0段目。地べたにしゃがみ込んで談笑する男たち。暇をもてあましているのだろう。
8段目。手すりにもたれかかってナマコフォンをいじるゲソの長い女。たぶんナンパ待ち。
15段目。ブキを背負って熱心に話し合うグループ。これからバトルなのかも。
27段目。死んだ目でのそのそと下りてくる2人組。商会でよく見る顔。
ロビーに続く階段を見上げていた。
32段。今まで数えたこともなかったし、毎日当たり前のように上り下りしていて特別に意識することなんて一つもない。なかった。でも、こうやってあらためて俯瞰してみるとなかなかに厳しい高さだと思った。少なくとも今の俺たちにとっては。
「裏通りから行こうか。少し遠回りだけど」
俺は隣に立つ連れを一瞥することもなくそう提案した。相手が口を開くまえに「今日は無理しないでおこう。また今度、頑張ればいい」と付け足す。
「……うん。ありがとう」
当然のように俺の発言を好意と受け取った友人が松葉杖をついて踵を返す音がする。
つられるように俺も目を向けて、それからゆっくりと足も向けた。前方にちんたらと進む後ろ姿。
回り道を申し出たのはこいつが見せ物のようになるのを慮ってじゃない。俺が恥ずかしいからだ。
あちこちに顔の広いこいつがこんなにも人の多い、まさしくこの街の象徴のような場所でみっともなく階段に苦戦しはじめたら一体どうなる?
男どもに遠巻きに眺められて、女どもに親切に取り囲まれて、となりで献身的に肩を貸す俺も一緒に好奇と同情の視線を向けられて、2人でえっちらおっちらと重い物を持った幼児のようにあの長い距離を上っていく、ああ、想像もしたくない。そんなのまっぴらだった。
人通りがなくなったとたんにリーダーはふり返って俺の顔を見つめた。意図を察して隣に並んでやると、流れるような動きで俺の肩に腕を回し、体重を預けてくる。そうされると俺もついいつものように、今までのように支えてやってしまう。反射的なものだ。何でもかんでもこいつのアシストをすることが身体に染みついている。ただ、まあ、誰も見ていないここだったら手伝ってやっても良いかもしれない。
裏通りにはあちこち傾斜があるが、あの大階段に比べればよほどマシだった。それでもリーダーはちょっとした小坂ひとつ上り降りするのにじっとり汗をかいて真剣な表情になっている。そんなに苦労するくらいならまだ家で大人しくしていればよかったのに。
なぜだか思い出したのは、愛用のジムワイパーを携えて軽快に戦場を駆けぬける姿だった。誰もが目を奪われる無比の強さ。華やかな大立ち回り。目の前で必死にあがく無様な姿とはどう考えても結びつけられない。ああもう俺の憧れていたこいつは本当にどこにもいないんだ、と今になって実感する。こいつには何もなくなってしまった。唯一残されているのは、触れ合った身体から伝わるぬくもりだけだった。
* * *
一ヶ月前、リーダーが大きな怪我をした。
幸い命に別状はなかったものの相当な重傷で、リハビリを続けたところで日常生活に支障が出ない程度まで回復できるかどうかも分からない、というのが医者の見解だった。
とてもバトルどころではない。そう、当たり前だ。もう二度とバトルは出来ない。
『君はプロを目指していると聞いたが、残念だが身体を使う仕事はもう無理だ、やめたほうがいい。頭を使って稼ぐ方向にシフトしてはどうか? 大学も最上位のところに通っているようだし』
実際には細心の注意を払った言い回しで、もちろんタイミングにも気を遣って話してくれたのだろうが、結局は要約するとこのような内容だったという。
病床のリーダーから静かにそう報告されとき、俺はたぶん本人よりも動揺していた。
もう二度とバトル出来ないだって? 誰よりも未来を嘱望されていたこいつが? じゃあ俺の数年間は、脇目もふらずこいつに尽くしてきたこの数年間は。
こいつの輝かしい未来が潰れた瞬間に、俺の将来図も砂塵のごとく無に帰した。
肝心の本人は、嘆く、落ち込むというよりは想定外の展開についていけず呆然としているように見えた。もし、ここでこいつがあっけらかんと前向きな発言でもしようものなら、きっと俺はその場で発狂して掴みかかっていただろう。お前はすべてを失ったんだぞ、わかってんのか? もう俺がお前に構う理由もなくなったってことだ。俺の時間を返せ。今までの時間と労力ぜんぶ返せよ。お前が、お前がくだらない事故なんかに遭うから!
……今思えば、そうやって全部吐き出して叩きつけてしまったほうがよかったのかもしれない。そうすれば俺は今頃とっくにこいつの世話から解放されていただろうに。
そのとき俺ができたことはといえば、ただ無言で突っ立っている、それだけだった。いや、違う、そうだ、リーダーの表情に。おかれた状況を実感できず感情もついてこず、それでも俺のことをまっすぐに見つめるその美しい顔立ちにたしかな既視感をおぼえて、ひたすらに自分の記憶と照らしあわせていた。
入院中はいろんな奴らが入れ替わり立ち替わり見舞いに来た。バトルで組んでいた奴ら、バイトで組んでいた奴ら、そのどちらでもないただのファン、自分をこいつの友人だと思い込んでいる有象無象ども、面会時間のあいだひっきりなしに訪問客がやってきて、見舞いの品も多かった。何度も果物の皮を剝かされたし、小さく切り分けた果実をリーダーの口に運んでやらなければならなかった。病床のリーダーはそんなにたくさん食べられないから、残った分はけっきょく俺の胃袋行きだ。
なかでもバトルをやっている層の手土産は豪勢だった。復帰したらあわよくば同じチームに引き入れたいとでも思っていたんだろう。残念ながらその願いが聞き入れられる可能性はもうないのだが。
最初は起き上がることすらできなかったリーダーはみるみるうちに回復し、退院まで数ヶ月はかかるとも言われていたところ、持ち前の生命力の高さゆえか二週間ほどで病床を脱してみせた。
そして今に至る。俺たちはようやくロビー前の広場にたどりついていた。
目的は見舞いに来ていたXP3000超えバケモノ集団への礼と報告だ。どいつもこいつも貢物の本気度が他とは段違いだったし、リーダー自身の彼らに対する関心も高い。退院したとはいっても療養中の身なのだからまずは電話で済ませたらどうかと提言はしたのだが、入院中すごくよくしてもらったからどうしても直接会って話したいと言って聞き入れられなかった。リハビリを兼ねての外出、しわ寄せを食うのは俺。
「……じゃあ、俺はここで待ってるから」
そう声をかけると一瞬だけ群青色の瞳が揺れた。まさか中までついてきてくれるとでも思っていたのか? 今までは俺をさんざん便利な足代わりに使ってあいつらと遊んでいたというのに、こんな時だけ一緒についてきてくれってか。
「わかった。行ってくるね」
少しばかりの逡巡のあと、結局リーダーは頷いた。不安だから来てよ、なんて言えるわけがない。そこまで甘え合う関係ではないし、あいつらと会うのに別に俺がいてもいなくても大差ないと考えたんだろう。
松葉杖をつきながらのろのろとロビーの中へ消えていくリーダーを見送る。
俺は煙草を取り出して吸いはじめた。
あいつがXP3000超え集団の前に俺を引っ張りだすのは、きっと大きな大会で優勝したときや有名な選手に勝って名を轟かせたときになるだろうと思っていた。興奮そのままの勢いで親友の俺に抱きつく。俺も抱き返す。頬を蒸気させたリーダーは得意満面で俺にゲソバンプを求める。「すごくない!?」と称賛の言葉を求める。ああすごいよ、お前は世界一強い、俺はそう答える。そして周囲に知らしめる。こいつが、この唯一無二の天才が誰よりも最初に喜びを分かち合おうとするのはこの俺なんだ、お前らじゃなく俺。見たか小物ども。
俺が向けられたかったのはそういう羨望の視線だった。
もう今行ったところで得られるものは何もない。むしろ不愉快な思いをする可能性が高いだろう。
煙草も吸い終わってしばらく手持ち無沙汰に座っているとふたたびロビーの入口が開いた。
出てきたのはリーダーだけだった。
表情は明るくない。これは中で何かあったなと察した。
「……おまえが」
リーダーがぽつりと零した。
聞きたくない。無視をして「早かったね。行こうか」と言いながら立ち上がったが、どうやらリーダーは声が小さくて聞こえなかったものと判断したらしい。俺に寄り添ってからまた口を開いた。
「もうバトルが出来ないっておまえに報告したとき、おまえが冷静でいてくれたから僕も冷静でいられたんだって今わかったよ」
「……」
「あからさまに落胆する相手を見ていたら、僕も動揺してしまった。たぶん顔には出ていなかったと思うけど」
今まで自分に擦り寄ってきていた相手がみるみるうちに興味を失っていくのを目の当たりにしてしまったんだろう。
思ったとおりの展開だ。だから直接会うのはやめておけと言ったんだ。
リーダーは一度言葉を切った。静かな呼吸を何回か挟んでから、
「……もう一度バトル、やりたかったな……」
と吐き出した。
俺の能面のような表情は変わらない。
最近あれだけバイトに入れ込んでいたのに今さら何だよ。後悔するくらいならもっとイカ撃ちに来てくれればよかったのに。俺も、同じチームのあいつらもずっと待っていたのに。
心の中では愚痴が止まらない。でも、なぜか面にそれを出すことはできなかった。出せば解放されるのに、絶対にすっきりするはずなのに何でだろう。情か? 惰性か?
リーダーは俺に無視されているのを黙って聞いてくれているのだと勘違いしている。計算づくで積み上げてきた堅牢な信頼がまるで要塞のように俺自身をはばむ。
「またロッカーの中身も回収しに来ないとね」
にこりと気丈に笑ったその表情が痛々しくて殺したかった。
* * *
あれから一週間たった。
リーダーはまだ走ったり階段を上ったりするのはきついようだが、前よりかは少し動けるようになった。もう俺の送迎なしでも外出している。
珍しく呼び出しをくらわなかった俺は一匹で街をぶらついていた。新作のギアを求めて店から店へと渡りあるく。今まではあいつの趣味に合わせてしょっちゅうタタケンを着ていたけれど、次に買うのは別のブランドでも良いかもしれない。例えばバラズシとか。
ふらりと裏路地に入った。よく使う近道だ。しばらく進んだところで、聞き覚えのある声がした。
「……やめてくれ!」
「やめてくれ、だってさ」
「こんな時でも気取ってんじゃねーよ」
げらげらとわざとらしいほど下卑た笑い声。
「いやだ、離せ!」と静止をもとめる切羽詰まった声。
誘われるようにひとつ奥の通りへ入ると、袋小路の先で複数の男たちが一匹を取り囲んでいた。
「何してんの」
「げっ」
「やべえ、逃げろ!」
俺を見た瞬間に男たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
中央に取り残されていたのは地面に座り込んだリーダーだった。離れたところに松葉杖が放られている。
シャツのボタンを外されかけ、下衣をずらされ、これから何をされようとしていたのか明白な姿。
バンカラ街の路地裏はお世辞にも治安が良いとはいえない。やばそうな葉っぱを売っているのを見たこともあるし、カツアゲなんかもしょっちゅうあると聞く。こんな奥まったところに一匹でのこのこと入り込めば目をつけられて当然だ。特にこいつは有名人で、容姿も人目をひく。
リーダーは乱れた着衣を直すでもなく、放心した顔でうつむいている。俺も無言で松葉杖をひろった。渡そうとして至近距離まで近づくと、泣きそうな瞳と目が合った。両腕がするりと俺の首に回される。
「あ、ありがとう……。助かった」
よく見ると全身を小刻みに震わせている。怖かったんだろう、この思うように動かせない身体では。しどけなく俺に取り縋る姿はダイレクトに庇護欲を刺激してくる。
はだけたシャツの隙間から見える日に焼けたなめらかな肌と、俺だけをとろりと見つめる不安げな表情とをよく見て、俺は口を開いた。
「ナメてんの?」
その一言でリーダーは黙った。
いじらしい小細工だ。
今までのこいつなら絶対にしなかっただろう、俺の気を引くためだけのパフォーマンス。
俺を傷つけることなく逃げた男たちは俺とは面識のないこいつの友人だ。交友関係はすべて調べてあるから、そのくらいは分かる。
タイミングだって奇跡的すぎる。おおかた俺がこの道に入った瞬間を他の誰かに合図させたんだろう。俺がここをよく通ることもこいつは知っていたはずだ。
リーダーは抱き返されることのなかった身体をゆっくりと離した。
俺がその気であればそれを差し出す準備もあったのだろうと思う。
そうまでして俺を繋ぎ止めたいのか。俺という便利な手足を。
こうやって目論見がバレる可能性もこいつは考慮していたはずで、それでもどのみち俺が喜ぶと思ったんだろう。事実、以前の俺だったら涎を垂らして食いついたはずだ。こいつとの親睦を深められるこの絶好の機会に。
こいつの誤算は、俺がもうこいつのことなんかどうでもいいという、ただ、それだけのことだった。
「ごめんね」
リーダーは素直に謝った。
「心配してもらいたかったんだ」
俺は表情を崩さない。だが、心の中でふつふつと感情が沸き立つのを感じていた。その理由もおのずと理解しはじめていた。
「おまえ、自分が車椅子になっても俺が押してくれるとでも思ってんだろ」
「……え?」
俺の唐突な質問にリーダーは戸惑ったような反応をした。
「……いや、さすがにそこまでは、悪いと思う……」
表情に「でも、ちがうの?」と書いてある。自分が本気でお願いしたら聞いてくれると思ってるんだろう。だが、口には出さなかった。賢いこいつは、俺が何に対して不満を抱いているのか正確に汲み取ろうと試みてから言葉を選ぶ。
「当たり前のことだとは思ってないよ。感謝してる」
状況からすると悪くない解答だ。でも、そもそもの前提を取り違えているからこいつは永遠に正解に辿りつけない。
「おまえみたいな友達、他にはいないよ」
俺にとってのお前もそうだったよ。もう今のお前はそうじゃないけどな。
こいつには俺の心がわからない。好きな食べもの、ブランド、趣味、そのくらいの表面的なことすら塗り固められた嘘に騙されている。物を施す、こき使う以外に俺を喜ばせる術がわからなくて、それでも無理やり関心を引こうとして、だからこんな人を馬鹿にしたような策がとれる。
逆に、俺にはこいつの考えていることがよくわかる。何をすれば、何を言えば喜ぶか。ずっと、誰よりも必死にこいつの心を読み取ろうとしてきたからだ。対してこいつは自分に利用価値がなくなったことを省みず、努力しようともせず。
「俺はずっと、お前の強さと名声だけが目当てだったよ」
気がつけば口からそう発していた。
どう考えても言ってはいけない言葉。この数年間ずっと、絶対に察せられないようひた隠しにしてきた本音。
リーダーは呆気にとられた顔をしていた。何を言われたのかすぐには理解できていないようだった。
「え……?」
ワンテンポ遅れて、かすれた声でそうつぶやいた。こいつがこんな鈍重な反応を見せるのは初めてだった。
そこで俺は、自分が何に対してこんなに怒っているのか完全に理解した。既視感の正体がようやくわかった。
過去に一度だけ、リーダーと寝たことがあった。
そのときこいつの周りには「友人枠」になりえそうな奴らが何匹かいて、俺はそいつらと何か明確な差をつけたいと考えていた。
ある夜、飲み会でしこたま酔っぱらって女どもに「カワイイ」などともてはやされながらくてんと俺に身体を預けるこいつを見て、そうだ親友から半歩先に踏み込んじまえばいいじゃん、とひらめいたのだ。
タクシーで家まで送り届けて、肩を貸して寝室まで支えてやるあいだ俺はずっと甘い言葉でこいつを褒めつづけた。おまえは本当にすごいやつだよ、今日の女たちもみんなおまえに釘付けだった、おまえは強いし性格も良いし顔もかっこよくてスタイルも完璧、そうそう昼間行ったバトルも最高だったよ、こんな奴の相棒でいられて俺は本当にうれしいよ。
こいつが今まで何十人に何百回と言われてきた言葉だろうが、それをふだん淡々としている俺からストレートに伝えられるということ自体に価値を見出してくれるだろうと自惚れられるほどには友人としての立場を確固たるものにしてきた自覚があった。案の定リーダーは健康的な褐色の肌をほんのり蒸気させて、そんなことないよ、そんなに褒めてくれてありがとう、おまえ本当に僕のこと好きだよね、ねえもう帰っちゃうの、今日泊まっていきなよ、呂律のまわらない口調でそんな感じのことを言って上機嫌だった。甘ったるい雰囲気のなかリーダーをベッドに寝かせながら、服の中に手をつっこんで均整のとれた身体をいやらしくまさぐった。酔いとその場の空気に流されておそらく訳のわからないまま俺に手籠めにされたリーダーは、ゆるゆると腰を打ち付けられるたびあえかに吐息を漏らしながら、自分のおかれた状況を理解できず感情もついてこぬまま、それでもその端整な顔立ちで俺のことだけをじっと見つめていた。あの病室で感じた既視感はそれだった。
翌朝一緒のベッドで目覚めるとすぐに俺は事前に考えていた設定通りに立ちふるまった。要は、ゆうべは死ぬほど酔っていた、そのせいで前後不覚になっておまえの色香に惑わされた、そのようなていで平謝りしてみせた。
リーダーは「いいよいいよ」と笑っていた。ごめん、僕があんまり魅力的なばっかりに。笑
俺も「うるさいよ」と笑った。一件落着、それにて閉幕の一夜だった。たったそれだけ。そして、俺がいつまでも惰性と情でこいつに付き合ってしまった理由も、こいつがわざわざカツアゲではなく強姦されかけているふうに装うことを選んだ理由もそのくだらない一夜だった。たかが一晩の経験に俺が絆されていることを、よりにもよってそこだけを、一ミリも俺に興味のないこいつが敏感に嗅ぎとって利用した。おそらく無意識に。
こんな屈辱があるか? 俺がおまえなんかを抱いたのはただの、ただの打算なんだぞ。そんなことも分からないくせにコケにしやがって、俺にただ利用されただけのくせに思い上がるんじゃねえよ。全身から怒気が沸きあがるのを抑えられない。
「おまえと知り合ってからの時間はぜんぶ無駄だった。だっておまえもう何も残ってないじゃん。何だよバトルもバイトも二度と出来ないって。一緒に街歩くのも恥ずかしいわ。そんな無能に成り下がっちまってよく俺と対等みたいな顔してられるよな」
口に出せば止まらなかった。何を言えばこいつをいちばん効率的に傷つけられるかが手に取るようにわかる。この数年で築いてきた俺とこいつの関係性を金槌で叩くように自ら突き崩していく。そうしなければならなかった。
「毎日毎日おまえの都合のいいように送迎して、弁当も用意してやって、趣味に付き合ってやって、死ぬほど尽くしたのにふざけんな詐欺だろこんなの。おまえは俺になーんも興味ねえし、なぁぁーんにも貢献してくれねえしよ」
「……っ、……」
「誰がおまえのことなんか親友だと思うかよバカ。俺はずっとおまえのこと嫌いだったよ。いやもう本当に大嫌い。趣味も好みも全部おまえに合わせてただけだ。いつもいつも一人で勝手に盛り上がってよ、俺はおまえと気が合うなんて思ったこと一度もねえよ!!」
リーダーの顔色がみるみるうちに悪くなっていく。ぎゅっと握られた拳が小刻みに震えている。きっと今度は演技じゃない。呼吸が急速に荒くなり、形のよい唇が開いては閉じて、結局なにも言えずにきゅっと引き結ばれた。俺はさらに言い募った。
「もうおまえと付き合う意味も価値もねえから二度と話しかけてくんなザコ。おまえだって俺のこと便利な下僕としか思ってなかっただろ」
「違う!!」
リーダーがはじかれたように声をあげた。そこだけはっきりとした叫びだった。
「僕はずっと……!」
そこから先は声にならなかった。
ひゅっと風を切るような音を喉から発したかと思うと、とつぜん自分の首を両手でおさえて前かがみになった。大きな目を見開いて冷や汗をたらし、はっ、はっ、と肩で息をしている。いや、違う、呼吸ができていないのだ。
それを見たとたん急激に頭から血の気が引くような感覚がして、身体が勝手に動いた。腕を伸ばし、倒れこみそうになっている上半身を抱きとめる。そのままゆっくりと地面に寝かせようとしたところで弱々しい平手が顔に飛んできて中断された。
リーダーの身体は勝手に地面に沈んだ。背を大きく上下させ、ぶざまに一人で苦しんでいる。俺は手を伸ばして触れることもできず、捨て置いてさっさと立ち去ることもできず、弾除けのバルーンのようにただその場に立ち尽くしていた。
しばらくはそのままだった。リーダーの呼吸は徐々に穏やかになっていき、やがて平静を取り戻した。横たわっていた身体にゆっくりと力が入り、地に這いつくばるような体勢になる。
「……帰ってくれ」
両腕で隠された顔からかすかな声でそう聞こえた。それきり全く動かない。
恨み節のひとつでも言えよ。言ってみろ。そう思ったが、こちらを見ることもなく巻貝のように地に伏したみじめな姿があまりにも稚拙で、間抜けで、矮小で、俺はもうそれ以上何も言うことができなかった。
* * *
9時、アサリ!
11時、ホコ!
13時、エリア!!
バンカラマッチが楽しすぎる。
リスポーン装置から勢いよく射出され、泳いで泳いで誰よりも速く前線へたどり着き、遅れてやってきた敵チームどもを最速で迎撃、撃破。高台を占拠して俺はここにいるぞと目線を集めた後、慌てて取り返しに来たのろまを死角から襲撃。スペシャルは吐かれる前に潰す。打開も許さない。最後は敵陣に飛び込んで大暴れ。
注目された時間No.1やバトルNo.1の称号が自分のリザルトについているのを久しぶりに見た。いつもあいつに軒並みかっさらわれていたから。
ロビーに戻り、俺はたいへんさわやかな気分で購買のドリンクを飲んでいた。流した汗がすがすがしい。あいつがいなくてもバトルがこんなに楽しい。
「敵が弱いよぉ」
「リーダーがいねぇからいつもよりレート下がってんだろ」
上機嫌な俺とは対照的に同じチームのメンバーはぐちぐちと不平不満をたれながしている。勝たせてやっているのに一体何が気に入らないんだか。
「やっぱリーダーいないと物足りないなぁ」
「あ、もしもし。連絡くれてたんだね、試合中で気づかなかった、ごめん。この後ヒマ? あー良いの良いの、なんか今日のバトルつまんなくてさ」
ぎょっとしてストローから口を離した。このヤリチン、こんな好調なのにもう帰るつもりなのかよ。二人ともリーダーリーダーってさっきからそればっかりだ。目を覚ませよあいつはもういないんだぞ。いっそのこと、こないだ俺の前であいつがいかに哀れで情けない姿をさらしたか教えてやろうかな。そうすればいつか再起するかも、戻ってくるかもなんていう浅はかな期待も持てなくなるはず。もうあいつはダメなんだ、俺たちは前を向くべき時なんだ。よし言うか。
「あのさ」
「じゃあ帰るわ~」
「お先~」
決意を固めている間にマイペースなチームメンバーたちはとっとと行ってしまった。
後ろ姿を見送りながら「お疲れ…」と口の中でつぶやく。
ふと、背後から「おい、」と声をかけられる。
ふりむくと体格の良い見覚えのあるイカが立っていた。
「お前、あのイカの足じゃん」
こちらを値踏みするような視線。不躾な物言い。それでも俺は無視することなくまっすぐに相手と向き合った。こいつが元リーダーと交流のあったXP3000超えバケモノ集団の1人だからだ。
「そうだけど」
もはや親友とも言えるわけもなく、素直に肯定した。明確に悪意を持った言いぐさもむしろよく見ていると思った。その認識は正しいよ。
「あいつもう戦えないんだろ」
「らしいね」
「お前、俺んとこで使ってやってもいいけど、どうする?」
XP3000超えの男は俺の前ゲソをぷるぷると指でつつきながら言った。
俺は思わず言葉をつまらせた。
「いや……、え?」
「ちょうどチームに欠員が出ててさ。お前クルマも持ってて便利そうだし」
まさかのスカウトだ。
腹の底からじわじわと強い喜びがこみ上げてくる。ああ、顔に出ていないだろうか。口元はゆるんでないだろうか。
やった。ついにやってやった。俺の能力を評価してくれる奴が現れたんだ。そりゃあリーダーよりは弱いし要はあいつの代わりってことなんだろうけどさ。それでもXP3000超えの普通じゃとてもお近づきになんてなれないようなイカが同じチームに誘ってくれた!
あいつという寄生先を失った俺には願ってもない話。あいつを踏み台にして俺は次のステップへ上れるんだ。
「お友達のフリもしてやるよ。ぶっちゃけそれが目当てなんだろ?」
「……」
おいおい。なんだこいつ。話が早すぎる。
心のなかで乾いた笑いをもらした。
全然話したこともない奴のほうが俺のこと分かってんじゃん。
だが、それはそれで別の方向へ懸念点が生じる。
「俺、そんなふうに見られてるの?」
俺はあくまで親友枠として見られたかったのであって、あいつに媚びてすり寄っていると思われたくはなかったのだ。そんなのダサすぎる。
「いや、他の奴らはそうは思ってないんじゃないか? 俺はもともとお前が気になって目を付けてたからさ」
「えっ、そうなの」
自尊心が最高潮に高まるのを感じる。最初から俺に興味があったんだ。リーダーの威光も関係ない俺自身の実力に魅せられたってことだよな。やっぱり俺は「持てる者」なんだ。そのへんの奴らとは違うなにか光るものを持っているってことなんだ。それが分かる奴には分かっちまうんだ。
「ち、ちなみに……どのへんが気になった?」
表情筋を崩さないよう最大限の努力をしながら聞いた。目の前の天才は目を細めてうっすらと笑みをうかべたまま、しかしその問いには答えなかった。代わりに別のことを聞いてきた。
「お前XP29くらいだっけ?」
「うん。最高値が」
「じゃあ、バトルは新メンバーが見つかるまでの繋ぎな」
「……ん?」
反射的に聞き返すと、天才のイカはあきれたように肩をすくめた。
「いや……そりゃそうだろ。もっと上目指そうとしてんのにお荷物抱えてらんねえよ。お前が努力してもっと強くなってくれれば良いだけの話だけど」
「……」
「ま、バトルに出られなくなっても送迎はやってもらうし打ち上げにも誘ってやるから安心しろよ。お前どうせ幹事なんかも慣れてるだろ」
ああ、繋ぎ。繋ぎか……。
そりゃそうか。こいつのチームは全員XP3000超えなんだぞ。大会にもバンバン出るような連中だ。俺を鍛えるにしても、そんなことをするよりもっと強いやつを引き入れたほうが早い。こいつらには自分の練習もあるわけで、ザコにかまけている時間など存在しない。
こいつの言うとおり「次」が見つかるまでに俺自身が化け物並の強者になればいいじゃんハハハ、ってそんな簡単な話な訳ねえだろ。死ぬほど努力してやれることをやりつくした上でのXP2900だ。
そんでもってこいつは間違いなくそれを見透かしている。俺がこいつらと同じステージに上って来られるわけがないと思っている。
なんだか急に目の前のイカがただの凡庸な男に見えてきた。
「前からずっと気になってたんだよ」
XP3000のイカがふたたび口を開いた。まっすぐに俺を指さして、いや、俺の、頭を?
「このぷるんぷるんのゲソにさぁ……突っ込んだらどうなるのかなって」
ロビーを出る寸前、ちらりと後ろを振り返ってみた。
XP3000超えの男はもうすでに俺から興味をなくしたらしい。こちらを気にする様子もなくナマコフォンを取り出してどこかへ電話をかけ始めている。
ありえねえ。まじで死ね。どうせおまえなんかリーダーの劣化版にしかなれねえよ。もう見られていないと分かっていながらも、俺は両手で中指を立ててみせた。
* * *
記憶が飛んでいる。気がつけばチームでよく自主練に使っていた公園でベンチに座り、ぽかんと口を開けて惚けていた。
数十分前にはロビーでこめかみに青筋を立てていたはずだった。怒りというものはエネルギーを消耗する感情だ。疲れとストレスがどっと全身にのしかかっているのを感じた。たぶん、今日限りの話じゃない。リーダーが事故にあって以来、俺はずいぶんと擦り切れていたらしい。
人通りはほとんどないが、向かいのベンチにはサラリーマン風のオッサンタコが座っている。俺と同じような表情でイヤホンをつけ目を開けたまま気絶している。
しばらくしてその黒目が正気をとりもどしたようにぐるんと動き、しかと目があった。
オッサンが立ち上がりこちらに近づいてくる。仕事鞄の中から何かを取り出した。
「あなたは、今、幸せですか?」
パンフレットを手渡された。
脳死状態でその表紙をながめていると、少し離れた場所から男の怒号がきこえてきた。
オッサンと顔を見合わせ、物陰からそろそろと様子をうかがってみる。
「結局うまくいかなかったんだろ? せっかく協力してやったのにさぁ」
「……ごめんね」
見覚えのある俺よりも哀れなザコが、これまた見覚えのある生ゴミにからまれている。
「これでお前が幸せになれるならって100%の善意で付き合ってやったんだぜ。俺が本気出したらあんなヒョロタコ一瞬でワイプアウトなのに」
「そうなんだ、すごいね」
「これで成功しなかったんなら俺の労力はなんだったんだよ。ザコ相手にザコのふりしてプライドが傷つけられた!」
体格の良いオスイカ2匹がわちゃわちゃと揉めているのを見て、サラリーマンのオッサンはそそくさと立ち去っていった。
「報酬を寄こせ。あの時あの場でお前の親友ボッコボコにしてお前と一緒にぶち犯してやっても良かったんだぞ。俺にはそれができるのにやらなかった!」
「そうなんだね」
「こういうのはカネじゃねえんだよ!! わかるだろ??」
俺は心底あきれていた。よりにもよってどうしてこんな面倒くさい感情を持った奴を手駒に選んだんだか。本当にこいつは自分のどの部分が相手を惹きつけているかについてまったく興味がない。分析しない。頓着もしない。色んな能力がありすぎて黙っていても勝手に周りにイカが集まるからその必要性がない、いや、なかったのだ。そして今、相手のもとめるものが分からないせいでこんなトラブルを引き起こしている。
「どうせあいつと何回かは寝てんだろ! 一回くらい俺にもやらせろよ!!」
「……」
リーダーは片腕をつかまれて見るからに困っている。今までのこいつだったらこんなやつ相手にせずさっさと断って立ち去っていただろう。不自由な身体がそれを拒んでいる。群青の瞳がふっと伏せられた。諦念の表情。
俺もとてももう助ける気にはなれなかった。いっそのことこいつが公衆便所に連れ込まれて犯されるところまで見届けたら多少は溜飲が下がるだろうか。個室の上から動画撮ってSNSに流してやろうかな。
そう考えていたのに、どうも俺の身体にはこいつを無視するという選択肢が未だ搭載されてなかったらしい。
「誰がヒョロタコだゴラァァァァ!!」
物陰から飛び出て暴漢の後頭部へ一撃。思わず倒れこんだ相手の背中をバカみたいに蹴りつける。悲鳴をあげる相手を力づくでひっくり返し、腹へ乗り上げて左右の頬へ連続パンチ。最後に「これでも読んどけ!!」と開いた新興宗教のパンフレットを顔面へ叩きつけると、見た目だけの張りぼてザコは先ほどまでの威勢はどこへやら、ごめんなさいごめんなさい!と謝りながら足をもつれさせて逃げていった。
残されたのは呆然と立ちすくんだリーダーだけだ。俺を見て気まずそうに目をそらす。しかし、すぐ、意を決したようにもう一度こちらを見た。
「……ごめんね。助けてくれてありがとう」
そう言ってへたくそな笑みをうかべた。
俺は黙っていた。
これが最後だ。もう助けるのはこれが最後!
そう心に決めて無表情のままじっとしていると、リーダーはくるりと反対側を向き、のろのろと歩き始めた。振り返らないまま口を開く。
「行っていいよ。もう、構わないでくれ」
言われなくても構いやしねーよ。
あの先の道には階段があるはずだ。せいぜい1人で途方に暮れろ。
俺もさっさと踵を返した。足早に歩きだす。
歩いているうちに、なぜだか、この数年間にあいつが見せたいろいろな姿が脳の中にあふれ出してきた。
バトルで俺をボコボコに打ちのめし一瞬で虜にした眩しい瞳。ロビーで大勢のイカタコに囲まれながらどこかつまらなさそうだった笑顔。俺の部屋のベッドを占領してのんびり読書する背中。バイト帰りに寄ったラーメン屋で俺の味玉を半分狙う手。車の助手席で鼻歌をうたうご機嫌な横顔。俺の腕の中で、じっと俺を見つめて、裸のまま嬉しそうにはにかんだ、……。
あの先の道には階段があるはずだ。
俺はふりかえって走り出していた。
案の定、リーダーは苦戦していた。階段の序盤で手すりにへばりつくようにもたれかかっている。
走り寄り、その均整のとれた背を抱きしめて、背後から支えた。押し上げるようにして一緒に階段をのぼっていく。
相手は同じくらいの体格の男だ。重い。バランスを崩さないよう一歩一歩しっかりと踏みしめなければならない。よたよたと無様に階段をのぼりながら、俺もじんわりと汗をにじませていた。何でこんなことをしているんだろうと思った。今さらこんなことをする義理はなくて、俺の数年間はすべて無駄で、残されたものはこいつのおこぼれで多少ちやほやされた思い出とバイトで貯まった端金と、そして、この傲慢で付き合う価値もない愚鈍な友人。今の今まで俺のことなんか全然見ちゃくれなかった友人。
軽く息を乱しながらふと空を見上げた。青く遠くまで澄んでいる。
一番上までたどりつくと、2人して地面に倒れこんだ。広葉樹に囲まれた小高い丘の上。道が舗装されていないから、先日買ったばかりのバラズシのコートが土で汚れる。
這いつくばってしばらく息をととのえながら、俺はすべてに絶望していた。またこいつを助けてしまった。また決別できなかった。離れようとしてもまるで呪いかのように同じ場所に戻ってきてしまう。
ぎゅっと拳をにぎりしめる。今からでも遅くない。今度こそ金輪際縁を切るんだ。ゆっくりと上体を起こし、隣の顔をのぞきこむ。
リーダーは泣いていた。紅潮した褐色の肌を透きとおった涙の線がいくつも伝っていく。
それを見たとたん、こいつを糾弾する気持ちがいよいよ小さく萎んでいった。
こいつが俺のことで傷ついた。今まで歯牙にもかけなかった俺のことで。
「僕はずっと親友だと思ってた」
リーダーが涙に濡れた蒼い瞳ではっきりと俺をにらみつけた。
「おまえだけが僕のこと分かってくれるって思ってたのに」
俺はややうろたえた。美人が泣きながら怒ると迫力があるんだなと思った。
「嘘つけよ」
動揺を悟られないよう強気に言い返す。
「俺に興味なんて1ミリもなかっただろ」
「おまえが唯一の親友だと思ってた!!」
それ以上に激しいトーンで反撃された。
「本当は大嫌いだったなんて分かるわけないだろ! あんなに僕のこと見て、誰も気づかないようなことまで察して、そんなの普通よっぽど好意をもった相手じゃないとできないじゃないか!」
「いや、お前が普通を語るなよ……」
「こっちの台詞だよ、なんでおまえはそんなに変なの?」
「なんだとこの野郎」
「そんなに嫌いな相手にあそこまで尽くす馬鹿、おまえ以外いないよ!」
むかついて相手の後ろゲソを思いっきり引っ張ってやった。仕返しとばかりに前ゲソをわしづかんで引っ張られる。力が強い。
「い……痛い痛い!! やめろちぎれる!!」
つい先日までかよわさを全面に押し出した要介護者だったのに、いつの間にかもうこんなに腕力を取り戻していたのか。
ん? でもさっき、階段で随分と苦戦して……
なにか重要なことを考えようとしていた気がしたが、ぱっとゲソを離したリーダーが身体をくっつけてきて思考が飛んだ。許可なく肩の上に乗せられたあごの骨ばった感触。密着した胸からつたわる鼓動。
「おまえのこと全然見ようとしてなかったかもしれない」
リーダーはもう取り乱してはいないようだった。
静かに発せられたその言葉に俺はうなずいた。
「かもしれない、じゃなくて、そうなんだよ」
「悔しいんだ。おまえのこと何にもわかってなかったのが……親友なのに」
「そっか。親友じゃないけど……」
「どうすればわかるようになるかな?」
聞くのかよ。
「他人にもっと興味もったら?」
俺は戸惑いながらそう返した。
「おまえには持ってるよ」
「当社比の話だろ? 普通にくらべたら全然足りないよ」
「そうかなぁ」
リーダーがくすりと笑った。
俺の口元もつられて少しゆるんでいた。
テンポの良い軽口をほんのちょっとだけ楽しいと思い始めてしまっていた。
本当はわかっていた。リーダーはただ『気の置けない友達』がほしかっただけだ。
でも、そんなもの俺たちにはまやかしだった。リーダーは自分に対して気を置かないイカタコのことを友人として認識できない。俺が親友の座を射止められたのは、自分を殺してこいつの心を必死に読み解いたから。
だから俺たちがそんな遠慮のない間柄なんてものになるのはどだい無理な話なのだ。
俺よりずっと賢いはずのこの男にはそれがどうしてもわからない。
「おまえの考えてること、わかるように努力するよ」
リーダーは真摯だった。
「努力するから、見捨てないでよ。おまえの親友でいたい」
「無理だろ、もう、親友は……」
「いやだ」
「いやだって」
「じゃあ、何だったら一緒にいてくれる?」
「……」
俺は一応考えてみた。バトルもバイトもやらない、俺が合わせなくなるから趣味も合わない。だめだ接点がない。何か、他に何かあるか。
リーダーがおもむろに俺の背に腕を回し、さらにぎゅっと密着してきた。顔が近い。
「恋人にする?」
「は、はあ?」
至近距離で囁かれてへんに心臓が跳ねた。
「意味わかんねー。親友よりないだろ」
「なんで? 前は抱いてくれたのに」
「たった一回だけじゃん」
「でも勃つんだろ」
「それは別におまえのこと好きだからってわけじゃ……」
「僕はおまえのこと好きだよ」
「えっ」
好き? この才能の塊のような男が俺のことを恋愛的な意味で好き?
いや、騙されるな。こいつは俺のことを絆そうとしている。
「おまえは本当におもしろいよ。いつも反応がイレギュラーでさ。でも、最後は絶対に僕の思いどおりに動いてくれる」
リーダーが俺について何かつらつらと言及している。が、唇にかかる吐息に気をとられて正直全然頭に入ってこない。
「そんな二律背反なやつ他にいないんだよ。僕がおまえに興味ないって思ってるみたいだけど、本当にそんなことないよ。今までに知り合ったイカタコの中で二番目」
「いや一番じゃないんかい」
心の中でだいぶ脱力した。まあ、こいつの興味の対象ランキング堂々たる第一位はバイトでチームを組んでいたあの優秀な後輩イカで間違いない。彼女とは本当にバイトでしか付き合いがなかったから、事故の後は一度も会っていない。多分こいつのケガのことも知らないんじゃないだろうか。リーダーもボロボロになった今の姿を見せたくないのか、連絡をとっている形跡はない。
……とってないよな? 少しだけ気になって地面に落ちているリーダーの鞄をちらりと見た。なにか黒いものが入っているのが見える。よく見ると小ぶりなスタンガンだった。
嘘だろ。自衛対策ばっちりじゃないか。つまりこいつはさっきのような輩に自分が付け狙われていることを察知していたということか。
「実は、事故にあってから僕もおまえのこと少しだけわかるようになったんだよ。おまえが一番大事なもの。なにを取捨選択するか。もうだいたい予想がつくよ。怪我の功名ってやつかな」
リーダーはなおも話し続ける。まるで独白のように。
「他のやつらなんておまえのこと何にも分かってないよ。XP3100のあいつなんて絶対だめだね。おまえをこき使うこととゲソのことしか考えてなかっただろ」
「ああ、あいつ……」
いや、待て。どうしてお前がそんなことを知っている?
まさか。今までのすべてが線でつながっていく。一瞬で状況を理解して戦慄した。気がついたときにはもう手遅れだった。俺はこいつに情報を開示しすぎたのだ。
「選んで」
目の前にいるのはすべてを失ったはずの男だった。そのはずだった。
持てるものすべてを使い俺をてのひらの上で転がし回したこの男は、両手でやさしく俺の頬を包みこみ、最後の仕上げとばかりに端整な顔立ちでほほえんだ。
「親友と恋人、どっちにする?」
親友。恋人。
時間と労力。見栄とプライド。
友情。
性欲。
愛。
あれ……いったい俺は何を選んでいるんだっけ。
* * *
停めた車の横で煙草を吸いながら、もう30分も待っていた。
少し離れた大きな建物から、ぞろぞろと一斉にイカタコとクラゲたちが出てくる。なんかの学会だと聞いていたが、興味がなくて詳細はあんまり覚えていない。言われてみれば皆賢そうに見えなくもない。
ひときわ人数の多い一団があって、その中心にあいつがいた。周囲から代わるがわる熱心に話しかけられて笑顔で応対している。
バトルのプロへの道が閉ざされたあいつは研究者を志すようになった。そこそこ名の知れた大学院の研究室に潜り込んでからまだ一年ほどしか経っていないというのに、もう業界の注目を集め始めているらしい。きっとあと数年もすれば若き天才学者として名を馳せるのだろう。
どこに行っても結局あいつは天才だった。
たぶん、本人としてはその場その場でたまたま興味を持ったものに取り組んでいるだけなのだろうが。
俺を見つけたあいつは仲間たちに手を振ると足早に寄ってきた。俺も煙草を始末する。
車のドアを開け、手のひらを差し出してやると「ありがとう」と微笑んでそこに自分の手を乗せる。そのまま俺の手を支えにしてゆっくりと助手席に乗り込んだ。
つないだ手に込められた力から、筋肉が落ちたことを感じる。今なら抱きかかえられるかもしれない。
俺も運転席側までぐるりと歩き、車に乗った。助手席に座った男はエンジンがかかるとすぐ、慣れた手つきでナマコフォンのオーディオを勝手に接続した。
「これさ、最近いいなと思ってるバンド。聴いてよ」
「ふーん」
走り出した車内を軽快なメロディが満たす。
「これが一番売れてる曲。どう?」
「まあまあ」
「えー、なんで」
「ボーカルが微妙に下手じゃない? 曲は悪くないけど」
「デビューしたばかりだから。多分これから上手くなるよ」
好きなものを俺から全肯定されなかったというのに、今のこいつはもう機嫌を損ねる様子もない。……いや、もともとその程度のことで気分を害すような男ではなかったのかもしれない。
「おまえが好きそうな曲もあるよ」
助手席の男はぽちぽちとナマコフォンを操作して別の曲を流しはじめた。
少し暗い雰囲気の主旋律。しかし、それを彩るギターとベースの音色は力強さにあふれ、聴いているだけでじわじわと気分が盛り上がる。
「……確かにこっちのが好み」
いや、本当にいいな。俺の好みど真ん中だ。
「そうでしょ。絶対そうだと思ったんだ」
「よく分かったね」
得意げにはしゃぐ笑顔に思わず俺の口元もほころぶ。次にこいつが何を言おうとしているかだいたい予想がつく。きっと合っているはずだ。俺にはこいつの考えていることが本当によくわかるから。
「おまえの親友だからね」
長い指先が伸びてきて、俺の頬をやさしくなぞった。
(おわり)