりと泡の立つ音。海の中で話している気分になった。孤独の海だ。
    「カルナ」
     今度ははっきりと、白いかんばせに語りかけた。何もかも白い。髪も、閉じたままの瞼を縁取る睫毛も、唇も。僅かな時間で、ホムンクルスは幼児と呼べる大きさにまで成長していた。十月十日など待っていられないのだ。あっという間に少年の過程を飛び越えて、青年へと続く階段に足を掛ける。
     成人にまで達したら、培養液を抜いて、彼を空気に触れさせる。今まで大人に成長した個体は僅か三体。そのどれもが、培養液から出しても言葉を発するどころか、自発呼吸すらままならず、アルジュナの目の前で弱々しく静かに死んでいった。恐ろしかった。
     その度に、もう止めようと思わなかったわけでは無い。数日は研究室に入るのも嫌で居住棟へと引きこもった。それでも諦めきれない自分を、アルジュナは自嘲する。積み重ねた失敗作は幾つになったか。
    「はやく、お前に会いたい」
     言葉にすると肺が痛んだ。磨り減った希望が、アルコールのように喉を灼く。
     白い身体に接続されたケーブルが僅かに揺れた。硝子を撫でると、指が擦れて音が鳴った。まだ幼い小さな身体は、夢の中でそれを聞いていた。



     夜中に警報が鳴った。
     耳をつんざくアラートで、アルジュナは一気に眠りから浮上した。慌てて飛び起き、枕元の端末を確認する。時刻は午前二時過ぎ、警報が伝える内容は、培養槽の異常だった。
     心臓が嫌な音を立てた。サンダルを突っかけて、乱暴にドアを押し開ける。パタパタと足音を後に残しながら、全力で真っ暗な廊下を駆ける。端末にはエラーの詳細が送られて来ていたが、確認している余裕は無かった。
     研究室までの距離をこんなに遠く感じたのは初めてだった。殆ど蹴り開ける勢いでドアを開くと、明滅する赤いランプが室内を照らしているのが見えた。培養槽へと駆け寄る。
     今回の実験で、最後に残った一体のホムンクルス。彼が収められていた培養槽からは、今まさに培養液が排出されているところだった。培養槽の底に白い身体が沈んでいる。見れば、彼に接続されていたチューブが全て抜かれていた。
    「カルナ」
     こんなことは初めてだった。今まで幾体ものホムンクルスたちを見送ってきたが、培養中にエラーが起きたことなどなかった。ようやっと目を落とした端末には、何らかの原因でチューブがホムンクルスから抜けたのだと表示されている。呼吸や栄養の補充、つまり臍の緒の役目を担うチューブが外れたことで、培養液中でのホムンクルスの生存が困難になり、自動的に排水が行われたようだった。
     だがこのチューブは勝手に外れるようなものではないのだ。
     アルジュナがキーボードを叩くと、硝子の円筒が床に沈み込み始めた。何にせよ個体を外に出さねばならない。ホムンクルスに動く様子はなく、呼吸を行っているのかも外からでは分からない。
     少年から青年への途上にある身体が、ランプの赤光に照らされている。濡れた肌を滑る水滴が、すっかり空になった培養槽の底に伝い落ちた。アラートの音が鼓膜を叩くのを、何処か遠くに感じていた。何も聞こえていなかった。
     底にぺたりと座り込んだ身体に、アルジュナは手を伸ばした。水の滴る白髪が少年の顔を影にして隠している。
     頬に手を添えると、ひくりと、微かにホムンクルスの身体が震えた。生きている。少なくともまだ。
    「カルナ」
     期待は捨てろと自分に言い聞かせた。そもそも未完成品だ。充分に育っていない。今回もどうせ、このまま弱って死んでいくのだ。意識して平静を保ちながら、ホムンクルスの濡れた前髪を手の平で掻き上げる。
     目が合った。
    「あ」
     思わず、アルジュナはぽかんと口を開いたまま固まってしまった。
     あまりにもはっきりと、意識を宿した双眸がアルジュナを見詰め返していた。水滴に光る睫毛に縁取られた、まあるい目が、ぱちぱちと瞬きする。明滅の中、子供らしい形をした唇が、何度か小さく開閉を繰り返している。
     やはり呼吸が出来ていないのだろうか。確認しようと唇に触れた指先は、しかし振動を知覚した。
    「あ、……じゅ」
     柔らかな唇が音を紡いだ。たどたどしい発話。覚束ない舌の動き。途切れ途切れのそれは、アルジュナが待ち望んでいた音声だった。冬枯れの枝にぶら下がる干からびた果実に、空から降り注ぐ一滴の瑞雨。言葉をなくすアルジュナに、ホムンクルスは首を傾げる。白い腕を持ち上げようとして、上手く力が入らなかったのかバランスを崩した。咄嗟に小さな身体を支えたアルジュナの腕に染み渡るのは、生命の温度だ。
     成功したのだ。
     実感がじわじわと追いついてきた。これは明け方の夢では無いのか。水面を漂う泡沫の如き、薄明の幻では無いのか。
    「あ、る、じゅな」
     アルジュナの腕の中で、先ほどよりかは幾分明瞭に、ホムンクルスが彼を呼んだ。赤い明滅の中、鼓膜を突き刺す警告音の中、彼とは異なる幼い声で。
     喉を何かがせり上がってくる感じがして、アルジュナはホムンクルスを強く抱きしめた。少年はされるがままに、アルジュナへと身体を預けた。濡れるのも構わずに生まれたての柔らかな肌に頬を寄せる。早くタオルで拭いてやらねばならなかった。頭では分かっているが、何だか力が抜けてしまって、ただ空を知らない雨が密かにホムンクルスの肩に零れ落ちた。
    「カルナ」
     今日までの無味乾燥とした日々が、今は一瞬のことに思えた。如法暗夜の末に、漸く光を目にした彼は、それが自分が失った太陽なのだと確信していた。
    「おかえり」
     その呪いの言葉が、最後の物語の始まりだった。
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