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    yotou_ga

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    老いての旅路、ヒマラヤで足を滑らせたアルジュナが死んでいく話。微グロ

    蛍石と丁香花 死ぬ、とは、削ぎ落とされるということだ。
     人は生まれるときに、身体を与えられる。魂という脆い石を、骨格でできた籠の中に収め、肉で覆う。世界を見るための眼を眼窩に収め、外界に触れる為の肌を得る。そうして生み出された生命は、自分の足で歩き、言葉を語り、少しずつ、少しずつ得たもので、自らを形作っていく。経験と知識と鍛錬の肉で身体を鎧い、子供から大人へと成長していく。
     そうしてあるときから、成長は死へと転ずる。鍛えた肉は徐々にしぼみ、肌はその張りを失い、両の目は曇る。如何なる人間にも、そのときは必ず訪れる。例え神に愛されようと、その結末は誰であれ、変わらない。



     アルジュナは重たい息を吐いた。カラカラに乾いた吐息は、それでも白く曇る。
     明灰色の曇天が空を覆っていた。淡雪が、木犀の花びらのようにちらついている。その一片が頬に触れたが、何も感じない。アルジュナの老いた身体は冷え切って、痛みさえどこか遠くのことに思えた。
     痛み。のろのろと上を見上げる。聳え立つ崖の、あの上から落ちたのだ。ここまでどうにか登ってきたが、遂に足を滑らせ、他の兄弟と同じように、最後の旅路から脱落したのだった。
     滑落の際、身体のあちこちを岩肌に打ち付け、骨は砕かれ、皮膚を裂かれた。その断片は岩にこびりついている。腕からも、足からも血が流れ出し、積もり積もった白雪を赤く染め溶かしている。
     意識が朦朧としていた。
     左腕の肉が削げて、薄桃の膜が張った骨が露出していた。ああ、こうして私は失われて行くのだ、とアルジュナは思った。人として成長し、鍛えてきた肉を、今ここで剥ぎ負わされ、死者の列に並ぶ。知識も、経験も、それを使いこなすために行ってきた努力も、注がれた愛情も。全てを天にお返しして、ただの魂へと還っていく。ひとかけらの、無垢な石へと。
     それは解放だった。喪失よりも、解き放たれたという感が勝った。
     もう応えなくてよいのだ。注がれた愛情、与えられた祝福、定められた運命。アルジュナは赦されたのだ。山頂までの道程を途中で脱落し、もう良いのだと、死出の旅路を許された。安らぎに満ちた孤独な死の夢が、アルジュナを迎えようとしていた。
     だのに。
     穏やかではなかった。痛みの為ではない。折れて砕けた骨の所為でも、引き裂かれた肉の所為でもなかった。痛みに呻いていたのは、身体ではなく、魂だった。石ころに刻まれた消えない罅が、凍てつく寒さに震えていた。
     あの一矢が、今も焼き付いている。クル・クシェートラで、カルナを討ったあの矢だ。それは若い頃の過ちだった。否、あれは勝利の為の一矢であったのは間違いない。例え卑怯な矢だとしても、必要なものだったのは全く確かだ。ずっとそう言い聞かせようとしてきた。けれど死の間際になり、あらゆるものから解放されようとしているときでさえ、アルジュナはその傷を手放したくなかったのだ。
     神にも、人にも愛された人生だった。ずっとそれに応えてきた。願われたから戦い、沢山の敵を倒してきた。だがあの男だけは。カルナは、俺が自分の意思で、戦う相手と定めた男だった。悔恨がアルジュナの肺を締め上げる。ならば正しい矢で倒すべきだった。そうしなかったから、こんな死の間際に、まだあの男のことを考えている。
     輪廻はアルジュナの魂から、この慚愧をも剥ぎ取ることだろう。それは嫌だった。誰にも、神にさえ、この記憶を渡したくはなかった。
     だから手を伸ばした。いつの間にか、曇天の隙間から、一条の光が差していた。眩い糸は、アルジュナに手を伸べていた。輪廻の流れを拒むのなら、お前に座を与えようと。その代わりに、永遠に戦い続けることを由とするならば。
     迷わなかった。服が裂け、血の流れる腕を、必死に空へと掲げる。空は応えた。漏れ出した光の暖かさと苛烈さは、あの男の鎧を思わせた。青空が見えないことが惜しかった。そして失われゆく身体から、魂がそっと取り出され、彼方にある座へと引き上げられた。救済を捨てた代わりに、剥ぎ取られた全てが返ってきた。身体も、心も、あの男を殺した若き日へと、遡っていく。
     そうしてアルジュナは座へと就いた。後悔という傷を、魂に収めたままで。
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