近くて遠い、君を知る(しょくカレ) 綺麗な星空だった。皆で並んで綺麗な月と星を眺めていたのだが、一人また一人とおやすみと告げて戻っていった。その中で、何となくこの景色を終わらせるのが惜しいと思っていつまでも居座っていたカレーパンマンは、隣に座るしょくぱんまん以外の仲間たちが全員いなくなったことに気づいた。気づいて、余計に戻りがたくなってしまった。
こんな風に、静かに、穏やかに、二人きりでただ星空を眺めるだけの時間が、どうしようもなく大切だった。誰にでも優しいしょくぱんまんの隣で、ほんの少し砕けた口調で接してもらえる仲間で兄弟という立ち位置を、改めて感じることができるからだ。別に自分が特別だと思っているわけではない。ただ、その他大勢よりは少しだけ、彼に近いところにいられると思うだけだ。
黒と濃紺の間のような夜空に無数にきらめく星々は、とても美しい。女性陣は宝石のようだと言っていたが、確かにその通りだなぁとカレーパンマンも思う。絶対に手が届かない、つかめないと分かっているからこその極上の宝石だ。眺めているだけで心が満たされる。
そんな中、ちらりとカレーパンマンは傍らのしょくぱんまんを見る。優しい微笑みを浮かべて夜空を見上げる横顔は、今日もいつも通り美しかった。整った顔立ちに、柔和な微笑みがよく似合う。けれど決して軟弱な印象は与えず、その内側に抱えた強く気高い魂を感じさせる横顔だ。
……カレーパンマンが何より好きな、頼れる大切な仲間の顔でもある。
だからだろうか。ゆるりと口元に笑みを刻んで星空を眺めるしょくぱんまんを見ていたカレーパンマンの口から、言葉がこぼれ落ちた。
「綺麗だな」
それは自然にこぼれた言葉だった。星空を見つめるしょくぱんまんの横顔がどこまでも美しくて、手の届かない場所にある星々と同じように、決して自分が触れることは出来ないのだと思ったら、呟いてしまっていたのだ。
そんなカレーパンマンの言葉に、しょくぱんまんは穏やかな声で応える。その視線は相変わらず、星空を見上げていた。
「えぇ、とても綺麗ですよね。今日は天気も良くて空気も澄んでいますから、いつも以上に星がよく見えます」
ね?と確認するような言葉だけは、カレーパンマンを見て告げられた。優しい笑顔だった。美しい笑顔だった。彼がその身にまとう白と同様に、何一つ歪みを宿さない美しさであった。
だからだろうか。カレーパンマンは考えるより先に、言葉を発してしまっていた。
「いや、星空じゃなくて、お前が綺麗だと思って」
「……え?」
「……ぁ」
ぱちくりと瞬きを繰り返すしょくぱんまんの姿に、カレーパンマンは自分がマズいことを口走ったと理解した。それでも、どういう意味ですかと言いたげにきょとんとしているしょくぱんまんの姿に、まだ巻き返せると思った彼は焦ったように言葉を続けた。
「いやほら、女子どもがいつもお前のことを、素敵だとか格好良いとか言ってるからさ。あぁ、確かに美形だなぁって思ったんだよ」
「何ですか、突然」
「別に良いだろ。いつも皆に言われてんだし」
いつもの口調で、小っ恥ずかしいことを口走ったと言いたげな素振りで告げるカレーパンマンに、しょくぱんまんは苦笑する。その笑顔はいつも通りの笑顔で、自分の言葉を彼が額面通りに受け止めたのだとカレーパンマンは理解する。理解して、ほんの少しだけ、胸が痛んだ。
誤魔化したのは自分だというのに、気づかれたくないと思っているのに、目の前で何一つ届かなかったという現実を理解すると、どうしようもなく苦しくなる。恋は厄介だと胸中でごちて、それでもカレーパンマンはいつも通りの顔で笑っていた。
そんなカレーパンマンの気持ちに気づいてなどいないだろうしょくぱんまんは、困ったような顔で、少し照れたような表情で、言葉を発した。
「確かに素敵とか格好良いとかは言われますけど、綺麗は言われたことはないので……。それに、貴方に言われるとなんだか照れますね」
はにかんだようなその笑顔に、何の歪みもない真っ白な笑顔に、カレーパンマンは思わず一瞬だけ顔をしかめた。すぐに取り繕っていつもの顔になったけれど、胸中をうずまくもやもやは消えない。
そんな風に、まるで自分がその他大勢とは違う特別なのだと期待させるようなことは、言わないでほしかった。誰にでも優しいしょくぱんまん。今の言葉だって、その他大勢の知人と、パン工場関係の仲間や兄弟とは違うという意味での別枠に過ぎないのだ。カレーパンマンは、それぐらいちゃんと理解している。
理解していても、恋心を拗らせた男にはなかなかに苦しくて、つい思わず、なじるような言葉を投げかけてしまっていた。
「んなこと言って、どうせ俺もその他大勢と同じ大事な相手でしかねぇんだろ」
「……え?」
「……何でもねぇよ。忘れろ」
まるでだだをこねる幼子のようなことを言ってしまった自覚はある。カレーパンマンはバツが悪そうな顔でしょくぱんまんから目をそらした。仲間で、兄弟で、その他大勢よりはちょっとだけ彼に近い立場で良いと思っていたのに、改めて突きつけられるとどうしようもなく苦しいのだ。
自分ばっかりが好きなのも腹が立つ。自分だけが振り回されているのも腹が立つ。けれど何より腹が立つのは、明確なことを告げて玉砕する覚悟もない、腑抜けた自分だった。
これでは八つ当たりも同然だった。せっかく、綺麗な星空を二人でゆっくり眺めるなんて特別な時間を過ごせていたのに、台無しだ。いつも通りの顔で、いつも通りの言葉で、取り繕わなければいけない。
そう思ってそらした視線を再びしょくぱんまんに戻したカレーパンマンは、思わず息をのんだ。自分を見つめるしょくぱんまんの表情が、今まで見たこともないものだったからだ。
真剣な顔だった。それなら見たことがあるけれど、その眼差しの奥底に宿る感情は、見たこともないものだった。なんと言えば良いのか分からない。ただ、強い感情がそこにあると分かるだけだ。
「……しょくぱんまん?」
どうしたんだよ、といつも通りの口調で告げようとして、喉が張り付いて乾いた声になったことにカレーパンマンは気づいた眼前のしょくぱんまんの気配に、どうしようもなく気圧されている。何が起きているのか分からないほどに。
そんなカレーパンマンを見て、しょくぱんまんは困ったように笑った。それは先ほどまでの照れ隠しのようなそれとは違って、どこか寂しそうな何かだった。思わず、手を伸ばしたくなるような、そんな危うさがある。
「貴方は大切な仲間で兄弟ですよ。その他大勢とは違います」
「……へいへい。アンパンマンたちと同じ、大事な仲間な」
「…………そう思えていたら、良かったんですけどね」
「あ?」
自嘲めいた呟きが聞こえて、カレーパンマンは眉間にしわを寄せた。こいつは何を言っているんだと言いたげな顔になる。そんなカレーパンマンに、しょくぱんまんはすみませんと謝った。
謝られる理由が分からないカレーパンマンは首をかしげる。そんな彼に対して、しょくぱんまんはそれ以上何も言わなかった。ただ、寂しそうに、悲しそうに、決して手が届かない宝物を見るように、カレーパンマンを見つめている。
その眼差しに、カレーパンマンは言葉を奪われる。いつも誰にでも優しい紳士なしょくぱんまんのそれとは違う。個人としての感情を詰め込んだその視線は、目をそらすことが出来ないほどにカレーパンマンを捕らえた。
そんな都合の良いことがあるわけがない。そう言い聞かせる理性と裏腹に、本能は一縷の望み、その可能性に賭けろと叫んでくる。誰が相手でも優位を崩さない兄弟分の、こんな顔を見るのは初めてだったからこそ。
思い切りが良いのは、カレーパンマンの美点だった。そもそも、アレコレ考えてうじうじ悩むのは彼本来の性質ではないのだ。
「なんだよ、それ。まるで俺が、他とは違う特別みたいな言い方じゃねぇか」
「……」
おどけるようなカレーパンマンの言葉に、しょくぱんまんは何も言わなかった。ただ、寂しげに微笑んでいる。端整な顔立ちに浮かぶ柔和な微笑みはいつも通りなのに、眉がちょっと下がって寂しげで、それなのにその瞳に宿る感情はどこまでも強い。
それでも、しょくぱんまんはそれ以上何も言わなかった。言えないのだと、カレーパンマンは気づく。ずっと側にいて、ずっと彼を見ていて、色々と雁字搦めになる生真面目な性格だと知っていた。だからきっと、今も彼は、胸の内を吐き出すことなく抱え込んでいるのだ。そう、理解した。
なんだそれ、と思わずカレーパンマンの口から言葉がこぼれ落ちる。それはどこまでも軽い声音だった。明るい声音だった。本当に、この兄弟はどうしようもないなと言いたげな響きが含まれていた。
自分で自分に枷をはめて、目隠しをして、何でも無いことのように笑って、そんな風にしょくぱんまんは生きてきたのだろう。今までのカレーパンマンと同じように。もしかしたら、今が壊れることを恐れていたのは同じであったのかもしれない。
それなら仕方ねぇなぁと、カレーパンマンは思う。慎重派の、どうしようもなく臆病な兄弟の代わりに、豪快に一歩を踏み出すのはいつだって彼の役目だった。それでちょっと失敗しようが、最後に巻き返せれば彼らの勝ちだった。だから、これも同じだと自分に言い聞かせて、行動に移す。
ぐいっとしょくぱんまんの腕を引く。驚いたように目を見張るしょくぱんまんの隙を突くようにして、カレーパンマンはかすめ取るように唇を重ねた。触れるだけの、一瞬だけの口づけ。声も出せずに固まるしょくぱんまんに向けて、カレーパンマンはからりと笑った。
「俺も大概だけど、お前も色々拗らせすぎなんだよ。何だよあのわっかりにくい態度!隠蔽上手すぎんだろ」
「……えっと、あの、……えぇえ……?」
「何だよ、今のでわかんねぇの?それならもう一回……」
「いえ!分かりました、分かりましたからちょっと、待ってください!」
「あいよ」
顔を真っ赤にして必死に訴えてくるしょくぱんまんに、カレーパンマンは素直に従った。こちらも少しばかり顔が赤いが、それは見逃してもらいたい。何せ、勢いに任せてやったとはいえ、ファーストキスである。色々と思うところはあるのだ。
それはしょくぱんまんも同じだったのか、状況を理解して一番に彼が告げたのは、恨みがましげな一言だった。
「……せめてこう、もうちょっと情緒とか何かなかったんですか、貴方……」
「お前、そういうとこロマンチストだよな」
「悪かったですね!」
別に減るもんでもなしと言いたげなカレーパンマンに、減りますよ!としょくぱんまんは訴える。少なくとも、初めてという意味では減った。消えたともいう。
こんなのありですかとブツブツとぼやく兄弟分を見て、こいつ面倒くさいなぁとカレーパンマンは思う。ちゃんと両思いだったのだからそれで良いではないかと、物凄くあっさりとしているカレーパンマンには到底理解できないこだわりがあるようだった。
ジト目で見てくるしょくぱんまんに、カレーパンマンはひょいと肩をすくめる。まるでこちらだけが悪いと言われるのは理不尽だったので、素直に思っていることをぶちまけた。
「そっちこそ、ずーっとその他大勢と同じ、ただの仲間って態度とり続けてきたじゃねぇか。俺はちょいちょい特別感出してたのに、お前は全然違うし」
「……ぅ、それは、その……」
「何だよ」
「……だって、貴方は普通に女の子が好きでしたし、見せたら距離を取られるかなと、思って……」
私が貴方を傷つけるのも嫌でしたし、とぼそぼそと続けられた言葉に、この頭でっかちとカレーパンマンはにべもなく言い捨てた。発言に容赦が無い。
それでも、その飾らない言葉は彼がしょくぱんまんを好きだということの裏返しでもあったので、しょくぱんまんは甘んじて受け入れていた。過去がどうであれ、今のお互いの気持ちが同じだと分かって、少し余裕が出来たのもある。
「ねぇ、カレーパンマン」
「何だよ」
「貴方を好きで、良いんでしょうか」
「……お前、この期に及んでそれを聞くのか……?」
呆れたようなカレーパンマンに、しょくぱんまんは聞きたいんですと答えた。ちゃんと言葉で知っておきたい、と。自分の勘違いではないのだと確かめたい、と。生真面目で、思いやり深くて、雁字搦めになってしまうからこその、願いだった。
そんなしょくぱんまんに、カレーパンマンはやれやれと言いたげに肩をすくめる。そして、いつも通りのからりとした笑顔で告げる。
「そんな当たり前のことを今更聞くんじゃねぇよ。俺がお前を好きで、お前が俺を好きでそれで丸く収まってんだから」
「……はい」
答えてから、カレーパンマンはごろりとその場に寝そべる。そして、満天の星空を見上げながら綺麗だなーと告げる。……その顔は隠しようもないほどに赤く染まっていて、今の台詞が彼の照れ隠しなのだとすぐに分かる。
そんなカレーパンマンの隣に寝そべって、しょくぱんまんはそっと手を握ってくる。一瞬驚いたような顔をしたカレーパンマンだが、すぐに同じだけの力で握り返してきた。それが答えだと言うように。
二人並んで夜の星を眺める。もう少しだけ、この時間を共に過ごしたいと願って。誰にも邪魔されない静かな時間を、彼らは共に過ごすことを選んだ。
誰よりも近くて、誰よりも遠かった大切な半身の、その抱えた感情を彼らはやっと、知るのであった。
FIN